第一話:「本番環境に『はず』は無いにゃ」
猫式会社のオフィスの一角、切れた蛍光灯がパチパチと音を立てる自動販売機の横には、1台のホワイトボードが置かれている。そこは公式な議事録には残らない、しかし誰もが立ち寄る境界線――「自販機横PMO」と呼ばれていた。
「火消しさん、助けてくれにゃ……!」
そう言って、耳の先端が少しハゲた「係長候補猫」が、両手に缶コーヒーを抱えて滑り込んできた。彼の目の前には、白煙を吹き上げている「変態技術者猫」が、徹夜明けのギラついた目でキーボードを叩いている。
「どうしたにゃ、また変態くんがロマンを爆発させたのかにゃ?」
右耳に過去の大障害の戦果である痛々しいハゲ傷を持つ「火消し猫」が、冷静にカフェオレのプルタブを開けた。彼の「ヨシではない」は、単なる説教ではなく、数々の炎上を生き延びてきた生存知そのものだった。
「そうにゃ! 変態くんが作った『超時空分散型コンセンサスアルゴリズム』、ステージング環境でのテストをすっ飛ばして、今日の夕方に一気に本番環境へデプロイ(投入)するって言い出したにゃ! 本人に聞いたら、『理論上は100%完璧、障害が起きるはずがない』って聞く耳を持たないにゃ……!」
火消し猫はカフェオレを一口すすると、ホワイトボードに向かって歩き、マーカーで大きく二つの円を描いた。
「係長候補くん、よく聞くにゃ。本番環境に『はず』は無いにゃ。動いているシステムは、完璧だから動いているのではなく、ただ奇跡が続いているだけにゃ」
彼は二つの円の片方に「共有」、もう片方に「承認」と書いた。
「変態くんの暴走を止めるには、彼を否定するのではなく、リスクを『固定』して責任の所在をハッキリさせることにゃ。彼が『ヨシ』と言っても、それは技術的なロマンのヨシであって、ビジネス運用のヨシではないにゃ」
火消し猫はホワイトボードの「共有」と「承認」の間に破線をぐっと引き、係長候補猫にペンを渡した。
「共有は情報を流すこと、承認は責任を固定してハンコを押す行為にゃ。誰も反対していないのは、賛成しているからじゃなくて、誰も『自分の責任で中身を読んでいない』からにゃ! 投げっぱなしの共有は、ただのアリバイ作りにゃ。それを『承認』のルートへ乗せるのが、これからの君の仕事にゃ」
「あ、そうか……! 役員が知りたいのは技術の凄さじゃなくて、責任とリスクの回避にゃ!」
係長候補猫の髭が、初めて自分の役割を理解したように、誇らしげに上を向いた。




