50話◆魔女は助けを乞う
第三部 騎士の厄難
ヴィンセントが落馬した。彼を抱きかかえ、何度も呼びかけるが、ヴィンセントが応えることはない。
「ねえ、目を覚まして……」
口元に手をかざすと呼吸はしているようだった。最悪の事態でなかったことに胸をなで下ろすも、彼をまず安全な所に連れて行かなきゃいけないと焦りが出る。肩にかけていた荷物から私は手袋を取り出した。剛腕のまじないが効いているので、これがあれば女の私でもなんとかヴィンセントを運ぶことができる。でも踏ん張る足の力が足りない。上半身を抱え、地面に足を引きずりながら運んだ。これじゃヴィンセントの身体にかかる負担も大きい。
ああもう、私が男だったらお姫様抱っこで颯爽と運ぶのに!
馬たちは放っぽりぱなしだったけど、賢い子達だから私達の後を着いてきてくれる。まずは家に運ばなきゃ。ヴィンセント、もうすぐだからね。
なんとか家まで着く頃には私は汗でぐっしょり濡れて、ヴィンセントも土埃にまみれていた。落下したところがぬかるんでいたのか、騎士服がどろどろだ。どうしかして脱がせなきゃ。医者も呼びたい、看病もしたい。どこから手をつけよう。ああ、人手が欲しい。すぅっと息を吸って気持ちを落ち着けた。やることに優先順位をつけて、ひとつずつやれば大丈夫だ。最優先はヴィンセントの安全の確保。こんな玄関先で寝かせちゃダメ。でもベッドに運ぶにはまずこの服を脱がせなきゃ。
「恥ずかしがってる場合じゃないわね。ヴィンセント、あとで怒っちゃいやよ」
詰襟からボタンを外していくと、じわじわと指先に感じる不快感。……これはどこかに呪いが仕込まれている。カッと頭に血が上った。 乱暴な手付きでボタンを全部外し、表を広げた。
「……これって」
目を疑ったのは騎士服の内側に施された刺繍。前に服を奪い取ったときにあったものは厄除けだったはずだ。でも隙間なくあるこの黒い刺繍は違う。全部、ぜんぶ、人の髪の毛だ。圧倒的な気色悪さに吐き気が込み上げてきた。それと同時にあまりに哀れなヴィンセントの姿に涙が出てくる。どうして彼がこんな目に合わないといけないの。私は泣きながら、怒りながら、彼の服をぜんぶ取り上げた。屋敷の人達が用意したであろう服はなにもかも信用できない。羞恥心は遠くに投げ捨て、一糸まとわぬ彼の身体をシーツで覆う。なんとか私のベッドまで運ぶとようやく一安心できた。
まだ彼は意識を取り戻さない。彼の額に手をやると高い熱があるようだった。医者に見せたい。私ではどうにもできない。人を呼びに行かなきゃ。だけどここに彼を一人置いていくことに大きな不安を抱える。
「そうだ、アルバートがいるじゃない」
急いで裏口から庭に出て、アルバートのいる柵の方へ向かう。日向ぼっこしていた大きなヤギが、こちらに気付いて耳をピクピクと動かした。
「お願いアルバート、ヴィンセントが倒れたの。お医者さんを呼びに行きたいから、その間彼の側にいて欲しいの。彼を守って。あの時私を守ってくれたみたいに」
きょとんとしたアルバートだったが、私の様子が変だと言うことには気付いてくれた。首筋を撫でながら「こっちに来て」と誘導すると、素直について来てくれる。家の中にあがりベッドのある所までいくと、アルバートはベッドで眠るヴィンセントの匂いをくんくんと嗅いだ。
「アルバートはここにいて。お願いね」
部屋を出ようと扉に手をかけると、うめき声が聞こえた。もしかして目覚めたのかと思って近寄るが、彼は眉根を寄せて苦しそうにしているだけで、意識は取り戻していないようだった。悪夢かなにか見ているのだろうか。そっと髪をかき上げるように彼の頭を撫でる。私はゆっくり彼の顔に近づいて、小さくキスを落とした。
右のまぶた。左のまぶた。それから額。
あの日あなたがしてくれたおまじない。
私がやってもちゃんと効くかしら。
「愛しているわ、リウ。いい夢を。……待っててね、絶対に助けてあげる」
もう一度頭を撫でて、私は今度こそ部屋を飛び出した。
◇
エリザベスには「不届き者が来たら蹴り上げて」と言っておく。そしてオブシディアンに乗り上げるとすぐさま駆け出した。橋を渡ってすぐにあるのはクライブの家。着くと同時に駆け寄って乱暴にドアを叩いた。
「クライブ! ねえクライブ居ない? お願い、助けて!」
クライブは便利屋さんとしてあちこち出かけるので居るとは限らない。だけどお医者さんに行く前に、まず彼に頼りたい。焦る気持ちでクライブを呼ぶと、木のドアが音を立てて開き、中からのっそりとヒゲの男がでてきた。
「クライブ!」
「はいはい、どうしたそんなに慌てて」
「おねがい助けて。ヴィンセントが倒れたの。お医者さんを呼びに行くけどいつ帰ってこれるか分からない。私の家に行って彼を看ていてくれない? 手間賃は多めに出すわ」
「なに? そりゃ大変だな。わかった、きっちり請け負うぜ」
「ありがとう、いつもごめんなさい」
「いいさ。ほれ、早く医者さん呼びに行ってやれ」
手を伸ばしてぎゅーっとクライブに抱きつく。ふっくらした彼は父親の貫禄があった。これで感謝の気持ちが少しでも伝わればいい。ああしまった。汗まみれじゃない私。彼にもう一度お礼を言って素早く離れると、オブシディアンに飛び乗った。
カルバートンに医者は一人だと前にクライブが言っていた。私は病気にかかった事も、大きなケガもした事がないからお医者さんとは全く無縁だった。診療所の場所すら知らない。でもカルバートンにさえ行けば、誰か知っている。畑や牧草地を抜ければ民家がポツポツ増えてくる。通り過ぎる人に診療所の場所を聞いて、一心にそこを目指した。
意外と知った場所にその診療所はあった。まじないのギルドの三軒となりで、わりと綺麗な建物だ。しかしドアに掛かっている表札を見て青ざめてしまう。
『往診中』
この町唯一のお医者は今不在だ。待つしかない。そう思って私はオブシディアンの手綱を握りしめ、ずっと診療所の前で待った。こうしている間にヴィンセントの容態が悪くなったらどうしよう。いいえ、クライブがいるから平気だわ。アルバートも、エリザベスもいる。絶対大丈夫。
だけど、待っても待ってもお医者さんが来なかった。立ちつかれて診療所の前の座り込む。今の私はどうしようもなく無力だ。お医者さん一人連れてくる事ができない。ポロポロと涙が溢れてきた。悲しい涙じゃない。何もできない自分に対しての悔し涙だ。辺りは夕暮れになりつつある。どうしてお医者さんは戻って来てくれないのと、見当違いな怒りをぶつけてしまいそうだ。両手で顔を覆い、このやるせなさを逃していると、頭上から声がかけられた。
「もし、お嬢さん。大丈夫ですかな」
まさかお医者さんが帰ってきたのかと思い、勢いよく顔をあげるとそこにいたのは白いヒゲをたっぷり蓄えた翁。この人は知っている。ギルド長だ。ああそうか、ここはギルドの近くだものね。見るからに肩を落とした私を心配してくれたのか、ギルド長はなおも声を掛けてくれる。
「医者を待っているのですか? もしや、どうかされました?」
そう問われ、私は涙を拭うこともせずに、ギルド長に訴えかけた。
「急に倒れた人がいるの。意識が戻らなくて、私じゃどうしようもなくて。お医者さんなら助けてくれると思って来たけど、……いないの」
「ああ、あなたは何ともないのですね。……わかりました。少しここでお待ちください。部下に探させます」
「……ありが、とう」
どうしてこの人は親切にしてくれるんだろう。ギルド長は一緒にいた人になにか言うと、その人は急いでその場を離れた。そして翁はいまだに泣いている私を見かねたのか、おずおずとハンカチを差し出してくれた。
「どうか泣かないで……」
ギルド長は痛ましい表情で私を心配してくれる。その優しさに少し心が救われた気がした。世の中にはどうしようもない悪意がある。だけどこうやって、暖かな善意もちゃんと存在する。
「ありがとう」
その優しさに答えたくて、笑顔を浮かべた。
大丈夫、きっとなんとかなる。早く彼の元気な顔が見たい。怒っててもいい、呆れててもいい。失う恐怖を知ってしまうと、ヴィンセントが自分にとってどれだけ重要な存在なのか思い知らされる。もう、こんなの予定外だ。
「倒れたのは……あなたの大事な人なのですか?」
「困ったことに、そうみたい」
ギルド長と一緒に眺めた夕日は、赤くて寂しくて、どうしようもなく胸が騒いだ。





