第四条(贈り物)
好きだと分かった時から、パトリシアには世界が全く違って見えた。
いつも当たり前のように傍にいたヒースの動作一つひとつに意識が向いてしまう。
困った時に頭を掻く仕草や考え事を始める時に頬をなぞる仕草。
眦は切れ長で普段は緩やかに笑ってみせているが真剣な時に見せるヒースの瞳は、鋭利な刃のように研ぎ澄まされている。
よく見れば指先や腕に古傷が刻まれていて。彼がどんな過去を生きてきたのか気になってしまう。
ヒースはパトリシアよりも年がだいぶ離れている。
大人であるヒースから見ればパトリシアは未だ子供なのだと思うと芽生えた恋心が相応しくありたいのにと悲しんでいる。
それでも、誰よりもヒースの隣に立つ女性は自分だけなのだと思うと勇気も湧く。
(こんなにも気持ちが変わるものだったなんて……)
前世は恋愛に対して全く興味が無かったためずっと独り身だった。
今世でも婚約者であるクロードがいたけれど。
クロードに恋はしていたと思う。
けれど今のヒースに向ける想いとあまりにも違いすぎて、パトリシアは戸惑っていた。
クロードの時にはこんなに相手の全てを知りたいなんて思わなかった。
両親に与えられなかった愛情をクロードから欲していた。
幼い子供のような感情しか向けていなかった時と今とでは全く違う。
ヒースの瞳に自身が映るだけで嬉しいと思ってしまう。
声をかけられ、名を呼ばれるだけで頬が緩んでしまうぐらい。
(何てこと……重症だわ)
パトリシアは恋心に気付かなかった頃と今とでは見る世界すら全く変わってしまったことに驚いていた。
初めての体験である恋の自覚はあまりにも重すぎた。
「パトリシア?」
考え事をしていたところで名を呼ばれパトリシアは慌てて我に返った。平常心をどうにか取り戻し、鋼と呼ばれるに相応しい笑顔を作りヒースに向けた。
「何でしょう?」
「いや…………」
不思議そうに眺められてしまい居た堪れない。
「まあいいや。実はもう一件話すことがあったんだ」
仕事の話と分かりパトリシアは気を引き締める、改めてテーブルに座り直す。
「レオ・ガーテベルテ子爵から仕事の依頼が俺宛に届いた。依頼内容は護衛だが向こうは俺達の力量を見に来るだろう」
レオの名を聞いてパトリシアは浮かれていた気持ちが一瞬で消え去った。
「そうですわね……彼ならそうなさるでしょう」
「ああ。輸出業に関しても一度視察には来たんだが、そこでは詳しい話まではしなかった。彼の様子を考えるに、込み入った話をする機会を望んでいるのかもな」
パトリシアが出向したと同じタイミングでヒースの元に新領主であるレオの名で手紙が届いていた。
モルドレイドが中心となって行っている遺跡から発掘される真珠や遺跡の一部の売買はレイド傭兵団の名で執り行われている。
レイド傭兵団の名だけを聞けば悪い印象しか与えないのは、ひとえにルドルフや前領主の行いによるものである。傭兵団に関わりを持つ者達であれば、その名を聞いても経緯を知っているため問題無いが。
就任したばかりのレオは違う。
「視察ついでに俺達の帳簿も見て行ったよ。アンタのお陰で特に追及されることは無かった」
「良かったです」
パトリシアは胸を撫で下ろす。
ルドルフが行っていた事に関して改めて洗い出して追徴税も行った。
彼は未報告の報酬から徴収されるネピア領主への税金も納めていなかったからだ。
金額として少なくは無かったが、前金としてモルドレイドから契約金を受け取っていたこともありパトリシアがドレイク傭兵団に向かう前に精算できていたことが功を成したらしい。
「そうそう。アンタの帳簿を見て役人が驚いてたよ」
当時の事を思い出してヒースが笑う。
叩けば埃も出るだろうと思って向かった傭兵団にあったものが、完璧に整えられた帳簿だと分かった時の彼らの顔を思い出す。
信じられないとばかりに顔を青ざめ、何だったら「このやり方は素晴らしい」と称賛されていたのだ。
その後、一体誰がこの帳簿を作ったのだと追及されることになったのだが……そこははぐらかしておいた。
作ったのはパトリシア一人だ。
ミシャやヒースも手伝いはしたが考え出したのはパトリシアである。
彼女の能力には驚かされてばかりいる。
行動力もあり、誰もが驚くような考えを繰り広げる銀髪の美しい女性。
貴族であったにも関わらず、あっさりとその身分すら捨ててしまったパトリシアにヒースは日々驚かされてばかりである。
「まあ、そんなこともあって次は俺達の実力を確かめたいということで護衛の依頼が来たんだ」
「どちらまで護衛をされますの?」
「スウィーデルまで」
「スウィーデルということは……領主会議ですわね」
「正解。やっぱ知ってたか」
領主会議は半年に一度行われる各地区分された地域による定例会議だった。
開催場所は決まっており例年ヴドゥーやネピア、ユーグ大帝国から西部に及ぶ地域はスウィーデルにて会議を行っていた。
自領を持っていたパトリシアの父も東部の領主会議に参加していたことを思い出した。
「スウィーデルに行くまでの間に護衛を任された。ただ、人数が明らかに足りないから数名はドレイク傭兵団から来てもらうよう頼んである」
ドレイク傭兵団の名から、パトリシアはアルトの顔を思い出す。が、彼が来ることは無いだろう。きっと若い団員が数名来るぐらいだ。
「それでだな……ここからは相談だが、この護衛の仕事に一緒に来てもらえないか?」
「わたくしが……ですか? ですがそれでは」
レオと顔を合わせてしまうことになる。
パトリシアが最も恐れている事態にわざわざさせようとしているのか。
不安な表情を見せていたためか、ヒースが首を横に振る。
「分かってる。ガーテベルテ領主に会うことになるだろうな。だが、これは俺の提案なんだが……いっそ、アンタから領主に会いに行くっていうのはどうだ?」
「え?」
ヒースの言っている意味が分からなかった。
彼は続ける。
「いくら避けようったってネピアの町は小さい。必ず顔を合わせる時が来る。だったら先手を打ってアンタから会いに行き事情を説明するんだ。輸出業を盾に駆け引きをしてくれたって構わない」
「駆け引き……?」
「ここからは知り合いからの情報だが、ガーテベルテは親族から真珠の輸出業をやらせろと要求されている」
ガーテベルテの親族、そしてそれを行うのは間違いなく商人。
パトリシアはその時クロードとアイリーンの姿を思い出した。
可能性が無いわけではない。
「だが輸出業はモルドレイドのおっさんが既に大帝国に対しレイドと契約したことを報告している。今更覆せる筈はないんだ。それに、新領主も親戚に輸出業を持って行かれればネピアに金が入ってこなくなる。領主がどう転ぶか分からないが……俺が領主に会った印象では上手くいけば味方に付けられる」
「ガーテベルテ子爵を味方に?」
「上手くいけば、だけどな」
ヒースは苦笑しつつも続ける。
「そのためにも予めアンタの存在を領主に話しておいた方が得策だと思ったんだ。下手に秘密を抱えたまま付き合えば信用を失う。それに、今回の輸出まで仕事を持っていけたことがアンタだと分かれば領主もアンタを外部に告げることもしないしな」
「…………」
「不安か?」
パトリシアは考えて、ゆっくりと頷いた。
身元が露見してしまうことによる最悪の想像を常に考えているパトリシアにとっては、ヒースの提案に対して素直に頷けなかった。
いくら死亡届を出したからといっても、パトリシア・セインレイムが生きていたと知れば大帝国内の貴族達にとって格好の話題になる。彼らは人の不幸やスキャンダルを好む。
パトリシアだけではなくレイド傭兵団にまで被害が及んでしまうのではないかと。
それが不安だった。
「パトリシア」
名を呼ばれ、顔を上げる。
「俺を信じろ。アンタを絶対に守るから」
ヒースの強い意志を感じる言葉に。
胸の奥底から溢れかえる感情の波に押されるようにして。
パトリシアは小さく頷いた。
話し合いも終え、ヒースが退室するということなのでパトリシアは彼を玄関まで見送ることにした。
「ああ、そうだ……忘れてた……」
懐に手を入れたヒースが何かを思い出したようにぼやく。
その表情は寒さのせいなのか、何処か少し赤みを帯びている。
パトリシアは何か忘れ物があっただろうかと部屋を確認するために後ろを振り向いた。しかし特にヒースの私物は見当たらない。
ふと、三つ編みの長い髪が触れられた。
結んでいた紐を解かれる。が、髪は広がらずヒースの手元に留まっている。
何が起きたのかと振り向こうとしたが。
「もう少しそのまま」
ヒースに制され、パトリシアは背中をヒースに見せたまま止まった。その間も髪を触れられている感覚に首元まで熱くなる。
傍に立つヒースの温もりさえも感じそうになってしまい、パトリシアは俯き黙っているしかなかった。
「……お待たせ。急に悪かったな」
「いえ……一体」
何を、と振り向いたところで。
自身の髪を結んだ三つ編みの結び目に小さな宝飾品が付いていることに気付いた。
「これは……?」
「やる」
「えっ?」
驚いて顔を上げて、パトリシアは時が止まった。
そっぽ向いたヒースの顔が赤らんでいて。
見たこともないような照れた顔をしていたからだ。
「……真珠の輸出仕事中に装飾品の商人と会った時に見つけたんだ……アンタに似合うかと思って」
「わたくしに……?」
そっと結び目に飾られた装飾品に触れる。
小さな硝子が色とりどりに散りばめられた花の飾り。髪を結ぶための紐は銀色でパトリシアの髪とよく合っていた。
「ありがとう……ございます……!」
パトリシアは愛おしそうに自身の髪に飾られた装飾品を両手で抱き締めるように手を重ねた。
嬉しい。
ヒースが何を思って買ってくれたのかは分からない。
親愛の証だとしても。
ヒースからの贈り物が。
パトリシアにとって宝物となった瞬間だった。




