第19話 「前線基地」
リゴ村に点在する無数の建物から、二人は受付で言い渡された自分達の宿舎を見つけなければならなかった。
そうしてようやく宿舎に着いて驚いたことは、そこは大部屋でベッドが整然と並べられているだけのところだった。レイチェルは驚いたが、考えが甘いことを思い知らされた。さすがにここに駐屯する傭兵達に個々に部屋を用意するのは無理があるだろう。しかし、幸いリルフィスとは隣のベッドだった。
ベッドの脇に荷物を置き、腰を掛けて、レイチェルもリルフィスも一息吐いた。この場所を探し当てるために色々な建物を見て回ったのだ。やはり宿舎が数多かった。その他の施設についてはアビオンのロベルトの案内のおかげでおぼろげながら位置を把握していた。
これからどのような生活が待っているのだろう。戦の最中だ。きっと慌ただしい日々を過ごすことになるだろう。そんなことを考えていると、部屋の前に一人の男が姿を見せた。軽装で腰に剣を佩いていた。
「レイチェル・シルヴァンスとリルフィスとはお前達のことか?」
「はい、そうです」
レイチェルが答えると相手は頷いた。
「では、お前達の持ち場を伝える。レイチェル・シルヴァンスは療養施設へ、リルフィスは第二弓兵部隊所属となる。休んでる暇はないぞ。早く持ち場へ行くように」
男はそう告げると去って行った。
「リールとレイチェルちゃん、別れ別れになっちゃったね」
リルフィスが寂しそうに言った。レイチェルも再び己の考えの甘さを思い知らされた。
「そうだね。でも、ここに戻ってくればその時だけでも一緒になれるよ」
レイチェルはそう言ってリルフィスを元気付けた。
二人は外に出た。
「じゃあね、レイチェルちゃん、また後でね」
リルフィスはそう言って走り去って行った。
さて、自分も急いで配属先に挨拶に出向かなければならない。傭兵達が思い思いの時を過ごす間を縫って、レイチェルは療養施設へ駆け足で向かって行った。
二
療養施設は大きかった。おそらくはこの村の中で一番ではないだろうか。
扉は開け放たれていた。レイチェルは緊張しながらその下を潜った。
中は受付などなく、そのまま大部屋だった。宿舎と同じで多くのベッドが並び、その上で身を横たえる者達の姿があった。時折咳き込む声も聴こえた。
「あなたは新人さんね」
不意に声を掛けられた。声の主はベッドの間を歩んで来ている。神官の衣装を身に纏った大人の女性だった。
「はい、レイチェル・シルヴァンスと言います。こちらに配属されました。どうぞよろしくお願いします!」
レイチェルは慌てながら一息で自己紹介を済ませた。
「そんなに畏まらないで。私はカサンドラ。一応、この療養施設の施設長をしているわ。普段は慈愛の女神メイフィーナに仕える神官よ」
カサンドラが笑う。
「私は獣の神、キアロド様に仕えてます」
レイチェルはそう付け加えた。
「そう、あなたはキアロド様なのね」
カサンドラは再び笑みを漏らした。そして温和な顔のまま言った。
「戦がある度、負傷者がやってくるわ。何十、時には百人ぐらいもね。私達は負傷者の外傷を治癒の神聖魔術で治療するのだけど、例外もあるわ。今、ここのベッドに寝ているのは、大概が流患や傷口から入った不衛生なもののせいで体に変調をきたしている人達よ。残念だけど、そんな人達には神聖魔術は効かないわ。薬と、身の回りの世話をすることぐらいが関の山ね」
カサンドラは一息入れた。
「あなたは最初は日勤から始めると良いわ。でも、戦が起きたら構わず呼び出されるけれどね」
レイチェルは頷いた。カサンドラが言った。
「とりあえず今日はベッドに戻るなりゆっくりなさい。そして明日の朝、一番鶏が鳴いたら御出でなさい。少し早くて申し訳ないけどね」
レイチェルは首を横に振った。
「いいえ。よろしくお願いします」
そしてレイチェルは療養施設、病院を後にした。
彼女はその足で自分の宿舎へ戻ったが、まだ誰の姿も無かった。リルフィスはどうしているかが気に掛かった。良い人達に恵まれていればいいが。
レイチェルはベッドに座ってぼんやりと時を過ごした。すると、ちらほらと同室の傭兵達が帰ってきた。当然、みんな女性だった。
戻ってきた女性達は装備もバラバラで全員が冒険者だと一目でレイチェルには分かった。その女性達がこちらを見てきた。
「アンタ新人ね?」
「はい、そうです。よろしくお願いしま――」
「死なない程度に頑張りなよ」
もう少し質問攻めにされるかと思ったが、それ以上は何も聞かれたり声を掛けられたりはしなかった。自分がまだ少女だからだろうか。戦力としては期待してないというよりも、期待されていないということだろうか。
女性達はそのまますぐにどこかへ出掛けて行った。レイチェルはリルフィスを待ち続けた。
ふと、一人の女性がふらりと部屋に入ってきた。皮と鉄の縫い合わされた鎧を着こなしている戦士風の女性だった。腰には長剣を帯びていた。
首ぐらいまで伸びた栗色の髪をしている。
「あなたが新人さんね。噂になっていたわよ」
女戦士はこちらへ歩んでくると、リルフィスのベッドじゃない方のレイチェルの隣のベッドに腰かけた。
「私はクラナ・ディーラ。よろしくね、新しいお隣さん」
「レイチェル・シルヴァンスです。よろしくお願いします」
レイチェルが紹介を終えるとクラナ・ディーラは微笑んだ。健康的で綺麗な女性だった。
「レイチェルちゃんね。神官なんだ?」
「はい。キアロド様にお仕えしてます」
「獣の神の神官だなんて珍しいわね。大概が、戦神か、慈愛の女神ばっかりなのに」
「よく言われます」
レイチェルは苦笑いして応じた。
「前いた子も神官だったわね」
「このベッドの前の持ち主の方ですか?」
「そうよ。死んじゃったけどね」
さらりとクラナが言ったが、レイチェルの方は驚いていた。そして気付いた。こうやってベッドの持ち主は替わってゆくのだと。戦の凄惨な一場面を垣間見たような気分だった。
クラナが表情を微笑ませ言った。
「さて、私はお風呂行ってくるわ。良かったら一緒にどう?」
クラナと仲良くなりたかったが、レイチェルはリルフィスを待つことにした。初日で天真爛漫な彼女も参っているかもしれない。
「すみません、友人を待っているので」
「反対側のベッドの子ね? 後で会えれば良いけど」
それじゃ、とクラナ・ディーラは去り、レイチェルは再び一人になった。
リルフィスが戻って来たのは夜になってからだった。
「レイチェルちゃん!」
まばらに人が戻って来ている室内にその声はよく通った。
レイチェルはハーフエルフの少女が戻ってきたことに安堵し、嬉しい気持ちになった。
「見て見てレイチェルちゃん!」
リルフィスは抱き付かんばかりの駆け足でこちらへ来ると、笑みを浮かべて手の中の物を掲げて見せた。
それは金貨のようだったが、変わった紋章が刻まれていた。
「これは?」
レイチェルが尋ねるとリルフィスは更に笑顔を増して答えた。
「リールね、明日から訓練所で傭兵さん達に弓を教えることになったんだよ。えっと、そうだ。師範って言うんだって。それがその証拠なんだって!」
レイチェルはいまいち分からなかったが、話が聴こえていた同室の女性達がこちらへ集まってきた。
「本当だ、これ師範の証だ!」
「うそでしょ? アンタ、今日入った新人でしょ? 今日が初めてなのに師範に任命されるだなんて」
「まったく、男どもの甲斐性無しったら、本当に情けないよ」
女性達は驚き、それぞれ反応を示していた。
しばらく女性達が周りを取り囲んで驚いたり、称賛したりしていたが、徐々に自分のベッドに戻って行った。
ようやくリルフィスは解放された。レイチェルは仲間が褒められているのを見て、こっそりとだが鼻が高い思いをしていた。
「ふう。リール、お風呂行きたいかな」
「じゃあそうしようか」
二人は夜の村の中を共同浴場の女湯へ向かって行った。村の中は意外に賑やかだった。中には酔っ払いと思われる者達が談笑している姿も見受けられた。昼間感じた殺伐とした雰囲気はどこへ行ったのだろうか。そう考え直して、レイチェルは気付いた。ただ単に、武装した人達が闊歩し、屯していただけに過ぎない。その辺りは冒険者を傭兵に雇っているためだろうか。本物の軍隊とは違うのかもしれない。
風呂は空いていた。番をしている恰幅の良い年増の女性が言った。
「見ない顔だね。新入りさんかい?」
レイチェルが頷くと相手は言葉を続けた。
「まだまだ小さいのによく志願する気になったわね。それと悪いんだけど、風呂は二十分って決まりだから。今は誰も入っていないけど、上にばれると面倒だからね、ご協力をお願いね」
レイチェルとリルフィスはさっさと体を洗い、そして湯船に浸かった。そして談笑する間も無く湯から出た。こんな忙しい風呂はあまり経験したことが無かったが、考えてみれば、村中の女性達が入りに来るのだ。混雑を避けるのに時間制限を設けるのは仕方のないことなのかもしれない。
そして再び外へ出て、今度は村の中を食事できるところへ向けて足を進めていた。
アビオンのロベルトに案内されたとき、この村には五件もの食堂があることを教えてもらった。
二人は灯りと賑わいを頼りに一軒の建物を訪れると、そこは予想通り食堂だった。
傭兵達が本来の冒険者としての性を取り戻したように談笑し、笑い合っていた。
「奥が空いてるよ」
カウンターの向こうから優しそうな痩せた若い男性がそう言った。
二人は席に着いた。しかし、メニューらしきものは無かった。
程なくして食事が運ばれてきた。運んできたのは若いウェイトレスだった。
「メニューがあると思ったでしょう、新人さん。こういう場所では運ばれてくる食材のせいで決まった物しか出せないのよ。でも、日替わりだし、朝昼晩は違う物が出てくるから安心してね。それと飲み物だけは幾つか種類があるわよ」
「トマトジュースはありますか?」
レイチェルは慌ててそう叫んでいた。
「あるわよ」
「じゃあ、塩抜きのでお願いします」
「わかったわ」
食卓は別段、質素というわけでもなかった。ハンバーグに、野菜のサラダ、そして少しだけ冷めてしまったパンがある。
トマトジュースが運ばれてきて、レイチェルはそれを一気に呷った。その味にレイチェルは生き返ったような気分になった。
「お姉さん、トマトジュースおかわりお願いします!」
程なくしてトマトジュースが運ばれてきた。
「ここの他にあと四軒、食堂があることは知ってる?」
ウェイトレスが尋ねて来たのでレイチェルは頷いた。
「でもね、トマトジュースの塩抜きを出してるのはうちだけなの」
「え?」
レイチェルは絶句した。
「だけど店によってその日のメニューが違うのも事実なの。今日はうちでハンバーグ出してるけど、黄竜亭では魚の煮物を出してるわ。青竜亭は鶏の炭火焼きね。緑竜亭と、茶竜亭はなんだったかしら。まぁ、良いか、そんなことは。そういうわけで、トマトジュースの塩抜きを飲みたいなら、これからも赤竜亭をよろしくね」
ウェイトレスは、お茶目な笑みを浮かべると去って行った。
レイチェルは絶望していた。他のお店も気になるが、トマトジュースの塩抜きを出せるのはここ、赤竜亭だけだ。複雑な心境を抱きつつハンバーグを口に放り込む。その途端、そんな悩みなど吹き飛んでしまった。何て美味しいハンバーグなのだろうか。レイチェルは夢中になってハンバーグを放り込み、間に野菜サラダを摘まんで、最後にパンで皿に残っていたハンバーグのソースを拭き取って口に放り込み、トマトジュースを再び一気に呷って食べ終えた。
幸福だ。
と、レイチェルは思った。どうせ日替わりだし、これからも赤竜亭に来ようと彼女は思ったのだった。
「レイチェルちゃんって食べるの早いよね」
リルフィスが面白そうにそう言った。
食堂を後にし、レイチェルとリルフィスは宿舎へ帰った。
部屋には空のベッドもあったが、それでも殆どの女傭兵、神官に、魔術師風の者達も戻っていた。
「ご飯はどこで食べてきたの?」
クラナ・ディーラが尋ねてきた。
「赤竜亭です」
「じゃあ、今日はハンバーグだったわけね」
「そうです」
レイチェルが答えるとクラナ・ディーラはベッドから立ち上がった。
「さて、お姉さんはこれから逢引きに行ってくるから、またね」
そうして去って行った。
しばらくすると、誰かが声を上げた。
「そろそろ消灯にするわよ! 異論はある!?」
「なーい! ねむーい!」
数人が唱和した。
「それじゃ、良い夢を!」
あちこちで息で蝋燭を消す音が聴こえた。
そして真っ暗になった。
「レイチェルちゃん、おやすみなさい」
「リルフィスちゃんも、おやすみなさい」
そうしてレイチェルは真っ暗な天井を眺めていた。
明日は一番鶏が鳴いたら起きなければならない。早く眠らなきゃ。
レイチェルは固く目を瞑った。そうしてやがてまどろみの世界へと入っていったのであった。




