心の底から
「時に」
感動的な雰囲気を、私はあえて断ち切った。
いつまでも感傷に浸っているわけにはいかない。私には、今のうちに確認しておかなければならないことがある。
「投資の件は、どうなっていますか?」
「うん! 今のところ順調だよ! 僕の代わりにパーティーを企画してくれる貴族の人がいてさ、その人が薬品会社の社長も呼んでくれるみたい」
先ほどまでのしんみりとした空気はどこへやら、アイはぱっと表情を明るくした。
どうやら、私が寝込んでいる間にも話は進んでいたらしい。
「……なるほど」
私は小さく頷き、頭の中で状況を整理した。
貴族の協力を取りつけ、目的の人物をパーティーに招くところまで話が進んでいる。それならば、現段階では十分な成果だろう。
素人である彼が、ここまで話を進められたこと自体は評価していい。
ただし、問題はその先だ。
投資を成功させるためには、相手の情報を集め、交渉の条件を見極め、資金を適切に管理しなければならない。ましてや、この家に残された財産は限られている。失敗すれば、私たち全員の生活が脅かされることになる。
私は姿勢を正し、彼の目を見据えた。
「承知しました。とりあえず、その仕事は私が引き継ぎます」
「へっ!?」
アイは目を見開いた。
「その協力してくださっているという貴族とのやり取りは、手紙ですよね? 今までに向こうから届いた手紙と、貴方が送った手紙の内容をすべて教えてください。それから、この家のお金についてもです。投資に使おうとしている資金だけでなく、生活費も含めて、私が管理を引き継ぎます」
「い、いや、ダメだよ! この間言ったでしょ! 君たちは前の大戦の……」
「被害者、ですよね。それはわかっています」
私は彼の言葉を遮ることなく、静かに答えた。
彼が何を言いたいのかは理解している。
私たちは戦争によって故郷を失い、家族や友人を失い、自由さえも奪われた。ようやく心身が回復し始めたばかりの少女に、家の財政管理などという仕事を任せるべきではない。彼はそう考えているのだろう。
けれど、それとこれとは別の話だ。
「ただし、いつまでも弱ってはいられません。それに、貴方はこの世界について何も知らない。投資も交渉も、まったくの初心者です。そんな方に、この家の未来を任せるわけにはいきません」
「ぐ……」
「この家のお金がなくなれば、私たちも生活できなくなります。貴方が私たちを助けてくださったことには、心から感謝しています。ですが、感謝しているからといって、貴方の判断すべてに賛成できるわけではありません」
彼は何か言い返そうと口を開いたものの、結局、言葉を飲み込んだ。
「もちろん、お金はすべて貴方のものです。必要な買い物まで禁止するつもりはありません。ただ、何か大きな買い物をしたいときは、事前に私に相談してください」
「で、でも……」
「貴方はパーティーの場に、私を連れていってくださるだけで結構です。本来なら私ひとりでも構いませんが、今の私は奴隷という身分ですからね。貴方に同行していただく必要があります」
私は念を押すように、彼の目を見つめた。
「わかりましたか?」
「……は、はい……」
アイは、涙目になりながら頷いた。
少しばかり、言いすぎただろうか。
彼の肩が、目に見えて落ちている。
けれど、ここで曖昧にしてしまえば、今後も同じことの繰り返しになる。彼は善意から行動する人だ。それ自体は素晴らしいことだが、善意だけで生活を守れるわけではない。
私は、ほんの少しだけ声を和らげた。
「よろしい」
そして、改めて彼に向き直る。
「お金に関することは、私にお任せください。それよりも、貴方には、ほかにやっていただきたいことがあります」
「……僕の、やるべきこと?」
「はい」
私は深く息を吸い、頭を下げた。
「お願いします。この家にいる、私以外の9人の少女たちを、どうか助けてあげてください」
口にした途端、胸の奥がわずかに痛んだ。
私自身、彼女たちを助けたいと思っていた。
同じ故郷を持ち、同じようにすべてを奪われた少女たち。彼女たちが抱えている苦しみは、私にもわかるつもりだった。
だからこそ、何かをしてあげたかった。
けれど、現実はどうだろう。
私は彼女たちの心を開くことすらできていない。
手を差し伸べようとすれば、拒まれる。中には、私に対して明確な敵意を向けてくる子もいる。
それも仕方のないことだと思う。
彼女たちが私を恨む理由は、理解できるから。
それでも、何もできない自分が悔しかった。
「私では、叶いませんでした。彼女たちの心を開くことすら……できませんでした」
最後の言葉は、思っていたよりも小さくなった。
けれど、絶望しているわけではない。
今の私には、希望がある。
目の前にいる、この人だ。
「貴方なら、なれると思います。打ちのめされている彼女たちの心を癒やす、光に」
「……で、でも……僕は今も警戒されてるし……彼女たちと話すことだって、難しいと思うんだけど……」
「はい。警戒されていることは承知しています」
彼の言うとおり、少女たちがすぐに心を開いてくれるとは思っていない。
藍は私たちを買った人間だ。いくら優しく接してくれたとしても、それだけで過去の恐怖や人間への不信感が消えるわけではない。
けれど、何もしなければ何も変わらない。
「そう思いまして、昨夜、会話のできる子たちに、貴方のお人柄についてお話ししました」
「ぼ、僕の人柄について?」
アイは不安そうに眉を寄せた。
「ち、ちなみに、なんて言ったの……?」
「後先を考えず、その場の気持ちだけで全財産のほとんどを使い果たしてしまう人、と」
「う……」
アイは胸を押さえ、うめき声を漏らした。
どうやら、かなり心当たりがあるらしい。
そのあまりにもわかりやすい反応が、何だかおかしくて、私はつい笑ってしまった。
「安心してください。私たちを助けたい一心で、お金を使ったことも、もちろん伝えましたよ」
「そ、そっか……」
「そのおかげで、何人かの少女たちは、貴方に対する考えを変え始めていると思います。もっとも、まだ完全に疑っている子もいますが……」
彼女たちの反応は、決して一様ではなかった。
私の話を聞いて、黙り込む子もいた。すぐには信じられないといった顔をする子もいた。
それでも、少なくとも、何も変わらなかったわけではない。
藍が何を考え、なぜ私たちを買ったのか。
そのことを知るだけでも、彼女たちにとっては小さな一歩になるはずだ。
「……貴方の、底知れぬ優しさは、傷ついた私たちにとって、太陽のようなものです」
「そ、そんな大げさだよ」
アイは照れくさそうに頬をかいた。
けれど、私は冗談を言っているわけではなかった。
「現に私は、貴方の優しさに救われました」
私が自分を責め続けていることを知りながら、それでも私を抱きしめ、そばにいてくれた。
私が眠れるようになるまで、何度でも話を聞かせてくれた。
その優しさが、どれほど私の心を救ってくれたことか。
彼は、自分が何をしたのか、きっとわかっていない。
けれど、だからこそ信じられるのだと思う。
見返りを求めているわけでも、私たちを思いどおりに動かそうとしているわけでもない。ただ、苦しんでいる人がいたから、手を差し伸べた。
そんな人だからこそ、彼女たちの心にも届くものがあるはずだ。
私は、そう信じていた。
「貴方が、私たちを娘だと、自分を親代わりだと思ってくださるのなら……」
彼の目を見つめ、私は言葉を続けた。
「私にくださったあの優しさを、あの子たちにも与えてください」
「アリナ王女……」
彼は戸惑うように私を見つめていたが、やがて、ゆっくりと顔を上げた。
「……わかった。僕が、なんとかしてみせるよ」
その言葉に、胸の奥が温かくなった。
「ありがとうございます。それでは、私への投資状況の引き継ぎが終わったら、早速、何人かの子に話しかけに行ってください」
「えっ、早速!?」
「はい。相手を知ることが、友好関係を築くための最初の一歩ですから」
「きょ、今日から? も、もう少し作戦を立てた方がいいんじゃないかな……。誰に最初に話しかけるかとか、どんなことを話すかとか……」
「いいえ、善は急げです。昨日、私が貴方のお人柄について話したばかりですから、今は、貴方に対する評価が揺らいでいる子も多いはずです」
せっかく生まれた変化を、無駄にするわけにはいかない。
もちろん、誰にでも同じように接すればいいというものではないだろう。相手の性格や心の傷によって、適切な距離の取り方は変わってくる。
それでも、まずは話しかけなければ始まらない。
彼には、その最初の一歩を踏み出してもらいたかった。
「それと……」
「ん?」
もうひとつ、伝えておきたいことがあった。
けれど、いざ口にしようとすると、なぜか少しだけためらってしまう。
こんなことを言うのは、初めてだから。
私は一度、視線を落とした。
そして、改めて彼を見つめる。
「私はもう、王女ではありません。アリナと、お呼びください」
「……え?」
アイは、きょとんとした顔で聞き返した。
予想していなかった反応に、胸の奥がわずかにざわつく。
……もしかして、嫌なのだろうか。
自分から頼んでおいて、断られるのが怖いなんて。
私は、こんなにも臆病だっただろうか。
「……嫌なのですか?」
思わず、声が小さくなる。
「いや、嫌ってわけじゃないけど……なんか、こう……恐れ多いというか……」
「でも、私を看病した初めての夜は、呼び捨てで呼んでくださっていましたよね?」
「そ、それは、あの場の流れというか……」
「……嫌なのですね」
「わ、わかったよ。アリナさん」
「『さん』もいりません。奴隷にさん付けをする主人がどこにいますか」
「……アリナ」
ようやく、彼の口から私の名前が呼ばれた。
王女という肩書きも、敬称もない。
ただ、私の名前だけ。
それだけのことなのに、胸の奥がくすぐったくなった。
「はい、ご主人様」
私は、自然と笑顔を向けていた。
彼は一瞬、何か言いたそうな顔をしたものの、結局、困ったように笑った。
そんな彼の表情まで、今はおかしく思える。
なんだか、すごく久しぶりに、心の底から笑えた気がした。




