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挑発 2

 アルダの瞳に獰猛な光が宿るが、アシュレイも負けずに睨み返す。


 懐柔されれば痛い目に遭わないかもしれない。


 けれど、嘘でも従いたくない。


 そのために、婚礼から逃れたのだから。


「いいや。俺だ。この汚れない身体を開いてやれば、俺のものだとわかるだろう」


 圧し掛けた身体の重心をずらして、アルダは片方の足をアシュレイの足の間に割り入れた。


 アシュレイの心拍は跳ね上がるが、動揺を意地で抑える。


「結局それ? そんなことで女が服従すると、信じてるのね! 家畜以下だわ。そんな風にみっともない思想は早々に捨てたほうが身のためよ」


 結局あんたも、無理矢理に女性の尊厳を卑しめることが征服だと信じている愚か者なのか。


 そんなの、人間以下の畜生の思想だ。アシュレイは嘲笑した。


「家畜だと? 侮辱するにもほどがある。じゃあ、証明してみるか?」


 唸るような声が、一層低くなった。


 アルダは大きな掌を、アシュレイの鳩尾に置く。


 夜着の薄布の上から肌をなぞるように、下腹部まで滑らせる。


「な、何を……!?」


 咽喉が詰まるようだった。


 他人に触れられる、初めての感覚に身震いする。


「ココに子を宿しても、お前が俺の愛を乞わずにいられるかどうか」


 掌はアシュレイの臍の下でぴたりと止まった。


「セレンティアではどうか知らないが、子を孕んだ身体で生き抜けるほど、アラウァリアは平和な国じゃない。自分と子供の命が大事なら、どうしたって俺の力が必要になる」


「黙れ」


 その瞬間、ピクリと、アシュレイの蟀谷が震えた。


 どす黒い力の奔流が、堰を切って、全身に流れ出した。


「黙れ、この……クソ男!!」


 アシュレイは吼えていた。


 頭に血が昇り、一瞬で何もかもわからなくなる。


 気付いた時には左手を支柱に上体を捻り、肘で蟀谷を打って出ていた。


 強姦を仄めかされただけなら、アシュレイはそこまで取り乱さなかったかもしれない。


 或いはアシュレイの中身が、純然たる王女様のものならば、侮辱に憤怒を募らせただけだっただろう。


 母も父も知らない千春の名残が、激昂の余りアシュレイの身体を突き動かしていた。


 千春は幼少の頃よりしばしば、何故自分には両親がないのか考えたことがあった。


 テレビなどで、仲睦まじい夫婦や親子の関係を見かけて、ふと思い立ち、母親を探して歩いたこともある。


『どうにもならない事情があったのよ。千春ちゃんを死なせたくなかったから、施設に託したのだと思うわ。辛いだろうけど、命があるだけでも有難いものよ』


 ”私は、生まれたいとも、生きたいとも願ってないのに”


 施設長の言葉に、胸中では言いようのない不満が渦巻いた。


 けれど赤の他人の千春を労わり、面倒を見てくれる人へ、それ以上の答えは求められなかった。


 その頃の寂寞とした想いが、急激に膨れ上がり、爆ぜた。


 アルダの論理は正しい。


 日本と違うこの世界では、インフラも法も、充分に整備されていない。


 身寄りのない女が胎児を抱え、一人で出産までこぎつけるのは至難の業だ。


 そのために、出産を支えるコミュニティが存在し、父親は未婚の娘を守り、夫がその役目を引き継ぐ――。


 その部分は、前世の世界でも共通した自然の摂理だったと思う。


 そこから弾かれ、零れて、今あるのが千春でありアシュレイだ。


 前世では父も母もおらず、今世の父は、守るどころか存在を無視した、邪魔にすらした。


 一度は見ぬふりをしたのに、積もりに積もった憤懣が、うねり狂ってとうとう噴き出す。


 アシュレイはただ、激昂した。


「ぐっ」


 アルダは咄嗟に頭部を庇った。


「何だ? 急に……!?」


 肘鉄は左前腕を打つに留まったが、身体が浮いて重心が崩れた。


「お前が!!」


 そこへもう一撃、追い打ちをかける。


「やめろ、オイ」


「お前みたいな男のせいで!!」


 鍛えられたアルダの腕は、鋼のように固い。


 打ち込んだこちらの肘が痺れる。


「やめろ。折れるぞ」


「うるさい! 構うもんか!!」


 でも、構わなかった。腕なんて折れたっていい。


 こんな身体――誰も必要としていない。


 望みもしない子を孕み、好きでもない男に屈服するような身体なら。


 私を捨てた親のようになるのは、もっと嫌。


「やめろって!」


「止めさせたきゃ、殺しなさいよ!」


 捨てられなかった父母への愛着、無念、無力さ、憎悪。


 あらゆる感情が急激に噴き出して、制御不能に陥った。


 崩したと手応えを得たバランスのアドバンテージも、すぐに奪い返される。


 身体の捻りを使わなければ、肘での攻撃は使えない。


 拳を握って叩きつけようにも、右を打てば右手首を。


 左を打てば左手首を取られて、藻掻いてもまたすぐに身動きが取れなくなった。


 なら、もういい。


 今度こそ、こんな人生はたくさんだ。


「馬鹿が、止せ!」


 ガリッ


 今までどうにも思い切れなかった。


 勢いで舌を噛み切るつもりだったのに。


「……っ」


 じわっ、と鉄の味が口内に広がった。同時に、生温かな触感も。


 しかし、アシュレイは痛みを感じなかった。


(……う?)


 「済まない。俺が悪い。配慮が足りなかった」


 コツン、とおでこに何かが当たる感触があって、はっとすると、視界が回復した。


 しかし、目に入るすべてがぼやけていて、不明瞭だ。


「覚悟を知りたくて揶揄うだけのつもりが、痛いところを突かれて酷いことを言った。お前がそんなに思い詰めていると、知らなかった」


 おでこが温かい。


 吐息が鼻先を掠めて、当たっているのがアルダの額だとわかった。


 アルダが、アシュレイを宥めている。


 どうしてだ?


 あんなに酷い台詞を吐いたのに。


「俺を許してくれ。もう何もしない。だから、舌なんか噛むな」


 アルダがそっと、アシュレイの頭を撫でた。


 腕に包まれかけていると知って、反射で身を引こうとする。


 そこで初めて気づいた、口内の異物に、えずきそうになった。


「うぐ……」


「ごめん。咄嗟に突っ込んだから……傷ついたかもしれない。今、抜くから、もうしないと約束してくれ」


 アルダの声はとても穏やかで、優しかった。


 何が起きたのか。


 幻ではなかろうかと錯覚する。


 アルダの目がアシュレイを覗き込む。


 獰猛な光はすっかり消え失せて、アシュレイの哀しみに同調するように、潤んでいた。


(どうして……?)


 分からないながらも、真摯に訴える瞳に、アシュレイは従った。


 こくり。


 頷いてみせると、アルダはアシュレイの顎に手を添えて、口からそっと指を引き抜いた。


「あ……」


 引き抜かれて初めて、アルダがアシュレイの口腔に指を挿し込んだのだと理解した。


 舌を噛み切って死のうとしたから、阻止しようとしたのだと。


 アルダの指先は、赤く染まっている。


 涎も混じっているだろうが、人差し指と中指の第二関節辺りから、血が溢れているように見えた。


「な、んで……?」


 力なく、呟けたのはそれだけだった。


 激昂して、血圧も劇的に上下したのか、頭がぼうっとするし、焦点が定まらない。


 それでも、アシュレイがアルダを傷付けたのだとわかって、余計に惑乱した。


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たとえ揶揄ったとしてもそれは無いわ
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