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森の社

 あくる朝、ともよは身を清め無垢の衣を纏い、社へと向かった。

 広場には長と村の男衆が先に集い、棺を囲んでいる。誰も皆、濃い影を背に負って一言も口をきかない。

 棺の担い手である男衆の中には、たいちの父もいる。ともよは些か迷ったが、どうせたいちから伝わってしまうのは同じことと、焼いたパンの包みを彼に託した。これが、最初で最後の我が儘になる。


「……これまで、お世話になりました」


 笑顔で言って、深く腰を折る。

 棺に横たわるともよを、祝福の好天が照らした。敷き詰められた白い花びらの中、胸の前に両手を組み、眠るようにまぶたを下ろす。

 すべての生に、さよならを。そして空は閉ざされる。棺に釘打つ音が体に響く。

 終始無言のままに作業は終えられ、一行は社を発った。目指すは森の奥にある、もうひとつの社である。


 神の嫁になる。

 その意味を、ともよは今はっきりと、まぶたの裏に見つめた。


 十年に一度。かわほり様の花嫁に、村の娘が選ばれる。長が赤子だった頃の長が、さらに赤子だった頃、そのときの長が赤子だった日より、ずっと昔から続く習わしなのだという。

 これを怠れば禍が降った。あるときは日照りによる飢饉、あるときは豪雨による水害、あるときは正体不明の流行り病に、村人は倒れ続けた。

 そう、ちょうど十年前も、ともよをよく構ってくれた沢向こうの姉さんが嫁に出たのだ。彼女のお陰でこの村は、ともよは、これまでやってこられたということになる。

 しかし――。

 ともよを最後にして、村にはもう娘がいない。

 十年後、村はどうなってしまうのだろうか。


 やがて断続的な揺れがおさまり、大きく一度傾いたかと思うと、棺は床に置かれた。森の社に着いたのだと、棺の中でともよは察した。

 担い手たちの気配は早々と去り、かわりに静寂が訪れる。場の様子を知る由もないともよは、外を覗くことはできぬものかと奮闘を繰り返し、結局は力尽きて目を閉じた。唯一の隙間は足元にあり、どう体を捻っても届きそうにない。諦めて、ふっとため息をつく。


 そういえば、これまでに嫁いだ女たちはどうなったのだろう。もしかすると周りには、沢山の棺が並んでいるのだろうか。

 狭い空間に連綿と並べ立てられた、往古からの花嫁たち。そのひしめく様を思い浮かべ、思わず目を見開く。

 だが、見えるのは薄闇。目の前にある低い低い天井。

 それしか見えない。

 何も、見えない。


 胸の前で両手を握り締め、ともよは声にならない悲鳴をあげた。

 遠い昔においてきたはずの、奥底に封じ込めていたはずの、感情の波が急激に押し寄せた。


 ――どうして。怖い。


 見えないふりをしてきた今までの積算、混乱のすべてが一度に跳ね返ってきたのかもしれなかった。

 手のひらで天井を押し上げ、がむしゃらにこぶしを打ち付ける。木板は厚く、びくともしない。


 ――どうしよう。どうすれば。


 そのときだった。

 ともよを包む薄闇が、完全な闇にとってかわった。

 突然のことに恐慌を来たしかけ、しかし、すんでのところで気がつく。隙間が何かに塞がれているのだ。

 棺の天井がコンコンと叩かれる。ともよは身を硬くする。

 まさか。村の者が戻ってきたというのか。そんなはずはない。ならば、一体これは。


「……いるか?」


 唐突に投げ出された、それは若い男の声だった。

 長のような年季も感じられず、たいちのように軽やかでもない、聞き慣れたどの色とも違う、低くじんと響く音。

 この男は……となり村からやってきたのだろうか。だが、なぜ社に外の人間が? 贄の儀式は門外不出、村の者以外に知る機会などあるはずもない。それなのに――。


「おい」


 混乱にただ身を縮めていると、出し抜けに足元の板を蹴られ、ともよはびくりと身じろいだ。

 ことり。動揺が小さな音となる。息を詰めるともよの上に、やけに大きく、深いため息が降る。


「やはりいたか……悪趣味な」


 そして突然のこと。雷のような轟音と共に薄闇は晴れ渡り、次の瞬間には、無理やりにこじ開けられた棺の蓋を手に男がともよを見下ろしていた。

 太陽のごとく輝く金の髪の下で、すっと流れるような薄茶色の瞳が覗く。すらりとした身に纏う、作務衣ふうの衣は草色だ。不機嫌そうに歪められる見たこともないほどの端整な顔立ちに、ともよは驚きも忘れ、声もなく目を奪われた。


「神取ともよ」


 厳かとも言えるほどの重さをもって、つむがれる自身の名。戸惑いの問いを発する間も与えず、男は続ける。


「お前、行きたいところは」


 異なる色素が示すように、この男は異邦人なのだろうか。口調に時折妙な弾みが混じる。言葉は通じるものの、内容が掴めない。


「……あの」


 棺から上体を起こし、すくうように見上げる。その視線から男は迷惑げに顔を背け、舌打ちを洩らす。たちまち不可解さを押しやって、ともよの胸に、むっと怒りが膨れた。


「あなた、どこのどなた? どういうつもりでこんなことを……」

「ブレラ」

「……ぶれ、ら?」


 拙く辿り、舌にのせた言の葉は聞いたことのない響きを伴っていた。どうやら、それが男の名らしい。

 ブレラはまた不機嫌そうにそっぽを向いて、小さく頷く。


「貢ぎ物など、いらん」

「は?」

「村に帰らないなら、町まで連れるが」

「……いや、だから、意味がわからないんですけど!」


 ともよはついに立ち上がり、ブレラを見据えた。対峙すれば、頭ひとつ分の身丈の差が明らかとなる。だが、今さら何が怖いものか。命をはって、自分はここにいるのだ。


 ここではじめて見渡す社の中は狭く、とても古いが、ともよとブレラと棺の他には板張りの床に塵ひとつ落ちていない。出入り口が正面、ブレラの後ろにひとつだけ。対するともよの背後には、とりどりの供物を捧げた祭壇が鎮座していた。忌々しい謂れのある地のはずが、この場所にはどこか清純な空気さえ漂っている。


「……出せと聞こえた」


 ぼそりと放り投げられた声に、はっとして、ともよは男の顔を見上げた。

 まさか、棺の中で暴れていたしばしのとき――この男が傍にいたというのか。使命を置き去りにして、克服したと思い込んでいた恐怖に捕らわれ、なりふり構わず我を忘れていた情けない自分を、板一枚の隔たりを経て見下ろしていたというのか。


「あ、ああ、あなたねえ。そっ、その行いは礼としてどうかと思うのだけどっ?」


 とたんに頬が熱くなり、ともよはしどろにうろたえた。

 だが、これでは見当違いの八つ当たりだ。恥を覚え額を押さえる。あんなにも取り乱して、何が覚悟だろう。

 対してブレラは冷たく凍った無表情を崩すことなく、事も無げに言う。


「ここは俺の住みからしいが」

「はァ?」

「非礼はお前だ」

「ちょっと、あんた何様言ってんの? ここはねぇ、かわほり様の……」


 言い切りかけて、直感が告げた。

 こいつは、人ではない。

 最も近いとなり村から自分の村までは、大人の足で少なくとも半日を要する。この禁忌の社への道のりは長と担い手以外に知ることはかなわず、もし偶然辿りつくにしろ、川を渡るために橋のある村まで立ち寄る必要があるはずだった。つまり長らの後をつけるか、もしくは鬱蒼とした山を歩き回るしかない。しかしブレラは、迷い込んだにしては異常に涼しい身なりをしているし、村にでも町にでも連れるという発言が真ならば、このあたりに土地勘があるということになる。

 今こんなところにいるのは貢ぎ物である自分か、もしくは……貢がれる側の――


「――あんた……かわほり様?」


 ともよの、畏怖とも驚きともつかぬ眼差しを、ブレラは眉をしかめて受け止めた。その瞳が哀しげに揺れるのは常にして刹那一度きり。ゆえに、誰も気がつくことができなかった。


「――そうだ」

「あっ……あなたが、あなたがずっと村を苦しめていたの? どうして、何のために? いらないって、生贄がいらないってどういうこと!」


 たちまち激するともよに対し、ブレラは平静で答える。


「知る必要があるか」


 その鋭い視線を、ともよはぐっと跳ね返した。


「あっ、あります! 今さら、いらないなんて言われても……困るもの!」


 そう、今さらだ。村になど帰れる訳がない。ずっと自らに課してきた価値は、今日のためだけにあった。

 最期の先など、生きる場所など、どこにもない。

 それなのに、当の神さまに会った途端お払い箱だなんて、何がなんだかわからないにもほどがある。


 睨み上げるともよの頬を、我知らず熱い雫が伝う。

 僅かばかりの間をおいたあと、ブレラはつと目を逸らし、壁に向けて首肯を返した。


「――わかった」


 その場に片膝を立てて座るブレラに習い、ともよも息を整えて腰を降ろし、正座を組む。

 ブレラは些か言葉を探し、やがてはっきりと言い放った。


「禍は、既にして無い」


 驚きに息を呑む贄を前に、若き神は語る。禍を起こしていたのも、生贄を娶っていたのも、今は亡き先代の神であるという。

 平素は不死なる神々も、稀に命を散らすことがある。ブレラの曽祖父でもある先代は、ある日ふと煙のように姿を消した。

 この森で最も長く、命を繋ぎ続けた者。それだけのことでブレラは次代の神となった。

 血縁以外にゆかりも無い先代とのこと、件の贄も迷惑しているとブレラはにべもない。

 膝の上でこぶしを握り、ともよは声を震わせた。


「じゃあ、これまでの花嫁は?」

「……皆、町で暮らしている。ジジイの代は知らん」


 ブレラが神となってからの贄は、ともよを入れて四人。これまでの三人は、残らずブレラについてはるか遠い町へ旅立ったというのか。


「村を、捨てて……?」

「捨てもするだろう」

「どうして?」

「捨てられたのだからな」


 淡々とつむがれたその宣告は、鉛のように激しくともよの胸を撃った。冷たく、重く、深く、抉る痛みに涙が滲む。


「お前は人の世に戻れ」


 放たれた言葉の矢に、ともよの中で何かが弾けた。


「……嫌」

「何?」

「あなた……あなたが、かわほり様だと、本物だという証拠はあるの?」


 ブレラに詰め寄り、きっと睨みつける。


「どう見たってあなた、色合いはちょっと珍しいけど、人間じゃない! それに、それに私はつとめを果たすって決めてきたんだから。長い間ずっと、ずっと! ガチガチに固めてきた意志をいきなりあっさりぶち砕かれて、ハイそうですかって納得できるわけないじゃない!」

「……死を選ぶのか」

「そのために生きてたんでしょう!」


 憚らず大声をあげて、息を切らす。生まれてはじめて、胸奥に潜める激情を吐き出した。そのうねりは、猛り、淀み、脆く、破壊された意思の中にはこんなにも苛烈に沢山の思いが詰まっていたのかと、破裂後の無音と共にともよはその身を震わせた。


「……あたし、帰らないからね!」


 神はただ棺を見つめ、何も言わなかった。

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