第18.5話 断章4 「バルケルで」
季節も冬に入った。賑やかな港町の陽気な活気は損なわれていなかったが、潮風は以前来た時よりも肌寒く感じた。
レイチェル達のことをサンダーは考えていた。まだリゴ村へ到達したとは思えないが、きっと北はここよりも遥かに冷え込んでいるだろう。
潮風が吹き、少年は思わず震えた。そして北へ向かうのにいつまでも半袖でいるわけにもいかないなと思った。
三人の足並みが止まった。
太陽の位置からすれば今は昼を過ぎた頃だろうか。
ライラがこちらを振り返った。
「二人ともここまで付き添ってくれてありがとう。後は大丈夫だ。私一人でレイム殿を訪ねようと思う」
「そう、わかったわ」
ティアイエルが応じ、そして言葉を続けた。
「でもアタシ達、五日ぐらいはここの宿にいるから、もしも今回の仕官がアンタの気持ちに合わなかったのなら戻ってくれば良いわ。一応、レイチェル達とも別れの言葉は交わしたけど、そんなこと気にしないで、少しでも気に入らないことがあったら絶対にこっちに戻ってらっしゃい。良いわね、ライラ?」
ティアイエルがいつになく真剣な口調で言ったが、サンダーも内心は有翼人の少女と同じ思いだった。そして彼の希望としては、ライラに戻って来てほしかった。サンダーは戦士として、亡きクレシェイド同様にライラのことも尊敬していたし、慕ってもいた。年上の彼女が得物を振るう姿は戦場の女神を思わせる。その姿はひたすらに美しかった。しかし、ハッとして頭を振った。ライラの成功を祈らないだなんて、自分はどうかしている。
「ありがとうティアイエル」
ライラはティアイエルを抱きしめた。
「サンダーもありがとう」
続いてライラはサンダーを抱きしめた。
「ティアイエルの姉ちゃんと同じだよ。もしもバルケルの奴らがいけ好かない奴らだったら、いつでもこっちに戻って来てね」
サンダーが言うと、優し気な瞳でライラは頷いた。
「わかった。ではな、二人とも」
ライラは力強い笑みともに踵を返し、人混みの中へ消えていった。
二
翌日、サンダーは冬物の衣装を見て回るつもりだったが、ティアイエルがそうはさせてくれなかった。
有翼人の少女が言うには、ライラの様子を見に行くのについて来いということだった。サンダーもライラのことが気に掛かったが、向こうから訪ねてこないということは既に仕官は叶ったということだ。せっかく上手くいってるところを訪問するのは水を差すようで気が引けた。その旨を正直に伝えると相手は言った。
「アンタ、結局ライラのこと心配じゃないのね?」
そう決めつけられ、詰め寄られて、サンダーは渋々応じたのだった。
そうして二人は朝のバルケルの街の中を進んで行った。
レイムの父、つまりバルケルの領主、ソウ・カンの屋敷は民家から距離を置いた高台にあった。
そこからだと港を一望できる。今は船は港にはあるものの大海原には出ていないようだった。
ソウ・カンの屋敷は大きい上に、庭も広く、鉄の棒の柵によって囲まれていた。
「行くわよ」
そう促され、ティアイエルの後を着いて行く。てっきり正面の門から行くのかと思ったがそうじゃなかった。
屋敷の周りを少し進むと、ティアイエルはふと足を止めた。
やがて声が聴こえてきた。
「先生、お願いします!」
凛とした少女の声だった。
「いつでも打ち込んできて良いぞ」
続いて紛れもないライラの声が聴こえた。
鉄格子の柵の間から庭を見ると、そこに二人の姿があった。
ライラの背が見える。後ろで一つに束ねた長い金髪が揺れている。もう一人は青い鎧兜で武装し、一目でバルケルの娘レイムだと分かった。
レイムが剣で打ち込み、ライラがそれを剣で受け止め、助言をする。
続いてライラが見本を見せる様に剣でレイムに打ち掛かった。二撃目でレイムの剣は手からすっぽ抜けた。ライラの打ち込みが力強い証だ。
ふと、隣を見ると、ティアイエルはまるで夢中になって、庭で打ち合う二人の姿を見詰めていた。
口には出さないが、余程心配だったのだろう。だが、小休止を挟む庭の二人の談笑する姿を見て、ライラはもう大丈夫だとサンダーは思った。
「こら! そこで何をしている!」
不意に声が上がり、見ると、槍を持った番兵がこちらに向かって来ていた。
「ちっ、逃げるわよ!」
ティアイエルに力いっぱい手を引かれ、サンダーは肩が抜けるかと思ったが、彼女に続いてその場から逃走した。
街中に戻り、もう番兵の姿が無いことを確認すると、二人は荒い呼吸を整えた。
「ちょっと、いつまで手を握ってるのよ!」
ティアイエルが腕を振り回し手を離した。
「いや、姉ちゃんが掴んできたから――」
「は!? んなわけないでしょう!」
ティアイエルがムキになってそう言ったのでサンダーは反論を諦めた。
そして翌日も、そのまた翌日も、結局、ティアイエルに強引に連れられて、庭先で修練するライラとレイムの姿を見守りに行ったのだった。そしてどちらの時も同じくして、番兵に見つかって逃走する始末だった。
「またお前達か!」
更に四日目になるとさすがに番兵もしっかりと門の前に立ち、二人の姿を見るや声を上げて追ってきたのだった。
「あのさ、ティアイエル姉ちゃん」
「何よ」
例によって番兵をまき、街の人混みの中で荒い呼吸を整えつつサンダーは言った。
「ライラ姉ちゃんならもう心配いらいないと思うよ。レイムさんとも上手くいってるみたいだしさ。それにもう番兵の方も警戒し始めてるし、もうこっそり覗きに行くのは無理なんじゃないかと思うよ」
「確かにそうね」
肩を上下させ呼吸を整えながらティアイエルが言った。
そして翌日、ティアイエルからの誘いは無かったが、彼女の部屋を訪ねると既に留守であった。
サンダーは、冬物の服を見に行く旨を書置きし町へと出て行った。
そして昼過ぎまで街の衣装屋を覗いて回り、どうにか買い物を済ませると部屋へと戻った。思えば今日は五日目だ。バルケルに留まるのも今日で最後であることを思い出した。
ライラの姿が脳裏を過ぎり、少しだけ寂しくなった。
ふと部屋まで来ると隣のティアイエルの部屋から、忘れるはずもないライラの声が聴こえてきた。
サンダーは嬉しくなって部屋へ飛び込もうとしたが、何と無く野暮に思えて自室に入った。しかし、部屋同士の壁が薄いのか、隣の声がはっきりではないが聴こえてきた。外の戸が開けっ放しになってるせいもあるだろう。
「大丈夫よ、アンタは紛れもない人間よ」
そう励ますようなティアイエルの声が聴こえてきた。
「確かに見た目はそうかもしれない。だが、所詮私はホムンクルスだ。その、気が早い話だが……」
ライラの言いよどむ声が聴こえた。
「子供が生めるだろうか」
ライラの声が聴こえた。
そのあと、窓が閉まる音がし、声が聴こえ難くなった。だからティアイエルが何を言ったのかはわからない。
「とりあえず、エルド殿には正直に話してみるつもりだ」
「アンタがその必要があると判断したんだから、アタシはそれに賛成するけど」
ティアイエルの煮え切らないような口調が聴こえてきた。気が付けば、サンダーは隣とを隔てる壁に近付いていた。そして我に返った。盗み聞きなんてするもんじゃない。それに自分にはきっと助言のしようの無い話だ。
ライラに会いたかったが、サンダーはそっと部屋を出て、再び街へと繰り出したのであった。
翌日、二人は宿の前に立っていた。無論、旅支度を整えて、だが、ティアイエルがいっこうに動く気配を見せない。誰かを待っているようだ。それはきっとライラだろうとサンダーは察した。
程なくして、ティアイエルを呼ぶ声が響き渡り、ライラが駆けてきた。
「ティアイエル!」
ライラは息を整えながら笑顔を見せた。
「エルド殿に伝えたぞ!」
興奮気味にライラは話した。
「結婚はまだ早いと言われた。段階を踏んでいこうと、エルド殿は言ったのだ。まだお互いに相手の知らぬところがあるだろうから、それを見極めてからにしようと、エルド殿はそう言った」
そこまで一息にライラは言った。
「私がホムンクルスでも関係ないとも言ってくれた。とりあえず、エルド殿は、まずは交際というものをしようと言った」
「エルドって男なら大丈夫そうね」
ティアイエルが小さく呟くのをサンダーは聞いた。
「相手の言う通りよ。ライラ、結婚はまだ早いわ。お互い段階を重ねて付き合ってみて、大丈夫そうだったら、婚約し、それで結婚するものよ」
ティアイエルがライラに言った。
「そうなのか。エルド殿の言う通りだったのだな。なるほど」
ライラは多少は落ち着きを取り戻したようにそう答えた。
「ま、よかったじゃない、アンタの恋路がひとまず上手くいって。おめでとうライラ」
ティアイエルが言うとライラは彼女を抱き締めた。
「ありがとうティアイエル」
そしてようやくこちらに気付いた。
「サンダー、居たのか!?」
ライラは顔を真っ赤にして驚いていた。そして照れるようにして言った。
「私は……実は、エルド殿に、恋をしてしまったのだ」
「そうだったんだ」
サンダーはわざと驚いたようにして言うと笑みを浮かべて言った。
「おめでとうライラ姉ちゃん」
「え? ありがとうサンダー!」
ライラはサンダーを力いっぱい抱き締めたのだった。
そして二人はもう一度ライラの抱擁を受け、バルケルを後にした。
「ライラ姉ちゃん上手くいくと良いね」
サンダーが言うとティアイエルは答えた。
「上手くいかなかったら、アタシはエルドって男を八つ裂きにして海に放り込んでやるわよ」
それを聴いてサンダーは苦笑した。
少年は背後を振り返った。遠くにうっすらと火山が見える。そこに眠る戦士に彼は祈った。クレシェイド兄ちゃん、ライラ姉ちゃんのこと、よろしく頼んだからね。俺達の代わりに見守っていてね。




