後編
「はっ……はっ……はっ……」
あちこちで爆発が起きている。爆発の度に地面が揺れ、悲鳴と銃声がそれに続く。
少し前に窓から見えた景色は、そこかしらで見知った人間が倒れているという地獄絵図だった。そんな地獄の中で、俺とヤスミはとある小さな民家に避難していた。避難しながらも、契約した魔物を何体か野に放ち、大人たちの援護に向かわせたが、所詮は子供の操る魔物。彼らには簡単にあしらわれてしまった。
契約していた手持ちの魔物たちは、既に人間によって倒されており、俺たちは薄暗い部屋の隅でただ震えていることしか出来なかった。
目の前には、俺たちの姿を隠すように横倒しになった机が置かれている。とてもバリケードの役割を果たしてくれるとは思えなかったが、それでもないよりは何倍もマシに思えた。
その時、また近くで銃声がした。体が強張った。
悲鳴が聞こえる。娘だけは殺さないでという声。聞き覚えのある声だ。俺とヤスミが魔物使役の練習をしているところを、微笑ましそうに見ていたおばさんの声。その声を感情もなにもない平坦な音が遮り、やがて聞こえなくなる。後に残ったのは、かすかに臭う血の臭いだけ。
「……ッ!」
声を出してはいけない。今回の彼らは本気だ。本気で魔物使いを皆殺しにするつもりだ。見つかれば最後、子供であろうとも確実に殺される。
……なぜ? 自分たちが、何をしたというんだ?
人には、人権というモノがあるんじゃないのか?
命乞いの言葉すらも満足に言わせてもらえず、子供も一人残らず殺す。こんなのは、ただの虐殺じゃないか。
なんで? なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで??
なんで自分たちが……!!
「大丈夫よ、ミゲル」
そんな時、俺の気持ちを察したように、ヤスミは俺に覆い被さるように抱き締めてきた。
「大丈夫……。なにがあっても、アナタは私が絶対に守るから……! 守ってみせるから……!」
ヤスミの柔らかな声が体に染みて、ようやく俺は少し落ち着くことができた。
そうして落ち着いて見てみると、ヤスミの肩も小刻みに震えており、彼女も自分と同じように恐怖を感じていることがわかった。自分だって怖いくせに、彼女は俺の心配をしてくれているのだ。
途端に自分が情けなく思えてきた。魔物使役が上手くなって、ヤスミよりも強くなった気でいて。自分は、ヤスミの足元にすら及んでいなかったのだ。
「ヤスミ姉ちゃん……」
こんな自分は、心配しないでいい、などと言う資格はないように思えた。だからせめて、彼女の恐怖を和らげようと、こちらも抱き締め返そうとした。
しかしそれは出来なかった。
突然起きた爆発が後ろの壁を吹き飛ばし、俺たちの体をも吹き飛ばしたからだ。
爆発によって生じた粉塵が辺り一面に立ち込める。壁には大きな穴が開いており、天井からは細かい瓦礫が降ってきていた。
仰向けに倒れていた俺は、体にのし掛かっていた瓦礫をどけて素早く立ち上がろうとしたが、頭がズキズキと痛み上手くいかない。
吹き飛んだ際に強く頭を打ったのか、こめかみの辺りからヌルッとした液体が流れる感触がした。他にも腕や足の節々が痛んでいたが、逆にこの程度の傷ですんだことが不思議に思えた。
「ヤスミ姉ちゃんは……?」
痛みに耐えながら四つん這いになって辺りを見渡すと、突如眼前に機関銃の銃口が突きつけられた。
「動くなよ」
軍服に身を包んだソイツは、軽薄そうな声で言った。
咄嗟に理解した。この男は、今村を襲っている奴らの一味で、さっき壁を爆破したのもこの男だということを。
即座に逃げ出そうとしたが、足が震えて言うことを聞いてくれない。だが仮に聞いてくれたとしても、頭からの出血で視界が歪むなかでは、まともに走ることすら難しかっただろう。
「おおっと、くれぐれも妙なことすんじゃねぇぞ? こっちも余計な手間をかけたくねぇんだ」
俺の動きを察したのか、その言葉と共に銃口が鼻先に押し付けられる。思わずヒッ、という声が漏れ反射的に目を背ける。それを見て男はバツが悪そうに頭をかいた。
「あー、やだやだ。弱いものイジメしてるみたいでよぉ。けど、魔物使いは一人残らず殺せってのがウチの隊長の命令なんでな。わかってくれよ?」
さして同意は求めていないような声で言った後、男は機関銃の引き金に手をかけた。
殺される。
俺は覚悟を決めたが、次の瞬間、煙を払いながら何者かが高速で男へと突進した。
「っふ……ぐっ!!」
男は咄嗟に両腕を交差させて直撃こそ防いだものの、衝撃までは殺せなかったのか、大きく吹き飛んで瓦礫の山へと突っ込んだ。
男へと突進したその何者かは、オオカミをベースにしたような魔物だった。もちろんただのオオカミではなく、既存のオオカミに比べて筋肉が異様に盛り上がっており、牙も数段鋭いように思えた。魔物はこちらを一瞥すると、「大丈夫だ」と言うように一声鳴いた。
「ミゲル! 大丈夫!?」
俺が唖然としていると、オオカミの陰からヤスミが駆け寄ってきた。
あのオオカミの魔物はヤスミが使役しているものらしい。用心深い彼女のことだ、このような状況のために一体だけ魔物を残していたのだろう。
「ヤスミ姉ちゃん、頬が……!」
駆け寄ってくる彼女の頬には大きな火傷があり、彼女も決して無事ではないようだが、構わず俺の傷を診てくれた。
「ひどい怪我……!」
ヤスミは焦げた服のポケットからハンカチを取り出すと、俺の頭の出血部へとあてがった。そして肩を貸して俺を立ち上がらせてくれた。
「ミゲル、歩ける?」
「うん……ある、ける」
「よかった。それじゃあ、早くここから離れて、別の所に隠れ━━━」
突如後ろから、寒気の様なものを感じた。一瞬で鳥肌が立つ。
振り返ると、瓦礫をどかしながら魔物の突進で吹き飛んだはずの軍服の男が立ち上がっていた。
「……ったくよぉ。妙なことするなっつったろ。めんどくさいだろ」
口調こそ先ほどと同じ軽薄なものだったが、その目には激しい怒りの光がやどっていた。男はため息を吐きながら、傍らに落ちていた機関銃を拾い上げる。
「あーあ。やっぱ『動くな』とか言って遊ばずに、さっさと撃ち殺せばよかったんだよなぁ。こんなガキに手傷負わされるとか、上に知られたら笑いモンだぜ」
「っ、お願い魔物! 私たちを助けてっ!!」
それを見たヤスミは、素早くオオカミ型魔物へと指示を飛ばす。魔物はその必死の叫びに答えるように鳴くと、獣の咆哮を上げながら突進した。
しかし男はそれに冷ややかな目を向ける。
「動きが単調なんだよ。さっきは不意打ちでくらっちまったが、二度目は通用しねぇよ」
突進をサイドステップでかわした男は、機関銃の照準を魔物に向けると、パンパン、と発砲した。銃弾は魔物の足を正確に貫き、魔物は体勢を大きく傾かせて瓦礫の山へと突っ込んだ。
「そんな……!」
魔物を使役していたヤスミが絶望の声音で呟く。
これで男の邪魔をするものはなくなった。
機関銃の照準がピタリと自分に合わせられていらのがわかった。
「じゃ、死ねよ」
男の指が引き金を絞り、銃弾が発射される。
その瞬間、全てがスローモーションに感じられた。放たれた弾丸は真っ直ぐに俺へ向けて飛んでくる。
反射的に、俺はもうここで死ぬんだと思った。
だから俺は目を瞑り、衝撃に備えようとした。
しかし、待ち受けていた衝撃は思わぬ方向から来た。
何の前触れもなく来た横からの衝撃に、俺は対応できずに宙を舞った。首を捻って後方を見ると、そこにはこちらに向けて手を突き出した姿勢のヤスミがいた。
叫ぼうとするが、声が出ない。彼女は、最後に少しだけ笑っていた。
次の瞬間には、冷たい弾丸が、彼女の体を貫いていた。
ガクン、と大きく揺れて、ヤスミの体は膝から崩れ落ちた。
俺は受け身もとれずに地面に背中を打ち付けたが、気にせず這うようにして彼女のもとへと駆け寄る。
「ヤスミ姉ちゃん、ヤスミ姉ちゃん!」
彼女の体を強く揺するが、返事はない。
男の放った弾丸は、彼女の胸━━━心臓の部位を正確に撃ち抜いていた。
俺は即座に理解した。
彼女が、俺の身代わりになって死んだということを。
固く閉じられた瞼は、もう開くことはないのだということを。
結局、自分は守られたのだ。
最後まで、彼女に。
「ハン、感謝しろよ? その姉ちゃんのお陰で、お前は数秒間寿命が伸びるんだからな」
冷笑を浮かべながら男は言った。
その言葉を聞いて、自分の中のなにかが、音を立てて壊れた。
ヤスミが、死んだ。
目が、脳が、受け入れることを拒否していた。
無くなってしまった。命よりも大切だったものが。
……いや、違う。奪われたんだ。
誰に?
目の前の、男にだ。
許せない。
許せない、許せない、許せない、ユルセナイ。
……コロシテヤル。
「うああああああああああっ!!!」
ミゲルの喉から、絶叫にも似た叫び声が轟いた。
その叫びに呼応するように、瓦礫の山を吹き飛ばしてあのオオカミ型魔物が男へと突進した。
突然の登場に驚いた様子こそ見せたものの、男は先ほどと同じく、両腕で魔物を受け止めた。今度は、武道の達人がするような、受けた衝撃を体全体に分散させるような綺麗な受け方であった。
だが、
「!? なにっ……!」
魔物の圧倒的な力の前では、受け方など関係なかった。技術もなにもない、単純な力押しによって、男は跳ね飛ばされ地面に叩きつけられる。
「がっ……!? なんだよこれ、さっきと段違いのパワーだぞ!? おいガキ、コイツに一体なにをしやがったぁ!?」
「…………」
ミゲルがしたのは、ただの魔物との再契約だった。
先ほどまでヤスミと契約していたオオカミ型は、契約者であるヤスミが死んだ瞬間に野良魔物となる。ミゲルは、その野良魔物と再び━━━今度は自分の魔物として━━━契約をしたのだ。
魔物にとって魔物使いは、魔力を補給する電池のようなもの。
かつてヤスミはそう言っていた。
電池で動くモーターは、電池の出力が上がれば回転数も上がる。つまりはそういうことだ。
激しい憎悪によって、ミゲルに秘められた魔物使いの力が目覚めたのかもしれなかったが、そんなことは今のミゲルにはどうでもよかった。
『ガアアアアアアアアア!!!』
悲鳴のような鳴き声を上げて、魔物は倒れる男に馬乗りになった。
男は魔物を払い除けようと抵抗したが、まるで意味をなさない。だがうっとおしくは感じたのか、魔物は前足で男の片足を思い切り踏みつけた。
バキリ、とクッキーが潰れたような音がした。
激痛にのたうちまわる男を前に、ミゲルは一瞬だけ俊巡する。
いいのか? これ以上はもう、「自衛」の域を越える。
だが、ミゲルは迷わなかった。
初めて、ヤスミの言いつけを破る。
オオカミ型魔物が、男の上半身を思い切り引き裂いた。
肉が裂けて、血が噴き出した。
「痛いっ! やめろっ! うあ、あああああああああっ!!」
叫んだところで痛みが消える訳はないのに、男は大声で叫んだ。
ゴチャゴチャとうるさい。
ミゲルはそう思い、魔物に指示を出す。
オオカミ型が、男の喉笛を噛み砕いた。
噴水のように血が出て、男は静かになった。
そこから先は、ただの蹂躙だった。
踏みつけて、砕いて、引き裂いて、喰らった。
踏みつける度にブチブチという音がする。ミゲル自身も、もはや何を潰しているのかわからなかった。
男の体が激しく痙攣し始める。
その痙攣を押さえつけるように、さらに強く踏みつける。
肉の一部を引きちぎって、クチャクチャと魔物は咀嚼した。
いつの間にか、ミゲルの口からは狂ったような笑い声が出ていた。
それがようやく終わったときには、床一面が赤く染まっていた。返り血を浴び続けた魔物もミゲルも真っ赤で、逆に赤くない部分を探す方が難しかった。
ミゲルは、敵を殺したのだ。
自らの身を守る力であるはずの、魔物の力を使って。
しかし、ヤスミの言いつけを破っても、ヒトとも判別できなくなった赤いカタマリを見ても、ミゲルは何も感じなかった。
ただ、虚しかった。ヤスミの仇をとったのに。
……当然だ。アイツが死んでも、ヤスミは戻ってこないのだから。
ミゲルはずっと、立ち尽くしていた。敵の進行がどうにか終わり、逃げ延びた大人たちが探しにくるまで、そうしていた。
朝になって見た集落は、壊滅状態だった。
度重なる爆発で地は焼け野原となっており、家はほとんどが全壊。瓦礫には、所々に赤いシミが付着している。
死体は、身元がわかるものも、わからないほどに損傷しているものもあった。
数日後に、葬式が行われた。
遺体をただ埋めるだけの、簡素なもの。弔いの炎も、お経もなかった。
生き残った者は、葬儀など行う暇もなく、まずこれからを生き抜こうとするのに必死だった。それを一部の者たちの懇願によって無理やり行ったのだから、こうもなるだろう。
ヤスミが埋められていく様を、俺はただ見ていることしか出来なかった。回りには泣いている奴らがたくさんいたが、俺は泣けなかった。
もしかしたらあの時から、自分はもう壊れてしまったのかもしれない。
ポケットには、あの時彼女があてがってくれたハンカチが入っている。今やこれは彼女の形見のようなものだった。
なぜ彼女が死ななければならなかったのだろう?
ふとそんな事を考える。
誰よりも幸せになってほしかった、いや、なるべきだった存在が。突然現れた理不尽によって、それはいとも簡単に無くなった。
この世界では、壊れたモノは二度と元には戻らない。壊れるのが嫌なら、大事に握りしめておかなければならない。
しかし自分には、そんな力はなかった。
力が無かったから、全てを失った。
心の奥底から、ドス黒い、暗い感情が沸き上がってくる。
あの男にではない。
彼女を守ると言った癖に、彼女に守られ、そして死なせた自分自身にだ。
奥歯がギチギチと音を立てる。自分の顔がひどく歪んでいくのがわかった。
俺はただ、あの満たされた毎日が続けばそれで良かったのに。
何故だ。
何故力が無ければ踏み潰される?
力も持たず、殺し合いとは無縁な、平和な生活を望むことさえ罪なのか?
弱肉強食。それが自然の摂理だからとでも言うのか?
だったら、滅びてしまえばいい。
弱いものを踏み潰すニンゲンも。
弱肉強食を形作る動物も。
そしてそれを許す世界も。
「全部俺が滅ぼしてやるよ」




