変わりつつある日々
万年凍土の大地をひたすらに歩む、一人の女がいた。全身を重厚極まる鎧に身を包んだ、大柄なスタイルだ。
頭部に装着された鎧は獅子の鬣を模したと思われる毛皮が縫い付けられていて、そこから覗く髪は夕日のようにオレンジに染まっている。
時折頬を刺す、凍える雪風。それさえものともせずに女は、ただまっすぐに前を見据えて呟いた。
「……町、どこなのよ」
虚しく響く声。そのものずばり、女は迷っていた。連邦北部の町へ至るまでの経路にて、盛大に道を見失っていたのだ。
何か理由があってのことではない。単純に、彼女が地理感覚に致命的なナンセンスさを抱えているがゆえの迷走であった。美女と呼ぶに差し支えない優れた顔立ちが、焦りと苛立ちに塗れる。
「ああもう! このままだと凍死か、そうでなくとも病院送りじゃない! せめてどうにかして、寒さ凌ぎの場所くらい見つけないと──」
『けけ、けけけけ!!』
「──って、ええ?!」
ぼやく女の視界に、突如として影が舞った。咄嗟にカウンターを放つ──女も冒険者、ゆえに職業柄こういった奇襲にも多少の心得はある。
それでもその襲撃者の風貌は、異様と称するにあまりあるものだ。猿の顔をした鳥、とでも言おうか。アンバランスな造形の生き物が、女の目の前に飛び交っていた。
『くけけけけけけきききききき!』
「ぬぁんっ──じゃあこりゃああぁっ!?」
『くけぎっ!?』
からかうように笑みを浮かべるその、何とも言えない怪生物を──女は咄嗟に絶叫しつつも攻撃した。卓越した動体視力でその姿を捉え、腰の回転を加えた右フックにて殴り付ける。
防寒仕様の手甲を装着しての殴打の威力は、速度も乗っているゆえにすさまじいものがあった。怪生物は見事に頬を撃ち抜かれ、奇声をあげて遠くにまで吹き飛んでいく。
「はぁ、はぁ……何よあれ、何よあれ何なのよあれ! 意味分かんない、亜人!? あんな亜人いるの?! っていうかそもそも人類ですらなくない!?」
自問自答。しても意味はないのだが精神的に落ち着くため、彼女は虚空ないし己に向けて言葉を発した。見たことのない生物などいくらでもいるが、こうまで唐突に、常識離れしすぎた外見のものに遭遇することなど今までの人生でなかったことだ。
戦きながらも殴り飛ばした猿のような鳥を見る。血を撒き散らしながらもにやけた表情で、やはり中空を飛び交っていてそれが女には気味が悪くも腹立たしく鬱陶しい。
盛大に嫌悪感を露にしたしかめ面で、臨戦態勢に及ぶ。
「このっ! 何だか良く分かんないけど、こちとらだって『獅子』の名を持つS級さんよ! ──とにかくぶった切ってぶっ裂いてぶっ微塵にして! ぶっ殺してやらぁぁぁっ!!」
『くげききききききっ!! ききゃあああああっ!!』
呼吸を整えて自らの得手たる武装、左右の手甲を勢い良く振るい飛び出させた鋭利な刃物を主体とする構えに切り替える。10年近くも愛用してきた武器、それゆえに身体の方を合わせた戦闘スタイルは常に必殺の空気を漂わせる。
彼女──S級冒険者『獅子』ヴァージニアは、その二つ名に恥じぬ勇壮な咆哮をあげ、怪生物へと臨んだ。
「うるぁぁあああああぁっ!! く、た、ば、れぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
『えらく物騒な子がいるもんだね、エル。やっぱり連邦ってすごいや!』
「言ってる場合っすかねぇ……『ルヴァルクレーク"プラズマスライサー"』!!」
「──って、何じゃあああぁっ!?」
不意に聞こえてきた何者かたちの声、二つ。ヴァージニアが反応するや否やのところで。彼女の背を飛び越えるようにして光の刃が複数、怪生物へと飛び掛かった。
『くげかぁぁぁぁぁぁぁっ!?』
次々切り刻んでいく光輪。硬質の肌をまるで絹を引き裂くようにズタズタにしていく謎の武器を目の当たりにするヴァージニアは、突然のことに何が何だか理解が追い付かない。
何だかよく分からない何か──つまりは敵か。即座に思い至って彼女は、手甲の刃を振り抜いた。
「しぇあらぁぁぁっ! 何か知らんがぁ、死ねよやぁぁぁぁぁっ!!」
『えっ』
「こっ……、攻撃してきた!? こちらにぃっ?!」
咄嗟で何か、棒でヴァージニアの攻撃を受け止める、相手。落ち着いてそれを見て彼女は、敵のような何者かの全貌を把握した。
栗色のポニーテール。防寒用に厚着した姿は身の丈以上の大鎌を構え、どうした仕掛けか青い雷を纏って相対している。不思議と霞がかっていて見辛い、少女だ。
「物騒すぎませんかねこの人!? それか冒険者ってこんな感じなんすか、誰もが!?」
『アインさんやオルビス、ファズを見るにそうは思いたくないけどねー……! っとと、結構威力あるよこの子!』
「もう一人声!? 誰かいるなら出てこんかぁぁぁい!!」
直感的に襲いかかった相手の、戸惑いや混乱に満ちた声が響く。それも一人でなく、二人分の声だ。すなわち何者か、姿なき者が相手方に付いていると把握してヴァージニアは吼えた。
腕を振り抜く。手甲の刃が相手の大鎌を捉え、強引に弾き飛ばす。人間離れした膂力──『獅子』ヴァージニアのS級冒険者たるゆえんは、概ね亜人にも匹敵する身体能力から放たれる、一撃一撃に宿る必殺の威力にあった。
「どぅおりゃあぁぁぁっ!! 引き裂かれろぉぉぉっ!!」
「くっ、ちょっと……! ああもう、落ち着いてくださいってば!」
『うーん、強者。エルなら難なく切り返せるレベルだけど、それでも大した実力者さんだね。人間さんにも色々、いるんだなあ』
「感心してる場合っすかハーモニさん!?」
対して少女は何者かと言い合いながら、手にした大鎌を巧みに操り攻撃をいなし続けている。ヴァージニアの強さに感心しているらしい声に向け抗議めいた声をあげる姿からは、言葉程の切迫感がない。明らかに余力を残しつつ、反撃にすら出ることなくあくまでも回避行動に専念している。
世界でも50人程度しかいないS級冒険者の一員を相手取って、この戦いぶり。さしもの暴走気味だったヴァージニアもそこで初めて冷静に息を吐いた。少なくとも眼前の少女は、カッカした頭のままで相対できる相手ではない。
「……何者よ、あんた! いきなり現れて、さっきのよく分かんないのと何か関係あんの!?」
『む。ここで一息いれるかぁ。存外クールなところもあるんだね、この人間さん。エル、強敵だよ!』
「敵対するつもりないんすけど。えー、申し遅れました! 私たちは敵ではありません、通りかかりに襲われていた貴女を見つけたので助太刀に入りました! さっきの生物も、私たちには見覚えも聞き覚えもありません!!」
「……えっ」
戦意も十全に問うたヴァージニアを、予想だにしない言葉が戸惑わせる。いきなり正体不明の飛び道具を用いてきたのは、襲われていた自分を助けるための横槍だったと言うのか。
考えてみればこちらにダメージなし、結果的に倒れたのは怪生物のみ。加えて少女は防戦のまま、反撃できようものをしてこない。
困惑する。そんな『獅子』を前にようやく話ができそうだと少女は安堵の息を吐き、そして名乗るのであった。
「私は共和国治安維持局特務執行課、特務執行官エルゼターニアと申します! とある事件の捜査のため、この連邦にやって来ています」
『そしてその唯一無二のパートナー! ヴァンパイアのハーモニ推参!! よろしくねー』
「特務……執行官!? 『共和の守護者』、君が!?」
数ヵ月前、共和国にて勃発したテロ事件を鎮圧した『共和の守護者』、特務執行官──エルゼターニア。
ヴァージニアの驚きと共にはにかむ彼女は、ゆっくりと大鎌、電磁兵装ルヴァルクレークを背に戻して戦闘態勢を解除するのであった。
「朝よクロードさん! おっはよーございまーす!!」
静かな朝。陽光がボロ小屋の窓からでも見える程度には午前も中頃のクロード宅を、唐突に力強い挨拶が強襲した。
白みがかった金髪が冬風に揺れて、けれど表情言動は元気溌剌そのものな美少女、ミスティだ。音を立てて戸を開けては、古びたベッドに腰かけたまま呆けていたクロードに向けて笑いかける。
返答はなかった。
「……」
「おはよーございまーす!」
「……」
「おはよーございまーす!」
淀んだ目、死んだ瞳で白けた表情ばかりを向ける男に、構わずミスティは繰り返し挨拶をする。まさしく返事を期待してのことだ……正直なところ彼女自身、それがあるとも思ってはいなかったが構わない。
とにかく彼と仲良しになりたいのだ。すげなくされてもそれはそれで、親しさの証ではないかと少女は考えている。そうでなくともクロードはとてつもなく厄介な性格をしている男だ、紳士らしい対応を期待したところで意味はないだろうと、幼いながらも既に乙女らしい思い巡りに至っていた。
「ふーむ。ミスティは賢いやら強かやら、とにかく前のめりな恋愛スタイルですね。シオンは結構奥手なので尊敬します。すげー」
「奥手って、シオンさんが? 信じられないわ、とても情熱的にクロードさんに迫ったってリムルヘルさんに聞いてたのに!」
「シオン的に思いますが、リムルヘルはあれで案外ウブなんじゃないですかね。純粋といいますか……姉が過保護だった影響が目に見えない形で出ている気がします」
ミスティの後ろ、付いてきていたらしい『クローズド・ヘヴン』のシオンが感心しているのが見えた。そのままクロードへと片手をあげ、気さくに挨拶してくる。
「どうもですクロード、美しいおねーちゃんが可愛い妹と起こしに来てあげましたよ。貴方は連邦一のモテモテさんですね。いよっ!」
「……暇なのか。『クローズド・ヘヴン』ってのは」
「ご挨拶ですね。暇なのは私だけですよ、ゴッホレールは男漁りと言う名の殴り合いに精を出し、カームハルトは商店街の奥様方にキャーキャー言われています」
「つまり暇なんじゃねえか、てめえら……」
呆れも多分に呻く。世界最高の冒険者たるS級冒険者たち、その中でも特に傑出した10人から組織される国際的治安維持組織──それこそが『クローズド・ヘヴン』だというのに、あまりにも気の抜けた日常に勤しんでいるらしい事実にクロードは脱力混じりに呟く外ない。
こんな連中に半年前までの己は、憧れを抱いていたのか。もはや錆び付いた心に何ら響くことない軋みを、どこか遠くに聞きながらも彼は続けて告げた。
「良いからもう帰れ、失せろ……これから俺は亜人狩りに行くんだ。てめえらはてめえらの日常でも過ごしてろ」
「私の日常、それは貴方に付いて回ることです。少なくとも今この日々においてはですね。さあ行きましょうか、クロード。ミスティは当然、家に帰しますが」
「てめえも帰れっつってんだよ。邪魔だ」
ミスティやシオンに一切付き合うつもりのないクロードの、冷たい声音。これまでずっと一人で続けてきた死地への期待を込めた日課を、ここに来て理解の及ばない物見遊山に利用されては敵わないと、彼の心底からの言葉だ。
とはいえそれで怯むシオンではない。飄々と変わらぬ様子で当たり前のようにそれを拒み、対して返した。
「お断りです。どうせ貴方、放っておいたらどこまでも適当な無茶をするのでしょうし。ここはミスティとリムルヘルの分までおねーちゃんが見張って、無理のない亜人退治をフォローアップするのです。シオンったらもう、良くできた妻ですね」
「!? ちょっとシオンさん、クロードさんの無理を止めるのはとても素晴らしいけど妻って何かしら! 聞き捨てならないのだけれど!」
「妻は妻です。シオンの幼い頃からの夢ですね、良妻。賢母にもなれれば言うことないのですが、如何せん特殊な生まれ育ちなので自信はなくて不安です。どうしましょうか、あなた」
「どうもしなくて良いから今すぐ出ていけ」
「あん、いけずですね」
肩を竦めるシオン。もはや相手するのもしょうもないと深くため息を吐いてクロードは立ち上がり、いつものように外へと出向いた。
一日の始まりである。




