第三条(意識改変)
ヒースに問われた事に対してパトリシアは言葉を返せなかった。
そもそも何を言われたのか理解が出来なかった。
ドレイク傭兵団に行きたいか?
アルトと一緒になりたいか?
確かに今、間違いではなければヒースはそう言った。
まるでパトリシアがアルトを好きだと確定したように聞いてきた。
「……聞いて……いらしたのですね」
「…………ああ。悪い……」
ヴドゥーから出発するあの時。
パトリシアは確かにアルトから告白を受けた。
その時ヒースもまた傍に居て、聞こえてしまったのではないかとは思っていた。けれども今の今まで一度たりともヒースからその会話は無かったから、パトリシアは聞かれていないのだと安堵していたが。
それは違った。
ヒースはずっと、聞いた時からずっと確かめたかったのだとパトリシアは思い知った。
「アンタは優しいから……返答に迷ってるんじゃないかと思ったんだ。ドレイク傭兵団に残りたくても俺たちが気掛かりで断ろうとしているなら止めたかった」
ヒースの想いが胸に痛い。
優しいからこそパトリシアには痛かった。
「俺はアンタの目標とかやりたいことを潰したくない。だから…………」
見据えた先に優しく微笑むヒースの表情が優しければ優しいほど鋭利に刺さる。
「アンタの望みを言ってくれ。俺はそれを叶えたい」
ただ、どうして彼もまた。
辛そうに笑いかけているのだろう。
「……? パトリシア……! どうした?」
「え……?」
急に驚いた様子でパトリシアの頬に触れるヒースを茫然と眺めていた。彼は何を驚いているのだろうか。
「何で……泣くんだよ」
「泣く……?」
ヒースの節くれた指先が頬に当たり雫を拭う。そこでようやくパトリシアは自身が泣いていることに気が付いた。
「あれ……どうして?」
何故泣いているのだろう。
パトリシアにも分からなかった。
ヒースの言葉を聞き、その意味を理解したと同時に涙が溢れ落ちた。感情や言葉よりも先に涙がパトリシアの心を表していた。
ヒースは黙り、溢れては止まらない涙を己の手で拭った。拭っても拭っても溢れる涙は止まることを知らない。
「……パトリシア」
ヒースの低音で囁かれる名にパトリシアは胸が弾んだ。
日頃、彼がパトリシアの名を口にする機会は少ない。
常に揶揄うように「お嬢さん」や「事務官」と呼ぶのに、こういう時だけパトリシアの名を口にする。
それが、自身が意識して行っているのかそれとも無意識に呼んでいるのかは、今のパトリシアには分からない。
ただ、そう呼ばれることがひどく……好きだった。
「俺が泣かせたのか」
「……っ違います」
否、違わない。
実際に、ヒースの言葉を聞いてパトリシアは涙を流しているのだから明らかに要因はヒースにあるのだろう。
けれどパトリシアにも何故自分が泣いているのか分からなかった。だから責めることもできない。
「頼む。俺には何でアンタを泣かせているのか分からない。謝りたくても理由が分からない……」
片手で拭っていた指が今度は両手となり、両方の頬に温かな掌を添える。
間近で見るヒースの表情は真剣で、それでいて辛そうで。
やはりパトリシアは涙を止めることが出来なかった。
ヒースの顔を見れば見るほど、不思議と涙が溢れてくるのだから。
「パトリシア…………泣くなよ」
どうすればこの涙を止められるのか。
ヒースにあるのはその想いだけだった。
悲しませたいわけではなかった。
困らせたいわけでもなかった。
ただ、彼女の望むがままに、彼女が自身を犠牲にせず自由でいて欲しかったからこそ伝えたい思いを打ち明けた。
けれど結果は彼女が涙を流すに至り、ヒースも心情では焦っていた。
どうすればいい?
どうすればパトリシアは悲しませずに済むのか。
何故彼女が泣いているのか分からないままだ。
ただ、どうしてもその悲しみから解放して欲しくて。
ヒースは両手をパトリシアの頬に添えながら立ち上がり、パトリシアの傍に近付きそのまま抱き締めた。
涙を拭うには手では足りないのなら。
この身をもって涙を拭いたい。その一身で。
パトリシアを抱き締めた。
(どうなってるの……?)
溢れる涙は驚きのあまり止まった。ある意味、ヒースの考えは成功していた。
目を真っ赤にしたままのパトリシアは抱き締められた事に我に返った。ひたすらに悲しんで泣いていた心は、突然与えられた抱擁によって霧散したのだ。
しっかりとした体付き。
服に染み付いた煙草の匂い。
不思議とパトリシアはその状況に、縋りたいような思いに駆られていた。
このままヒースに抱き締められていればどれだけ楽だろうとさえ思った。
抱き締められて緊張していた体を、少しずつ弛緩して。
そっとヒースの肩に顔を寄せてもたれ掛かった。
(どうしてかしら……こんなに気持ちが安らぐのは)
相手はヒースだというのに。
パトリシアを傷つけた張本人だというのに。
(いいえ……違うわ)
ヒースだから。
彼だから心が安らぐし、彼に別の男の事を言われたから心が傷ついたのだ。
そうか。
パトリシアは漸く理解した。
(わたくしは……ヒースが好きなのね……)
ようやく溢れた涙の理由に気がついて。
パトリシアは涙のせいで腫らした瞳をゆっくり閉じた。
今まで心の奥底で蓋をし、閉じ込めていた感情が溢れ出す。
クロードの時に抱いていた感情よりもずっと大きな想いが溢れ出す。
これほどに人を愛おしいと思うことはない。
「……大丈夫か?」
もたれ掛かっているパトリシアから嗚咽が聞こえなくなったことに気付き、ヒースが声を掛けてきた。
落ち着きを取り戻したパトリシアは顔を上げ、なるべくヒースに見られないよう俯きながら彼から離れた。
「…………大変失礼致しました。わたくし、動揺してしまったみたいです」
恥ずかしくて顔を見られない。それに、自身の顔は今涙のせいでボロボロだ。そんな顔を見られたくなかった。
「……そうか」
ヒースは、その考えを汲み取ってくれたのか特に追及もせずその場を離れた。
何処へ行くのだろうと思ったら、手拭いを持ってきてくれた。
そうして何も言わずパトリシアへ渡す。
「……ありがとうございます」
パトリシアは俯きながら受け取り、その手拭いで顔を拭った。
向かいの席に改めて座り直したヒースはパトリシアから正面には座らずに横に腰掛ける。視線を逸らしながら会話を続けてくれるらしい。
「……落ち着いたなら教えて貰えるか?」
「…………わたくしは、アルトさんが好きなわけではありません」
頬に手拭いを充てながらパトリシアは続ける。
「ドレイク傭兵団に行くつもりもありません。これは、本心から申し上げています」
「…………そっか」
一言呟くとヒースはほんの少しだけ視線をパトリシアに向けた。
「勘違いして傷つけた。……すまなかった」
本当に真っ直ぐな人だとパトリシアは思った。
人にはだらしないように見せておきながら、誰よりも真摯に物事を考えてくれる優しい人だと。
「こちらこそ……はしたない姿をお見せましたわ。申し訳ございません」
「ウチの事務官は感情をあまり見せないから、ちゃんと感情を持ってて安心したよ」
ふざける調子で話すヒースにパトリシアは苦笑した。
「ちゃんと持っておりますわ」
貴方を好きだと思う感情を。
パトリシアは胸に秘めた想いを大切に心の中にしまいながら、赤く腫らしたままの瞳で小さく微笑んだ。
ようやく恋愛要素が強まって参りました
引き続き楽しんで頂けたら嬉しいです!




