お前の人権を剥奪する
貴方に出会えたこと
それだけで、私の人生は幸福だったと言えるのです。
***
「アルセリオ王国第一王女、アリナ・アルセリオ。これより、貴様の人権を剥奪することとする」
冷たい声が、頭上から降り注いだ。
ここは隣国、セシュリア王国。
煌びやかな装飾が施された王の間で、私は両腕を縛られ、床に跪かされていた。
「以後、貴様はもはや人ではない」
そう言い放ったのは、セシュリア王国の国王だった。
数日前、私の祖国であるアルセリオ王国は、隣国セシュリア王国の侵略を受けた。
両国の間で結ばれていた平和協定は、一方的に破棄された。
様々な事情によって国力が衰えていた我が国に、抵抗する術はなかった。
私は、何もできなかった。
まだ12歳になったばかりの私には、国を救う力などなかった。目の前で次々と虐殺されていく民を、ただ見ていることしかできなかった。
王族も、貴族も、私以外は全員殺された。
……吐き気がするほど憎んでいた、王である父でさえ。
それでも、父は私の父だった。
その父も、もういない。
「…………」
セシュリア王との謁見を終えた私は、兵士たちに連れられ、牢獄へと送られた。
逃げられないように鎖で繋がれ、冷たい石畳の上で横になる。
身体の芯まで冷え切っていた。
けれど、寒さなど気にならなかった。
目を閉じても、焼け落ちる街並みが浮かぶ。
耳を塞いでも、悲鳴が蘇る。
助けを求める声。逃げ惑う人々。血に染まった地面。
そして、私には何もできなかった。
「……どうして」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
どうして、こんなことになったのだろう。
どうして、私は何もできなかったのだろう。
どうして、私だけが生き残ってしまったのだろう。
答えてくれる人は、もう誰もいない。
……いや。
私が生かされている理由だけは、分かっていた。
セシュリア王は、私を地の底まで突き落とすつもりなのだ。
王族を皆殺しにするだけでは飽き足らず、王女である私を奴隷に落とし、永遠に晒し者にする。
祖国を滅ぼしただけでは終わらない。
私から尊厳を奪い、死ぬことさえ許さず、惨めな姿を世間に見せつける。
それが、あの男の望みなのだろう。
「……殺して、ほしい」
声に出した途端、胸の奥がひどく冷たくなった。
もう、生きる気力など残っていない。
国民を救えなかった私に、生きる資格などないのだから。
私は王女だった。
民を守る立場にあった。
それなのに、私は何一つ守れなかった。
これは、その罰なのだ。
国を守れなかった私が、民を見殺しにした私が、受けるべき罰なのだ。
そう思わなければ、私は自分が生きていることさえ、許せなかった。
***
数日後。
私は、奴隷商人に引き渡された。
今日、私は奴隷として売られる。
「確かに渡したぞ」
「はいはい。おお……これが麗しのアルセリオ王女……おっと、『元』ですが」
私を受け取った奴隷商人は、舐め回すような視線を向けてきた。
その目に浮かんでいるのは、私という人間への興味ではない。
商品を値踏みする、下卑た欲望だった。
「なんと美しい……黄金の絹のような髪に、サファイア色の瞳。こりゃあ、とんでもない値がつきそうだ」
男は満足げに笑うと、私の首に金属製の首輪を取りつけた。
ひやりとした感触が、首筋を這う。
「逃げようなどと思わない方がいいですよ? この首輪からは、死なぬ程度の電流が流れますからね」
「……」
逃げるつもりなどなかった。
どのみち、この国に私の味方はいない。
どこへ逃げようと、私を待ち受けているのは同じ結末だろう。
それに、逃げたところで何になるというのだろう。
私には、帰る場所さえないのに。
その後、私は奴隷オークションの会場裏へと連れていかれた。
そこでは、煌びやかな衣装を身にまとわされ、頭には宝石の散りばめられたティアラを載せられた。
顔には化粧まで施される。
青いドレスも、ティアラも、化粧も。
すべては、私を高値で売るためのものだった。
美しく着飾られれば着飾られるほど、自分が人間ではなく、ただの品物になっていくような気がした。
やがて、舞台裏へ通される。
そこには、9人の少女たちが並んでいた。
私と同じくらいの年頃の子たちだった。
全員が私と同じように、綺麗なドレスを着せられている。
彼女たちは、私より先に売られる。
私の前座として。
同じアルセリオ王国の民であり、私が守れなかった人々。
「…………」
私が姿を現した瞬間、少女たちの視線が一斉に突き刺さった。
その目に込められた感情は、すぐに分かった。
怒り。憎しみ。そして、深い失望。
まるで、全員がこう言っているようだった。
――お前のせいだ。
「…………」
何かを言わなければならないと思った。
謝罪でも、言い訳でもいい。
何か、声をかけるべきなのだろう。
けれど、私の口は動かなかった。
事実、彼女たちを守れなかったのは私なのだから。
私がもっと賢ければ。
私がもっと強ければ。
私が、何か一つでも違う選択をしていれば。
彼女たちは、こんな場所に連れてこられずに済んだのかもしれない。
「……っ、死ねッ!」
そのとき、少女の1人が私に襲いかかってきた。
「……!」
次の瞬間。
『バヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂッ!!!!!』
耳障りな音とともに、少女の首輪から電流が迸った。
「ぎゃあっ!!!」
少女は全身を震わせ、その場に倒れ伏した。
「あっぶねー。おいおい、たかだか一商品が高級商品を傷つけようとしてんじゃねーよ」
奴隷商人たちは、まるで面白い見世物でも見たかのように笑っていた。
その手には、小さなスイッチが握られている。
どうやら、あれを押すことで首輪に電流が流れるらしい。
「おい、もうオークションまで2時間だぞ。電流も程々にしておけよ」
「いいじゃねえか。こいつらにゃ、もう人権なんてねえんだぜ? なんなら、バカな真似をしないように、もう一度……」
男はそう言って、再びスイッチに指をかけた。
「……っ! やめなさい!」
気づけば、私は声を上げていた。
「……あぁ?」
男が、ゆっくりとこちらを振り返る。
「テメェ、勘違いしてねえか? お前はもう人間じゃねえんだよ!」
「おい、やめとけ! 商品に傷がついたら、お前が責任を取らされるぞ!」
男は私の首輪のスイッチを押そうとしたが、仲間の言葉に舌打ちし、手を止めた。
「チッ! 最後の遠吠えか? せいぜい今を楽しめよ」
「…………」
「人間様に命令できるのも、これが最後だからなぁ!!」
男は唾を吐き捨て、去っていった。
私は、その背中を見つめることしかできなかった。
結局、私にできたのは、目の前で起きた些細なことを止めることだけ。
倒れた少女を救うことも、首輪を外すことも、彼女たちをこの場所から連れ出すこともできなかった。
「……ごめんなさい」
誰に向けた謝罪だったのだろう。
倒れた少女にか。
ほかの少女たちにか。
それとも、何もできない自分自身にか。
私の声は、誰の耳にも届くことなく消えていった。




