11.歪む境界
「聖女殿、王宮へようこそおいでくださった。
儂は国王のゲオルグ、そしてこの二人は――」
「第一王女、フィオナ=フォルテよ。
女神様のお導きに感謝するわ」
「第一王子にして王太子、ルーグ=フォルテだ。
聖女殿、よろしく頼む」
豪奢な服に身を包み、私の前で軽く会釈する国王一家。
ほんの数日前に会ったはずなのに――
(……懐かしい)
追憶と、鈍い痛みが私の心を覆い尽くしていく。
「立っているのも堅苦しいというものだ。
ささ、聖女殿こちらへ」
されるがままに腕を引かれ、長いテーブルの端へと座る。
ゴトッ
国王の合図と共に、大皿が置かれる。
続いて運ばれてくるのは、これまでに見たことがないほど豪勢な食事。
(初めて、だ)
父と、弟たちと――こうして、食卓を囲むなんて。
(これまでで一番、家族らしいかもしれない。
――だけど)
ふ、と自嘲気味に笑う。
「ああ、聖女様!私達と同じ金髪……!
美しいわ、やはり女神の寵愛の証なのね!」
「フィオナ、はしたない真似は控えろ。
申し訳ない、聖女殿」
うっとり呟くフィオナ。それをたしなめるルーグもまた、私をそう呼ぶ。
(私は――ここでは)
真っ黒いモヤが、私の心を染めていく。
(ああ、少し期待していたのに)
誰一人として、気付きはしない。
(そりゃそうか、この前初めて会ったようなものだし)
食欲など、微塵も湧かない。
銀のフォークを手に取ったまま、静止する私。
「どうかなさったか?聖女殿。
具合が悪いなら、一度下がって――」
私を気遣う目。この世で、唯一の『家族』のはずなのに。
(私に――リーナに、じゃない)
目の前の、『聖女』に――向けられているものだ。
「……大丈夫です、陛下。
お気遣い、感謝します」
笑顔を作る。
(……私は)
母の――いや、そう思っていた人の日記。
――『お腹の子は――もう、息をしていないと』
(それなら。
私は一体、誰なの)
暗闇の中、私はもがく。
そしていつしか、その歪んだ光にすがりついていた。
――聖女
――聖女なんだ
(私は、聖女)
そうでないなら、そうなれないなら。
――居場所など、ない
「ああ、なんと慈悲深い微笑み……!
流石は聖女様、そして未来の――我が、娘よ!」
鼓膜を突き破るような、甲高い声。
カツンッ!!
硬い床にヒールを突き刺しながら歩いてくる、一人の女性。
「……遅いぞ、シルビア」
「まあ!あなた、そんなに冷たいことをおっしゃらないで!
東国から宝石商が参っていましたのよ、良い品を沢山買うことができましたわ」
「っお前はまた、そうやって――」
「お母様、私にもくださいな!」
キャッキャとはしゃぐ母子。頭を抱える父。
「……すまない、このような見苦しいところを見せるつもりで呼んだわけじゃないんだ。
今日は、その」
顔を背けたルーグは、しかし数秒の沈黙の後に。
バサッ!
「王太子殿下……何を」
「君は聖女だ、だから――
将来、正妃となる」
地に片膝をつき、私を見上げるルーグ。
(そう、か。
そう……だったな)
「父上は、既に一人正妃を亡くされている。
年齢的にも、僕が即位した時に」
――君は、僕の正妃となるだろう
その言葉は、一切の拒否を認めない。
それでも慣習的にか、彼は私に尋ねる。
「だが、突然こんなことを言われても戸惑うだろう。
もし、君が嫌だというのなら――」
「王太子殿下、いえ――陛下も。
一つ、お聞きしてもよろしいですか」
たおやかな笑みは、崩さない。
「聖女殿、儂に答えられることならなんでも」
「先代の聖女様――正妃様は、病で亡くなったと聞いています。
お腹の子も――死産であったと」
私の存在を隠すための、都合のいい捏造だと思っていた。
けれど――
(本当に、死産だったのか?
……だけど、それなら私は産まれていないはずだ)
「あ、ああ。そうだ」
「――それは、真ですか」
何か、何か一つで良い。
私が――『リーナ』が存在していたことを、誰か。
「な、何を仰るか聖女殿。
当然、真実に違いないであろう。なあ、ルーグよ!」
「は、はい父上。
正妃様は、お体が弱かったと聞き及んでおります。きっとそれもあって――」
(ああ)
涙の代わりに、私は一層微笑む。
心のなかで、何かが壊れる音。どんどんどんどん、境界が曖昧になっていく。
「ありがとうございます、陛下。
――王太子殿下、少しだけ考える時間をくださいませんか」
「か、考え?」
「あなたの、正妃になることについてです」
けれどもう、私の心は決まっているのかもしれない。
(聖女でも、ないのに)
私が金髪なのは、王家の生まれだから。
まやかし。この笑顔だって、偽物だ。
(……だけど)
他に、居場所などあるのだろうか。
聖女になることで、それを演じきることで――
(家族に、なれるのなら)
「ああ、心が決まったら教えてくれ。
いつでも、待っているぞ」
「うふふふ、ああ――汚らわしい白髮も消えて、精霊の力も強まって。
これも全て、女神のお導きね!」
「聖女様のお導きに、心よりの感謝を!」
微笑みながら、心のなかで思う。
(ずっと、この王宮を出たいと思っていた)
自分を閉じ込める大きな壁が壊れ――外に出たら、救われるのかもしれないと。
(だけど、実際はどうだ)
居場所なんて、どこにもありはしない。
当然だ、私は最初から――
(異物、なんだから)
カチャリ
フォークを丁寧に置いて、すっと立ち上がる。
「少々気分が悪いので、私は下がらせていただきます。
本日は、お招きいただきありがとうございました」
一礼して、退出する。
すぐに左右に屈強な兵が現れ、私をぎろりと監視し始める。
(……ああ。
もう、これでいいのかもしれない)
どんな形であれ、望んだものが得られるのだから。
(もう、誰も――
入って、こないで)
この「幸せ」を、壊さないで。
ガチャリ
私の思いに応えるように、何かが閉じていく。
(それでいい、これで――)
「……ほう、『壁』か。
これは少し、厄介だな」
ふと、小さな声が聞こえた。
前を見ると、深くフードを被った男。
「っ……」
(まただ、またあの感覚)
忘れちゃいけない、けれど大事なこと。
思い出そうとするたびに、何かが私の邪魔をする。
「……聖女、か。
――随分と、歪なものになったな」
カツッ、カツッ
足音は、近づいてくる。
軽い音のはずなのに――なぜか、のしかかるような威圧感。
(どうして)
この感覚に、これほど――懐かしいと、思ってしまうのだろう。
カツッ
すれ違いざま、小さくフードがずれる。
「……あ」
赤い双眸、闇を思わせる黒い髪。
(誰、なの)
知らない、分からない。そのはずなのに。
一瞬だけ見えた彼の口元は、かすかに。
――リーナ
そう、動いていた。




