告白
一樹
小林の話を聞いてから、その話をどうやって美雪から聞き出すかをずっと考えていた。家に帰ってもいい案が思い付かなくて夕食の時を迎えた。いつものように雑談はなく、ただ黙々と夕飯を食べていた。
「今日はどうしたの?帰ってきてからずっと黙ったまま。ちらちらこっちを見るし、私に言い辛いこと?」
伊達に長い間共に暮らしていないか、僕の動揺はすぐに気付かれる。それに比べて、僕は彼女の何かを知るだろう。
「食事中に話すことじゃないな。後で話す」
それから再び静かになった。食事の後、美雪が食器を洗う間に、僕は居間のソファーに座り、二人の関係について考えた。
僕らの間で隠し事があっても、嘘はなかったと思った。隠し事については無理に聞き出そうとしなかった。誰しも心の中で他人に言えないことを隠し持っている。彼女に対する邪な思いを隠し持っているように、美雪だって僕に言いたくない事もあるだろう。仲のいい兄妹でも、触れてはいけない事もある。暗黙のルールに定められた一線を越えようとすれば、その反動で二人の関係がぎくしゃくになり兼ねない。誰かの全てを知ろうとすることは、きっと阿漕なことだろう。
ならば、僕が今やろうとしていることは、きっと阿漕なことであるだろう。
「しわ出ているよ」
食器を片付け終えた美雪はお茶を持ってきた。
彼女にお礼して、湯気立つ緑茶を一口啜った。少しは落ち着くようになった。
美雪は隣に座って、僕に習ってお茶を一口啜った。それから僕の顔を覗き込んできた。
「話って何?」
彼女はいつも通り平静な表情だった。僕に嘘をついたことも、秘密裏に知らない男と会っていたことも本当のことではないように思えた。
「昨日は村上とデートしたと聞いたが、楽しかったか?」
「まあまあかな」
「二人で何したの?」
「アパレルショップへ行ったり、コスメショップへ行ったり、後はスイーツを食べに行った」
「そうか」
いつもの表情と口調で、予め用意された口実を言う彼女であった。いつから彼女は平気に嘘をつくようになったんだろう。今ほど僕達の間の溝を感じたことはない。
「辛気臭い顔だね。今日はおかしいよ」
彼女は戸惑いながらも心配してくれるようだ。
「嘘はもう止めよう」
僕は真っ正面から彼女と見詰め合って、本当のことを言う決意をした。
「今日は小林と会って、君のことを教えてもらった」
それから美雪に小林との会話の内容を話した。その話を聞いて、彼女の目から僅かに動揺を見せても、さほど驚きはないようだ。
「何?焼き餅を焼いてくれるの?」
「冗談はいい。君が危ないことをしていないか、心配してるんだよ」
「冗談?私は冗談を言ったつもりはないよ」
何かのスイッチが入ったように、彼女は嗤った。
「私はヤキモチやいたよ?あなたがあの女と会う度に。ずっと、ずっと我慢してきたの、気が狂う程に。あなたは私の真実を知りたいとい言うのなら、一歩置いた距離で私に話しかけないでよ。私は嘘偽りの言葉も心も要らない」
そう言って彼女は蛇が獲物を巻きつくように僕に抱き付いてきた。そしてキスと求めるように顔を近付けてきた。
「何をしている?!」
その唐突な行動に激しく動揺して、思わず彼女を引き剥がした。
「そう、それがあなたの答えなのね」
今度こそ冷め切った表情と口調で彼女は言った。
「あの男は記者だよ。前から連絡は取っているけど、会うのは初めて。目的はすぐに分かるでしょう」
その冷たい一言を言い残して、美雪は居間を去った。
僕はしばらくソファーに居座った。先程の出来事が急過ぎて、まだ消化しきれない自分がいた。
翌日の月曜日、昨晩美雪の言ったことを引きずったまま学校へ行った。結局詳しい話を聞けずに話を終わった。色んなことが頭の中でごちゃ混ぜになって、何をやってもずっと上の空だった。
調子が狂っているせいか、いつものと違う回りの微妙な視線や態度に気付かなかった。一人で静かに考えたいから、お昼は生徒会室で過すことにした。
いつもの場所に座り、自前の弁当を置いた。しかし手が付く気になれなかった。
美雪の言ったことの真意、記者と会う目的、そしてこれからは彼女とどう接すればいいか、どれも答えが見付からず、複雑な方程式のように手に付くところが見当たらず悩み倒した。
僕は彼女とずっと一緒にいたい。そのためには父の影響を受けないくらい力を付けなかればならない。それが最善策であると信じて我慢しながら待っていた。しかしそこに美雪の意志はなかった。彼女の本心を聞くのが怖くて、一方通行な思いを抱えて、彼女とつかず離れずの距離を保ちながら生きてきた。その思いと裏腹に、彼女を傷付けたようだ。
彼女は自分の真実と引換に僕の真実が欲しいと言った。それを言ってしまえば僕らはもう引き返すことができないと思った。そして否応なく、僕らの前に立ちはだかる巨大な壁と相対しなければならない。
その覚悟を、彼女は僕に問いかけて来んだろう。
思考に耽る最中、生徒会室の扉は乱暴に開けられた。小林は慌てた様子で入ってきた。
「お前、平気なのか?」
少し心配した顔で彼は問いかけた。
「何のこと?」
努めて平静な顔で返事した。今日はずっと上の空だったから心配してくれたんだろう。
「昨日妹は何も言わなかったか?」
「別に」
「そうか。じゃあ父親のことで落ち込んでいるのか?」
父親のこと?はて、どこからその話を出たんだろう?
「お前、もしかしてまだニュース見てない?あんなでけぇことになったのに」
僕の戸惑い表情に訝しむ小林は言った。
「いや……すまん。一人にしてくれる?考えることが多すぎて、今はじっとさせてくれ」
小林は釈然としない表情でこっちを見たが、僕の気持ちを汲んでくれたか、そのまま出ていった。
彼が持ってきた話は明らかに先日の出来事となんらかの関連があるだろう。美雪はあの男が記者だと言っていた。それは父親と関係しているとは、流石に考えもしなかった。
僕は焦った気持ちでスマホを取り出して、父親の名前をキーワードとして検索した。最新のニュースは今朝方の配信だった。見出しにこう書いてあったーー
「汚職疑惑?殺人教唆?容疑者は国外逃亡」
「……井野政道議員はスキャンダル暴露される前にブラジルへ出向され、そのまま消息を絶った模様です…フミハル社から提出された証拠の真偽はまだ調査中です…事件の調査について、警察はこれから積極的に取り組んでゆくとのことです…」
ショックが過ぎて、アナウンサーの声が段々遠くなったような気がした。
あの父が逃げ出す程、事の大きさは一目瞭然である。汚職の方は政治に関わる人間がよくやる物だから、大抵は金に物を言わせてメディアに黙らせる。万が一ばれても、記者会見を開いて一先ず謝罪して、コネで調査を長引かせて有耶無耶にすればいい。その内に民衆は新しい刺激を追い求めてそれを忘れ、議会の席を下ろさずままヒエラルキーのトップで踏ん反り返る。そのようなことは古くから繰り返してきた。政治家は財閥と深く繋がっている限り、金銭絡みのスキャンダルなどどうにでもなる。しかし殺人事件が絡めば、世論はそう容易くコントロールできるものではなくなる。
美雪はどこまで読んでいたんだろう。今更彼女が無関係とは思わない。しかし、彼女は父が犯した罪をどこまで知って、その証拠をどこから手に入れたんだろう。
不可解なことが多すぎて、頭がパンクしそうになった。
どの道、彼女とはもう一度ちゃんと話す必要があるようだ。今度こそ逃げずに、彼女に正直に話そう。
放課後、美雪はいつものように僕を待つことなく、先に帰ったらしい。
僕はフミハル社の記事を読みながら帰路に着いた。今朝のニュースより、そちらの方がもっと詳細に報道していた。和彦おじさんの事故も、父の仕業で起こったことを初めて知った。父が犯した罪は許せないと思った。
逃げてしまった父に、同情とか心配とかいう気持ちはなかった。息子としてそれは非情であるかもしれないが、僕はそもそも井野家から温情を感じたことがなかった。消えてしまったやつなんかどうでもよかった。ただずっと目の前に立ちはだかる巨大な壁が忽然消えてしまい、この先の風景も道も一変され、まだそれに適応していない自分がいる。まるで今まで鳥籠に閉じ込まれた小鳥のように、籠が撤去されても、飛ぶ仕方が分からなくて、立ち尽くすしかないようだ。
父のいない未来なんて、妄想の中にしか存在しないと思った。こうあっさりと消えてしまった今は、僕に残る問題は美雪とどう向き合えばいいということだけだった。
父という壁、お家という枷がなくなった今、もう我慢しなくていいよね?
マンションに着き、玄関を上がるところで居間からテレビの声が届いた。今ちょうどニュースが流れているようだ。居間へ行ってみた。今まさに父の事件の詳細が流れている。美雪はソファーに座り、まじまじとディスプレイを見ていた。
鞄をコーナーに起き、彼女の隣に座った。そして努めて平然な口調で彼女に声をかけた。
「父のニュースを見てるか?」
美雪は冷たい顔のままで頷いた。
「憎たらしい狸め、ハルフミ社にも内通者がいるとは思わなかった。まんまと逃げられた」
彼女は悪意を剥き出してテレビに向かって毒を吐いた。そんな彼女は初めて見た気がする。
「君の働きで父は失脚した。それでも満足できないか?」
「当たり前でしょ。私はあの男を殺したいほど憎んでいるのだ。やつの犯した罪に見合う罰が下るまで、私は満足しない」
父はあの事故の元凶であれば、彼女の家族の命を奪う犯人でもあるということだ。そう恨まれるのも当然である。そしてそのどす黒い負の感情が、彼女に復讐するような真似をさせたんだろ。
僕は彼女が汚れなく、綺麗なままでいたかった。しかしそれあくまで僕の一方通行の願いだった。僕は無力で、誰からも彼女を守れなかった。彼女の中に潜んでいたどす黒い感情は、彼女のポケットからカッターナイフを発見した時から気付いていた。気付いて目を逸らしていただけだ。
「ね、そろそろ教えてくれないか?君の知っている全てを。僕はもう除け者でいたくないんだ」
美雪は僕に視線を向けた。僕の目を覗き込むように、顔を近付けてきた。そして昨夜のように抱き付いてきた。
「私の話、覚えてる?」
「うん」
軽く頷いて、今度こそ彼女を抱き締めた。
「愛しているよ。ずっと、ずっと、そう言いたかった」
「よかった。私、嫌われると思った。こんな汚い心で、一樹は嫌いと思った」
彼女は僕の胸に顔を埋めて、そう言いながら泣き出したようだ。
「私、ずっと待っていたんだよ。この気持ちは私だけじゃないかってずっと怖かったの。あなたに嫌われないように、あなたが好きそうな女の子を演じてきたの。本当の私はあなたが思っているよりずっと汚くて、醜いんだよ。それでも愛してくれる?」
「もちろん、どんな君でも受け入れて見せる。だからもう、自分だけ全て背負い込まなくていいんだよ」
そう言って、僕は彼女の顔を上向かせて、キスした。
唇を重ねて、息が止まった。何秒かは分からいが、息が詰まるまでそうしていた。




