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私は頑張るあなたの味方!  作者: #N/A
第1章 『救済の桜』
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第1話 無限に解放される事のない労働

可能な限り毎日の更新となります。

最近気分が落ち込んでいる、人生が上手くいかない、と心のどこかで思っていらっしゃる方には特にお読みいただきたい作品です。お読みくださるあなたを笑顔にさせ、心を照らす一助となる何かがもしありましたら、それ程嬉しい事はありません。


少しでも面白い、続きが気になると思っていただけましたら、ブックマーク・評価等いただけると非常に励みになります!どうぞよろしくお願いします!

 窓の外を見れば透き通る青空の下で、桜が咲いていた。


 美しい桜並木が、今俺がいる会社や車が走り行く道路を囲んでいる。儚いピンク色の花びらが、遊び心ある妖精のように宙を舞っていた。この季節が訪れる度に俺は感傷に浸り、新たな出会いへの期待に胸を膨らませたものだった。


 そんな桜をゆっくりと心を落ち着かせて見る時間は、今の俺には一欠片もありはしなかった。


 俺、時枝 広志 (ときえだ ひろし 通称:ヒロ)は大企業に勤めている二十一歳だ。高校を卒業し、社会人になってから三年が経った。


 配属された部署で管理職の立場を任命された───という聞こえの良いものではなかった。何人ものベテランが辞めていった事で慢性的に人が足りず、人員の入れ替わりが幾度となく繰り返された。そしてその果てに、何故か俺がその後釜に座らされる事となったのは半年前の出来事だった。


 ちょうど今この時も俺はキーボードを叩いている。事務机のパソコンに釘付け状態になり、脇目を振る暇もなく本社の上官へ送る週報を作っていた。業務エリアは何の血も通っていなさそうに思える程殺風景で、奥行きは広大だった。俺の席はそのエリアに無数に並んだ事務机の一端にあった。


 時刻にするとちょうど十六時になったところだが、昼休憩を取っていなかった。そもそも正直に言えば、今日も昼休憩を取れるかどうか分からなかった。


 環境はそれ程に激務だった。朝九時からノンストップで動き続けていた。プロジェクトの経費計算、現場入りしている部下達のノルマの管理、ギリギリの納期で押し付けられた書類の承認、取引先との交渉、労働、労働、労働、また更に重なる労働。果てしなく終わりの見えない労働。無限に解放される事のない労働─────。


 俺は空腹に苛まれながら、ほんの少し周囲のデスクを見渡してみた。広がっているのは毎日のように同じ光景だった。奥行があり広大な業務フロアでは働く人間が二百人以上存在する。


 常に忙しなく誰かがドタバタと走り回っていて、無限と思えるほどひっきりなしに取引先や他部署からの電話が鳴り続けた。ミーティングエリアからは五分に一回くらいのペースで、何かしらの理由で発された怒鳴り声が聞こえた。


 胃がくしゃりと音を立てて潰れそうな程に腹が減っていた。そんな極限の空腹に苛まれていると、ふと足音が鼓膜を打った。それは聞き馴染みのある、雑な足音だった。


 俺は振り返って肩をすくめた。後ろに立っていたのは想像通りの人物だった。上司であり統括の葛木は今にも眠ってしまいそうなくらい退屈そうな顔で俺を見下ろしていたが、俺と目を合わせた瞬間に頬を吊り上げ、ニヤニヤと笑いだした。


 時期と時間帯を考えて彼は今忙しいはずだが、まるで悪巧みが成功したかのように楽しげに、それでいて何やらいやらしげに笑っていた。人の顔を見て笑うこの失礼な男は俺より二つ年上だった。黒髪は自然体で整っていて、目つきはお世辞にも良いとは言えず鋭い。その風貌を一見するだけならあたかもどこにでも居る普通の青年、あるいはかっこいい大人の男性といった印象を誰もが受けるだろう。


 しかし向かい合ってみれば、そのスリムな肉体から強烈な存在感と野性的な力強さを全身から放つ男だった。俺はこの男と面と向かい合うだけで毎回、言葉を交わさずとも全身の肌が大火傷するかのような気持ちにさせられた。


 よく見ると耳には痛々しいまでの、無数のピアス跡があった。いつも楽しそうに笑っているか、眠たそうにしているかの両極端の男だが、今日は前者のようだった。


 葛木は俺の名前を呼び、「今日も頑張ってるなぁ」と言った。一体この男は何をしに来たのだろうと俺は思った。俺はわざと怪訝な顔をしてみせたが、彼はずっとニヤニヤと笑い続けるのをやめなかった。


「どうしたんですか突然」

「んだよその面?ちゃんとやってる部下を上司が褒めるのは当然だろうよ。心の中で何百回褒めたって届かねぇ。口に出して、初めて相手に伝わんだよ」

「調子の良い事言って、また追加の仕事の押し付けですよね?」

「違ぇよ。昨日パチンコ五万勝ってさ。自慢しに来たってワケ」

「勘弁してください」


 葛木は自慢話をし、満足げにケラケラと笑った。俺は溜息をつく以外に出来る事は何もなかった。そして彼はふと思い出したようにそういえば、と続けた。


「例の商談は進んでるか?」

「あ、はい。経験のない規模の商談なのでじっくりと……」

「お前に掛かってるからな。頼むぜ」

「分かりました」


 葛木はその返事を聞くと、ニタニタとお調子者のように笑いながら管理室へ戻っていった。俺はその背中を刺すように見つめ、姿が見えなくなったのを見届けた。そして改めて瞑目し、重苦しく息を吐き出した。


 彼は俺が入社してから三年間、何故かは分からないが殊の外俺に目を付け、未熟な部分を指導くださった上司だった。彼ほど頭の回転が早い男は今のところ見た事がないし、論理的な思考に長け、頼りになる事は間違いない人物だった。


 彼を一言で言い表すならまるで、人物というよりも事象のような男だった。毎度嵐のようにやってきて、嵐のように去って行く。葛木が去った後の空間は雨上がりの静かで美しい草原のような静けさと安心感に包まれて、普段殺風景で殺伐としているはずの業務エリアがやたら綺麗で美しい場所であるかのように映った。


 俺は葛木から、かなり大きな規模の商談を任されていた。成功すれば会社に大きく貢献する事が出来る内容であり、支社内でも一目置かれる程の内容だった。


 任された当初は流石に全身が強張るのを感じた。何故なら逆に言えば、決して失敗は許されない内容であるからだ。


 現状は渾身の努力が実を結び、商談は順調に進んでいる。どうにかこのまま何事もなくやり切りたいと、切実に思った。


 俺は週報を送信して受発注管理システムAIを起動した。取引履歴確認と商品在庫のチェックをし、諸々が問題ない事を確認して席を立つと一瞬、意識が明滅した。


 上下左右も分からないような感覚に思わず事務机を手すりのようにして寄りかかり、額を抑えた。約七時間ほとんど座りっぱなしだった故に立ち眩みが起きたのだろう、と俺は思った。


 おぼつかない足取りで業務エリアを出て、社内食堂に入った。社内食堂は休憩室も兼ねていた。時間が時間であるからか、人は少なかった。


 財布から千円札を抜いて券売機で週替わりランチのボタンを押下し、ご飯と葱と豆腐の味噌汁と牛肉コロッケとベビーリーフとツナとトマトのサラダを食べた。


 ぼんやりとしていた意識が、食事をした事でようやく健全な鮮明さを取り戻した。そしてようやく先ほどから耳に入っていたであろう、うるさい話し声に俺は気付いた。


 俺は身動きせずにご飯の茶碗を手に持ったまま、目だけ動かした。右手四メートルくらい先に二人の女性社員が座り、笑って話をしていた。伊藤と川村だった。


 どちらも俺の部下ではあたる一般社員ではあったが年上で、伊藤は二十代後半、川村は二十代前半といったところだろうか。川村はまだ経験が浅いが、伊藤はバックアップ事務のベテランだった。


 二人はじゃれ合うようにして先日食べた麻辣湯の話や、甥っ子の誕生日にプレゼントしたシャーペンがやたら高価だったというような話をして笑っていた。


 この二人は仲が良く、たまにこうして食堂で話しているのを見かける事があった。ただ、俺の中の記憶では二人が休憩できる時間はもうとっくに過ぎているはずだった。


 俺は立ち上がって二人に近寄った。俺が話しかけようとすると、伊藤は俺に気づいて顔を上げた。その途端に楽しそうだった表情を一転させ、「何見てるんですか?」と言って忌々しげに睨みつけてきた。川村は俺を見て露骨な溜息を吐き、つまらなそうな表情でスマートホンを触り始めた。


「えっと、今日何かイレギュラーの動きがありましたか?」

「無いですけど」

「であれば、休憩時間過ぎてるので戻ってください。ただでさえ人が足りてなくて」

「過ぎてないですよ。勘違いでは?」


 絶対にそんなはずはないと俺は思った。二人は明らかに予定の時間を三十分以上オーバーしていた。


「何かあったなら教えてもらえませんか?解決出来る事かどうか可能な限り協議したいので」

「余計なお世話です。話かけないでください」


 俺は敵意が無い事を前面に押し出して訊いてみたが、伊藤は俺を睨んだまま角が立つ口調でそう言い放ってスマートホンを触り始めた。


 まともな会話すら出来なさそうだったので、俺は自分の席に戻って食事を続けた。すると二人は何事もなかったかのように再び楽しそうに会話を始め、黄色い声で笑い合った。殺すぞこいつらと俺は思った。


 俺はコロッケを口に運び味噌汁を啜っていたが、やがてこの静かな食堂で響くには大きすぎる派手な音が聞こえ始めた。


 左手六メートルくらい先を見ると、三十代後半と思われるぽっちゃり体型の男性社員、橋本がテーブルに突っ伏していびきをかいて寝ていた。


 橋本は俺の同僚だった。受発注取引記録の管理を受け持っている。橋本が突っ伏している腕のすぐ傍には、吹き散らかされたかのようにコンビニ弁当の空箱が三つと箸が放り投げ出されていた。


 ぐっすりと眠り込んでいる橋本は、自身のスマートホンに電話の着信が入り大音量で鳴っているのにも気づかない。彼は確か、かなり重要な連絡がある可能性があると言って電話をずっと待ち続けていたはずだったのだ。俺は再び席を立って彼の元へ歩み寄り、その肩を何度か強めに叩いてみたが起きる気配が全くなかった。


 俺はめげずに強く肩を叩いて橋本さんと何度も呼んだ。しかし橋本は「うるさぁい」と寝言のように言って俺の手を払いのけた。その周囲に座っていた数名の社員達が、次々と立ち上がって遠くの席に移動していった。


 俺は食事を終えて食器を片付け、自販機で缶コーヒーを購入した。そしてコーヒーを飲みながらスマートホンで月額課金アプリを開き、漫画を読んで昼休憩を過ごした。どうせ今日も二十一時までは帰れないだろう、と俺は思った。



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