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第八条(危機)

 長く馬を走らせたため、身体中が疲労で悲鳴を上げていたものの、どうにかパトリシアとアイリーンはネピアへと戻ってきた。

 驚くほどに静寂な街。大半の住民が既にヴドゥーへと避難していた。

 パトリシアが戻る間にも馬車といくつもすれ違っていた。到着したネピアに人の気配はほとんど無かった。


「凄いわ。もうここまで人がいないなんて……」

「元々賊が近くにいる話が出た時から、一部の人は避難していたけれど……本当に早いわ」


 人の温もりがない町は何処か怖さを思わせる。

 それでも街の中で時折見張りをしている衛兵を見かけて安堵した。

 不在となった街に賊以外の盗人が入らないか見回りをしているのだ。

 パトリシアとアイリーンは馬に跨ったまま採掘場へと走り出した。




 人の少ない採掘場であり、ネピア湖の辺りに見回りの姿はなかった。

 移動のために即席で作られた道を馬でそっと進みながら採掘場の建物に入る。

 パトリシアが中に入り、小さな引き出しの裏側に隠していた鍵を取り出しアイリーンの元に戻った。


「手伝って頂けます?」

「分かったわ」


 馬から降り、建物の中に入る。

 薄暗く灯りも無い建物の中は土や独特な匂いがした。貴族として良い香りに包まれる生活をしていたアイリーンはやはり眉を顰めているが、パトリシアは気にしない。既に慣れてしまったのだ。


 少し離れた個室に入れば、そこには大量の書類に囲まれていた。パトリシアの尽力もあって書類は全てまとめられ束になって揃えられていた。時系列や分類分けも明確になっている。

 個室に敷かれた絨毯を捲ると一部だけ色が違う板に力を込めてずらす。仕掛けになった床のスイッチを押したのだ。

 

「凄い手が混んでるのね」

「ここには金庫のようなものはありませんから」


 ネピアでは火事が起きた時のため、重要な物は全て床に隠すことが多い。土の中に埋めたり、ここのように仕掛け床を用意したりする。

 パトリシアは開いた扉の底にある土の中から一つの麻袋を取り出した。


「こちらの麻袋に入っていますの。二つに分けているので一つずつ持っていきましょう」

「さっきの鍵は?」

「片方はわたくしが持っている中の鍵です。もう一つはモルドレイドさんが持っています」


 理解したアイリーンが頷き、土を払った麻袋を手に持った。途端、重さに落としかける。


「何これっ重いわね」

「相当な数がありますから」


 箱二つ分とはいえ、結構な重さでもある。

 それでもアイリーンは文句一つ吐かず麻袋を持って移動した。




 パトリシアとアイリーンが建物の外を出て、馬に麻袋を抱えさせた時、遠くに人影が見えた。

 警戒したが向こう側から「おおい!」と声を掛けてきた。


「傭兵だ。まだ避難していないのか?」


 体格の良い男の身なりは確かに傭兵のものだった。

 パトリシアも見覚えのある顔だった。

 アイリーンは少し安堵した様子を見せてから「今から避難するの」と答える。


「女二人では不安だろう。俺の部下に案内させよう。それにしてもこんなところで何をしていたんだ?」

「忘れ物を取りに来ただけよ」

「忘れ物……その袋か? 重そうだな」


 馬に背負わせた荷物を見た男が不思議そうに聞いてくる。

 パトリシアとアイリーンは馬の背中にしっかりと付けた後、馬に乗った。


「この子ならこのぐらい問題ないわ。ところで貴方の部下というのは?」

「すぐ近くにいる。こっちだ」


 男が背を向け、アイリーンに対し指した方向はネピア湖の西南にあたる場所だった。

 ネピアの街に混在する傭兵や帝国兵は各々で拠点とする場所を分けていた。

 アイリーンは考える。

 この後は兄を頼りに屋敷へ向かおうと思ったが、既に入れ違いになっている可能性もある。

 更には忙しいであろう兄を頼りすぎても悪いかもしれないと考えた。

 傭兵だという男がいれば帰路も問題ないかと、馬を進めようと思った時。


 目の前で何かが振り落とされた。

 凄まじい大きな音と共に、目の前に居た男から醜い声が聞こえ。

 ドサリと男が倒れた。


「な……な……何をしてるの……? パトリシア……」


 アイリーンは驚愕した。

 何故ならパトリシアは今、近くにあった櫂を使って男の後頭部を殴ったからだ。

 青ざめた表情をしたパトリシアは両手に抱えた櫂をその場に捨て、急いで馬に乗った。


「アイリーンも早く乗って!」

「え?」

「この男は傭兵じゃないわ」


 言われた言葉を一時理解できなかったアイリーンだったが。

 理解した瞬間、全身が震えた。

 男が小さく呻く声をきっかけに、アイリーンも慌てて馬に乗り走り出した。

 カタカタと張板を重ねただけの道を馬で走りながらアイリーンはパトリシアに問う。


「どういうこと?」

「あの男、アルマンの傭兵だと思っていたの。けど、アルマンの傭兵は全員アルマンの街に戻っているはずよ」

「ヴドゥーの傭兵ってことは……」

「わたくし、ヴドゥーの傭兵なら全員顔を知っていますわ」


 ドレイク傭兵団で働いていたパトリシアは名前までは覚えられないものの、大体の傭兵の顔は知っている。

 たとえ顔を覚えていなかったとしても、ドレイクの傭兵である者には必ずドレイク傭兵団である印が何処かにある筈だったが、あの男には無かった。

 

「どういうことよ……!」

「ガーテベルテ様……レオ様の元へ行きましょう。知らせを出さないと」


 ようやくネピアの街並みに戻ってこれたと思った矢先、パトリシアの馬が暴れ出した。

 

「どうしたの!?」


 何かに怯えた様子を見せる馬の様子からパトリシアは周辺を見渡し、理解した。

 先ほど男が言っていたネピアの南西から小さく咆哮が聞こえたのだ。

 野生の狼のような遠吠えが。


「馬が怯えてる……何がいるの?」

「わからないわ……どうにかしないと」


 馬を撫で落ち着かせれば、ようやく理性を取り戻した馬が足を動かそうとしたが、その足元に矢が飛んできた。


「あっ!」


 アイリーンの乗った馬が混乱をし、暴れ出す。

 パトリシアは遠くから駆けつけてくる足音を耳にした。


(時間がない……!)


 意を決してパトリシアはアイリーンの乗っている馬の尻を強く蹴った。


(ごめんなさい!)


 気を引き締めろ、という合図だ。


「行きなさい! レオ様の元へ!」

「パトリシア!」


 蹴られた馬が走り出す。

 追いかけようとする足音が聞こえてきた。


「わたくしはここよ!」


 闇の中に潜む何かに対しパトリシアは大声をあげる。

 自分しかいないのだと主張するように。

 ろくな時間稼ぎしか出来ないと分かっていても、二人で捕まるより良い。


 近づいてくる足音と動物の吠える声に体も手も震えながら。

 パトリシアはその場に立ち尽くしていた。





次話からは多分ヒース主体の話になると思います

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