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「あさひー! 客が来たのかー?」
――鷺宮がカップケーキを食べようとしたそのとき、廊下の奥から元気な少年が駆け込んできた。狼のような大きな耳に、同じく大きな尻尾。フサフサとした長い髪の毛は、深い灰色に染まっている。彼は畳の上をズカズカと歩くと、犬掛の横にあぐらをかいた。
露出度の高い無邪気な彼に、弓道部の二人は思わず不審げな視線を送る。
「先輩、あの子も『幽玄の巫女』に出てくるキャラクターですか?」
「……いや、誰??」
ひそひそと話を始めた二人に対し、少年は「おお、客だー!」と嬉しそうな声を上げた。
「おれはフェンリル! おまえらが、この世界の住人だな!」
「……は? ふぇんりる??」
彼の自己紹介に、盛大に首をかしげる鷺宮。特に神話に詳しいわけでもない彼女は、フェンリルが何なのか、全く分からない。
「先輩、ふぇんりるって何ですか?」
「えーっと、フェンリルでしょ? 確か、どっかで聞いたことあるんだよねー……」
予想以上に歯切れの悪いリアクションに、少年・フェンリルは不服そうな顔をした。
「何だよ、おまえら! おれのこと知らないのか!?」
「はい、知りません」
鷺宮が素直に答えると、彼は頬をプクーッと膨らませる。
「あさひ!! こいつら、ひどいぞ!!」
「残念ですね。知名度アップのために、もっと頑張らなくては」
彼の頭を優しく撫でる犬掛。その姿は、まるで本物の姉のようだ。
「ねぇ、犬掛。その子、一体誰? 『幽玄の巫女』には出てこなかったよね?」
米倉が尋ねると、彼女はゆっくりと視線を上げた。きれいな碧眼で、じっと二人を見つめている。
「私とフェンリルは、別々の世界を生きた者です。ですがとある事情により、この世界で暮らすことになりました」
「とある事情……?」
米倉のつぶやきに、彼女は少し寂しそうな笑みを浮かべた。
「詳しいことは、お話できません。私から言えることは、この世界で暮らす人々の役に立ちたいということだけです」
ゆっくりと姿勢を整え、彼女はすっと前を向いた。
「私、代表の犬掛あさひは、この日本でファンタジー職業人の貸し出しをおこなうことにしました。どんな些細な悩みでも構いません。ぜひ、ご相談ください」
……鷺宮と米倉は顔を見合わせた。あのチラシ、誰が作ったのかは知らないが、嘘でも何でもなかったようだ。