第04話
絡みつく匂いから解放される。蒸し暑い空気がこんなにおいしいものだったと初めて知った気がした。
健太郎は体育倉庫を振り返る。
そこでは何かがあった。それは確かで。
……そして、そこで誰かがたぶん死んだ。
死んだのは恐らく、ただの人間。
DFなら一方的にやられるはずがない。
恵以外の炎気が残るはずだから。
どうする? 恵を問い詰めるのか?
健太郎は自問する。
問い詰めてどうする? 恐らくはまた昨日のような事態になるだけだ。
そもそもなぜ問い詰める必要がある?
誰かが死んだ。
でも、それは、健太郎にとって無関係……。
「最低だ、僕は」
吐き気をもよおすようなゲスな考え。
でも、健太郎は自分の事を良く分かっていた。
自分は誰でも救える正義の味方でも超人でもない。
その両手で守れるのは自分と、そして自分にとって大切な人間だけなのだ。
まして自分はとっくに汚れている。身を守る為とはいえ、【紅】のDFを殺した。
こんな自分に偉そうな事を口にする資格などないのだ。
だから、もうこの事は忘れよう。
吉田恵は前からこの学校にいた。そして、お互いの事を知らなかったとはいえ、同じ学校で過ごしてきた。そして、何事もなければこのままお互いが関わらずにいる事も決して出来ない話ではないはずだ。
そうだ、それがいい。そうすれば智子も危険な目に遭わせずに――
「智子?」
心臓が破裂しそうになった。
ポケットに手を滑り込ませる。仕舞ったリボンが指先に触れる。
……このリボンの持ち主は誰だ?
恐らくはあの体育倉庫で殺された人間。
だったら、その殺された人間は誰だ?
この学校の生徒。この学校に来ている生徒。
そして……智子は今日この学校に来ている。
「そ、そんなはずはない。
そんな都合の良い――いや、都合の悪い偶然なんてあるわけ」
どこだ、どこだ、どこだ?
智子はどこだ?
「そうだ、図書室にいかないと」
智子が待っている。待っているんだ。
一歩、二歩。三歩目で駆けだしていた。
昇降口をつっきり、出てきた生徒とぶつかりそうになり相手は悲鳴と文句を言ったが、それに謝罪もせずまっすぐに彼女の待つ場所へと向かう。
図書室に辿り着く前に一度、教師に見咎められて注意を受けたがそれでも足を止めずに強引に突っ切った。その教師は説教が長い事が有名だったので後でこっぴどく怒られるだろう。
だが、そんな程度の事。いつでも受けてたてる。
この絶望的な恐怖感から解放してくれるのならば。
「あら?」
図書室の戸をガラリと開けると、勢いよく開けすぎたのか司書の女性と中にいた数人の生徒が、軽い非難の眼差しで健太郎を見ていた。
さすがに軽く頭を下げて、キョロキョロと図書室内を見渡す。
と、無人の机の一つに置かれた鞄が目に止まった。
学校指定の何の変哲もないカバンだが、アクセサリーのつもりなのか交通安全のお守りがファスナーの金具に結ばれている。そんな事をする人間はこの学校には一人しかいない。
間違いなく、智子の鞄だ。
「確か前畑さんの従弟よね、あなた」
「前畑健太郎です」
呼び掛けてくる司書の女性に反射的に会釈をしながらも、視線は図書室中をさ迷う。
どこだ? どこにいる?
「そうそう、そうだったわね。
じゃぁ、健太郎君。前畑さんがどこへ行ったか知らないかしら?」
「いえ、僕はてっきりここにいるものだとばかり。
それにこれって智子の鞄ですよね?」「ええ。ちょっと前に外に出ていって、私てっきりお手洗いだとばかり思っていたのだけど。でもそれにしては長すぎるし。何かあったのかしら?」
何か……あった?
心臓が軋みをあげる。
司書が言った何気ない言葉が突き刺さる。
「健太郎……君? 大丈夫? 顔色が良くないようだけど……具合が悪いの?」
「いえ……大丈夫です」
気遣うように伸ばされた手を遮った。
「すいません。ちょっと智子を探してきます」
会釈して出て行こうとする健太郎を司書が「ちょっと待って」と呼び掛けた。
「もう少ししたら、今日はここを閉めちゃうのよ。ちょっと、用事があってね。前畑さんにはその事を言ってあったのだけど。
もし良かったらあのコの鞄を持っていってあげて欲しいの」
「……擦れ違った場合はどうするんですか?」
「まだ私がいるうちなら健太郎君に渡したと言えばいいし、閉めたらドアにメモを貼っておくわ」
「そうですか、分りました」
「じゃ、お願いね」
「はい」
早足で廊下を出て近くのトイレに駆け込む。
鏡を見ると……なるほど、確かに顔色が真っ青だ。
「落ち着け。まだそうと決まった訳じゃない」
声が震える。手が震える。視界が震える。
現実が震える。何もかもが。
まさか本当に? 智子が?
「そ、そうだっ。八識さん達に電話をっ」
公衆電話のあるところに駆け出そうとして、ふと思い出してポケットに突っ込んだリボンを取り出す。
今夜0時、一人で。学校にて預かりモノを返す。
「……あ」
だめだ。もうこれは間違いなく健太郎に向けたメッセージ。
一人で行かなければ。……待て。
だったら、行かなければどうなる?
「……そうか」
預かりモノ。取り返さないといけないモノ。
答えは一つだ。
「智子だ」
腕の震えが止まった。ぶれた視界がはっきりとする。
なぜそうなったのか、何が起きたのか。
そんな事よりも、まだ無事だろうと言う考えが鎮静剤のように暴走しかかっていた最悪の事態への想像を押し留めた。
思考の歯車がかみ合う。
冷静に、冷静に。今、今出来る事。それのみを考える。
「八識さん達は……だめだ」
例え身を隠していたとしても、炎気を感じ取られたら終わりだ。
あるいは八識と斬場ならは炎気を読まれる事への対抗策を持っていたとしても、それが絶対であるという保証はどこにもない。
だったら一人でいくか?
もし行けばどうなる?
恐らくは戦いになる。
たぶん、メッセージはその為のもの。
そして、それが終わった後に残っているのは恵か健太郎のどちらかだろう。
脳裏に浮かぶのは、昨日の教室で見せた恵の炎術。四方八方から襲い来る黒炎。
もし行けば、消えるのは恐らく……
「それでも行かなくちゃ」
コンドコソハ
「智子を助けるんだ」




