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49.向かい風に吹かれながら声援と変態に涙する

すいません、今回長いです。

分量的には二回分あるんですが、この部分は一気に読んだ方が良いかと思って切りませんでした。

 名前を呼ばれてから空へ飛び出すまで、それなりに時間があった筈なのだけど。飛ぶことだけを考えていたクラエスフィーナには、あっという間の出来事のように思われた。

 クラエスフィーナがボーっとしている間に機材をホッブとダニエラが運び込み、ホッブが導師たちに向かって自信満々に研究成果を説明した。質疑応答では色々咄嗟に答えにくい質問も出たそうだけど、ホッブはまるで聞かれる内容が事前に全部分かっていたみたいにサッと答えを返していた。実際には覚えていないことでも、彼はアドリブで瞬時に答えを捏造していたらしい。表面に出さないところはさすが法論学科。

 その間にダニエラが発射台のゴムの巻取りを一人でやり、方向の調整も済ませてくれた。今までの実験ではどちらも三人くらいでやっていたので、なかなか大変だっただろうとは思う。

 そしてハッとクラエスフィーナが気がついた時には。


「おっしゃ、固定ベルト装着良し! クラエス、いざという時の脱出用ナイフは持ってるな?」

 ダニエラに聞かれ、クラエスフィーナはポケットを叩いた。最初の時みたいに固定ベルトが外れなくなったら、この小さなナイフでベルトを切って脱出する。安全対策もバッチリだ……パニックになっていなければ。 

 一抹の不安を覚えるクラエスフィーナに、ダニエラがニヤリと笑って付け加えた。

「この“翼”は地上に降りるようになってねえからな……クラエス、もし飛び過ぎて向こう岸まで行っちまったら、湖の上にいるうちにこのナイフで“翼”の表面を切り裂け! そしたら湖面に“安全なうちに”墜落できるからな」

「墜落する段階で安全じゃないよぅ……」

「軽い工造学科ジョークじゃねえか」

「いっぱいいっぱいの時に反応に困る冗談を言わないでよ……」

 ホッブが方向を最終確認する。

「いいかクラエス、貴賓席と有料観覧席は仕方なくだが……コースの大体半分から先に、応援の連中が点々といるはずだ。ヤツラの見たくもねえ顔も何かの力になるかもしれん。ちょっとだけ飛距離が伸びるが、岸がずっと見えるようにこう、弓なりに飛ぶように努力してくれ」

「了解だよ! 嬉しいな、誰が来てくれてるかな」

 ジュレミーとラルフと応援の幼年学校生はすでに岸辺のどこかに向かっているはず。彼らの声援がきっと力になるだろうと、クラエスフィーナの緊張した顔もわずかにほころんだ。

「よし、じゃあ行くぞ!」

 ホッブが右手を掲げてタイミングを取り始める。

「おし来たあ!」

 ダニエラが発射台のスイッチの前に陣どった。

「いつでもいいよ!」

 クラエスフィーナもハンドルを強く握って射出の衝撃に耐える姿勢になった。


 ホッブが風を見る。緊迫の時間が数秒流れ、ホッブが静かに、しかし大声でカウントを始めた。

「五!」

 クラエスフィーナが身を縮める。

「四!」

 ダニエラが後ろで動く気配がする。

「三!」

 クラエスフィーナの脳裏を一瞬、今までの苦労が早回しで駆け巡った。

「二!」

 ホッブの顔が緊張で固くなる。

「一!」

 ダニエラが息を止める音が聞こえた。

「行っけぇぇぇ!」


 シュパンッ! という意外と軽い音とともに。

 クラエスフィーナの身体に引っ張られるような力が加わり、一瞬の後には視界が変わっていた。




 クラエスは風魔法を念じながら、ハンドルについているレバーを慎重に握りこむ。風魔法も慣れない頃は一生懸命かけまくっていたけど、今は使いどころというか、効率よく飛ぶ為には強弱をつけて間を空ける方が良いことが判っている。

 地上の様子を見ながら、左右のレバーの握る力を変えて方向を調整。行く先がやや右寄りになって来たので、クラエスは完全に回りきる前に右手のレバーを離した。視界の端で“翼”の表面に立ち上がっていた抵抗板が倒れ、機体を伝って軽い振動が響いてくる。方向はこれでおおかた良くなったはず。後は湖から飛び出してしまわないように、時々微調整すればいい……と思う。

 クラエスフィーナの目に、地上の熱狂する様子が見えてきた。野次馬たちは熱心に応援しているというより酒のつまみに試験を見ているという感じだけど、とりあえずまともに飛んでいる姿を見せられているので今は安堵する。

(緊張しているせいかな? ちょっと機体が“重い”気がするよ……)

 達成できるか、また心配になったけど……今さらそんなことを気にしても仕方ないとクラエスフィーナは考え直した。

 もうすでに空に飛び出している。あとは数分間を全力で飛び切るだけ!

 

 見事に機体を制御してゆっくり飛び去るクラエスフィーナを見送り、ホッブとダニエラは顔に心配の色を浮かべた。

 クラエスフィーナが飛び立つまでは余裕を演じていたけれど、今は偽装もはげ落ちて厳しい表情になっている。本人には見えないように隠していたけど、実は楽観できる状態では無いのだ。

 ホッブがちらりと吹き流しを見た。風にそよぐ縞模様の布は、緩やかながらも手前側にはためいている。

 時刻はすでに昼食を取るにも遅い時間……風は向かい風になっていた。




 さすがのクラエスフィーナも、コースを三分の一ほど飛んだ頃には(おかしいな?)と気づき始めていた。

(風が、午後の風になってるよ!)

 機上ではいつだって風を正面から受けている感じがするから気がつかなかったけど、ここまで飛ぶのに時間がかかり過ぎている。

 だとすると、この先ずっと向かい風だ。自分の風魔法で作った人工風と天然の向かい風の押し合いになる。それが合格ラインまで続く。体力勝負だ。

 地上のところどころに設置されている吹き流しを見ると、やはり終着点の側から風が吹いている。しかも揺れ方から言って風量が不安定だ。突風の心配もある。

(風が強くなってきたら、私の風魔法も強くしないとならない……なんとか魔力が尽きる前に飛び切れればいいけど……)

 エルフは頭を振って弱気な考えを追い出した。

 どうせあと数分。今は無心に機体を操るしかない。




「そろそろクラエスも風の向きに気がついただろうな」

「そりゃそうだろ。結局尊敬すべき学院長(クソジジイ)のおかげで完全に午後になっちまったなあ……なあホッブ、これは八割コースだぜ? いけると思うか?」

 すっかり小さくなったクラエスフィーナを見ながら、ホッブとダニエラは肩を並べていた。

「魔力は微妙な調整を覚えたから、結構いい所まで行けると思う。ただ、最後の最後まで完全に絞り出せるかが気がかりだった」

「やっぱり徹底的に魔力を出し切るってのは難しいもんなんか?」

 ダニエラの質問にホッブが首を振った。

「そいつは魔力の研究をした事ない俺なんかにゃわからん。ただ、クラエスの場合……限界まで行く前に、本人の気力が折れちまうんだ」

「ああ……」

 ダニエラの方がクラエスフィーナとの付き合いが長い分だけ、その辺りはよく判る。

「そこで俺の考えたのが、順風だろうが逆風だろうがきつくなる後半に応援団を分散配置して声援に力をもらう作戦だ。へこみやすいが立ち直りもチョロいクラエスだ。顔見知りが次々応援してくれれば、きっと前向きな気力を維持できる」

 ホッブはそう断言し……小さく付け加えた。

「と、いいがな……」

「おい、おまえが自信持ってくれよ。でも、そうだな……クラエスにはその手は効きそうだな」

「だろ?」

「ああ」

 二人は顔を見合わせて人の悪い笑みを浮かべた。

「クラエスはチョロい女だからな!」




 クラエスフィーナがだいぶ疲労を感じ始めた頃。聞こえてくる地上の歓声の中に、ひときわ大きく自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 岸辺を見ると、数人の男女が“がんばれ! クラエス!”と書いた横断幕を掲げて声援を送ってくれている。ラルフの両親に袋屋さん、あと数人は顔を知らないけどホッブの家族だろうか?

(来てくれたんだ!)

「ありがとー!」

 できるだけ大声で叫んだつもりだったけど、聞こえたかどうか。

 手を振り返したいけど、ハンドルを握るのに必死なのでそこまではできない。クラエスフィーナは頭の中で手を振り返しながら飛び去った。




「応援団もな、配置が大事なんだ」

「配置?」

 計画の概要を知らないダニエラに、ホッブが説明する。どうせ今の待ち時間、見守る以外にやることがない。

「同じように等間隔で並べたって、後ろの方は応援に慣れてきてクラエスのやる気はダレちまう。だからそれぞれの集団にテーマ性を持たせて、どんどん下降するクラエスの気力に鞭を入れるようにした」

 いまいち意味が判らないダニエラが首を傾げる。

「テーマ性って……どんなふうに?」

 ホッブが人差し指を立てる。

「まず一番目がラルフの親の関係。世話になったラルフんちがご近所さん集めて来てくれれば、クラエスは喜ぶだろう。これが『親愛』な」

 次に中指を立てる。

「二番目はさしづめ、『意外』かな」




 なんとなくあったかくなった気持ちを胸に、クラエスフィーナが機体を操っていると。

「クラエスフィーナさぁん!」

 地上から、なんだか若い男の集団が自分を呼ぶ声が聞こえる。声がする方を見ると……二十人近い男子たちが旗を振り、微妙にそろわない声を張り上げてクラエスフィーナを応援してくれている。「クラエスフィーナさん、愛してる!」とか「結婚してください!」とかの横断幕を掲げているので知り合いみたいだが……なんとなく知っているような顔もいるので、おそらく同学年の静学系の学院生たちだ。

(ラルフとホッブが同じ学科の友達に頼んでくれたのかな……みんな、ありがとう!)

 飛ぶのに必死で応援メッセージがおかしい事には気がつかないクラエスフィーナ。


 アントンとその他大勢の静学系の暇人たちは、憧れの“ミス学院”の視界に入ろうと熱狂的に旗を振り、愛を叫び続ける。

「クラエスフィーナさん、絶対俺の事を見たね!」

「ばあか、あれは俺を見たのにきまってるだろ!」

「はっはっは、確実に見てほしければ横断幕係だぜ! コイツには俺の気持ちのすべてを込めた!」

 ……彼らがわりとマジで、飛び去った後には誰が注目をされたかを言い争って取っ組み合いの喧嘩にまでなった……のを後から宴会で聞かされたクラエスフィーナが、微妙な笑顔を浮かべたのは言うまでもない。




「そんで? 次は?」

 ダニエラの問いにホッブが薬指を立てる。

「第三は、『義理』だな」




 向かい風の中、着実な前進を続けるクラエスフィーナ。今のところはうまく操り、予定より遅いものの他には不安要素はない。

(ただ、このまま前へ進む速度が遅くなると……)

 ふと頭をよぎる暗い予想を振り払い、クラエスフィーナがハンドルを握り直したとき。

「行けーっ! エルフの嬢ちゃーんっ!」

「いい感じに行けとるぞーっ! そのまま突き進め!」

「あの飛んでる奴は信頼と実績のエンジェル工房製です!」

 群衆の歓声をシャットアウトするような凄まじいドラ声で声援が沸き上がった。

「これ、もしかしなくても……」

 数百人のざわめきを圧するような大声は、わずか十数人から発せられている。

「エンジェルさんたちだ!」

 火事場の騒音で鍛えられたドワーフたちの叫び声は、音量がメチャクチャデカい。というか、耳がいかれている彼らにはちょっと声を張り上げただけかもしれない。

(そうだよね。これを無理して作ってくれたのはエンジェルさんたちだもの。無理言った分、私も頑張らないと……泣き言なんか言ってられないよ!)

 周りの人たちに支えられて間に合わせたこの実験機。彼らへの借りもあると決意を新たにしたクラエスフィーナは前を向き直す。


 ……もっとも、鍛冶場の連中について言えば肉と酒とエルフの接待に釣られただけなので借りは返しているのだけど……素直なエルフはその点は忘れている。それはクラエスフィーナの美点でもあり、弱点でもあり。




 ホッブが小指を立てた。

「そして四番目は『予想以上』」




 立て続けの応援団に力をもらったものの、やはりルートの八割近くまで来ると相当にきつくなってきている。

(まだ行ける……けど)

 八割は越えられる。最悪なパターンの力の使い方に比べると、まだ気持ちにも魔力の流れにも余裕はある。でも……ゴールに滑り込めるイメージが湧かない。力を使いすぎている現状には変わりがない。

 そんな不安が胸をよぎったとき……湖畔から、今までとは比べ物にならない音量でクラエスフィーナを呼ぶ声が聞こえた。

 前を向くのに必死だったクラエスフィーナが慌てて視線を巡らせると。

『がんばれー、クラエスさーん!』

 綺麗に声をそろえて、幼年学校の制服を着た男女がクラエスフィーナに旗を振ってくれていた。


 その数、軽く百人以上。


「えっ? ……はいいっ!?」

 思わずクラエスフィーナが思考停止したくらい、岸辺が一色に染まっている。今日は何かのスポーツの対抗戦だったかと思うような規模の応援団が、当たり前のようにクラエスフィーナを応援してくれていた。

 当然一番前で手を振るのはラルフ妹(ジュレミー)

「ジュレミーちゃん、こんなに友達を集めて来てくれて……私、頑張るよ!」

 内心が独り言となって漏れたクラエスフィーナは、嬉しくて泣きたい気持ちをかみしめながら改めてハンドルを握り直す。

 少年少女の声援を糧に、やる気に再度火が付いたエルフは気持ちを新たに合格ラインの方角をにらんだ。


 飛び去った“翼”を眺めながら、ジュレミーはクラエスフィーナが成功してくれるように心の中で祈った。

 クラスの皆に、生徒会長の権限(あつりょく)でかき集めた肺活量の大きい運動部、ジュレミー様親衛隊(じぶんのファンクラブ)、それに布教で広げた「クラエスお姉さまを応援する会」を合わせて百五十名を超える人数を用意した。これがちょっとでもクラエスフィーナの励ましになっていればいいけど……。

(クラエスちゃんにはぜひうちのバカ兄に嫁に来てもらわないと……絶対看板娘として人気が出るし、ご近所さんや同業者にも顔が利くようになるわね。それに今のうちから我が校でクラエスちゃんの可愛さを布教して信者を増やしておけば、私が卒業した後でも影響力を維持できるし……)

 後年王都の商業ギルド(商工会)を牛耳るジュレミーの野望は、ここからすでに始まっていた。




 感心しているダニエラの目の前で、ホッブは一回全部の指を倒した。

「だがいくら応援で力を得ても限界はある。疲れもピークに達すると、単純な応援ではもう効かなくなってくる。そこで投入するのが、第五の『飴と鞭』だ」


 


 段々重くなる自分の身体に必死に抗い、クラエスフィーナが風魔法を連打していると。

「がんばれ、クラエスちゃーん!」

「クラエスちゃん、ファイトッ!」

 さっきと違い、なんだかバラバラな野太い声が聞こえて来た。クラエスが重たい頭を動かして地上を見ると……「黄金のイモリ亭」の皆が、酒場のノリをそのままにてんでバラバラに手を振っていた。

 オヤジさんが目立つように屠殺刀を振り回している……危ない。

 丁稚のハンスが店の旗を振っている……セールの告知にしか見えない。

 そして常連のおっさんたちや他学院の学生? たちが酒瓶やジョッキを振り回して声を絞って声援を送ってくれている……彼ら、酒が入っているんじゃないだろうか?

 それでも感激屋のクラエスフィーナには、駆け付けてくれたことが嬉しくて涙が出て来た。

「みんな……」

 見ていると、親父さんが何かを叫んで常連客が横断幕を慌てて広げ始めた。

「なんだろ?」

 急いで広げた横断幕。そこには……。


『合格したら、三日間肉食べ放題!』


「……ふおおおおっ!?」

 ずっと食事制限(ダイエット)させられているクラエスフィーナには、何よりの誘惑!

 そして「黄金のイモリ亭」の皆は、オヤジさんの指示でもう一枚横断幕を広げ始めた。


『不合格だったら、一週間セクハラし放題!』


「ギャアアアアア!?」

 エルフの悲鳴が聞こえて来た気がして、「黄金のイモリ亭」のオヤジは満足そうに頷いた。

「よし、応援は届いたようだな!」




「クラエスには魅力的な“餌”でやる気を出させ、続いてその代わりに最悪な交換条件を提示して、その落差で絶対合格に持ち込もうという気力を奮い立たせる!」

「ホッブ……おまえ……」

 呆れたダニエラに、ホッブは不敵な笑みを見せた。

「まだまだ! 合格ライン直前にはさらに仕込んであるぜ!」

「あと何があるんだよ……クラエスが精神的にやられなけりゃいいけど」

「次は……『恐怖』だ!」




「アレはダメだよ……せめて両方の日数をそろえてよ……」

 わざわざ応援に来てくれた「黄金のイモリ亭」のみんなのおかげと言って良いのか……やる気を追加でもらったクラエスフィーナはなんとか九割を飛び切っていた。ただ、強さを増す向かい風のおかげですでにもうギリギリの状態になってきている。

(みんなに応援……応援って言っていいのかな? に来てもらって、ジュレミーちゃんのおかげで楽に力が入るようにもなったのに……合格ラインが遠いよ……)

 魔力が尽きかけているのがわかる。気力だけでは何ともならない、絶対的な限界が。高度もかなり下がり、湖畔の観客がすでにほぼ真横の高さに見えている気がする。実行委員会の出しているボートも目に入るような高さになっていた。

(あとちょっと、なのに……)

 ほぼ真横に流れている吹き流しが恨めしい。合格ラインはすでに見えるところまで来ている。ここで墜落してしまったら、発進直後に池ポチャした方がマシだった。

(なんとか……あと少しなのに……)

 クラエスフィーナが唇を噛んで前をにらんだ時……明らかに学院関係者と違う男が、揺れるボートの上に一人立っているのが見えた。

(なに? 野次馬がコースの中にまで入って来ちゃったの?)

 危険防止のために一旦中止で延期にしてくれないかな……そんな後ろ向きなことをクラエスフィーナが考えた時。

 目前に迫ったボートの上で、夏の昼間にトレンチコートの男が漕ぎ寄せる実行委員のボートも無視して……コートの前をガバッと開いた。


 何にも着てない。


「俺を見てくれー!」

「ギャーッ!?」

 一瞬で総毛だったクラエスフィーナはあらん限りの力で風魔法を発動する。疲労で重かった意識が一瞬で覚醒し、魔力が尽きかけていると思えない力で高度を回復させた。

「また出た!? また出たよ!」

 涙目のエルフは逃げたい一心で、全力で魔法を行使する。後先なんて考えない。とにかく“変態さん”から距離を取りたい。向かい風なんて物ともせず、クラエスフィーナは合格ラインめがけて必死で機体を操った。


 実行委員と自警団に囲まれながら自称“世界で一番イケてる露出狂”の男は、飛び去るエルフへ絵になるポーズで熱いベーゼを贈った。すでにコートも脱ぎ捨て、何も隠す気が無い全裸マンだ。

「また会おう、愛好家のお嬢さん! 俺の露出を見たい女性がいる限り、俺は何度だって参上しよう!」

「おい、誰か捕まえろよ!?」

「どこを掴んだらいいんだよ! やめろ、押すな! 変態が移る!?」

「それにしても、日の降り注ぐ大自然の中で万座の観衆に我が肉体を披露する日が来るとは……」

 素っ裸の変態紳士は素晴らしい天気に目を細めた。この晴れ晴れした気持ちを何といえばいいのか……。

「エクセレントッ! ちょー気持ちいい! 生きてきて今までで一番幸せだ!」

 大声で叫ぶ全裸マンに、周囲を囲む船から涙交じりの罵声が飛び交った。

「うるさいっ! 周りの迷惑を考えろ、この変態!」




「そんな刺激物が配置されてて、クラエス大丈夫かな……」

 聞いただけでげんなりしているドワーフ。本人も目撃者なだけになおさらだ。

「なあに、そして最後に置いたのが『希望』さ。クラエスはチョロいからな。これで収支はトントンになるだろうぜ」




 かなり合格ラインにまで近づいてきた。

 だがもう、さっきの変態のおかげで魔力は空と言って良い。それに引きずられて極度の疲労を覚えた身体は、方向舵のレバーを握りこむのもつらいくらいに力が抜けている。

 朦朧とした意識の中でも、高度がすでに水面ギリギリになっているのがわかる。合格したい一心で何とか高度を上げようとしているけれど、この無駄な抵抗もいつまでもつのか……。

 そこへ。

「クラエス!」

 一番欲しかった声が耳を打った。

「ラルフ!?」

 ハッとして顔を上げる。いつの間にか前を見ることさえできずに顔を伏せていたのだ。


 水面に張り渡した合格ラインの赤い帯が近くに見える。ボートで待機する実行委員たちが、立場に関係なく“高度を上げろ”と必死にジェスチャーをしているのが見える。その向こう、正面に浮かぶボートの上に……大きく手を振るラルフと幼年学校生の姿が。

「ラルフ!」

 クラエスは血が出るほど唇をかみしめ、ハンドルを握り直した。もう直進すればいいからレバーは放す。身体を固定するためだけのハンドルにしがみつき、正面のラルフだけを見る。

(ラルフのところまで行けば、もう大丈夫だよ!)


 何も考えるな。


 体力も魔力ももう全部使い切ってしまえ。


 ただ、ただ、前を見ろ。


 このまま飛んで、ラルフの胸に飛び込めば全て報われるんだ!


 クラエスフィーナは今度こそ、全身の力を燃やし尽くして機体を小さく引き起こした。水面に着きそうだった下部が、ほんの五十センチだけど浮き上がる。あからさまに高度が回復したのを見て実行委員たちがホッとしたところで……クラエスフィーナの“翼”は水面に流した赤い帯を越えた。

 



 ものすごい低空飛行だけど、かろうじて浮いているのは見える。そんな状態でクラエスフィーナが合格ラインまで機体を持って来た。向かい風が強い中、今までで一番飛べている。

「がんばれ、クラエス」

 ラルフが小さく呟いた時、一緒にボートを漕いできたダスティンとベンジャミンが険しい顔でクラエスフィーナを指さした。

「クラエスフィーナさん、半分意識がないみたいです!」

「進行方向見てないっすよ! あぶねえ、このままじゃ初回の時みたいに着水してひっくり返るかも!」

 転覆防止の前翼をつけてからは、クラエスフィーナが機体の下敷きになることもなくなった。ただ、本人が操縦できないまま急角度で落ちたらどうなるかわからない。

 ラルフは不安に駆られ、立ち上がって叫んだ。

「クラエス!」

 頭を伏せていたクラエスフィーナがピクッと反応し、こっちを見た。笑った、と見えたのは考え過ぎか。

 合格ラインのこちら側で待機する三人は、クラエスフィーナの意識が正常になったのを見て大きく手を振る。

「クラエス!」

「クラエスフィーナさん!」

「ラルフ!」

 今度ははっきり叫び返してきた。離れていても、クラエスフィーナがハンドルを握り直すのが見える。ふわっと機体が上がり、姿勢も持ち直したのがわかった。

「よおし!」

「行けますよ、これは!」

 今の状態を維持すれば合格ラインはすぐそこ。高度が少し上がったので、これはもう……。

 ラインの目印をクラエスフィーナが越えた。ライン直上で待機していた実行委員が旗を振り上げる……色は問題なしを表す青!

「やった……」

 ラルフは飛んでくるクラエスフィーナに視線を向け直した。合格したんだと伝えてあげないと!

 ……そこまで考えたところで、ラルフは……クラエスフィーナの進路がまっすぐ過ぎるのに気が付いた。

「あれ?」

 まさかね。

 ラルフは自分の考えに苦笑する。

「ねえ、なんかクラエスの進路が僕たちにまっすぐ過ぎない?」

 そう笑って言いながらラルフが一緒にボートに乗っている二人を振り返ったら……ダスティンとベンジャミンが湖に飛び込むところだった。

「……いや、ねえ。ちょっと、キミタチ?」

 まさかね。

 ラルフがもう一度クラエスフィーナの方を振り返ったら……エルフの乗った“翼”は、もう目前に迫っていた。




 あちこちに配置されている実行委員が手旗信号でリレーしてきた結果を記録係が読み上げた。

『九番、クラエスフィーナ二年生。合格ラインに達しました。合格です』

 アナウンスを聞き、ホッブとダニエラが掌を叩き合わせる。

「やったな!」

「やったぜクラエス!」

 さらにハイタッチをして喜びを爆発させる二人は、ゴールで何があったのかを知らなかった。


 知っていてもやることに変わりは無かっただろうが。




 クラエスフィーナは課題審査に、無事合格した。

最終回まで書き終えました。あと二回、予約投稿済みです。……長かった……。

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