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補足1

「毒親」なるもの、(繰り返すがこの記事を読んだ直後から、あなたは「毒親」などという単語を用いてはならない。違法行為の組み合わせ、最終的にはどのような法令どの条文に適合してしまうところの違法行為を、どの時点でどのように行ったのかにより記述するべきであり、「毒親」なる、こころ詐欺に関わるものは人にあらずと考えるくらいでよい。それは危険ドラッグのようなものであり、あなたを確実に蝕んでゆく。仮に毒なるものが関係するものにあるとすれば「「毒親」という議論」「こころ詐欺」こそが毒であり、ぼんやりとしたお手軽な快感をあなたに与えるだけの危険ドラッグである。「こころ危険ドラッグ」みたいなものがあると考えておけば話は早い。「こころ危険ドラッグ」は一度ハマると中毒性があり、離脱症状もきつい。関わることがあってはならない。「脱法ドラッグ」や「危険ドラッグ」(明確に違法な薬物も同様だが)になど触れるなどとんでもないように、「こころ脱法ドラッグ」に触れること自体あってはならないことだ)


「毒親」なるものに関する議論に限らないが、「こころ」っぽい議論においては、あるタイプの人間が「ゲームのように現実を取り扱う」といった奇妙な表現が現れることがある。前述の通り、おそらくこのような表現を用いる人たちは「ゲーム理論」という単語があることすらよく知らない。知っていたら、危険であるからそのような表現を用いないように注意するものだ。(後から知っていたと言っても、そんなわけないとあなたは考えるとよい。簡単な表現とするため等と言い訳をしても、そんな誰でも知っている常識についてそのように語るものの言葉を信じてやる義理も義務もあなたにはない。あるいはそれくらい相手をバカにしている相手であることを意味していると捉えてもよい。そのように、読み手であり受け手である「あなた個人を」馬鹿にして対応する者を、あなたは信用するのだろうか。)


通常社会科学において誰もが避けて通れない(例えばプログラミング等を含めた工学的分野でも同様だ)「ゲーム理論」に触れたことがあれば、このような表現が何を指しているのか極めて曖昧であり、「ゲームのよう」「ゲームのように現実を見る」等のような表現を用いること自体が、自分自身の無知無能無力を示す可能性があり信用を得られないと考えるのが普通なので、まず用いないはずである。ごく単純な話だが(ネタめいた文章ならばともかく)保身を考えたらわざわざ(ネタであることが明らかな場合を除き)誤用か何かみたいなことをするはずもないし、あるいは自分が学んだ分野に誤解をもたらす可能性のあること、自分の扱う分野への誤解をもたらす可能性のあることを述べるわけがない。もちろんフィクションでは結構キャッチーな表現なので用いられることをあなたは知っているだろう。それは、現実を「ゲーム理論」であなたが学んだ手法で把握しようと努めていると理解し直すとよい。複数の主体が関わる事柄を扱おうとすると、必ずゲーム理論と変わらない手順を踏むことになる。


あるいはもしもあなたが信用できそうな記事において「ゲームのように」「ゲームのように現実を扱う」等々といった表現を見かけたのならば、その文章がネタ文章であるというつもりでその記事の著者は書いているのであり、げらげら笑って読んであげてほしい。たとえば「毒親」なるものを扱うBlogやwebサイトがそのような単語を扱っていたら、その著者はネタを書いているのだ。仮にネタではない場合、その記事は「こころドラッグ詐欺」の一種である。その文章の著者ははバカであるから関わってはいけないと嘲笑してあげるのが、常識あるあなたの取るべき態度だ。そもそも現代において極めて重要な表現であり媒体(媒体というのならば、(特に、現代における電子的手段を用いるタイプの)当該分野はその時点時点で、その時代時代で利用可能な媒体あらゆるものを用いる分野であろう。その時点において究極の総合芸術の一つであることは、現代を知るあなたにとって自明のことであるはずだ。その歴史を、そのはじまりから把握しよう。あるいは総合芸術であると時代時代において目されてきたであろうもの、今からならばそう分類されうるであろうもの、それらの時代における時代との格闘を、古代から現代まであなたは見出すとよい)であるゲーム媒体を、同時に不適切に評価していることになるであろう。そのようなものが現実を、現代を適切に評価できていると「あなた自身が」考えるのかと、この記事の書き手は問うであろう。その答えはあなたが勝手に見出せばよい。


ところでこの記事の著者は、戦後生まれだが昭和の高齢者であり、高等女学校くらいしか出ていない。年長者のつとめは、後続する世代が、その時代において存在するすべての教育プロセスを受けることが当然であると示すことであり、大学とかゆかなくても変わらないなどというものは、人扱いしなくてよい。高齢者であろうとも、放送大学や通信制の大学など様々な選択肢があるのであって、最低限の情報を得ようとしない努力しない高齢者もまた、相手にしなくてよい。血縁など何ほどのものか。もちろん、時代が違うにもかかわらず、他人の教育に口を出す者、たとえばあなたの両親や親族の話など一切相手にしてはならない。(ところでこの記事はそのように記述していることに、あなたは気付こう)勉強しろなどという者は相手にしなくてよい(どうせそのようなことを言う連中は宿題程度のどうでもよいことしか念頭にないので、何一つ相手にしてはならない。教育に関わるプロセスにおいて重要なことが何であるのか、最終的にどのような学歴が必要なのか全く認識が違う以上、意見が一致することは絶対にない。そもそも情報を持っていない以上、説明しても先方は理解できないので説得は完全に無駄である。時代の違う人の主張は害にしかならないので完全に無視すること。(ところであなたの読んでいるこの記事を書いている私は、自身が昭和の高齢者であると主張していること(しかも高等女学校程度しか出ていないと主張している(しかも自分が男性であると主張している))に、あなたは気付こう。その上で判断しよう))。


また、ある書き手が臨床心理士や公認心理士のような資格を嘲笑する記事を書いていた場合には(婉曲な表現であっても構わない。事実上、それらの資格が実質的な意味を持たない(部分がある)と主張しているだけで十分である)そして、その書き手がカウンセラーを名乗っていた場合には、その人物の語ることを相手にする必要はない。


臨床心理士、公認心理士になるにはとりあえず通常大学院に行かなくてはいけないが、現代において大学院くらい行くのは普通でありその方面を専門とするのならば、その方面の大学院に行っていないことはあんまりないとしてよい(当然あなたも行くことになるし、行かなくてはならない。教育に関わるどのようなプロセスも、特別視してはならない。大学院を少しでも特別視するのは20世紀までの認識であり、現代人のあなたは、大昔の人はそう思っていたのであると見るだけでよく、現代における基準を参照して生きるべきである。特に賢明なあなたには、少なくとも大学院に行くまでが義務教育の範囲だ)。最低限の資格も取れない、そんな仕事をしてよいのかあやしい者が、学歴コンプレックスをむき出しにしているだけであるとしてよく、相手にするべきものでないことは当然だ。そこにある記事全ては、まともなカウンセリングに関する知識程度すらない裏付けがないものであり、お笑い記事であるとみなしておくのがあなたの正常な対応である。カウンセラーを選ぶに際して、最低でも臨床心理士資格、公認心理士資格を持っている人を選ぼう。その上で、莫大な数の人命を預かる方面における倫理つまり、工学倫理、技術者倫理を参照し、使い物になるものか否かを考えればよい。また資格には責任が伴い、資格を持つ者はその資格を与える主体による規制(あるいは規制類似のもの)を受けることになる。臨床心理士という資格については、いろいろと経緯があったことを、あなたは簡単に調べることができるだろう。そして公認心理士との関係を調べることもできる。そして事実上当面の間は同じ資格として取り扱ってよいともわかる。但し、公認心理士という資格は国の資格だ。関連する法令を読んでみよう。


相互確証破壊という言葉を覚えよう。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E4%BA%92%E7%A2%BA%E8%A8%BC%E7%A0%B4%E5%A3%8A

「毒親」なるバズワードをもって示される、違法行為を繰り返す異常な個体に対して、対応可能な選択肢は何であるのかあなたは考えよう。話の通じる相手ではないのならば、実際に機能する唯一の選択肢であるとあなたは考えるとよい。無論、何があろうとも徹底的にあなたは法令を遵守すること。そして敵の違法行為完膚なきまでに叩き潰すこと。特にあなたが小学生くらいの子供ならば、最初に覚えるべき言葉が「相互確証破壊」であるとして差し支えない。ついでに「フェイルデッドリー」と「フェイルセーフ」も覚えておこう。ここで先行して調べるべきは前者だ。日常生活に関わりの深いものは後者であり、通常は後者を先に覚えるだろうが「あなた個人の危機に際して」考慮するべきは前者であろう。「毒親」なるものとの関わりは自明に、あなた個人の危機だ。ついでに核ミサイルを積んだ原子力潜水艦の運用について覚えておくことには価値がある。一緒に出てくる事柄もまとめて調べるとよい(調べないとあまり意味がない。またこれら考慮のあるシステムの具体例は、あなたの関心分野に必ずあるはずであるので、確認すること)。ところでここで、鳩山由紀夫という人の(本来の)専門を思い出して、彼の書いた彼本来の専門に関するものを読んでみよう。無論、彼の行動について、ここで妥当であるとも非妥当であるとも評価しているのではない。念のために加えるが、何処かの国の核武装について、するべきであると主張しているのではないし、してはならないと主張しているのでもない。この記事の書き手は、単に、それを構成するシステムがどのようなものであるか調べることが、あなた個人の生活やキャリアに役立つであろうと述べている。あなたがこのような話題を読んで、当該分野についてどのように考えるかどのように行動するのか、この記事の書き手が感知するところではない。それは全てあなたの責任であり、あなたが考えるべきことだ。この記事における全ての箇所が同様だ。全て一人で判断できるものだけが人間であり、それができないものは人間ではない。党派性を持ち出すものは人間ではない。なまぬるい「こころ脱法ドラッグ詐欺」はそれのできない人間ならざる人間から搾取するビジネスだ。この当然のことが理解できないものにいかなる権利もあり得ないと心得ろ。




DHMOという物質をあなたは知っているだろうか?


https://www1.gifu-u.ac.jp/~yyy/yyy/tea_time_3.html

https://www.komazawa-u.ac.jp/~kazov/Nis/etc/DHMO.html


これらは、DHMO、ジハイドロジェンモノオキサイドという物質について扱った記事であるが、実は割とあなたにも身近な化学物質で、おそらく化学を選択していれば、この名前だけで何であるのかがわかるはずだ。ただし上記にあるように、多量に摂取すると簡単にあなたは死んでしまう。言い換えると一酸化二水素である。


ネタバレは以下。

http://wired.jp/2013/05/15/dihydrogen-monoxide-joke-gets-djs-suspended/

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/DHMO

http://ansaikuropedia.org/wiki/DHMO

http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/122/122293/

http://www.org-chem.org/yuuki/chemical/chemical.html


科学教育の題材にもされているようだ

http://ci.nii.ac.jp/naid/110009898308



もちろん賢明なあなたは、DHMO騒ぎをよく知っているのではないかと、この記事の書き手は考えている。もしかしたら最初からあなたは騙されなかったかもしれない。しかしそれは十分にあなたがその方面を把握しているからだろう。未知の分野や、ぼんやりした議論しかない方面、極端なことを言えばまだ人類が扱っていない分野ならば、どうだろう。


「毒親」なる表現を、この記事の書き手は大変否定的に見ていることを、これまで繰り返している。単語ひとつがどれほど人間の認識を破壊するかよい例ではないか。


ごく簡単な言い換えにより、全く同じ対象が、全然違うものに見えてしまう。DHMOは化学物質であり、説明されれば大したことはない。しかし、思い出してみよう、中学校か高校で、あなたは塩を作ったことがないだろうか。その原料は何だっただろうか。その実験の後、塩を食べることに抵抗が出た生徒は(もしかしたらあなたを含めて)いなかったか思い出してもよい。これは、現代人ならば別だが、大昔の人だったらどうだろう。毒物の組み合わせで、違うものができてしまうとしたら、それだけで食べ物におかしな偏見ができてしまう。例えば他にも、本当に普通の意味で毒性を持つ毒物の化学式を見てみよう(フグ毒だろうがVXガスだろうがリシンだろうがなんでもよい、DHMOのように書き換えてみよう。それだけで毒物であることに気付けなくなる場合は多い)。それらを構成する元素は、ごく普通のものばかりだ。しかし、言い方次第、見せ方次第で人は勘違いしてしまう。「毒親」なる単語や、それに用いられるおかしな単語、こころドラッグ詐欺が、極めて有効なものである場合もありうると、あなたは否定できなくなってくるはずだ。或いは、一見よくわからない対象も(たとえば「でぃーえいちえむおー」とだけ言われたらわからない)、水素原子と酸素原子だけでできているのだと見なしただけで、全然違うように、人は扱えるようになる。酸素と水素と言われたら、あなたは少しだけ事態を理解できるようになる。水と言われれば一発だ。「毒親」などという議論は、大きな影響があるにもかかわらずラジオDJの発言やラジオの番組のようには扱われない。注意しなくてはいけない。あるいは、将来においてどのように扱われることになるのか、私には分からない。あなた個人の手にかかっている。ただ一人のあなたの手にかかっている。制度において適切な点をつくことができれば、ただ一点への影響でもその衝撃は極めて大きい。一見似たような事態でも、あなたの想像する以上に、案外と人それぞれ事情は違うので、扱えることも攻められる点も違うのだ。どのような高々一人の人間の行いも、歴史を大きく動かすことになる。


上記記事のうち「こころドラッグ詐欺」「こころ危険ドラッグ」「こころ脱法ドラッグ」に特に関わりの記事は以下であろう。

http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/122/122293/

とてもよい表現が後ろの方にある。


「ただ、ビジネスにおいて重視すべきはこの逆、つまりは“イメージのポジティブ化”です。」


つまりどうでもよいものを、あたかもとっても大事なものであるかのように見せかけることが簡単に出来かつ商売に結び付けられるということだ。ありもしないもの、問題の結果でしかないもの、実体ではないものに執着させるなどもその類である。あなたがビジネスを行うにあたって、そのようなことをしないように注意しよう。



(注:ところで文学なるものについて述べている割に、この記事の書き手は文学という表現を嫌っている。文学なる言い回しは、現代において典型的なバズワードであろう、或いはバズワード中のバズワードではないか)


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