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橋の彼方  作者: 千里空
橋の彼方
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蒼木青子⑤

最後の作品が完成したと連絡が来たので、再び鬼束雪見先生の自宅へ向かった。

つい先日公園で別れた際、鬼束先生自宅の合鍵を渡された。いつ倒れてもおかしくないから、勝手に上がってよいとのことだった。冗談風に軽く言ったその言葉は、聞く側は気が気でなかった。

チャイムを押しても返事がないので、言う通り勝手に上がった。ドアを開けて、部屋の中は静まり返っていた。人の気配がしなくて変に思った。部屋は綺麗に片付けられて、窓もしっかり閉じていた。まるでどこかへ遠出したように、綺麗な脱け殻だけ取り残されていた。

居間のテーブルの上に原稿袋を見かけた。その下に書き置きが挟んでいた。それを取り出して確認した。


蒼木さんへ

最後の作品、『橋の彼方』はここに置いておく。出版社的に駄目だったら自費出版するつもりである。詳しい話は僕の弁護士に聞いてくれ。名刺は袋の中に入っている。

それと、今後もし著作権などで収益が入る場合、全て例の施設へ回してください。そちらの話も弁護士に通してある。

さよなら。


唐突に鬼束先生が前に飼った猫の話を思い出した。猫は死ぬ時孤独を選ぶと聞くが、彼も似たような選択を取り、どこか人気のない場所に最後を迎えるつもりだろうか。

とりあえず、鬼束先生が大事にしていた最後の作品を読ませてもらった。

今までとは違って、原稿の枚数が少なく、もって数万字、本にして薄い文庫本しか出来上がらないでしょう。話の内容は謎が多く、霧の世界で男が何かを探し続ける物語だった。読み終わっても訳がわからなかった。何だか半分欠けているような気がした。

「橋の彼方」という言葉は印象的だったが、結局何を意味するのがさっぱり分からなかった。鬼束先生によれば、これは自分のために書く物で、きっとその言葉の重さは彼にしか分からないでしょう。

最後の作品としてこれを読者に読ませるのに躊躇いがあった。

鬼束雪見という作家は最後まで謎を残して消えてしまった。世間では彼の正体を知る人がほとんどいなかった。何故そうまでして、正体を隠したかたったんだろう。

中途半端な物語を読んで、すっきりしない気分が、鬼束雪見、もとい井野一樹という人間に興味を持たせた。

まず鬼束先生の元担当である青森さんに詳しい話を聞かせてもらった。前に聞けていなかった鬼束先生の恋人の話が出てきた。なんでも彼の恋人が子供を授かり、彼は恋人と家庭を築く気だそうだ。その矢先に、彼女は行方不明になった。自分の意志で家出したみたいで、結局見つからずじまいだった。

一つ疑問に思った。彼の書斎に置いてあった写真の女性は妹であると聞いた覚えがある。その写真を見る時の鬼束先生の顔を思い出して、例の彼女はその子であると青子は確信した。そうなる場合、彼の恋人は自分の妹に当たる。

その疑問をそのまま青森さんに聞いてみたが、それは確かな話だが、妹さん自体が養子縁組で引き取った義理の妹だったから、問題ないという話だった。

いや、違う。彼女は自分の半身であり、二人は双子であると確かに鬼束先生の口から聞いた。青森さんから聞いた話に齟齬があって妙に思ったが、口には出さなかった。

もう一つ衝撃の事実は、井野一樹はかつて大スクープで世間を揺るがす井野大臣の息子であることだ。まだ青子が子供の頃の話でよく覚えていなかったが、事件の中心の近くにいた井野一樹は結構苦労したらしい。その事件の影響を考えて、正体を隠したらしい。

しかし青子納得できていなかった。彼は自分が罪を犯したと言った。罪滅しのために誰かを救いたかった。その罪とは何なのか、俄然興味が沸いてきた。自分なりに調査してみようと思った。

青森さんとの面会が終わって、まず図書館へ行った。十数年前の井野大臣の汚職事件についての記事を逐一読ませてもらった。しかし有用な情報はほとんど見当たらなかった。井野家で起きた事故全てが井野大臣の企てであると面白くおかしく書かれた記事もあったが、証拠がなく臆測で物を言うようなもので信憑性はいまいちだった。

でも井野家で起きた事故が気になるのは確かだ。あの家は呪われたように、次々と事故が起きて、その度人が死んだ。そうでない人間も行方不明で、この世にいるかどうかすら確かではなかった。事故についても調べた。井野大臣が殺人教唆の嫌疑にかけられた事件についてフミハル社が詳しく報道していた。当事者が海外逃亡まで追い込まれたので、信憑性はあったんだろう。しかし火事の件についてあまり報道されていなかった。事故扱いの原因もあったが、恐らくまだ井野大臣が権力を握っていた当時、隠蔽工作をしたに違いない。新聞で読んだ物に限界があると気付き、現地に向かうことを決意した。

旧井野邸に向かう前に、まず井野家について地元の住民に聞き込みした。なんでも井野家は昔から大地主で、起伏があったものの、当地の名家であり続けたらしい。しかし、ある時点から呪われたように、その家に住む人間は次々と死んでいったらしい。最初に家主の弟君の井野和彦と井野家にしばらく身を寄せた藤原静流(井野政道の愛人であるという噂もある)一家が交通事故でなくなり、その二年後に大奥さんが心臓病で亡くなった。井野の奥さんはその後の火災で重傷になり、不治で死去した。その屋敷も不吉な物と見なされた。廃墟になって十数年、建直す計画はなく、地元の人はほとんど寄り付かないらしい。

旧井野邸の跡地に辿り着き、予想外な光景に青子は目を見張っていた。そこら中草むらになって、半メートルぐらい高さある草むらは跡地を占拠していた。廃墟の名残はどこにも見当たらなかった。当然と言えば当然か。火災が起きて十数年が経ち、過去で起きた事の痕跡を全て埋め立てるのに十分な時間だった。

結局知りたい事について何一つ分からず、無駄足になった。鬼束雪見という人間は多くの秘密を抱えてどこかへ消えてしまった。真相は永遠の闇に葬ったでしょう。

がっかりした気持ちを解消したくて、あたりを散策した。近くに小さな公園があり、そこに踏み入った。奥にある林を抜けたところで、海に面した堤防に出た。

堤防沿いに歩きながら、青子は遠くない先にある物に気を引かれた。

海に突き出して、石造りの桟橋があった。その桟橋の果てまで行き、瀬戸の向こうに島があった。島に背の高い木々が生い茂ており、陰鬱な空の下で見ると少々不気味に思われた。しかし、橋の上に立ち、妙なデジャブを感じた。

橋の彼方。

そうだ。それだ。青子はその桟橋をよく観察して、鬼束先生の最後の物語に出たあの橋によく似ていることに気付いた。多分ここはその橋の原型になっているんでしょう。その桟橋の果てに立ち、鬼束先生と同じ風景を見れるじゃないかなと青子を思った。

目を凝らしたら、向こうの島に海へ突き出す桟橋を見付けた。よく見えないけど、自分が立つこの場所と、似たような物だと思った。そして、自分でも分からないくらい見入ってしまった。

その時、向こう側の桟橋に人影がゆっくり現れたように見えた。遠く過ぎて誰だか見てよくわからなかったが、その人は鬼束雪見であると青子に確信があった。

次に不思議なことが起きた。向こうの島に何の前触れもなく霧が発生した。その霧は凄まじい勢いで島中に拡散していき、やがて桟橋の方まで拡散して、橋もその上に立つ人間も飲み込んだ。

ああ。なるほど。

なるほど?

一瞬何かを理解したような気がしたが、先程まで導き出した答えは流星の如く、意識が追い付かないほどの速さで色褪せて消えてしまった。

立ち篭める霧はすぐ消えてしまった。向こうの橋の上に人影も見えなくなった。

何かを失ったように、わけのわからない空虚を感じた。それが何なのかを言葉では言い表わせなかった。

それと同時に、釈然した。

青子は心の中で「さよなら」を言い残して、その地を去った。

第五章完

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