一の九
『時間がない、決めるぞ』
言われるまでもない。
俺は全力で、その寸胴のような鎧の腹の部分に、思い切り拳を叩きこむ。
トラック同士が正面衝突したかのような音がして、カスターが吹き飛ぶ。が、同時に。
「あっ、ぐ」
ぶらり、と殴った俺の右腕が肩から垂れ下がる。肩が抜けた。そして、右手首もあらぬ方向に折れ曲がっている。
自らの拳の速度と衝撃に、俺の体が耐え切れなかった。
そうして、限界だ。全身がバラバラになろうとしている。
まだ二人残っているが、それでも、もうこれ以上は。
「解除っ」
声をかすれさせながらそれだけ言う。
途端に、俺は生身に戻り、これまでの反動で地面に倒れ伏す。
「あらら、カスター、生きてる?」
少女がはるか向こうの闇に問いを投げると、金属音が返ってくる。どうやら倒れていたカスターが起き上ったようだ。
「死んではないみたいねぇ。さぁて」
少女は赤い瞳で、地面に寝転がり、荒い息をつく俺を見下す。
「素晴らしい能力だけど、契約者に恵まれていないわねぇ。フォイルの特性上仕方ないけどぉ。でも、このまま放っておけば脅威になるかもしれないわぁ」
皮手袋をつけた手のひらが、俺に向けられる。
死ぬ。死ぬのか。
『充分だ、ゴドー』
フォイルの声がする。自信に満ちた声。
『後は、我に任せろ』
ぐるり、と自分の眼球が勝手に動く。自分の体が自分のものでなくなるかのような感覚。マリオネットにでもなったかのような気持ち悪さが、瞬間的に襲ってくる。
何だこれは。
「うわっ」
声を上げ、後ろに飛びずさったのは魔族の少女だ。
「やばいやばい。あくまで偵察のつもりだったから、これ以上は止めときましょ」
「あら?」
貴婦人が怪訝な顔をするが、
「一旦退くわよ、エルジェーベト」
少女に促され、一歩引く。
「カスターも、帰るとしましょう」
そう言って、少女とエルジェーベトと呼ばれた貴婦人は消えていく。
「あの娘」
闇に溶ける最後、貴婦人は一度振り返って俺の後ろに目をやる。
「いいわね。欲しい」
エルジェーベトはその上品さには似つかわしくない舌なめずりをして、犬歯を光らせてから闇へと消えていく。
しばらく、俺は固まったように身動きをせず、息を殺す。
やがてあの三人が本当にいなくなったのだと納得できて、生きた心地がしなかった俺は、ようやくほうと息をつく。
「うっ」
眼球が自分の制御下に戻って、突然のことに目眩がする。
おい、結局何をしたんだ。
『別に大したことはしていない。お前の脳の、そうだな、総計で半分程度の領域を一時的に借りただけだ』
はあ?
『ある程度なら我がお前を操れるのは知っているだろう。一時的に借りて、殺気を飛ばした。いわば、はったりだな』
はったり? ただの、はったり?
『うむ。魔人の二人はともかく、あの魔族の少女は危険に敏感そうだったからな。向かってくる魔人を退けてから殺気をぶつければ、この場は退いてくれるのではないかと期待していた』
期待って、賭けもいいところじゃないか。
『無論だ。今のお前と我では、魔族と魔人二人など相手にできるはずもなかろう』
いけしゃあしゃあというフォイルに俺は文句も言えない。
だが、ふと不安になる。
魔族の少女、明らかに並みの存在じゃあなかった。あの少女が、危険を感じて退くほどの殺気。一体、どれほどの殺気なのか。そして、それを発することができるこの鎧は、一体何なのか。
「フォイル」
『何だ?』
「……いや」
問いかけようとして、止める。どう質問していいか分からないし、そもそも聞いたところで記憶がないと言われて終わりだろう。
「早く、戻ってあいつらに加勢しないとな」
俺がそう言うと、
『どうやら、その必要はないようだぞ』
「え?」
血の気が失せるとはこのことだ。
一気に手足が冷たくなる。
まさか。
『思った以上にやるな、あのエルフの魔術師。リルカも、よくぞ倒したものだ。二人とも無事だ』
だが、続くフォイルのセリフに俺は脱力して、そのまま全身の猛烈な疲労と共に意識が遠のく。
凄いな、リルカもココアも。俺の何倍も凄い。
薄れていく意識の中で、そう思わざるを得ない。
『おい、こんなところで気絶するな。モンスターに食われるぞ』
それもそうだ。
何とか意識を繋ぎとめて、ふらふらと起き上がる。
『前回装着した時よりはマシになっているはずだ』
「ああ」
そういや、そんな気もする。でもどうして?
『慣れと成長だ。特にお前の肉体と精神は魔鎧の契約者用にカスタマイズされているわけだからな。装着しているうちに馴染んでくるものだ』
怖い単語が聞こえたけれど無視だ。
さて、ここで道を戻ったらリルカとココアに鉢合わせする可能性がある。俺は致し方なく、ゆっくりとした足取りで前に進むことにする。まだ自力で立っていることができないので、壁に手をつきながらだ。
最初こそ、モンスターが出てこないか、最悪の場合さっきの三人がいないかと警戒しつつ歩いていたが、やがて誰とも出会わないので段々と足取りも軽くなる。
「どうしてモンスターがいないんだろうな」
『あの三人組、いや、番犬、おそらくは例のギガハウンドが倒したんだろう。本来はそのために連れてきたのかもしれん』
なるほど。けど、モンスターが魔族や同じモンスターを襲ったりするのか?
『ダンジョンに存在するモンスターは、ダンジョンの外から来たものを全て襲うはずだ。縄張りに侵入してきた敵だからな』
分かりやすい。
「じゃあ、あれはどう思う? 俺達が来ることを魔王が予言していたってのは」
『分からん。ただ、少なくとも魔王が本当に存在するらしいと分かったのは大きい』
そういう考え方もできるか。確かに、どうも単なる伝承の中だけの存在というわけではなさそうだ。
フォイルと喋りながら歩き、何度か曲がったところで、何だか見覚えのある雰囲気の場所に出る。
「あれ?」
そして、そこにはギガハウンドの死体がある。ところどころ焼け焦げ、斬られている。
ということは。
「ぐるっと一周したのか?」
『そうらしいな』
分岐はなかったから、これでルーキフェル遺跡はおしまいってことだ。
ギガハウンドの死体が消えるまえに一周できるとは、この遺跡は予想した以上に規模の小さいダンジョンだったらしい。
「リルカ達はどこ行ったんだ?」
『帰ったのだろう』
「ダンジョンを探索せずに?」
『その余力がなかったのだろう。ギガハウンドを倒したのだ。それも当然と言える』
確かに。じゃあ。
『うむ。我らも戻ろう』
フォイルの同意も得られたので、俺達もダンジョンを出ることにする。出入り口付近ではリルカ達がいないかとこそこそとしたが、結局何事も無く町に戻ることができた。
町に着くころには、既に日は沈みかけ、町は黄昏に染まっていた。
「ん?」
と、町が騒がしい。
町の中心部に近づくにつれ、どんどんざわめきは大きくなっていく。
何だろうかと気にはなるが、とりあえずそれを避けて、目立たない道を通りつつ宿屋に戻る。
宿屋では、女将さんが仁王立ちして鬼の形相だ。
「うっ」
回れ右して宿屋を出ようとするが、
「あんた、ゴドーだっけ、勇者様の言いつけを破って逃げ出したね!」
大声で叱責されて、体が固まる。
「ああもう情けない。勇者様はルーキフェル遺跡でギガハウンドを退治したっていうのに」
「えっ」
どうして知ってるんだ。
「まあ、驚くわよね。ギガハウンドなんて中級ダンジョンの難敵級のモンスターが出てくるなんて。けど勇者様は勇敢にもそれに立ち向かって、なんと倒したのよ。勇者様も、新しく仲間になったエルフの魔術師様も、凄いわよねえ」
ココアのことか。
「さっきダンジョンから出てきた勇者様がぼろぼろで、ギガハウンドを倒したっていうから町中大騒ぎよ。最初は信じていなかった連中もいたけど、ギガハウンドからドロップする黒牙ってアイテムを勇者様が持っていたことが分かってからは、もうお祭りみたいな騒ぎになって。ああ、それに比べてあんたは」
ふるふると女将さんは世にも情けなさそうに首を振る。
結構ぐさぐさくる。
「ゴドー!」
と、宿屋に物凄い勢いでリルカが飛び込んでくる。
ギガハウンドとの戦いで結構やられたらしく、ところどころに包帯を巻いてはいるが、結構元気そうだ。
そのリルカの大きな瞳に、炎が燃えている。
「ほ、本当に、いた」
と後ろからひょっこりとココアが顔を除かせる。ココアも擦り傷がちょっとある程度で元気そうだ。もうフードを被ってはいないが、長い黒髪で結局顔の半分くらいは隠れてしまっている。
「や、やあ、大変だったみたいだな、ギガハウンドを倒」
「そんなことはどうでもいいです!」
ずかずかとリルカは足取りにまで怒りを込めて近づいてきて、
「ゴドー、あなた、走り込みを途中で逃げ出したらしいですね」
「い、いや……」
「しかもつらいからといって途中でポ―ションを買って飲んだらしいですね」
「う……」
「今すぐ、走り込みです。今度は許しませんよ」
目の奥でめらめらと炎が燃えている。
助けを求めるようにココアに目をやると、とことこと俺の傍に寄ってきて、
「あ、あ、安心して」
小声で囁く。
「え?」
何を?
「だ、ダンジョンで、ギガハウンドに怯えて動けなかったことは、ひ、秘密にしておくから」
あ、そっか。
「あ、ありがとう」
強張った顔でそれだけ答える。
確かにそう考えられてもおかしくはない。
「何をこそこそ話しているのですか?」
小声で俺とココアが喋っているのを見て、突然リルカが冷静になって目を細める。
「初対面なのに、随分仲がいいですね」
というか、冷たすぎてこれはこれで逆に怖い。
「い、いやあ、誰かなと思って」
「彼女はココア。エルフの魔術師であり、私の旅に協力を申し出てくれた仲間です。素晴らしい腕の魔術師です」
「い、いやあ……ふひひ」
てれてれとココアは頬を赤くしてうつむき、頭をかく。
「へえ、そうなんだ」
あえて驚いたように返してみる。
「さあ、じゃあ、ゴドー」
「ん?」
「走ってください」
こんなにくたくたなのに、嘘だろ。日だって沈みかけてるし。
「まあまあ、そんなに怒ることないじゃないか」
そこに救いの女神ならぬ救いの女将が現れる。
「せっかくのめでたい日なんだ。どうだい、勇者様と新しい仲間の魔術師様の出会いを祝して、これから化け猫亭でぱーっとやるっていうのは。村の連中で奢るからさ」
「いえ、そんなわけには」
慌てるリルカは、
「それに、結局遺跡で魔王の手がかりを見つけることもできませんでした。不甲斐ないばかりで、何もめでたくありません」
と、暗い目をする。
「何言ってんだい、強敵に出会ったのにそれを倒して勇者様が生還した。おまけに心強い仲間もできた。めでたくないわけがあるかい。ねえ、魔術師様」
ばんと、背中を女将に叩かれ、
「う、ああ、は、はい」
顔を真っ赤にしながらココアはそう言う。
「た、確かにココアが一緒に来てくれるというのは僥倖というものですが」
「だったらあたし達の好意を素直に受け取ってくださいよ、勇者様」
「……ありがとうございます。あなた方のご厚意、確かに胸に刻ませていただきます」
感極まったのか、目を潤ませながら深々と頭を下げるリルカと、そのリルカの姿を見て感動したのか震えるココア。
二人を温かい目で見守る女将さん。
とてもいい光景だ。問題は、俺がその輪にちっとも入ってないことだが。
『今日はお前は自らを酷使しすぎた。一晩ゆっくり休むべきだ。走らずに済んで幸いだ』
とフォイルから無味乾燥な有難い言葉をいただく。
化け猫亭には女将さんを初めとして、町の騒ぎたい面々が集まったらしい。大賑わいだ。
全員が酒を飲み、料理をつついているなか、リルカとココアは姿勢を正して椅子に座り、酒は飲まず水と料理を行儀よく食べている。ココアはリルカが横にいるからか、少し緊張気味ではあるが。
そして、その騒ぎの渦から少し外れたところで、俺はぽつんと一人、パンをかじっている。
「はあ」
思わずため息。情けない。俺は、今やカミサの町中から、走り込みを逃げ出した勇者の従者、として知れ渡ることになってしまった。
『魔人だと告白すればどうだ』
できるか。
しかし、食事をすると、食べたものがそのままくたくたに疲労した肉体に行き渡り、回復していくような感覚がある。
『実際、そうなっている。お前は魔人として生まれ変わった。その肉体は、損傷から自己再生し、より強靭なものになるよう改造されている。最終的には、食事自体不要になるはずだ』
マジかよ。まあ、今更驚かないけど。
しかし、つらい。ちらちらと町の連中が俺を白い目で見ている気がする。あと、こそこそと何か俺を見ながら話をしていたり、笑ったり。
『被害妄想だろう』
「けっ、いいんだいいんだ、俺なんて」
大騒ぎの店内で、一人やさぐれながらスープを啜る。
「おや、こんなところに」
と、喧騒を抜けてリルカがひょっこりと顔を出す。
「何だ、サボリ魔に何か用か?」
決まりの悪さから、冗談半分で俺がそう言うと、
「もう、そんな拗ねないでください」
リルカは困った顔をして、俺の隣に座る。
「その、すみませんでした。私も頭に血が昇ってしまって」
ぺこりと頭を下げられて、逆に慌てる。
「いや、リルカがせっかく走りこみを提案してくれたのに、裏切った俺が悪いんだ。謝らないでくれ」
「いえ、その」
気まずそうに口ごもってから、リルカは斜め下に視線を落とす。
「心配だったんです。走りこみの途中で姿が消えたと聞いて、モンスターに襲われているのかもしれないと。それで、つい興奮して我を忘れてしまいました」
こうなると俺が完全に悪者だ。本当に申し訳なくなってくる。
「すまん!」
俺は頭を下げる。
「明日、絶対に走る。明日こそ走って、リルカの信頼を取り戻す」
「いえ、そんな、考えてみれば最初から無茶な提案でしたし」
「いや、走る!」
「ふふっ」
あまりにも必死に断言する俺がおかしかったのか、リルカは噴き出す。
「分かりました。それじゃあ、明日は走ってくださいね」
言うリルカの目は優しげで、頬も上気している。結構な上機嫌になったらしい。謝った甲斐があった。
「もちろんだ」
『今日一日休んで明日鍛錬。いいリズムだ』
なんとフォイルまで賛同する。これは走らざるを得ない。
「あの」
突然耳元で声がする。驚いてそちらを向けば、いつの間にか至近距離にココアの顔がある。
「うおっ、どうした」
「あ、あの、勇者様に、優しくしてあげて」
ぼそぼそと、小さな声で囁いてくる。
「え?」
「遺跡を出て、ゴドーさんがいなくなったって聞いて、凄い心配してたの」
「ああ、それは聞いた。モンスターに襲われたかもってやつだろ。いらない心配させて申し訳なかったよ」
「い、いえ、それもありますけど」
「ん?」
「ゴ、ゴドーさんが、勇者様に付いて行くのが嫌になって、逃げ出したんじゃないかって、落ち込んでて」
「あー……」
目から鱗だ。そうか。俺にそんな発想が一切無かったから、考えもしなかった。が、確かにシチュエーションだけを考えたら、そっちを疑うのが自然かもしれない。
「な、何だか、凄い落ち込んでて、あ、あたしが慰めても聞かなくて」
「そうか、なるほど、そうだな。悪かった。ありがとう」
「いっいえいえ」
ぶんぶんと大きく首を振ろうとするココアだが、至近距離に俺がいるから額と額が斜めにぶつかる。
「うっ」
「あっ」
俺は平気だが、ココアがふらりと頭から俺の方へ倒れこんでくる。咄嗟に、頭を抱えるようにしてココアを支える。
「あっ……」
俺の両手はココアの両の頬を包むようにして添えられ、指先がエルフ特有の長い耳の根元をくすぐっている。
ぼさぼさの長い黒髪が割れて、いつもは隠れている、ココアの瞳が露になる。大きく、黒い瞳だ。
何となく、お互いに動きを止めて、しばらく見つめ合う。
「いっ」
激痛。
敵襲かと思いきや、俺の耳がリルカに捻じり上げられていた。
「痛たた」
「ゴドー」
さっきまでとはまるで違う、底冷えするような声がリルカの口から出てくる。
「うっ、な、何でしょう」
「乙女の顔を遠慮も無く手で掴むとは、紳士の風上にも置けませんね」
「いや、これは不可抗力で」
フォローしてくれとココアを見ると、彼女は真っ赤になって身動きが取れていない。目の焦点すら合っていないように見える。
手を離すと、ふらついてから、ぱったりとその場に倒れる。
「純真なココアを惑わすとは」
「そ、そんなつもりは……」
もう怖くてリルカの方を向きたくないが、それでも向かないわけにはいかあい。
「どうやら余程明日は走りこみたいらしいですね」
再びリルカの目の奥で炎が燃え盛り始めている。落ち込んでいるよりは余程いい。だが、できれば落ち込んでも怒ってもいない方がいいかな。
『困ったな。過剰な鍛錬はマイナスだぞ』
と、フォイルが冷静な心配をしてくれる。




