一の八
ココアと喋りながら石柱の影から影に歩いている中、
「あっ」
と、前を向いたココアが声をあげる。
つられて前を見ると、リルカの進む先が、壁になっている。
「行き止まりか?」
俺がそう言うと、
「ちっ、違う、違う」
ココアに指摘されてもう一度見直すと、なるほど、突き当りではあるが行き止まりではない。道は突き当りを左右に分かれている。つまり、T字路になっている。
リルカはどっちに進むのかな。
そう思って見ていると、
「なっ!?」
と、分岐点まで進んだリルカが、右の道の方を向いて愕然とした顔をする。
何だ?
だが、その疑問の答えはすぐに分かる。
じりじりと、剣を構えたままリルカが左の道へと後退していく。
そして、ゆっくりと、巨大な、本当に巨大な、リルカの五倍はある大きさの黒い犬が右の道から現れる。
筋肉の塊に鉄のように光る黒い体毛が生えた体躯、巨大な牙の生えた、だらだらと涎を流している巨大な口、岩石のようなごつごつとした爪。目は燃え盛る炎のようだ。
通路一杯に収まりきらないほどの巨大さの犬が、ぐるぐると唸りながらリルカへと歩み寄っている。
明らかに、これまでのスライムやコボルトなんかとはものが違う。
「ぎ、ギガハウンド、どうして? こんなとこにいるはずないのに」
がたがたとココアが震える。
『村潰しの別名を持つギガハウンドか。こんなダンジョンに間違ってもいるモンスターではないな』
フォイルの呟きと同時に、ギガハウンドが腕を振りかぶる。
「あっ」
飛び出そうとした。が、体が動かない。
くそっ。
「ぐっ」
凄まじい速度で振り下ろされた爪と、リルカの構えた剣が激突する。
リルカの小さな体が、ボールのように吹き飛ばされ、左の通路に転がっていく。
「るるぅ」
喉を鳴らし、ギガハウンドが左の道へと進んでいく。リルカを追撃するために。
止めなければ。
が、体が動かない。そこでようやく、さっきから体が動かないのが驚愕や恐怖によるものでないと気付く。
フォイル、俺の体を固めてるのか?
『そうだ』
どうして? 今だ、今動いて、お前を装着しないと。
『違う。あれは我の戦ではない』
「くそっ、意味が分からないぞっ、フォイル」
思わず叫ぶ。
「エルドゥア・マギ・ヘイト」
と、意味不明な内容をすぐ後ろのココアが呟く。
「何を……」
問いかける俺の口が固まる。
ココアの右手は、炎に、それも丸い球状の炎に纏われていた。
これが、魔術。さっきのは、じゃあ、呪文か。
火球を手に持ったココアは、俺を気にも留めることなく、さっきまでの震えが嘘のように、ギガハウンドの後を駆けて追う。
くそ、おい。ココアがリルカを助けに行っているのに、どうして動けないんだ?
『今、あのギガハウンドを倒すために我の装着時間を消費すれば、戦に敗北する。リルカも死ぬだろう。ココアと二人掛りならば、ギガハウンド相手でもそれなりに善戦できるかもしれん。それを信じるしかない』
意味が分からない。
もう、この位置からはリルカもギガハウンドも、ココアの姿すら見えない。
さっさと俺を動かせ、フォイル!
『右だ』
右?
『あのギガハウンドが出てきた方の道へ行け』
「ふざけん」
叫びかけた俺だが、
『それが、お前とリルカが生き延びる道だ』
説得力に、問答無用で黙らされる。
『右に行け。すぐに分かる』
「……くそっ」
ようやく体が動くようになる。俺は突き当りまで駆けると、左を向く。
遠く、リルカとギガハウンドが戦っている姿が見える。大振りのギガハウンドの攻撃を、リルカは受け流し、あるいは避け、隙を見つけては剣を叩きつける。だが、固い体毛に防がれ、傷つけることができない。
だが、そこへギガハウンドに背後から火球が飛ぶ。ココアだ。
「ぐるぅ」
苦悶の声をあげて、ギガハウンドがココアに向き直ろうとする。が、すかさずそこでリルカが剣を叩きつける。
リルカにとっては見ず知らずの魔術師が突然参加してきたことになるが、それでも一応はコンビネーションとして機能している。
押されはいる。押されてはいるが、確かに善戦している。だが、やはり、放っておけば負けてしまうはずだ。
リルカとココアは、ギガハウンドに全神経を集中させているらしく、俺のことには全く気付いていない。
無意識のうちに俺は口を開き、
「魔鎧フォイル、装ちゃ」
『まだだ。右だ。右に向かえ』
我に返り、止める。
「くっ」
歯噛みする。こいつの言うことを無視して、今すぐ装着してあの場所へ行きたい。だが。
『信じろ。右へ向かうのが正しい道だ』
一瞬の躊躇い。
だが、このフォイルこそが、俺の生命線。俺の力なのは確かだ。だから、信用せざるを得ない。
「フォイル、何もなかったら、すぐに引き返してリルカを助けにいくからな」
言って、俺は右の道を駆け出す。
何の変哲もない、ただの一本道だ。他にギガハウンドがいるという様子もない。
くそ、何だよこれは。やっぱり無駄足だったんじゃないか。
今すぐに引き返したい気持ちを必死で抑えて、もう少しだけと言い聞かせて走る。まるで、ギガハウンドから逃げ出すかのように。
こんな、こんなのもののために蘇ったのか、俺は?
「おいっ、フォイル」
耐え切れなくなり、俺は叫ぶ。
もう、背後からリルカとココアの戦闘の音が聞こえないくらいに離れてしまっている。
「何もない、引きかえ」
ぞくり、と。
言いかけたところで、瞬間、自分の周囲が空間ごと凍らされたように感じる。
何だ。何だこれは。
いや、分かっている。直感で、気付いている。
視線を向けられているのだ。ただ、それだけ。殺意はおろか、敵意すら持っていない、ただの視線。ただ見られているだけ。
だというのに、全身が動かない。圧力で。
『この距離ならばお前も感じるか。戦の気配を』
フォイルの声が高揚する。喜んでいるのだ、この圧力を。戦の予感を。
「うっ」
圧力が増す。視線の主が、俺に興味を持った。俺を、じっと見ている。
震えながら、睨む。道の先は闇。俺からは誰も見えない。
けれど、そこにいる。分かる。
かつり、かつりと、足音を響かせて、やがて闇から影が滲む如く現れる。
その数は、三。
「てっきり、番犬の食べ残しかと思ったけれど」
先頭に立ち、そう言うのは少女。少なくとも見た目は少女だった。背も低い。
真っ赤な髪は腰まで伸び、瞳も同じように真っ赤。整った顔つきながら両目は吊り上り、口からは牙がのぞく。
純白のワンピースと両手両足の黒い革手袋、革のブーツが不釣合いだ。
だが、何よりも目を引くのは、血が通っていないかのような白い肌と、角だ。羊のような角が、頭から突き出ている。
少女は、興味深そうに俺を見ている。その視線が刺さった部分が、実際に刃物で突き刺されたような気分だ。
この少女こそがさっきからの視線の主。
これは。
『それが魔族だ、ゴドー。人の天敵だ』
「ふうん、これは、中々楽しめそうね。こんな辺鄙な場所まで、護衛を二人と一匹連れてきた甲斐があったわぁ」
魔族の少女が片手を上げると、背後の二人が音も無く少女の前に出る。
一人は、金細工の散りばめられた豪華なドレスを着た、妙齢の貴婦人とでも言うべき艶やかな女性だった。美しいが、どこか背筋が冷たくなる凄惨さを感じさせる。
もう一人は、整った顔と金色の長髪と口ひげを持つ、三十代くらいの男だ。ごく普通の黒いコートを着ているが、真っ赤なマフラーを巻き、ブーツが磨きぬかれているのが目を引く。
「魔王の予言も偶には当たるものねぇ。ねえ、フォイルの契約者なんでしょ? この世に二つの自我ある魔鎧。ここに来たのは財産を掘り起こすため?」
なおも少女が喋る。
おい、何の話だ、フォイル。
『意味不明だ。我らがここに来たのは、リルカを追ってだろう。一体、この魔族、何の話をしている?』
フォイルの困惑は演技には聞こえない。
「ま、いっか。それにしても、冒険者とつるんでるのねぇ。あっちの冒険者は二人とも大したことないみたいだし、番犬に任せておけば、邪魔は入らないでしょ。どっちか、フォイルと戦いなさいよぉ」
一歩下がって、魔族の少女から命令が出ると、
「なら、俺がやる」
面倒臭そうに男が一歩踏み出した。
髭を撫でながら、男は自らのブーツに目をやっており、こちらを見ようともしない。
「おい、小僧、名乗るか、一応?」
ポケットに片手を突っ込んで男はそう言い、
「魔人、ジョージ・アームストロング・カスターだ。お前も運がないな。いきなり俺と出会うなんてな。けど、不運な奴がいるから、幸運な奴もいるんだ。俺の幸運の糧になれ」
魔人。こいつが、魔人か。俺と同じ、魔人。じゃあ、おそらく片方の女も。
「ごっ、いや、フォイル。魔人、フォイルだ」
つられて本当に自分の名前を言いそうになって、ぎりぎりで鎧の名前の借用に方向転換する。それだけ答える。
ここで、後藤だのゴドーだの名乗っても、百害あって一利なしだ。
「魔鎧の名を名乗るか。別にいいが、自分の名に誇りを持てない人間は運に恵まれないぜ」
カスターは面倒そうにため息をつく。
『来るぞ、装着しろ』
「魔鎧フォイル、装着」
「魔鎧エンジェル・アイ、装着」
俺とカスターがそれぞれ言うのが同時。
次の瞬間、俺はフォイルを身に纏い、そしてカスターも魔鎧を身に着けている。
フォイル以外の魔鎧を目にするのは初めてだが、まるでフォイルとは姿形が違う。いや、鎧にすら見えない。
それはモスグリーンを基調とした、ドラム缶に手足が生えたかのような鎧だった。腕の部分だけが、異様に長く太い。顔の部分は、長方形が組み合わさったような直角的な面で覆われている。
「それが噂のフォイルか。さて、どんなものか」
カスターが呟き、長く太い腕を俺に向ける。
一方、俺の体は既に激痛と共にぎちぎちと音をたてている。
『元の状態が元の状態だ。長くは持たない。飛び込め』
「応」
思い切り石床を蹴る。凄まじい速度で俺はカスターに近づく。二度目とはいえ、目が回るようなスピードだ。
カスターも後ろに跳ぶ。だが、その不格好な鎧の姿そのままに、速度は俺に遥かに劣る。
捉えた。
そう思った瞬間。
「ファイア」
カスターの呟き。
そして轟音。衝撃。
気づけば俺は、宙を舞っている。
「ぐうっ」
地面に激突した俺は即座に起き上がる。そして、見る。
俺に向けられた太い腕には、巨大な筒のようなものが備え付けられていて、そこからは煙がたなびいている。
あれは、まさか、銃口、いや砲口か?
『遠距離攻撃か。どうやら両腕に大砲が付いているらしい。遠距離攻撃に特化しているのだろうな』
冗談だろ、どうやって勝つんだ。大砲なんて喰らったら、体がなくなっちまう。
『一撃二撃ならば大丈夫だ。現にお前は無事だろう』
そう言えば、衝撃はあったものの、怪我もなければほとんど痛みもない。フォイル装着による激痛の方が圧倒的だ。
「何という素早さと頑強さ。さすがは魔鎧フォイル」
楽しそうに魔族の少女が笑う。
『時間がないぞ』
みしみしと体が破裂しそうに震える。
「了解」
敵や大砲への恐怖よりも、時間切れへの恐怖が勝る。
俺は両手を顔の前でクロスさせると、そのままカスターに突撃する。
骨を切らせて何とやら、だ。
「ファイア」
再び、衝撃。腕が弾かれる。踏ん張って耐えて、さらに突撃。
「う」
連射だ。今度は頭に命中。ふっと意識が遠くなり視界がブラックアウトする。
「くそっ」
奥歯を噛みしめて、なおも足を止めずにいると、今度は左足を撃たれる。その場に転びながらも、残る両手片足で跳躍。
「ファイア」
ようやく迫ったと思った矢先、胸に命中。至近距離で大砲に撃たれた衝撃で、身体が引きちぎれるかと錯覚する。
そして鉄の味。喉の奥から血が溢れてくる。
だが、それでも。
「ぬう」
カスターがうなる。
俺は、ついにカスターの懐に飛び込んでいた。




