巡査さんと少尉殿
「――申告します! 陸軍総監部より派遣されました! 日向少尉でありますっ!! 本日からよろしくお願いします!」
帝都某所に設置されている警察の特別捜査本部に、場違いな服装をした若い男の声がこだました。直立不動の態勢からのお手本のような綺麗な敬礼は力強く、大きな瞳にはたしかな意気込みが宿っている。
だが気合いの入った挨拶を受けたのにもかかわらず、彼の正面に立っている男は露骨に嫌そうな表情を浮かべたまま、目をぱちくりさせた。
「えっと……班長? これからはコイツと捜査をしろってことですかい?」
若い将校を紹介された刑事――大洗源一郎は、カチッと敬礼の姿勢を崩さない若い将校を親指で指し示して、机に座って複雑な顔色を浮べる上司を睨みつける。山積みとなった捜査資料の山の谷間から顔を出していた彼の上司は、バツが悪そうに目を伏せてゆっくりと口を開いた。
「ゲンさん、そんな嫌な顔をしないでくれよ。上からの命令なんだから」
「上からって……あまりにも急すぎるんじゃないです?」
「おいおいこっちに文句つけないでくれよ。陸軍さんが急に帝都に潜伏するテロリストたちの捜査に俺たちも混ぜろって言ってきたんだ。こっちはどうしようもなかったんだよ」
「その割にはこんなガキンチョを寄越してくるなんて……はぁ、頭おかしいんじゃねぇーか?」
大洗は再び正面で直立不動の態勢をとっている若い将校に視線を移す。
アイロン掛けが行き届いた皺ひとつない軍服を着用している眉目秀麗の好青年と、自分はまさに正反対な存在だとすぐに感じた。襟が黄ばんだヨレヨレのシャツ、裾に泥がついたままの制服、何日もそってない無精髭が鼻から下を覆っている自分のだらしなさが余計に強調されてしまう。
「俺にガキのお守りをやれってことかよ」
思ったことがつい口に出てしまう。
男にしては小さく、女にしては少し大きいくらい。色白で、線も細く、まだ世の穢れを知らなさそうな純粋な瞳をしている。軍人よりも女形のほうが似合いそうだと心の中で呟く。
ただ、源一郎の心の声は相手も聞こえていたらしい。
途端に日向少尉がムッと眉間にしわを寄せて腕を下ろす。
「なにか不満でも?」
胸を張って威厳を強調しようとする日向少尉。
だが、全く怖くない。むしろ無理して威迫しているようで、笑いが込み上げてきそうになる。
源一郎は軽く周囲を見渡す。
捜査本部に詰めている捜査員たちは煙草を吹かしながら、こちらを見てニタニタ笑っていた。
ハズレくじを引かされた気分になる。源一郎は大きな溜息を吐いて、ボサボサの髪をかいた。
「どうしろってんだい班長」
「少尉殿の部屋は隣に用意している。ゲンさんも今日からそっちで少尉の支援をしてくれ」
「おいおい本当にガキのお守りじゃねーか!」
直後、ドッと笑いに包まれる捜査本部。
笑っているのは自分よりも若い警察官たちだ。
同僚からの軽口や心ない応援の声が次々と投げつけられ、源一郎は改めて捜査本部における自分の立ち位置を理解して、源一郎は溜息と共に肩を落とす。
源一郎の諦めた様子を見て、捜査班の班長は貼り付けたような笑顔を日向少尉に向ける。
「少尉殿、それでは裏の部屋に捜査に必要になりそうな一式は用意しておりますゆえ、何か困ったことがありましたら、ぜひこの大洗源一郎に申し付けください」
班長から調子のいい敬礼が日向少尉に送られる。さらに、彼は背後の壁際に設置されている本棚から捜査資料の一部を抜き出して、わざとらしく腰を折り曲げてお辞儀をするようにして丁寧に受け渡す。
これが軍隊と警察の力関係なのか。
源一郎は思わず眉を顰めた。
「班長、ありがとうございます!」
日向少尉は機敏な四五度のお辞儀をすると、回れ右。
捜査資料を脇に抱えて、捜査本部を出ていく。その小さい後ろ姿に、源一郎は続いた。
「はぁ……こりゃまるで左遷じゃねぇーか」
源一郎の新しい職場は、捜査本部を出て五歩廊下を歩いた場所あった。
ちょうど壁を挟んで、元々の捜査本部と線対象になるような配置で机も置かれている。壁際に置かれた大きな本棚には、捜査資料の一部が綺麗に並んでおり、日向少尉がさきほど受け取った捜査資料の一部もそこに置かれた。
がらんとしている新しい捜査本部を見渡していると、日向少尉はさっそく本棚の横に置かれたデスクに腰を下ろして執務を開始。まるで源一郎のことなんか気にしていないかのようだった。
捜査資料に黙々と目を落としては、気になる点を紙に書き留めている。
「それで少尉殿、俺は何をすればいいんですか?」
本人を前に立ち尽くす源一郎の質問で、ようやく日向少尉の手がピタッと止まった。
だが、顔は合わせてくれない。
それどころか、露骨に苛立ちを露わにする溜息が聞こえてきた。
「それでは、さっさとテロリストを捕まえてきてください」
それはあまりにも無茶な命令だった。
唐突な回答に、源一郎は大きく目を見開いてしまう。
「は、はぁ? それができれば苦労しねぇんですけど」
「でしょうね。去年から帝都では過激派によるテロが頻発しているわけですが、警察はそのほとんどを捕まえることができていない。だから私が派遣されたわけですが……」
「おいおい少尉さんよぉ。それはなんでも生意気がすぎるんじゃねぇーか?」
「私は事実を話しているだけですがなにか?」
「どういうことだ」
「何をすればいいかなんて、アナタがここにいる理由は犯人を捕まえるためでは? ここで突っ立てて犯人が捕まると思っています?」
「ぐっ……」
さっきまでの健気な雰囲気とは一変して、一気に冷淡な態度になる日向少尉。
明らかな侮辱。
力無く垂れ下がっていた腕に力が入る。そのときだった。
『はっはっはっ、あのゲンさんがあんなチビ少尉にこき使われる日が来るなんてなぁ!』
『ほんとだよな! これで少しはおとなしくなってくれるといいが!』
『鬱陶しい陸の将校さんと一緒にまとめて別室送りにできてよかったよ。捜査の素人に首を突っ込まれちゃやりづらくて仕方ねぇからな。わっはっはっは!』
二人を馬鹿にする同僚たちの声。日向少尉の背後にある本棚の裏から聞こえてきた。
だが、二人を謗る言葉の数々を耳にしても、日向少尉は得意気に鼻を鳴らして源一郎を追い詰める。
「独断専行を繰り返し、数々の問題行為を働いた不良警察官の末路がこれですか」
源一郎は奥歯を噛み締めながら、なんとか笑顔を保つことに専念する。彼の脳裏には、去年の冬に捕まえてきた犯人を釈放した挙句に自分の故郷を馬鹿にした警察署長を殴り倒したときの光景がはっきりと浮かんでいた。
次はない。
処分の際にはっきりと言われたことを思い出す。
目の前にいる将校を殴れば、間違いなく自分の警察人生が終わるだろう。目の前の年下将校の不遜な態度と、招かざる将校を押し付けてきた上司やそれを笑う同僚たちへの苛立ちは最高潮に達していた。
だが、日向少尉は、そんな源一郎の様子なんか気にも留めず、報告書を読み進めて大きな溜息を吐く。
「あーこの報告書なんてひどくて読んでいられない。関係先の家宅捜索に入っても、アジトと思われる拠点に突入しても、対象者に逃げられるなどして、一切収穫なし。一方、被害者はますます増えるばかり。これでは先が思いやられますね。どう思いますか、大洗警察官、捜査本部の一員として責任を感じませんか?」
「……そんな簡単じゃねーんだよ」
限界だ、と。源一郎はさっさとこの場を離れる決断をした。
ついに、源一郎はズボンのポケットに手を入れて煙草とマッチを取り出す。
だが、至福の一本を咥えたその瞬間、日向少尉が素早く椅子から立ち上がって源一郎から煙草を奪い取った。
「な、なにをするんだ!」
「ここは禁煙です。煙草を吸われるなら外でどうぞ」
「おいおいそれはねぇんじゃねーの? なんでも勝手に決めやがって!」
「ここで喫煙を許可すれば、アナタはずっとここで煙草を吸い続けるでしょ? さっき捜査本部から退出する前にチラッとアナタの机の上を見ましたが、捜査資料の作成をしていないどころか、灰皿二つに山盛りの吸い殻があって驚きました。まだお昼にもなっていないのに、ずっと煙草を吸ってサボっていたのが丸わかりです」
ぎくりと背筋が伸びる。
どうやら目の前にいるピカピカ将校は、かなり観察眼が鋭いらしい。
捜査本部に派遣されてくることはある――と感心しつつも、追求の先が自分に向いている状況に、源一郎はバツが悪そうに無精髭を摩って表情を誤魔化した。
「おいおい、そりゃ俺にだって理由があるんだよ……」
「文句を言う前に、動かせる足でも手でも使って犯人の痕跡を見つけてきてください。捕まえてきたら特別に私が煙草に火をつけてあげますよ」
「くっ……くそ、はいはい、わかったよ!」
源一郎は日向少尉から煙草を奪い返し、潔癖な捜査本部を後にした。
あてつけも忘れない。ドアを閉める際、おもっきりドアを蹴り上げてやった。
「くそがよぉ……お偉様が」
異変を察知した同僚たちが廊下に顔を出すが、不満に満ちた源一郎の面持ちをみて、誰も声をかけてこない。触らぬ鬼に祟りなしと言わんばかりで、余計に源一郎の機嫌は悪くなる。
はやく出ていこう。
煙草に火をつけて気を紛らわせる。
ぷかぷかと浮かぶ煙を見上げ、大きく息を吐いて短気な胸の奥を宥めた。
「なんなんだアイツは……」
苦労を知らなさそうな若者にこき使われる自分に情けなさを感じつつ、源一郎は庁舎を出て、行きつけの酒場に向かったのだった。
次回の更新は……20日までには更新できればと思います。
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(書籍化目指す決意を固めました)




