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橋の彼方  作者: 千里空
橋の彼方
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作家

一樹

「一樹、どこへ出かけるの?」

玄関口で呼び止められ、振り返ったらそこに不安そうな表情をしている美雪がいた。

「今日は締切だから、編集の担当と会ってくるよ」

用事があるからと、手に持っている原稿袋を掲げて見せた。

「ついて行っていい?」

「すぐ帰るから、家で待ってて」

「うん」

がっかりした表情を浮かべて、元気がなさそうに頷いた。

そんな彼女を見て、胸がちくちく痛み出した。ここのところ、僕への依存が深刻になってきた。罪の意識や悪夢に苛まれ、彼女の精神状態は弱る一途を辿った。まるで家族を失った直後の彼女に逆戻りしたようで、情緒不安定になることも時々あった。強さの根底にある復讐の念が取り払われた今、彼女に残るのは自分がしてきたことへの罪悪感と、魂に刻まれた静流さんの不幸な記憶だけだった。それらは彼女の心を摩耗し続けて、独りになると不安に襲われ、僕への依存症になった。僕の近くに居ないと安心できないらしい。

数ヶ月前、まだ大学の近くのカフェでアルバイトをやっていた。授業のない時間にシフトを入れていたが、バイト中彼女はずっとカフェの隅に居座って上がるまで待ってくれた。本を読みながら時々僕の仕事振を目で追うのが日常になった。仕事と授業の合間を縫って書いた小説がかなり好評を受けたらしいから、プロを目指す気はないかと編集から作家への道を勧められた。仕事場に私事を持ち込んだことに負い目を感じていたし、何より自宅で仕事すれば美雪の側に居る時間が増えるという考えで、その話を引き受け、カフェのバイトをやめて、小説の創作に専念した。

作家になれたのは、偶然の重なり合いだったと思う。

父の操り人形だった頃は未来の道は予め決められたし、自分の進みたい方向なんて考えもしなかった。父がいなくなって、突然開けた人生の道に、迷いが生じた。せっかく自由の効く身になったから、適当に道を決めたくはなかった。かと言って、今まで言われた通りに生きてきたから、これと言って好きな物はないし、強いて言うなら美雪から影響を受けて読書が趣味になっただけだ。迷った末、答えは出なかったから、地元の大学の文学部に進学することにした。美雪は僕と同じ進路を決めたから二人して同じ大学の文学部に受かった。

文学について学び、考え、その内自分の中に物語の種が自然と芽吹いた。今までの人生の中で、これと言った趣味はなく、何かを生み出そうとするのは初めてだった。そして授業とアルバイトの合間を縫って自分の中に芽吹いた物語を文章に綴ることにした。始めは短編小説を書いて、美雪に読んでもらった。読書家の彼女には贔屓のない目で批評してもらうつもりだったが、彼女から好評をもらった。どうすると聞かれたけれど、趣味で書いた物だから特にどうする気はなく、美雪に読んでもらって満足したと答えた。しかし美雪は僕に内緒してもらった短編小説の幾つかを出版社に投稿した。その後出版社から電話があってかなり驚いた。原稿料が入るから僕も乗り気だった。それからアマチュアの作家としてとある雑誌に連載を始めた。

数か月かかって連載してきた物語も終盤を迎え、今日渡す予定の原稿はちょうどその物語のエンディングであった。次の作品のことを考えながら、編集担当の青森さんと約束した場所に向かっていた途中、何の前触れもなく軽い頭痛と目眩に見舞われた。少しよろけて足を止めた。しばらく休憩したら頭痛は波が引いたようになくなって、気分が少しましになった。疲れのせいだろうか。ここ最近は物語の終わり方について色々考えてきたから、次の話を書き始める合間に美雪とゆっくり過ごして、一時の休憩を楽しもう、と心の中にそう決めた。

考え事しているうちに、いつの間にか約束のレストランに着いた。小洒落たレストランに入ってすぐ遠くない席でこっちに向かって手を振っている青森さんを見付けた。

「原稿持ってきましたか?」

挨拶の後、単刀直入に青森は聞いた。

「どうぞ」

「本当にいい子ですね。井野君が締切をきっちり守るから、こっちも楽に仕事ができて助かりましたわ」

青森さん嬉しいそうに微笑んで褒めてくれた。

「そうなことないです。僕はただ早く印税がもらいたいですから」

「今金銭面は大変ですか?」

「そんなことないですけど、金があって困る人います?」

「それもそうですね」

相槌して青森さんはくすっと笑った。

「それにしてもこの小説到頭(とうとう)完結ですか。評判もいいし、もっと書けると思いました」

「終わらない物語はないですよ。僕の才能じゃここまでが限界です」

「君はもっと自信を持つべきですよ。プロの作家になれたから、その才能は間違いなく本物です。そして何より君の作品は読者に愛されていますから、胸を張っていいですよ」

「ありがとう」

作家と編集との関係は馬と騎士に似ていると思う。手綱を握って、時に叱り時に励ますのが編集の仕事、その指示の元ゴールを目指すのが作家の役目である。上辺だけの交流ではあるが、絶妙な距離を保って踏み込んでこないのが却って居心地がよかった。

「次はどんな作品を書くつもりかしら?」

「大体は考えてあります。後日プロットを書いてからまた話をしましょう」

「そうしましょう。それまでに少し休憩取ったら?君、顔色があまり良くないですよ」

「そうですね。お言葉に甘えて少しの間、休みと取ります」

仕事の話が終わって、特に長居する気はなく、青森さんにお辞儀してレストランを後にした。美雪のことが心配で、急いで家に帰った。

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