お出かけ
K
「ね、外に出かけてみないか?」
ありふれた日常を過ごしてきた中、ふと思い付いたことをそのままユキに伝えた。
「外って?」
首を傾げる彼女は戸惑った表情を見せた。
「ここ以外の場所。俺が前に居た場所でもあるんだ」
「何で?ここでの生活に飽きたの?」
そう言いながら彼女は俺の顔色を伺った。
「そうじゃない。ただせっかくこの世界に来たから、他の風景も見てもらたいかなって。蜜月旅行に行ったの夫婦がずっとホテルの部屋の中に篭ることは、旅行先の景色に対して失礼だと思わない?」
「そうなのか?」
例えが下手くそのせいか、いまいち理解していないような表情を浮かべて、興味なさそうに彼女は答えた。
「そうだ。俺の元の住所に行こう。そこに奇妙な絵があるんだ。きっと気に入ると思うよ」
その言葉を聞いて、ユキは少し気が変わったらしい。
「また戻ってくるよね?」
「もちろんだ」
確約が取れて安心したように、嬉しい表情で微笑んだ。
思い立ったが吉日。出かけるのに荷物は要らないし、何の準備も要らない。目的地さえ決めれば、座標を頭の中で浮かべて、そのうち霧は目的地まで案内してくれる。
ユキと手を繋いで花畑の外を目掛けて進んでいった。霧に突っ込むと同時に花畑は視界から消えた。ユキは俺のやや後ろを歩いて、繋いだ手にやや力を入れて着いてきた。しばらく二人は無言で歩いた。
そうしているうちに、何億光年先の星の光が時を越えてようやく地球に届いたように、遥か遠い昔の記憶が脳裏に蘇った。胸がぎゅっと締め付けられた気がする。
「なんだか懐かしい気がする。変だよね」
突然ユキから話かけた。
少しびっくりした。まさか、と思ったけど、すぐその考えを否定した。
「俺ら前世は恋人だったかもしれないな」
自分の動揺を冗談風に誤魔化した。胸はまだちくちくと痛かった。
「前世か…それって私達がここに来る前のこと?」
「かもしれない」
「ロマンスがあっていいね。私は信じるよ。向こうも恋人で、こっちも恋人、ずっと恋人ってわけだ」
その言葉を聞いて、足を止めた。その言葉の意味について理解が追いついていないからだ。
「恋人?俺と君が?」
俺の顔が余程変だろうか、彼女は悪戯が成功した子供のように無邪気に笑って、俺の顔を覗き込んだ。
「テンパった?」
そして彼女は俺の前に回って、俺の両手を掴んで彼女の胸の上に置いた。心臓が激しく脈打っていることを手のひらの感触で感じ取った。それでも彼女平静な顔で僕と見詰め合った。
「私はね、あなたに一目惚れしたの。恥ずかしいから言わなかったけど。あなたに出会って、止まっていた私の時間がようやく動き出した。きっと私はずっとあなたを待っていたんでしょう。私が恋人じゃあ、だめ?」
最後に上目遣いでこっちを見た。
愛しいさのあまりに彼女を抱き締めた。
「だめなわけないだろ」
ああ、そうか。この一瞬の幸せのためならば、俺は何度だって繰り返すだろう。この一瞬だけ、犯した罪も背負うべき罰も忘れて、彼女の温もりを感じながら幸せに浸かることができた。
ほどなくして、喜びの波が引いて、また心がちくちくと痛みだした。
「恋人になってくれてありがとう」
それから彼女と手を繋ぎ直して、再び霧の向こう側を目指して歩きだした。
まだ興奮が収まらず、やや後ろに歩くユキは顔を赤くして地面を見詰めていた。
もう少し歩いて、街の建物のぼやけた輪郭が見えてきた。回りは相変らず静まり返って、通行人も見かけなかった。
当たり前のことだ。
街についてふとカイトのことを思い出した。彼は今どこで何をしているんだろう。久しぶりのような気がするが、また会うチャンスがあるだろうか。会って何を話そうか。感謝すべきか。それとも俺の時間が動き出したことを報告すべきか。
カイトのことを考えているうちに、いつの間にか自分の元の住所に辿り着いた。重たい木門を開けて、妙に涼しげな廊下を経て、階段を上った。寝室の方は私物がほとんどなく、見物としてはつまらないからそこを無視して、直接あの華麗な客室を案内した。
彼女は部屋の中においてあった数々の精巧な調度品にさほど興味がなさそうに一目見て、次の物に視線を向けた。やがて、壁にかけた絵に興味を示したようで、長い間それらの絵を眺めていた。
「……橋の彼方……」
壁の真ん中にあったあの絵を見て、彼女はそう呟いた。
「どう?気に入ったか?」
記憶がなくても、魂に刻まれる物があった。俺も彼女も同じはずだ。
ユキは無言であの絵を見詰めて、瞳が揺れていた。そして溢れ出る感情は一筋の雫となって頬を伝った。
「初めて見るはずなのに、何故か見覚えがある。そしてこれを見るとどうしてか色んな感情が一斉に込み上げて、泣きたくなっちゃた」
彼女は不思議そうに言った。
「あれは始めりの絵だそうだ」
彼女の視線を沿ってその絵を見た。前に見た時と比べて、平静な気持ちでいられた。
「あれを持って帰っていい?」
「もちろんだとも。でもそれは帰る時にしよう。せっかく外に来たから、もうちょっと回ろうか」
ユキは頷いて同意を示した。それから俺達はあの部屋を出て、再び霧の向こう側を目掛けて歩き出した。




