一の七
これが、ルーキフェル遺跡か。
息も絶え絶え、視界がぼやけながらもようやく俺が辿り着いたのは、岩の塊だ。
三つか四つくらいの大岩が詰まれ、一つの塊をなしている。一軒家くらいの大きさの塊だ。だが、それが単なる自然物でないのは、消えかけながらも岩の表面に刻まれている文様、そして人間大の穴がくり貫かれたように綺麗に開いていることからも明らかだ。
いざ、その穴の中へ、といきたいところだが、
「ぐはっ」
まずは、俺はその遺跡の前で崩れ落ちて地面で丸まって、犬のように喘ぎながら薄れる意識を繋ぎとめることに専念しなければならない。
『いいぞ、それでいい』
フォイルの声がする。
『意識を手放すな。意識して呼吸を整えろ、無理矢理にでもだ。肉体的な損傷はさっきのポーションのおかげでダンジョンを潜るにあたってそこまで深刻な問題にはならない。呼吸さえ整えれば、お前は立ち上がれる』
朦朧とした意識の中では、フォイルの声はまるで神託だ。
苦しい。苦しくてたまらないが、全身を震わせながらも意識を保ち、荒い呼吸を少しずつ、少しずつ長くしていく。長く吸って、長く吐く。苦しくとも、それを繰り返す。
吸って吐いて。吸って吐いて。吸って吐いて。
意識が鮮明になっていく。
『上出来だ。深呼吸しろ』
「ふう、ふう、ふうぅ」
最後に、長く息を吸って、吐く。
全身の鉛のような疲労感は消えようもないが、それでも意識はクリアになり、俺はきちんと自分として意識を持てる状態になる。
『寝ている場合ではないのだろう、立て』
疲れ果て、ただの物体のように動こうとしない俺の手足が、フォイルの言葉に従うように動いて、俺は立ち上がる。
「ぐっ……」
疲労と疲れで呻きながらも、俺は確かに立っている。
どうなってる? 立て、とお前に言われたら立ったぞ。
『お前の体は、戦に関することならば、ある程度こちらでもコントロールできる。契約の時に言っただろう、我に従って戦えとな。呼吸を落ち着かせたのも、我がサポートした』
まるで操り人形だ。
『文句を言うな。まさに、ここからはおそらく戦場だ。コボルトとの戦いなど比べ物にならない。我には感じることができる。いいか、お前は素人だ。我の指示に従うのだ』
そして、指示に従わない場合は無理矢理動かすわけだ。
『そうだ。不満か?』
まさか。有り難い。そうだ、戦いになるなら、お前に頼ることになる。頼むぞ、フォイル。俺は、戦いに勝たなきゃいけない。リルカを守らなきゃいけない。
『そうだな。行くぞ』
「ああ」
最後に声に出して答えて、俺はよたよたと遺跡の入り口らしき穴へと進む。
入り口を進むと、すぐにほとんど真っ直ぐ落ちるくらいに急勾配な穴が地面に開いている。その穴からはひんやりとした空気が吹き上げてくる。
「いきなり危険だな」
ぼやきながらも、転げ落ちないように注意しながら穴を下っていく。
周囲の岩自体がぼんやりと発光しているようで、真っ暗闇ではないのは救いだ。
『あれを見ろ』
フォイルに言われて目を凝らすと、なんだかぶよぶよしたものが二つ、地面に落ちている。
「何あれ?」
『モンスターの死骸だろう、おそらく』
「ああ、スライム的な」
『先に通ったリルカが倒したと思われる。消滅していないところからして、まだ倒したばかりなのだろう。この先、分岐があってもモンスターの死骸があればそちらがリルカの進んだ方向ということだ』
「おまけに、俺はモンスターと戦わないで済むってわけか」
『ダンジョンではモンスターが湧くのだから絶対ではないが、モンスターと遭遇する確率は低くはなるだろう』
素晴らしい。
ようやく、呼吸も意識もほぼ通常通りにまで回復しつつある。全身がひたすら重いのはもう仕方がないが。
さすがは初級ダンジョンということなのか、分岐らしい分岐もなく、時々モンスターの死骸を見るだけで、俺は順調に穴を降りて行き、やがて石造りの通路のような場所に出る。
通路にはところどころ石柱が立っていて、いい隠れ場所になりそうだ。
「モンスターが出ても、隠れてやり過ごせたりしそうだな」
『うむ。なるべく戦闘は避けろ。今の状態が万全とは程遠いくらいは理解しているだろう』
あれ、意外だ。
「戦を求めてるんだから、モンスターがいれば戦わせるものだと思っていた」
『モンスターとの戦闘など、我にとっては戦ではない。我にとっての戦とは』
「戦とは?」
『……分からん』
やはり記憶は不完全らしく、フォイルはしばらく黙った挙句そんな返答をしてくる。
なんだそりゃ。
ともかく急がなければと通路を歩き出してすぐに、
「やあっ、はっ」
と、勇ましくも涼やかな声が聞こえてくる。そして金属がぶつかる音。
『む、これは』
ああ、どうやらそうらしい。向こうはモンスターを倒しながら、俺はその後をただ進むだけだから、追いつけるかと思ってはいたが、意外に早かった。
足音を立てないように、こっそりと声の方に近づいていくと、
「やっ」
気合と共に、スライムを一刀両断するリルカの姿がそこにある。
まだ無事だったと安心するよりも先に、その凛々しい姿にただ見惚れてしまう。不釣合いなくらいの大きさの剣を振るいモンスターに対峙する少女、その姿は奇妙に絵になっている。
おっと、ぼうっと見惚れている場合じゃない。
さっと柱に隠れて、様子を窺う。
「ふう」
モンスターを倒し終えたリルカは、剣を収めるとハンカチを取り出し、汗を拭う。いつもの凛々しい意顔をほのかに上気させている。
汗を拭き終えてハンカチを丁寧に畳み、スライムの死体から何かを取り出すと、リルカは眼差しも鋭く前を見て歩き出す。まだまだ余裕がありそうだ。
『ほう、思ったよりもやるな。手際がいいし、ドロップアイテムも回収している』
フォイルが褒める。
少なくとも、まだ魔族や魔術師と接触してはいない。それを確認できただけでも大分安心した。
と、離れないようにしないと。
ストーカみたいだな、と思いながらも俺は進むリルカについていくため、石柱から石柱へとひょこひょこと隠れながら進む。
「……ん?」
そうしているうちに、妙な影に気付く。見間違いかと思ったが、確かに影がある。
驚きに一瞬身を強張らせる。
俺と同じように、石柱から石柱を移動しながら、リルカについていっている影。
『フードを被った女、に見えるな』
フォイルの言葉は全くその通りで、目を凝らせば確かに目深にフードを被った真っ黒いローブ姿の女がちょこちょこと行ったり来たりしている。
魔族、か、あれ?
どうも、人間の天敵というようには見えないけど。もっと間抜けに見える。
『それどころか、悪意を持った魔術師にすら見えんぞ』
確かに、俺の前にリルカをつけていっているその影は、どことなく鈍くさそうな動きだし、そもそも後ろに俺がいることにまるで気付いていなさそうだ。リルカに意識を集中している感じだが。
『どうする?』
どうしよう。
迷った末、俺は少しそのフードの女との距離を詰めてみる。
前方では、リルカとコボルトの戦闘が始まっている。さすがに手馴れているのか、危なげなくコボルトの攻撃を捌くリルカは見ていて安心できる。
「ふ、ふふ、ふひ」
近づくと、フードの女がリルカを見つめながら、何と言うか、ストレートに言えば気持ち悪い感じで笑っているのが聞こえる。
怪しい。あからさまに怪しすぎる。
仕方ない。俺はリルカがコボルトを倒したのを確認してから、フードの女の背中に近づく。
「ふひひ」
フードの女は俺に気付くことなく、含み笑っている。
「あの、ちょっと」
できるだけ声を潜めて、驚かさないように優しく声をかけたつもりだが、
「ひぃ!?」
フードの女は飛び上がってこちらを振り返りつつ、叫ぶ。
「ん?」
少し先を行くリルカが、その叫び声に反応してくるりと振り返る。
一瞬のうちに、俺とフードの女は石柱に張り付くようにして同時に隠れる。どうやら、リルカに見つかりたくないのは同じようだ。
「気のせいですか、どうやら私も緊張してしまっているらしい」
呟いて頭を振ると、リルカは再び歩き出す。
俺と女はほう、と同時に安堵の息をつく。
「で、お前はだ」
「だだだ誰、あなた」
小声で、互いに同時に問いかける。
まあ、向こうからしても俺が不審なのはそうか。
「俺は……」
「あっ、ひょ、ひょっとして、宿屋の人が言ってた、勇者様の家来?」
家来って。
「従者だ」
もしくは荷物持ち。
「あっ、あっあっあっあたし、その、すいません」
女はぶんぶんと首を振って、その拍子にフードが外れる。
「あっ」
俺は思わず声を漏らし、
『ほう』
フォイルですら驚いている。
「ひうっ」
女は慌てて手でフードを握り締めて深く被りなおす。
「エルフだ」
『エルフだな』
フードの取れた一瞬ではあるが、その姿はファンタジーもののお約束にあるエルフの姿まさにそのものだった。
ぼさぼさの長い黒髪で顔のほとんどは隠されてはいるが、エルフの特徴とも言える長い耳が突き出していた。
エルフいたのか、この世界。
『個体数の非常に少ない不老長命の森の民だ。魔術の才を持ち、住処である森からはほとんど出てこないはずだが』
「えっ、エルフですけど、殺さないでえぇ」
そのエルフはフードの端を握り締めたままがたがたと震えだす。
「殺す?」
エルフって殺されるのか?
『知らん。そんなことはないと思うが』
フォイルも珍しく困惑した調子だ。
「あっ」
エルフに気を取られているうちに、リルカがはるか先に進んでいる。
「ともかく、お前は別にリルカに危害を加えたいわけじゃないだろ?」
「そそそそそんな、勇者様にそんなことをするなんて、恐れ多い」
全身を震わせてエルフは否定する。
「ならいい。とりあえず、俺はリルカを追う。このままだと見失う」
と言って俺は石柱に隠れながらリルカを走って追う。
しばらくして、とてとてと背後から音が追ってくるようになる。
ちらりと振り返れば、同じように姿を隠しながら、フードを被った姿でエルフの女、いや声からして少女か、が追ってきている。
「ひぃぃ、お、怒らないでえぇぇ」
俺が振り返るとエルフの少女は怯える。
「怒らないけど、結局どうしてお前はリルカを付回してるんだ?」
俺もだけど。
「だ、だって、あ、あたしも、勇者様の力になりたくて……」
エルフの少女は怯えながらも答える。
ということは、俺と同じようなものか。
待てよ、ひょっとして。
「なあ、あの、村の外れで火球の練習してたのってお前じゃないのか?」
「ひぃぃ、そうです、ごめんなさいっ」
「いや、だから怒ってないって。でも、っていうことは魔術が使えるわけだ。魔術使えるんだったら、リルカに頼めば喜んで仲間にしてくれると思うけど」
何もできない俺を仲間にしたくらいだし。おまけに鍛えようとするくらいに面倒見がいい。魔術師が仲間になると言ったら特に問題なく了承しそうだが。
そう思って提案したが、
「でっ、でもっ、人間ってエルフを見たら殺すんでしょ?」
そうなの?
『違うと思うが』
「違うと思うよ」
フォイルの答えをそのまま応える。
「え? けど、お爺ちゃんがそうだって、だからいくら勇者様の力になりたくても、外に出たら危ないって。あたし、勇者様の話を聞いて、絶対に力になりたいと思って、だから森を出ようとしたんだけど、だからっ」
焦りながら、エルフの少女は懸命に説明しようとする。
「あー」
その説明を聞いて、ようやく話の流れが分かった気がする。
「ええと、名前、教えてくれるか? 俺はゴドー」
もうゴドーで通すしかない。
「わ、あ、あわわ、あたしは、ココア」
「ココアか。あれだよ、多分、それはココアにリルカの仲間になって欲しくなかったから、お前のお爺さんが脅したんだろ」
俺の推測を話すと、
「えっ」
きょとんとした声。
「いや、だから、お爺さんは、森を出て行って欲しくなかったんだろ、ココアに」
一度も森の外に出たことがない箱入り娘だったんだろう。それが、危険な旅に出る勇者に憧れて、仲間になるために森を出て行こうとする。そりゃ心配する。誰だって止める。俺だって止める。
「えっ? えっ? じゃあ、あたし、今から勇者様に仲間にしてくださいって頼んでも大丈夫なの?」
「多分大丈夫だろうけど、俺が困る」
その流れで俺がここにいることがばれたらまずい。
そしてココアと話しているうちにリルカとの距離がまた開いている。
「とりあえず、行こう」
と俺とココアはまた柱に隠れながらリルカの方へと走っていく。