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補足3

精神疾患や精神障害について学習することは、あなたの主張が妥当なものであると人に信じさせるために何が必要であるのかを把握するために極めて有効である。どのような行為や考え、主張が、異常なものであるとされ、あなたを陥れる口実とされうるのかを把握しておくことは極めて重要だ。他人を批判する際に用いられうる理由にできるものが列挙してあると考えるとよい。これら条件に当てはまらないように、あなたは振る舞わなくてはならず、あなたは主張を構成しなくてはならない。様々な用途に有効なので覚えておくとよい。特に統合失調症について、あなたは詳細に確認する必要がある。親族は、(実際にはそんなことがなかったとしても)身近にいることになっているため、あなたが妄想を語っているだけであると主張した場合に、警察や医師等に、実際にあなたが妄想を語っているだけであると信じてしまうことが極めて多い。無論あなたはそれを逆用することもできる。敵があなたの主張を妄想であるかのように見せかけようとしているのならば、あなたはその主張こそが妄想であると、証明すればよい。あるいは、敵の主張がどう考えても見当違いであると、思わざるをえないようにあなたが振る舞えばよい。敵が主張しているであろうあなたの異常性であるとされているあなたのなんらかの特徴等を、敵以外に対しては絶対に見せてはならない。

そうすれば、敵が妄想をわめき立てているだけであると、他人は信じるようになる。しかしこれは極めて難しいプロセスであることもまた、あなたは認識できるはずだ。究極的には、主張のぶつかり合いなど、複数の主張するもの同士が自身の主張は事実であり他の主張が妄想に過ぎないと示すことに他ならない。


また、どのような議論もその議論を観察する主体があって初めて意味があることを把握しよう。観客から見てどのようにあなたの主張が見えるのかが重要であり、単にあなたの主張が正しいだけではなんの意味もないということだ。観客から見て、あなたの主張を信じざるをえない状況を作り出し、事実として実際に観客があなたの主張が正しいと信じることが必要だ。もちろん、観客の判断基準も固定されてはいない。あなたの主張次第では、観客のその時点における判断基準を破壊することもできる。もちろん人の判断基準は、その人の利害関係によっても大きく左右される。それに着目することはよい選択だ。つまりあなたの主張が正しい場合には、観客にとって都合のよいことが発生すると、あなたは見せることが重要でありうる(そこまですることが困難な場合は多いが、念頭におこう)。

重要なのはあなたの考えでも、論として敵よりあなたが正しいかでもない。これらは必要な条件であるが(場合によっては後者は必要ない。ただし法令を徹底的に守ること)状況を左右する主体が、あなたと、あなたの敵をどう認識するかが重要であることを常に念頭におこう。正しさを判定するのは、純粋に測定値だけでことが決まるような事柄以外では(それでさえ、実際には観客をコントロールすることが重要であることを、あなたは科学史を確認することで容易に理解出来る。結果は得て歴史に名を刻んだが、その時代において社会的に不適切な状況に置かれた科学者に「あなた自身は」なってはならない。その時代の成果、未来の成果、両方を確実に手に入れろ。ただし中長期の見通しをより重視する方がよい。なぜならばこの記事を読んでいるあなたは十分若いからだ。余命が幾ばくもないのならば好きにすればよい。しかしどのような条件でも法令は完全に遵守すること。もちろん、将来の見通しを無視する高齢者など軽蔑されて当然であるし、そんな高齢者をまともに取り扱ってやる必要はない。事実として)、観客であることを徹底的に頭に叩き込もう。ところで、ゲーム理論に関わる議論が本当は面倒になるのは、このような条件が関わるからでもある。何が、その状況において重要な要素となるのか判然としない場合は少なからずある。あなたに対して観客である主体が、どのようなものなのか、把握できている場合はどれほどあるだろうか。現実には完全な把握などできはしない。どのような主体が観客であろうとも、可能な限り問題が発生しないように、振る舞うことが極めて重要だ。「どのような主体が観客であろうとも」は、あなたの知識や経験に依存してしまうことが否定できないこともあなたは容易に理解出来る。情報のないものについて判断することは極めて難しい。無限の想像力とでも称せざるをえないものが必要だ。ここにおいてはじめて、内心等が重要な意味を持ってくると理解しよう。しかしそれが徹底した観察によらなくてはなんの意味もないことはあなたが容易に理解出来るはずだ。




統合失調症

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%90%88%E5%A4%B1%E8%AA%BF%E7%97%87

この記事ではWikipediaをしばしば引用しているが、これはネット上にアップロードされた記事であるため。利便性を重視している。本来は複数(できれば多数)のソース、また原典にあたって確認すること。常には可能でないこともまた考慮する必要はある。しかし可能な限り、信頼の置ける資料に当たること。





・「自分の力で考えよう」型の主張


この記事においてこの記事の書き手は、あなた自身による判断を重視するように勧めている。しかし通常このような「自分の力で考えよう」のような主張は、書き手が自分の考えを植え付け、相手を誘導するために用いられる。ごく簡単な情報、不適切な情報、しか与えられていない人物、そもそも情報が不足している人物が、自分で考えたところでろくな結果にはならない。

無論、この記事を読んでいるあなたは、この記事自体について同様の問題がある可能性を検討するべきだ。この記事において主張されていることは、必要な情報を徹底的に集め、必要に応じて専門家の見解も(どのような問題においても、幾つも立場があることをよく確認すること)参照し(しかしそれが正しいかわからないことが多いことは、例えば科学・技術の歴史を見ても当然であることをあなたよく知っている。)適切な分野を学習することによってのみ可能となるのであって、自分の判断や自分の考え等さえ信じてはならないということだ。しかし究極的には自身で判断するしかない以上、可能な限りその見当をしなくてはならないと主張するのであって、「自分の力で考えよう」型の、詐欺めいた主張を持ち上げているのでは断じてない。


・「毒親」つまり「あなたに対して違法行為を繰り返す人物」の分類


「毒親」つまり「あなたに対して違法行為を繰り返す人物」に関する議論には、多数の分類が設けられていることが多い。あるタイプの「あなたに対して違法行為を繰り返す人物」は、ある行動様式を持っている、また別のタイプの「あなたに対して違法行為を繰り返す人物」は、別の行動様式を持っている、といったように。もちろん場合によってはそれが重なることもあるとされている。

しかし冷静になって考えよう。それは、法的に意味があるのだろうか、あるいはその行為は物理的に異なる何らかを示しているだろうか。ほとんどの分類は、その観点からしてほぼ無意味である。重要なことは、その目的にかなった分類をすることであり、一般的に議論されている「毒親」つまり「あなたに対して違法行為を繰り返す人物」においてなされている分類には何ら意味がない。具体的に法的な手続き、行政に頼む事柄等において、意味のある事象を抽出し、「あなたに対して違法行為を繰り返す人物」を客観的に描き出そう。重要なことは、手続き上意味のある分類をすることだ。関係する議論においてなされている分類は、あなたが戦うにあたって意味のある分類であるか、注意深く腑分けして検討しよう。どうせそんなものには意味がない。重要なことは「あなたに対して違法行為を繰り返す人物」が、あなたが法令を用いることによってあなたに対して一切いかなるアクセスも不可能とし、かつあなたが被害者であり敵が加害者であることを誰の目にも明らかなように確定させ、「あなたに対して違法行為を繰り返す人物」に刑罰を受けさせることだ。問題を取り違えることがあってはならない。法令によって、事実を確定させること、これが何よりも重要なことであり、それに不必要な分類は無意味であるから無視すること。ただし、有用な情報が抽出できる自信をあなたが持っているのならば、あなたの判断を惑わせる記述を書き換えて、必要ない情報だけを抽出するとよい。目的に対して不要な分類は、情報処理を煩雑にするだけであり、有害無益であることを自覚しよう。あるいはこのように言ってもよい。情報処理を混乱させる有害無益な分類が存在しないか、常に冷静に事態を観察し、あなたの目的に対して必要な分類を検討し、それを用いよう。対象の分類は、事態の解決にあたって極めて重要であるからこそ、おかしな分類に惑わされてはならない。刑罰を確定させれば、「あなたに対して違法行為を繰り返す人物」があなたに対して何をしてきても、簡単に警察は動いてくれるようになる。現在は、虐待やストーカー行為等でも、以前と異なり警察は動くようになりつつある。違法行為を行っていることが明らかとなった人物については、尚更そうだ。何より敵の違法行為を確定させることが重要だ。


また、これはあなたの認識だけの問題ではない。例えば、あなたが「あなたに対して違法行為を繰り返す人物」に関する情報を、他の人に伝えるとしよう。ローカルな、「毒親」なるものに関する議論において用いられる無意味な分類をわざわざ持ち出すことで、かえって相手は混乱してしまう。必要なことは、法令に基づいた手続きであり、それ以外のことが入り込むと、相手は問題の所在が分からず、あなたの主張が理解できないことになる。最悪の場合には、あなたが「あなたに対して違法行為を繰り返す人物」について語っていたとしても、あなたの話し相手はあなたの語っていることは妄想にすぎないと考えるようになったり、余計な議論に煩わされて、本来重要な「あなたに対して違法行為を繰り返す人物」の違法行為に目が届かなくなり、何の問題もないのではないかと勘違いをするようになってしまう。また、情緒に流された、おかしな議論に巻き込まれ、問題の所在をあなた自身が見失ってしまいかねない。


不適切な分類は、何よりあなた自身の認識を捻じ曲げ破壊するが、それのみならずあなたによる情報伝達もまた破壊してしまう。これをはっきりと認識しよう。標準的な「毒親」なるものを扱う議論は、事実上、ローカルな「毒親」議論の管巻きにしか通じないものとなっており、その外側に通じない議論となっていることを是非とも認識してほしい。重要なのは社会において確実に通用する、法令に関わる条件であることを肝に銘じよう。



・「対決」の違法性


「違法行為を繰り返す人物」に関して「対決」と称される行為を持ち上げる議論が存在していることは、すでにこの記事を読んでいるあなたは熟知しているはずであり、読み飽きているに違いない。それの無意味さについてはある程度他の箇所においてすでに触れている。しかし、「対決」なるものにどのような問題がありうるのか、冷静に判断しよう。


まず「対決」には、手紙や、会って説得すること、影響を受けた事象について相手に認めさせること等々の手法が列挙されていることが多い。しかし、この記事の読み手であるあなたの敵は「違法行為を繰り返す人物」であることを思い出そう。


まず手紙にしろ、説得にしろ、あなたを追い詰めるための手段として用いられ得ることを理解することが、あなたには出来るはずだ。例えばあなたとの会話が録音されていたとしよう。今時簡単にパソコンで編集はできてしまうのだから、それは、適当に編集されて捏造された発言を作られたらどうするのだろうか。技術的には今時大したことではない。小学生でもごく簡単に、捏造された発言など作れてしまう。無論普通の人間はそんなことをしないし、してはいけない。しかし違法行為に慣れている人物が何をするかなどしれたものではない。どうせこれまでも、あなたは「違法行為を繰り返す人物」の莫大な量の嘘を目にしてきたはずだ。それで十分ではないか。手紙を、例えば繰り返し敵に送ったとしよう、あなたが多数のの手紙を特定の個人に送っただけでもストーカー行為等に分類されてしまう可能性が否定できない。「対決」なるものに、どれほどの発言のやりとりが必要か、検討することくらい、賢明なあなたには簡単に出来る。それに必要な通数は、ストーカー行為等に分類され得るものとならないなどと、あなたには到底思えないのではないか。もちろんこれは、メールやチャットのようなものでも変わらない。


ともあれ、ある程度関係する法令を読めば、「違法行為を繰り返す人物」に対する「対決」自体が違法行為に分類され得る行為となりうることも、貴方は理解出来るだろう。冷静に「対決」なるものに書かれている手法を確認しよう。それがいくらか積み重なれば、実は違法行為になるものが少なからずあることに、賢明なあなたは容易に気づくことが出来るだろう。よって、敵に隙をみせないためにも、的に一切何事も悟られず、一気に奇襲を行い、法令による手続きを進めるべきだ。


説得をすることには何の意味もないばかりか、下手な言質を取られて、最悪の場合には虚偽告訴によって、あなた自身が処罰されることさえ考えられなくもない。もちろん激昂したあなたが、「違法行為を繰り返す人物」に対しておかしなことをしてしまう可能性さえ完全には排除できない。敵は過去に一度でもあなたを挑発してきたことがなかっただろうか。危機に際して敵が挑発を絶対に行わないなどと、本当に考えられるだろうか。あなたは、あなた自身の極限状態における振る舞いを信じてはならない。極限的な状況においては、自分自身の振る舞いがどのようになるかはある程度不確実性があることを、あなた自身が理解しておく必要がある。その不確実性を前提に、計画を立てなくてはならない。また特に「あなたに対して違法行為を繰り返す人物」は、あなたに関するネガティブな情報を流している可能性は高く、虚偽告訴とまで行かずとも、あなたの手続きにあって邪魔になるような問題が発生する可能性が高いのだ。


例えば「侮辱罪」「名誉毀損罪」「信用毀損罪」といったものを確認してみよう。日本国の刑法に限らず、関係しそうな日本国の法令を詳細に見ることが重要だ。意外なものが罪になりうるとあなたは考えるかもしれない。もしかしたらあなたの簡単な「対決」行為が「最悪の場合には」違法行為となる可能性があるとあなたは思い至るかもしれない。常に最悪の場合を想定することが重要だ。これまであなたに対して違法行為を行ってきた人物が、適当なことを言って警察に持ち込まないと本当にあなたは信じられるか、冷静に過去を振り返って考えよう。ごく簡単に事態を要約しよう、つまり「対決」を勧める行為それ自体が、事実上違法行為の奨励となっている可能性が否定出来ないのだ。率直に言えば、この記事の書き手は「「毒親」との対決」つまり「「あなたに対して違法行為を繰り返す人物」との対決」とは、あなたによって為される違法行為にすぎないと、この記事の読み手であるあなたに対して、主張している。「対決」は単なる違法行為を事実上は含まざるをえない主張している。関係する議論を相手にすることは極めて危険である。情緒的に「対決」とはとても甘美な報復であり復讐だが、それは単なる違法行為だ。法令に則り、「毒親」つまり「あなたに対して違法行為を繰り返す人物」への法令に基づいた処罰を確実に実現することだけをまずは狙うこと。少しでもあなたが隙を見せることは、あなたの致命傷となりかねない。


よって「対決」なるものを、あなたは絶対に行ってはいけない。そもそも、あなたが幾度も説得を繰り返して、何の効果もなかったものに対して、説得を行うことは極めて高コストだ。明確に時間の無駄である。それのみならず、あなたが敵につけ入れられる隙を発生させる可能性がある。絶対に避けなくてはならない。言いたいことがあるのならば調書や法廷で述べろ。有無を言わさず、法の力で敵に事実を認めさせるのだ。どうせ口先で説得したところで次の日にはまた別のことを言っていたのが、「あなたに対して違法行為を繰り返す人物」の日常であったのではないか。それが変わることなどない。誰もが認める形で、罪を認めさせることにだけ意味がある。それ以外は一切何の意味もないばかりか、あなたが違法行為に手を染めることになるのだ。


このような行為は、報復であったり復讐であると見なされるのではないかと、あなたは怯えるかもしれない。それは明確に異なる。無論、それは法に則る限り、一切何の問題もない。被害者が、加害者に刑罰を与えようとすることに何ら問題はない。それは法に基づく限り、正当な権利であり、むしろ行わなくてはならないことだ。それによって、以降の被害者を減らすことになる。権利は行使されてこそ意味がある。権利を行使しないものは、以降の権利を行使しようとするものの障害となる。あなたは以降に続く被害者のために、戦うべきであると、この記事の書き手は強く提案する。結局のところ、人はそのような行為によって自らに明確な不利益があると理解しない限り、そのような行為をやめようとはしない。あなた同様の被害者のためにもあなたが現実に対して一石を投じるのだ。


あなたは賢明な人間であるはずだから、バタフライ効果という言葉を知っているだろう。小さな行為が、最終的にどのような影響をもたらすかはわからない。もちろん、小さな結果となることもある。しかし適切な行動は大きな結果をもたらすこともある。あなたの行為は無駄ではなく、それにより多くの被害者が救われることになる。「違法行為を繰り返す人物」による違法行為は多様であろう。その一つ一つが独自のものであり、そしてあなたの犯罪被害も明確に独自のものだ。例えば性犯罪の加害者を、あなたは他人が被害者である場合であろうとも憎むに違いない。たまたま現状、日本においては家庭というものが異様なまでの無法地帯となっており、しかしそれが放置されている現状があるだけだ。性犯罪と何ら変わるところはない。性犯罪の被害者が、性犯罪の加害者を憎み刑罰を望むことは当然であるとあなたは考えるであろう。それと異なると主張するものは、あなたの犯罪被害を軽く見る愚か者だ。相手にしてはならない。


繰り返すが、法令によって、完全に「毒親」なるものつまり「あなたに対する違法行為を繰り返す人物」との関わりを絶つことができるようになっているのが、現代の制度だ。親子問題は逃れられないだの、親から逃げるなだの、親と対決することが成長だのという世迷いごとを喚き立てるものに関わってはならないと、この記事の書き手は、賢明なるこの記事の読み手に対して、強く提案する。「対決」なるものが本気で欲しいのならば、法令や制度という第三者の前で、徹底的に行えばよい。それによらなければ、結局敵はあなたへの攻撃を止めることなどない。あなたには勝てるだけの膨大な蓄積があるはずだ。どれだけの違法行為を見てきたのか。事態は単純である。


また、関係する議論においては自信について述べられていることがある。敵を打ち倒すほどに、あなたの自信を確立するものなどない。法令により的を打ち倒すことを覚え、訓練し、自信をつけよう。くだらない「違法行為を繰り返す人物」を法令により打ち倒そう。そしてそれによって、多くの被害者たちが勇気付けられる。真の自信とはそのようなものだ。あなたが仮に子供ならば、将来においてどのように業績を築くことになるか想像してみるとよい。何が、あなたの自信を高めてきたであろうか。何よりあなたの敵を、法令の力、制度の力によって打ち倒すことだ。「毒親」すなわち「あなたに対して違法行為を繰り返す人物」を絶対に許してはならない。明確に罪を、法令の力で認めさせることによって、あなた自身への以降の加害行為、そして他の将来発生するはずの被害者たちへの加害行為を潰すのだ。関係する議論は「許し」なるものを重視している、これは単なる違法行為を、見逃すことを積極的にすすめていることを意味している。意味のある書き換えを行うこと。あなたはついでに、「毒親」による誹謗中傷をされていたのならば、もちろんあなた自身の名誉を回復することも意味している。何があろうとも敵を許してはならない。これはあなたの名誉の問題でもあり、過去現在未来のあなたの信用を確立することになる。信用を取り戻せ。



・形式論理をそのまま扱えるように


形式論理を明確に日本語で用いることができるように、訓練しよう。日本語はいささかそのような表現が難しい。慣れておき必要時にはすぐにそれでの記述や会話ができるようになっておくこと。自らの主張を通し、相手の発言を潰すためには極めて重要だ。必要時には徹底して白黒はっきりさせる習慣をつけよう。それが好ましくないかのように日本の習慣が形成されている。それでは戦えない。




・過剰な規範性


あなた個人の振る舞いにおける過剰な規範性の提示は、規範形成と事実上同様となることは覚えておこう。言語による解説よりも強烈に機能する場合がある。その時点における過剰なあるいは厳格な規範性の提示は、他によって参照されることになる。これは、不言実行を妥当が妥当であると主張するものではない。それは通常単なる無責任であり、百害あって一利なしだ。避難訓練時の「おかし」めいたジョーク的言い回しとしての「ほうれんそう」というものはあるが、適切な連絡が欠落していて、まともに何が機能するとあなたは考えるのだろうか。これらは両輪であり、一方によって機能するものではないと考えるくらいでよい。時点に応じ、適切な情報提示、振る舞いは異なろうが、それはこの記事の読み手であるあなた自身が判断するよりない。


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