13話◇騎士は呪いを知る
夕食はわが家のコックが作ったものがデリバリーされた。過保護な家令が手配したらしい。宿の部屋は富裕層向けだったので今のテーブルにカトラリーを並べただけでもどこぞのレストランのようだった。庶民の魔女でも食べやすいような堅苦しくない料理だったのはさすがだ。後でまた食器を片付けにくると言うと、屋敷の者は静かに部屋を後にした。
「ふあー、さすがお坊ちゃんね」
「少々過保護なのだ。お前は気に負わず食べろ」
あれだけ言ったのにもかかわらず、未だにヴィンセント・グスクーニアと呼ばない魔女に腹を立てているので、私もワザと『お前』と言ってやる。
牛肉を煮込んだ赤いシチュー、付け合わせの豆とポテト、デザートの果実が少々とこぶし大の丸パンが数個。魔女マリアはどれもおいしい! と興奮しながら食べていた。普段は慇懃無礼な魔女がおいしいものを前にした時だけは普通の子女に見える。幸せそうに食べる姿を見るのが意外とおもしろくて、気づけばあれも食べろこれも食べろと彼女の皿に食べ物をわけていた。彼女は老獪な女狐に違いないが、少々線が細い上に脂っ気が足りない。肌も髪も、同じ年頃の貴族の令嬢ならもっと艶があるのだ。栄養が足りてないのだろう。
夜に妙齢の女性と二人きりで食事をしているという事実に多少むずがゆくはある。が、相手がこの魔女なのだからノーカンだ。こいつは世間一般にいう女性ではない。意識なんてしていない。本当だ。ただ、こういうふうに気負いなく会話ができる人物は貴重なので少々うれしいだけだ。
食事を終えると控えていた侍従が食器を片付けてくれた。見れば魔女の頰が健康的に赤みをおびていて、どうやらお腹いっぱい食べてくれたらしい。肥育成功だ。食後のお茶まで出してから侍従は屋敷へ帰っていった。おそらく明日はまた朝食を持ってきてくれるだろう。去り際に魔女を鋭くにらんでいた気がしないでもない。
「ねえ、すこし話をしても良い?」
魔女マリアは両手でカップのお茶を揺らしながらそう言った。視線はカップに注がれたままで、長いまつ毛が影を作っていた。互いにテーブルを挟んだまま、腕を伸ばしてようやく触れるぐらいの距離で私達は座っている。
「かまわん、言え」
外は闇に包まれ、細い月がわずかに明るく光っていた。薄暗い部屋にランプの光がゆらゆらと揺れる。
「身近にいるわ。あなたに呪いをかけた人が」
魔女の青い瞳が私を見すえた。
◇
初めて私を見たときに違和感を感じたと言う。透明な水に一滴だけ真っ黒のインクを垂らしたような、そんな雰囲気があったそうだ。直感で「これは呪いだ」とわかったものの、原因までは掴めなかった。
「別に放っておいてもよかったんだけどね。他人だし。でも、あなたがくれたお菓子がとってもおいしかったから、お礼したかったの」
お茶を飲もうとしたその瞬間、着ている服に目がいった。呪いの媒体はこれだ、と思った瞬間にはもうお茶を私にかけていたらしい。
「熱いお茶をかけるのがお前の礼になるのか」
「じゃあ素直に言って脱いでくれた?」
「脱がんな」
「ほら。……とにかく、はぎ取った服や防具を調べたらあったのよ。あなたを狙った呪いが」
呪いと聞いた瞬間、背筋が冷え嫌な汗がにじむ感覚があった。少し前から聞いていたもののどこか他人事に思えていた。目の前に突きつけられるとじわりと恐怖が湧き上がる。
「……騎士服と防具は私も検分した。特に異常はなさそうだったが、それが原因なのか?」
だとしたら領城の誰かの仕業ではないかと思う。日頃から私を邪険にする奴らは多い。動機は充分だ。
「いいえ。分かってなかった? あなたに返していないのがひとつあるわ」
魔女が険しい表情をした。私の手元に戻ってないものだと? にわかに速まる鼓動に気持ちが悪くなっていく。先日の出で立ちを思い出し、腑に落ちた。……そうだ、スカーフだ。騎士服と防具は支給物だからなにかあってはいけないと神経をピリピリさせていたが、スカーフのことは忘れていた。だが待て、スカーフはうちの屋敷の者たちが丹精込めてまじないの糸を刺してくれてたはずで……
「まさか……」
「あの日の前後で体調に変化はない?」
思わず口元を手で押さえた。あの頃いつもひどい頭痛があったじゃないか。医者に行っても原因は分からず、痛みは薬で散らしていた。それがパッタリ無くなったのはいつからだ。夜ぐっすりと眠れるようになったのは、いつからだ……?
吐きそうだ、と思った。
領城になら敵はいる。明確な敵ではなくても、敵意を持っていたり私を邪魔に思う人もいる。私の容姿に惹かれてよからぬことを考える人がいるのもまた事実だ。それで危険な目にあったのは一度や二度じゃない。……だからこそ家族や使用人達が幼い頃から守ってくれていた。いや、最初は不届きな使用人もいたが、次第に淘汰されていった。今では家族にも近い信頼を置いているの彼らの中に、私を狙っている者が——
心臓がやけにうるさく、息が苦しい。
うまく空気が吸えていない気がする。
「……ごめんなさい、やっぱり言うべきでは無かったわ。でも、もう大丈夫よ。処分したもの」
魔女が、マリアが、無理やりほほ笑んだように見えた。
彼女の言い分が正しいなら、私は魔女に助けられたことになる。それも私に知られないように、ひっそりと。あの日の彼女は行動こそ無礼だったが、それはそうしないと呪いを除去できないからで……
なのに私は彼女に対して不愉快だなんだと罵った。
「マリア……私は、」
恐怖、困惑、罪悪感、安堵、疑惑、そしてまた恐怖。言うべき言葉がまとまらない。頭が混乱して考えが脳中に散乱し始める。
誰が味方で誰が敵だ。魔女、お前は味方か?
どうして最初に言ってくれないんだ。もしそうだったらまた違う関係が築けたはずだ。
屋敷の中に、いる。私の信頼を裏切るものが。
『……愛しています、ヴィンセント様。もう自分じゃどうしようもないくらいに』
ふいにいつの日かの記憶がぶわりと蘇った。手足の先から温度が消えていき、喉が締まって息ができない。次第に音のない世界に包まれ、私の意識はプツンと途切れた。
最後に見えたのは、ひどく困惑した表情を浮かべるマリアの姿だった。
◇
再び意識を取り戻した時、部屋の灯りはごく小さくなっていた。テーブルに着いていたはずだったが、今は柔らかなひとり掛けのリクライニングチェアに体を預けている。椅子とベッドの中間のようなそれは休憩として横になるのに丁度いいものだ。足に感じる重みは不快ではなく、むしろ不安で凍りつきそうな心を溶かしてくれそうな温もりがあった。
赤い髪が視界に入る。
「……マ、リア?」
私の膝にマリアが寄りかかって眠っていた。どうやら床に座り込んで、頭は私に預けているらしい。私には寒くないように毛布がかけてあった。私の呼びかけに反応したのか、マリアがピクリと動いた。
「マリア」
「……んん」
彼女はこしこしと目を擦ると、寝ぼけ眼で私を見た。薄暗い部屋の中でも彼女の赤毛と空色の瞳が見える。
「……ああ、起きたのね。だいじょうぶ?」
ヘラりと笑う彼女に、胸が痛み、目頭が熱くなった。意識を失うまでの自分の不安を思い出したが、彼女の存在に、なぜか心の隙間が埋まっていく。
「なぜ、そこにいる」
「不安な時は誰かの体温が心地よかったりするのよ……いやだった?」
それに文句は言えなかった。本当にいやではなかったから。代わりに彼女の髪をすくように頭をなでた。気持ちよさそうに目を閉じる彼女を抱き上げてこのまま一緒に寝てしまいたい。意識を手放したい。そして目覚めた時にそばにいて欲しい。不思議とそういう欲求が湧きあがってきた。
……これは恋情とは違うな。
不安からくるただの人肌恋しさだ。
マリア、ともう一度名前を呼んだ。頭をなでていた手が耳をかすめると、彼女の肩がぴくりと跳ね、私の中の不埒な欲求がいっそう熱くなるのを感じる。私は椅子から身体を起こし、魔女を抱き上げた。ほのかに甘く柔らかな香りに頭がくらくらしそうになる。
「……寝室まで送る。ゆっくり休め」
こくりとうなずく彼女を寝室の奥にあるベッドまで連れて行った。離れる体温に後ろ髪を引かれながら、私は部屋を後にした。





