会戦、『ミシュナウムチルドレン』
薄暗い森を抜ける。広がる外界はやはり白銀で、とっぷりと暮れつつある陽が雲間から差し、ところどころ明るさに照らされている。
クロードとリムルヘヴン、リムルヘルが森を背にして見据えるそんな光景の先に、『気配感知』にて把握していたそれはいた。
「……女。それも相当に若いな、幼い程に」
リムルヘヴンが呟くように、若い少女だった。ミスティとそう変わらない程に幼げな、どこか儚げな印象も持たせる姿。
紫の髪を長く伸ばした、愛らしい顔立ち。毛皮のフードにコートを纏い、防寒対策にもそれなりに気を配っている。寒さにはそこまで耐性がないのかと、クロードとリムルヘヴンは密かに推測していく。
「一見して単なる小娘だが、周囲は何かおかしい。どこか、違和感ばかりだ」
「じゃあ何かいるかあるんだろ……魔獣だと助かるんだがな。ここまで来てただの迷子なんてのは笑えねえ」
「五号? まさかの五号? ヘルちゃんずについに追加メンバー?」
「ヘル、今は黙って下がっていろ」
緊張感の欠片もない妹を下げ、姉は一歩前に出た。踏み込む音さえも雪に吸い込まれていく静寂の世界に、彼女の声が響いた。
「何者だ! ……およそまともな輩にも見えんのだがな」
「ひ、酷いです……」
少女の恐ろしげな、しかし抗議の意も篭った反論。弱々しい声音だが、静かな怒りが感じられる。一見して健気な姿だが、放つ気配はやはり、常に不穏だ。
そのまま続けて彼女は、リムルヘヴンを恨めしげに睨み付けた。
「そんな臨戦態勢で、ペットちゃんまで殺しておいてそんな物言い……貴女たちの方がよっぽどまともじゃないです」
「ペットだと……? あの『魔獣』のことか。あれをペット扱いなどと」
「……『オペレーション』の存在を御存知なんですね。やっぱり放っておいちゃ駄目な方々でした。追いかけてきて良かったです」
警戒も露にする少女の、聞き捨てならない『オペレーション』という発言。何よりも決定的な言葉を口走ったことで、戦士たちは完全に戦闘へと意識を切り替える。
間違いなく『オペレーション・魔獣』の関係者だ。魔獣をペットと呼んで可愛がっていた風に嘯いていることから、あるいは今は既に亡き首謀者ミシュナウムの思惑に、相当近しい立場にいたのかも知れなかった。
水の魔剣を抜き放ち、無限の力を引き出していく。かつては己も使っていた黒い刀身が、クロードの錆び付いた心に微かな軋みをあげさせる。それでも彼は、どうでも良さそうに吐き捨てた。
「お早いこったな。とりあえず仕留めてから調べるってのは俺も賛成だが」
「先程は貴様に譲ってやったが本来、あの程度のゴミは問題なく始末できたのだ。それを証明してやる……奴の周り、小賢しくも隠れている魔獣どもを一匹残らず殺すことでな!」
「好きにやってろ。てめえで殺せるぐらいの奴なら、変に期待をかけるまでもねえ」
そしてそのまま腕を組み、先行するリムルヘヴンを眺める。クロードは今回、初手を彼女に譲る気でいる。先程の魔獣はそれなりだったがまだ足りない、であれば次に出てくるものがどれ程か、客観的に見据えて判断するつもりなのだ。
ここに至り彼にも、眼前の少女の周囲に何やら歪な気配があることに気付いている。『気配感知』は掻い潜れても、目の当たりにすれば否応なく分かる程には、不気味な空気が漂っているのだ。まるで命に対する冒涜かのような、腐り澱んだ空気を。
「複数の生物を組み合わせた新種生命体、か。なるほど、こんな風にもなるか」
「一人ずつ、ですか? ……そちらの方がこちらとしてもやり易くて良いです。ありがとうございます、わざわざ殺されに来てくださって」
「クソガキが、どうやら世間を知らんようだな。貴様の飼っている出来の悪いペットなど、何百いようがものともしない強者などいくらでもいるのだ」
「貴女はきっと違いますね。それとクソガキじゃないです、ミーナです。『ミシュナウムチルドレン』ミーナ」
「……『ミシュナウムチルドレン』?」
少女ミーナの名乗りに、リムルヘヴンもクロードもにわかに反応を示した。『ミシュナウムチルドレン』と言うからにはやはりミシュナウムの側近、ないしは近しい立場にいる者なのだろう。
当たりも当たり、大当たりだ。ここでこのミーナを生かしたまま捕縛できれば、話は一気に進展するだろう。千載一遇のチャンスに、リムルヘヴンは獰猛な笑みを浮かべた。
「くく……! これは良い、あの老婆に縁があるならば『オペレーション・魔獣』について、何なりとして聞き出す甲斐はあるということだ!」
「聞き出せるはずないです。貴女たちはここで死ぬんですから……ペットちゃんたち、お願いです」
『ぐがげげげげげげげげげげげ』
『きょるきょるきょるきょるきょるきょる』
ミーナの声に応じて、雪の中からいくつもの『魔獣』がついに現れる。いずれも不可思議なもので、いろんな動物の一部を、継ぎ接ぎにしたような見た目をしている。どれを取ってもアンバランスな造形をした、不自然極まる歪な存在。
およそ10は下らない数のそれら魔獣を前に、リムルヘヴンはなおも不敵な笑みを崩さない。魔剣は既に始動しており、いつものように力を引き出していく。
刀身から迸る力の波動。白く煌めく光が周囲を照らしていく。ミーナがそれを、訝しげに見るのを好機と捉えて、リムルヘヴンは開戦の狼煙をあげた。
「魔剣騒動から半年、ようやく尻尾を掴んだぞ『オロバ』! 逃げられると思うな……『ウォーター・ドライバー』!!」
「!? ──それ、魔剣です!?」
光を放つその剣の、正体を知ってミーナは愕然と叫んだ。魔剣──魔剣騒動の顛末も含め存在自体は知っていたが、こうして見るのは初めてだ。まさかこのタイミングで、敵として現れるとは。
その動揺、驚愕による隙が特大だった。魔剣から勢いよく水が吹き出て、鞭を形成する。『ウォーター・ドライバー』。リムルヘヴンが用いる水の魔剣の、第一段階機能である。
剣でなく鞭と化したそれを、一つ振るって。ヴァンパイアの魔剣士は、嘲るように笑って告げた。
「こんなものか? 魔獣とは……思いの外容易いではないか。負け犬程の火力がなくとも、打ち据えれば普通に殺せるとは」
『ぐがげげげ、げ──』
「きょるきょるきょるきょ、るき──!」
「……!!」
次の瞬間、魔獣たちは一斉に地に伏せた。自発的なものではない……無数に跳ねた水の鞭に強かに打ち据えられ、肉体のいくらかを欠損させながらも沈んでいったのだ。
雪原を染める血と液と。わずか一振りにて凄惨な光景を生み出したリムルヘヴンの背後で、クロードは静かに呟いた。
「さすがに半年前よりは、強くなってんのか」
「ヘヴンちゃんちょー修行してたなりよ! 山に向かって吼えたり、海に向かって叫んだり! 夕日に向かって走ったり!!」
「するかそんなこと! していたのは暇に明かしたお前だろうヘル!」
「バレちった」
「最初から信じてもいねえよイカれ女」
すげなくリムルヘルに吐き捨てて、やはり考える。半年前、魔剣騒動の折にて相対したリムルヘヴンに比べ、今の彼女の『ウォーター・ドライバー』は格段に強くなっている。威力、スピード、鞭捌き、そもそもの発動までの時間に至るまで、すべてがかつてより洗練されているのだ。
山に吼えるだの海に叫ぶだの夕日に向かって走るだのはともかくとして、この半年、彼女もただ遊んでいたわけではないことが十分、窺える威力の発揮であった。
「そらそらそらそらぁっ!! どうした魔獣、それしきのものかっ!!」
『ぐびろびろびろびろ──!?』
『ぐぎゃらげきゃらがッ!?』
「そ、そんな……ペットちゃんたちが。亜人だって敵わない、無敵の『魔獣』ちゃんたちがっ」
「笑わせるな、何が無敵だっ!! 本当に強い戦士を、私は知っている!」
水鞭を振るいながら叫ぶリムルヘヴンの、脳裏に浮かぶのは一人の少年だ。今や新時代の英雄として名声を広めつつある彼とは半年程度の付き合いに過ぎないが、その善性、その強さ、その信念の気高さを彼女は既に、身に沁みて理解していた。
すべては魔剣騒動の最終決戦、他ならぬクロードとの死闘が発端だ。炎の魔剣士との共闘の中で彼女は、それまで人間に対して抱いていた憎悪、偏見をたしかに一部、拭い去ったのだ──人間にも素晴らしい戦士はいる。命を預けるに値する、尊敬すべき少年がいるのだと、たしかに思えたのである。
そんな彼の強さに比べて、目の前の魔獣の何という脆弱なことか。いや彼に留まらない。親代わりの師匠、その友たる世界最高の冒険者、そしてそれら二人が主として戴く、最強の存在。
自信家のリムルヘヴンをして己より上だと認めざるを得ない戦士たちの、足下はおろか影すら踏めることはないだろう、この魔獣とやらは。
それをして無敵のように嘯くミーナが赦しがたく、彼女は更に叫ぶ。
「アインも、オーナー・アリスも、リリーナ様も……忌々しいがあの、勇者でさえも!!
貴様らの下らん『オペレーション』程度、何の障害にもせんだろうよ!! 身の程を弁えろ『オロバ』ァッ!!」
「う、うう……!? まさか、魔剣士にそんな、こんなところで出くわすなんて……お婆ちゃんの仇が、こんなっ!!」
すっかり狼狽してミーナが呻く。魔獣の一匹が殺されたことを他の魔獣からの伝達で知り、嫌な予感を覚えて出向いてみれば……まさか『プロジェクト・魔剣』の残り香と遭遇するなどと想定の範囲を越えている。
敬愛する『お婆ちゃん』ミシュナウムが死んでしまったその騒動にて活躍したという魔剣士について、ミーナをはじめ『ミシュナウムチルドレン』らは十分な詳細を把握していた。当然眼前の、リムルヘヴンについても同様だ。
水の魔剣士。ヴァンパイアの亜人。魔剣騒動においては中途ながら参戦し、『プロジェクト・魔剣』頓挫に著しく関与した悪逆無道の剣士だ。
騒動後についてまでは調べていなかったが、まさか連邦にまでやって来ていたとは思いもしなかったことだ。ミーナは焦りと恐怖から、戸惑いの叫びをあげた。
「どういうんですっ!? 王国南西部にいるはずの人が、何でこんなところにぃっ!?」
「貴様ら『オロバ』は放っておけんからな! 裏でコソコソと画策しかできん卑怯者どもめ、魔獣だか何だか知らんが諸共に叩き潰してくれるわ!!」
「ふざけ──ないでぇっ!!」
激昂して少女は、懐から笛を取り出して一息に鳴らした。響き渡る甲高い音。
何かをするのだろう。興味を抱きながらもリムルヘヴンは『ウォーター・ドライバー』でその笛を的確に狙い、振るった。音速を叩く破裂音を響かせながら、ミーナの手元を打つ。
笛が砕けるだけでなく、微かに接触した指先の皮と肉とが弾けて、これには堪らず彼女は苦悶した。
「──ぃぎぃぃいいいぁああああっ!?」
「どうだ『ウォーター・ドライバー』のお味は? 貴様らが造りあげた兵器、たっぷりと楽しむが良い」
「あ、が、ぁ──ま、だで、す!!」
血の吹き出る指を抑えて、あまりの痛みに涙どころか鼻水、涎すら垂らして。それでもなお。
ミーナは敵意を失うことなくリムルヘヴンを睨み付けた。砕けはしたが既に笛は吹いた。であれば後は、そんなに時間はかからない。
「……来て、ください! 『試作10103号』! 『特A型58号』!」
「何? ──何だ、何をした!!」
「じきに分かります水の魔剣士……! 貴女だけは、殺してしまえば『オペレーション』は磐石のものになるですから!!」
「まさか殺れると思って──むう!?」
──突如、大地が揺れた。まるでうねるようにミーナの背後、雪原が冗談のように盛り上がっていく。次第に見えてくる、それは生物だ。
地下に潜んでいたのか、巨大な姿が次第に露になる。像の頭、いくつもの虎の身体を無理矢理縫い合わせた胴体、そして蜘蛛の手足。あまりにもグロテスクな見た目が、自然界に絶対に存在しないものであることを克明に告げてくる。
魔獣だ。それも特大の。リムルヘヴンは呆然と呟いた。
「こんな……ものまでいるのか。何たる悪趣味さだ」
「『試作10103号』、殺ってください!! この女だけは、今ここで殺します!!」
『────!!』
声にならない咆哮。たしかな殺意と闘志を剥き出しにして、その魔獣は蜘蛛の手足を伸ばす。
リムルヘヴン目掛けて、凶爪が迫っていた。




