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第四条(アイリーン)

 話し合いは数時間に渡り、気付けば朝日が昇ってきた。朝方の空は薄い雲と淡い青空に包まれ、日常が始まる光景だったが、今でも赤色の狼煙が遠くの空から上っていた。

 話し合いの場が長期戦となることを見越してパトリシアは参加者全員に珈琲を淹れて渡した。ヒースやレオ、隊長と住民の代表である男達の顔には疲労が浮かんでいた。

 ミシャは建物の二階にある小部屋で仮眠を取らせている。朝には動いてもらうかもしれないと伝えれば、渋々眠りについた。


 パトリシアは気を引き締めるため建物の傍にある小川で顔を洗った。ネピアの町には湖に繋がる小川がいくつもあるため、井戸は多くない。


(前世にあった蛇口……あれは便利だったわね)


 パトリシアの世界にも上水道や下水道は存在する。用を足して汚れた物は下水道を通して排水処理場で浄化作業し、最後は下流に綺麗な水となって流れてくるため、感染症のようなことが起きる不安はない。

 飲み水や生活に使う水はこの小川から汲み取れることがある。体を清める、湯を張る場合には専用の管を用いて運ぶこともあるが、残念なことに傭兵団の建物には存在しない。

 それでも小川の新鮮な水や川の流れる音は気持ちを洗い流してくれるようで心地良かった。

 まだ早朝の空を見上げていると、何処からか馬車の音が聞こえてきた。

 ヴドゥーや帝国からの使者だろうかと視線を馬車に向けたパトリシアは硬直した。馬車に刻まれた紋章に覚えがあったからだ。

 商売を司る女神が刻まれ、女神を囲う草花は豊穣を意味する麦。

 

(ライグ商会の紋章……!)


 間違いなく馬車は、元婚約者の家にして、真珠業での協力者となったライグ商会だった。

 レイド傭兵団の建物前で止まった馬車。

 御者が降りて扉を開ける準備をしている。

 パトリシアは身を潜めながら様子を窺った。

 悪い予感は当たるもので、御者に誘導され降りてきたのは深紅のドレスを着た女性。

 アイリーンだった。




「アイリーン?」

「あら、お兄様もどうしましたの? 私、特に先触れを寄越さずに来たつもりでしたのに」


 黒髪にレオと同じ亜麻色の瞳をした女性の登場に、会議の緊迫した空気は霧散した。

 早朝だというのにアイリーンは優雅に建物の中に入室した。


「何なのです? 到着した時も思いましたけれど、何かありますの?」

「最悪なタイミングで来たな……」


 溜め息混じりに苦笑した後、レオがそっとヒースの傍に寄って耳打ちする。


「俺の妹のアイリーンだ。ライグ商会長の婚約者でもある」

「…………」


 ヒースは無言で頷く。

 ライグ商会長の婚約者。つまり、パトリシアの婚約者を奪った女性でもある。

 パトリシアの事が露見してしまえば状況が悪化するだろうことを想像し、ヒースは愛想笑いをしてみせた。


「ライグ商会未来のご夫人にわざわざお越し頂くとは光栄だね。レイド傭兵団長のヒースだ」

「アイリーン・ドナルドですわ。レオ兄様の妹ということはご存知のようですね。そのよしみで、口の悪さは大目に見ましょう」


 二人の会話を聞いた帝国兵や代表の男は尻込みした。立場が上の人間の、しかも女性ということもあって戸惑っているようだった。

 レオが彼らを見る。


「話は以上にしよう。日中に街へ通達を。隊長殿はヴドゥーへ早馬を頼む。あとは適宜打ち合わせ通りに。混乱を起こさないよう頼む」

「……分かりました」


 隊長と男は黙ってその場を立ち去った。

 残されたのはヒースとレオ、そしてアイリーンだった。


「…………何か事情がありそうですね」

「最悪なタイミングだと言っただろう? アイリーン、来てもらってすぐに悪いがお前も帝国に戻れ」

「は?」

「ネピアは明朝までに民を全員避難させる。お前もそのつもりでいろ」

「どういうことですの?」

「賊が来てるんだよ、お嬢さん」


 レオに詰め寄っていたアイリーンに対しヒースが口を挟む。


「アルマンが賊に襲われた。今も攻防中だ。向こうの組織がどれ程か分からない以上、ネピアも二の舞になるだろう。その前に街を離れるんだよ」

「何ですって!」


 甲高いアイリーンの声にヒースは耳を塞いだ。


「真珠業はどうなりますの! 今日は現場を見たくて参りましたのに、その話が事実では確認する前に賊に奪われてしまうではないの!」

「賊を早急に仕留めれば外に流されることはない。迅速な対応が必要なんだ」

「そう。というわけで帰るんだ。お前まで賊に奪われては俺は婚約者殿に顔向けできないぞ」

「…………!」


 顔を真っ赤にしたアイリーンだったが、それ以上口は挟まなかった。

 ヒースは意外だと思った。

 パトリシアから婚約者を奪い、期待の商会長の婚約者という地位を手に入れた女性に対し、聞く限り心象は悪かった。というか最悪だった。

 しかし実際の現場を確認しに来るという、女性でありながら男性と同じ視点で物事を見定めようという気持ちがあるように思えたのだ。

 その考え方はまるでパトリシアのようだった。


「……そうは言いましても、私も夜通し馬車で走ってきましたの。御者も馬も休ませる必要があるわ。お兄様の屋敷で休ませて頂けます?」

「分かった。案内させる」


 渋々といった様子で退室をしようとするアイリーンの背中を見てレオとヒースは安堵の息をそっと吐いた。

 が、二階から降りてきたミシャによってその安堵は消え去った。


「パトリシアさん! 時間になったら起こしてって言ったじゃないですか〜」


 寝ぼけ眼のミシャの、張りある良い声が建物の中に響いた。

 その時、建物にいたヒースとレオも。

 そして建物の外、窓から状況を隠れて覗いていたパトリシアも含め、その場に硬直したのだった。


「……パトリシア?」


 アイリーン、ただ一人を除いて。


本当に誤字報告ありがとうございます……毎度「何故ここを間違えた…!」となるぐらい恥ずかしい間違いを指摘頂いてます笑 そんな作品を見捨てず読んで頂けていることに感謝です!そしてこれからもよろしくお願いします(おい

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