第14話
破流姫はじっと座っていられずに、部屋の中を行ったり来たりした。
三杉をどうしてやろうか、この裏切りをどのように償ってもらおうか。
沸々と湧いてくる怒りをどうぶつけるか考えてはみるものの、あの感情のない三杉には通用しないような気もした。
もともと三杉は剣術には長けている。頼りなげに見えるくせに、性格と才能はかみ合わないものなのだと思ったのを覚えている。実際は違ってなどいなかったようだが。その三杉に剣術を教わっていたのだから、どうしたって敵うわけがないのだ。
三杉は主である自分にいつも説教をしていた。叱られればビクつくのに、いつだって偉そうに意見していた。三杉が三杉だった最後の時まで、嘘は吐くなと怒っていた。
うまく騙されたものだ。すべてが偽りだと思えないほどに完璧だ。
だがもうこれで三杉を縛るものは何もない。いるべき場所にいて、元の姿に戻ったのだから。
三杉を返すことと、自分が囚われていることとは別問題だが、ともかく一つの答えを出すと少しだけ落ち着いた。
そこに扉を叩く音がした。
言葉もなく現れたのは三杉だった。相変わらず鉄仮面のごとく無表情だった。
後ろ手に扉を閉め、そこから一歩も動かずに、ただ黙って正面を向いたまま立ち尽くす。破流姫もそんな三杉をじっと見つめる。お互いに無言で、微動だにしなかった。
口火を切ったのは破流姫だった。長い沈黙が耐え切れなかったのである。
破流姫はゆっくりと三杉に歩み寄りながら、片手を振り上げた。空洞のような三杉の目と目が合うと、破流姫は一瞬怯んだ。が、片手は勢いよく振り下ろされた。
その手が三杉の頬を打つ前に、まるで柳の枝が揺れるように身をかわされた。破流姫は一歩踏み込み、手のひらを返した。三杉は事もなげにさらりとかわす。破流姫が踏み込む。三杉がかわす。そうして三杉を壁際にまで追い詰めた。
殴るくらいで済ませてやろうと思うのに、それすらもできない。罵倒してやりたくもあったが、喉の奥で詰まったまま言葉にならなかった。
三杉もやはり何も言わない。
壁に追い詰めたものの、それからどうしたらいいのかわからなかった。
破流姫は思わず、三杉の虚ろな目から視線を逸らした。
三杉の胸に見たこともないペンダントが下がっているのに気がついた。
蔦が絡まり合ったような模様を彫った、血のように赤黒い透き通った石だった。
ヒールの紋章なのだろうか。少しも威厳や気品を感じさせず、あくどいヒールそのものを表しているようだった。
破流姫は唐突に手を出した。予想もしていなかったのか、三杉が避けようと動いた時にはペンダントはもう手の中にあった。そのまま引っ張ると、細い鎖は弾けて飛んだ。
手の中に残った石は、小さい割にしっかりとした重みがあった。そしてあまりにも禍々しい色をしているせいか、目眩すら感じた。石は人の念を吸い込むというから、ヒールの元にあって、悪念を取り込んでいるのかもしれない。
気味が悪くなって背後に放り投げた。
そして目の前から三杉が消えていることに一瞬驚いた。
三杉は気を失ったのか、壁にもたれたまま力なく崩れていた。
何事が起ったのかわからず、破流姫はただ三杉のおかしな様子を見ていた。
三杉はゆっくりと横に倒れた。死んだような白い顔をして、ピクリとも動かなかった。足先で小突いてみても何の反応も返さない。名前を呼んで揺さぶってもみるが、目を覚ます気配はない。頬を平手打ちにし、捻り上げたところでようやく目を開けた。
「生きてるか?」
三杉はしばらく眉間に皺を寄せて破流姫を見つめていた。
「……姫、様?」
擦れた声は聞き取りにくかった。
三杉はだるそうに体を起こし、自分の頬に手を当てた。
「何だか痛いような……」
「よかったな。感覚があるということは生きている証拠だ」
「はぁ……」
三杉は間の抜けた返事をした。
破流姫は腰を上げ、放り投げたペンダントを拾った。
この毒々しいペンダントが原因だったのだ。恐らくこの部屋同様、ペンダントにも魔術の類がかけられ、それを身に着けた三杉を豹変させたのだ。
三杉は三杉だった。勘違いで危うく殺すところだった。
おのれ、ヒールめ……と、破流姫は心の中で歯噛みした。
「ところで姫様。ここはどこなのでしょう?」
現状を把握していない三杉が、荒れた部屋を見回しながら訊ねた。
「ここは隣の国だ。隣の馬鹿王子の屋敷だ」
「ウェイン様ですか?」
「いや、弟のヒールだ」
「ヒール様の……」
納得しかけてすぐにおかしいことに気づき、首を傾げた。
「なぜヒール様の?」
「お前のせいだろうが」
破流姫はペンダントをぶら下げて見せた。
三杉はあっと短く叫んで、胸元に手をやった。
「いつこんなものをつけられた?」
三杉は記憶を辿っているのか、しばし黙り込み、それから徐々に表情を強張らせていった。
「ま、まさか、私は……」
そう言ったきり固まってしまった。
「街から帰ってくるとき、お前の姿がいっとき見えなくなった。見つかったと思ったらまるで様子が変わっていた。そこで何かあったんだな?」
「はい……」
三杉は項垂れて、消え入るような小さな声で答えた。
「街から出て林に差しかかったとき、背後から誰かに口を塞がれて……それで林の中に引きずり込まれました」
「お前……」
今度は破流姫が固まる番だった。
「油断してました。申し訳ありません……」
深く項垂れる三杉には、さすがの破流姫も声を荒げることはできなかったが、言いたいことははっきりと口にした。
「お前はそれでも剣士だったのか? 昔はその腕だけでやってきたのだろう? 不意を突かれて敵の手に落ちたなどと、どの面下げて言うんだ?」
「申し訳ありません……」
「城でぬくぬくと遊び呆けているから、緊張感がなくなるんだ」
城の安定した生活に浸りきっているのは確かだったが、遊んでいることなど決してない。休む間もなく走り回っているというのに。
「ですが、あれは姫様が――」
「何だ、私が悪いのか?」
鋭い目でぎろりと睨まれると、途端に弁解も言い訳染みてしまいそうだった。
「あ、いえ……その、姫様が私の体を心配していただいたのが嬉しくて、でも央基様の御病気のことは教えてくれなかったのが悲しかったというか、それで、嬉しいような悲しいような、ちょっとだけ複雑な気分になっていたというか……」
「私が悪いように聞こえるが?」
「いいえ! 決して姫様のせいではなくて……」
「じゃあ、お前のせいだろ」
「……はい」
結局はどう言ってみても三杉の責任である事には変わりがなかった。
三杉は壁を支えに、よろよろと立ち上がった。頭はしっかりしてきたようだが、体はまだ本調子ではないようだった。
「そこへ座れ」
破流姫は椅子を指し示し、自分は寝台に腰かけた。先ほど侍女が置いて行った飲み物があった。もう冷めてはいたがカップに注いで三杉に渡した。
「それで? 易々と敵の手に落ちたって訳か?」
三杉は覚めたお茶を一口含んでから、やっぱり項垂れて言った。
「抵抗しようにも口を塞がれて首も絞められて、揚句に何度か腹を殴られました。不甲斐ないです……申し訳ありません」
三杉は何度か自分の腹をさすって頭を下げた。
「何人かいたのか?」
「殴った一人と、背後にいた一人のほかに、まだ数人いたようです。黒いローブを着ていて姿はわかりませんでした」
ヒールの側にいた小柄な怪しい男も同じ格好をしていた。あの男が直接手を下せるわけがないから、恐らく三人の護衛隊たちだろう。
「首にそれをかけられた途端、意識が朦朧として……誰かが、今夜、と言ったような気がするのですが、よく覚えていません。気がついたらここに……」
あの男を手引きしたのは三杉だったのだ。中から攻めればひとたまりもないことが良くわかった。
それにしても三杉から攻めていくとは、随分と回りくどいことをする。ヒールは三杉をも手に入れたかったのだろうか。さも自分の従者であるかのような台詞に、まんまと騙されてしまった。あの状態の三杉を前にすれば仕方がないと思ってはみるものの、自分の従者を疑い、憎み、あまつさえ殺そうとするとは、あまりにも単純な自分に怒りすら湧く。そう仕向けたヒールにはさらに殺意さえ覚える。
「私は何をしたのですか、姫様? 私が原因でここにおられるのでしょう?」
破流姫の従者に戻った途端、三杉は泣きそうな情けない表情を作る。それを取り合いもせず、破流姫は忌々しげに言った。
「もとはと言えばヒールの馬鹿が起こしたことだ。クソっ、目にもの見せてやる」
ペンダントを床に叩きつける破流姫の怒りの度合いが、三杉には手に取るようにわかった。
何かとんでもなく恐ろしいことが起こりそうな予感がした。




