18.飛べ! クラエス!
翌朝、クラエスフィーナはまたもや最悪の目覚めを経験していた。
頭痛に悪寒、胃のむかつきに倦怠感。途中でダニエラが全部吐かせて水を飲ませていたとはいえ、そもそも前回とは飲んだ酒の量が全然違う。吸収したアルコールに攻め立てられ、クラエスフィーナはもう枕から頭が上がらない状態になっていた。
ただ、前回と違うのは……。
「あうう……」
「大丈夫? クラエスちゃん、辛かったら言うのよ?」
「はいぃ……」
ラルフ母の腕の中に抱きあげられ、頭を持たせかかるクラエスフィーナの額に冷たい濡れタオルが乗せられる。火照った頬やあごの下にもタオルが当てられ、ダウンしているクラエスフィーナは清涼感にウットリする。
「すみません、ラルフ君のお母様……初めてお邪魔したのにご迷惑をおかけして……」
うなされながらも律儀に謝るクラエスフィーナの遠慮を、ラルフの母は快活に笑い飛ばした。
「そんなことを子供が気にするんじゃあないの! 困った時はお互いさまよ? クラエスちゃんは一人暮らしだし、王都に親戚もいないんでしょ? 寂しいわよねえ……本当のお母さんだと思って頼ってちょうだい」
「ありがとうございます……うう、お母さんより優しい……」
ラルフ母の優しさにクラエスフィーナが涙ぐんでいると、ラルフ妹も様子を見に来てくれる。
「クラエスお姉ちゃん、大丈夫? 井戸で冷やしたレモン水を持って来たんだけど、飲めるかなあ」
「あ、ありがとうジュレミーちゃん」
酸味と甘みの効いた冷たい液体を少しずつ飲ませてもらいながら、クラエスフィーナは赤の他人の優しさにほんのり胸が温かくなる思いだった。
(ああ、ラルフのご家族みんな優しい……素敵なお家だよね。いいなあ)
レモン水を半病人に飲ませて器を片付けに廊下に出たラルフ妹は、戸口からそっと覗いている愚兄を肘でどついた。
「こんな所で何をやっているのよ。見舞うのか学校に行くのか、はっきりしなよ」
「いや、なんていうか……」
室内を覗いたままのラルフは、流れる冷や汗を拭きもせず目を瞬かせている。
「まるで聖母みたいに振る舞う母さんの背中から、ドス黒いオーラがメチャクチャ湧き出ているんだけど」
「当たり前じゃない」
母と同種のオーラをまとった妹が、目だけ笑っていない完璧な笑顔でニコリと微笑む。
「まるで女に縁が無いお兄が初めて連れて来た女の子が、超美人でナイスバディで素直で可愛くてちょろいクラエスちゃんだなんて……これはもう逃がすわけにはいかないわよ!」
思いっきり下心アリアリの母子に、善良なラルフは震えが止まらない。
「いや、クラエスは別に彼女というわけでは……」
弱弱しく反論するも、妹はピシャっと叩いてくる。
「お兄の好みピッタリじゃん。美人で巨乳」
「何故知っている!?」
「隠し場所に捻りが足りないのよ」
妹はドス黒いモノをダダ漏れにしながら、両手を合わせてニタリと笑った。
「モテない子の奇跡的な嫁・初孫・次の跡継ぎ・看板娘・給料の要らない従業員を全部ゲットできるチャンス! 絶対逃がさないって、お母さん張り切っているわ」
「母よ……!」
怖い。商人怖い。ラルフは一人戦慄する。実の母が怪物に見える。
兄の考えなんか露知らず、妹もくぐもった笑い声を立てる。
「うふふふふ……クラエスちゃんがお兄と結婚してくれれば私も跡継ぎかもなんて心配しなくて済むしぃ、優しくてちょろいから嫁小姑の確執なんて心配しなくて済みそうだしぃ、ねだればお小遣いもくれそうだしぃ……クククククッ!」
妹も怖い! なんか背後に黒い羽根が見えてる気がする! この家の女性陣はみんなどうかしている! ……と、そう言えば。
「そ、そう言えば母さんもう店に出る時間じゃないのかな? そっちをないがしろにしたら、父さんがキレるかも!」
母や妹から露骨に話題を切り替えたラルフ……だった、けど。
「バカだね、お兄は。あんなにお母さんがのんびり構えているのは、お父さんも先刻承知だからに決まっているじゃない。お父さんも『未来の義娘を逃すな! 今日は店はいいからあの娘を口説いてろ!』って鼻息荒く母さんに言ってたから」
「オゥ、パピー……!」
そう。母と妹がおかしいのなら、あの父が余計にマトモな筈がない。
妹がビシッとラルフの胸に指を突き立てる。
「クラエスちゃんは今二日酔いでフラフラなんだから、落とすなら今がチャンスよ? お兄もなにか頼りがいのありそうな、優しい言葉をかけてあげなよ。絶対グラッとくるよ!」
「女子に縁が無い僕に難しいことを……歯が浮くようなキザなセリフを言えと?」
ラルフは無茶を言うな! と続けようとしたけれど……。
「言・う・の! “鉄は熱いうちに打て”って言うでしょ? 女は弱っている時が一番ほだされやすいんだから。いい? 絶対うちで囲い込むのよ! それぐらい当然でしょう?」
妹はハイライトの消えた目で、ラルフに突き立てた指をグリグリ捻じ込んでくる。そのあまりにマジな顔に、不肖の兄は言葉を飲み込むしかなかった。
我が家は修羅の住む家だった。
消極的な兄に、妹がジト目で確認した。
「じゃあお兄は、クラエスちゃんと結婚したくないの? あんな嫁欲しくないの?」
「欲しいに決まってるだろ!」
自信は無くても興味はある。ラルフだって男である。
「欲しいならなんとかしなさい!」
壁の向こうで恐ろしい会話がされているとも知らず、クラエスフィーナはラルフ母に遠慮なく甘えながら思うのだった。
(あー、ラルフの家に転がり込んで良かったなあ……)
「それでね、ラルフのお母さんがホントに優しく看病してくれて……妹ちゃんも可愛いし、お父さんも胃のむかつきに効くからって豆乳をわざわざ作ってきてくれたり……素敵なご家族だったよ。いいなあ……ああいうおうち、いいなあ」
宴会の翌々日。昨日一日ラルフの家で上げ膳下げ膳だったクラエスフィーナは、ちょっと夢見心地に思い出を語る。
延々ラルフ宅の居心地の良さを話に聞かされて、ダニエラとホッブ(ついでにラルフ)は思った。
(ちょろい……)
(ちょろいな)
(ちょろ過ぎだ)
ラルフの家族の意図を正確に読み取ったホッブとダニエラだけど、二人は敢えて何も言わない。だって、“自分に関係ないからどうでもいい”話だし。ラルフは言わずもがな。
最後の点検を終えたダニエラが、まだしゃべり足りなさそうなエルフに声をかけた。
「そんじゃ二号機の風洞試験と行こうぜ、チョロエスフィーナ」
「何、その名前!?」
今度の“翼”は格段に軽い。前回の四分の一の太さの木材を使い、その気になればホッブ一人でも持ち上げられる重さになった。
ダニエラが深く頷く。
「今度こそ期待ができるぞ。この軽さなら、あれだけの風があれば浮き上がるだろ」
釘打ちもラルフとホッブが手伝い、木材に割れが出ないように頑張った。前回クラエスが苦しいと言っていたので、ベルトも二本増やして腹だけに体重がかからないようにした。屋根の補修部材に生まれ変わった一号機より、格段に進歩している(はず)。
「よし、準備はいいか? それじゃあ始めてよし」
管理の助教に言われ、ホッブとダニエラが扇風機のペダルを漕ぎ始めた。観測係のラルフが見守る中、どんどん強くなる風を受けた実験機は震え、小刻みに動き出し、ふわっと“馬”から浮き上がって空中へ……。
「おおっ! 浮いた!」
バキッ!
落ちた。
強風にあおられ、大きくU字にしなりながらも宙に浮いた二号機は……浮いた次の瞬間に途中で骨組みが折れ、二対三でV字に折れて地面に落下した。
「グエッ!?」
クラエスフィーナがマットも敷いていない床に叩きつけられる。幸い一メートルと浮いていない状態だったので、ちょっと痛いですむだろう。と思いたい。
「どうしたラルフ!」
「落ちた!」
音に気がついたホッブに聞かれ、ラルフも端的に返事をして助教と一緒に壊れた箇所へ駆けつけた。扇風機組の二人も追いかけて来る。
「どうしたんだ?」
「凄くしなったんだけど、浮いてすぐにここが折れた。クラエスを吊るすところまでは良かったのに……助教、どうしてでしょう?」
生徒たちに聞かれて、助教が実験機の翼と“馬”を指し示した。
「この感じだと、下側で“馬”が支えている段階までは上手く重さの分散ができていたようだが……風で持ち上がり翼端から均等に荷重がかかった時に、搭乗者の重さが一部だけで負担するようになってしまったようだな。端の方はともかくとして、中央付近の強度が足りない」
助教に言われて、ダニエラが腕組みをして唸った。
「うーん、前回の四分の一の強度があればイケると踏んだんだけどな~……」
「四分の一?」
ダニエラの言葉を聞き咎めたホッブが指を折って検算した。
「なあダニエラ?」
「あんだ?」
「角材の縦横をそれぞれ四分の一の太さにしただろ?」
「おう? そうだよ? おめえもさんざん見てるだろ?」
今さら何を言うんだと言いたそうなダニエラに聞かれ、ホッブは両手で四本ずつ指を立ててみせる。
「法論学科の俺が工造学科様に説明するのもおかしな話だけどさ。縦横を四分の一ずつにしたら、太さは十六分の一になるんじゃねえのか?」
全員無言の数秒が過ぎた。
助教がダニエラの肩をがっしり掴んだ。
「さて男子諸君、ここの片づけを任せてもいいかな? 俺はこの一級欠陥設計士にちょっと話があるので失礼する」
「ういっす」
「ありがとございましたぁ」
「待て!? あたしを見捨てるなホッブ! ラルフ! 連帯責任だろ!? 説教はみんなで受けようぜ!?」
「怒られるだけの事をしたのはおまえだけだろ。きっちり責任を果たして来い」
「設計したのも工造学科なのも君だけだしねえ」
襟首を掴まれて引きずられていったダニエラを見送り、ラルフとホッブは壊れた機体に向き直った。
「さて、またもやゴミになった実験機を処分しねえとな」
「今度は強度が無いから全部焼却場行きかなあ……」
ラルフが首を傾げた。
「……そう言えば、クラエスが全然会話に参加してこなかったけど」
「……居たな」
二人で折れた“翼”の下を覗き込むと。
「……今から飲みに行くよ……今晩じゃなくて、今すぐ!」
実験の失敗で床に叩きつけられたのに、誰にも心配してもらえず残骸の下敷きになっているエルフが……涙で床にのの字を書いていた。
「みんな酷いよ! 私、身動きも取れずに全身打ったんだからね!」
なんだかエルフが飲んだくれている光景も馴染みになってきた。
ぷりぷり怒っているクラエスフィーナを前に、ホッブが深刻そうに呟いた。
「身動き取れずに、か……なあ、今の搭乗姿勢で湖に落ちたらまずいんじゃねえか?」
「あ、それはそうだね! 上から残骸がかぶるし、自分で身体を縛ったバンドを外せないんじゃ救助が着くまで危険だよね。クラエス、どう思う?」
ホッブに同意するラルフに話を振られ、当人であるクラエスフィーナは持っていたジョッキで卓を叩いた。
「設計の改善の前に、私の心配をして!? 痛かったんだよ! ホントに!」
「でっけえクッション二つもつけてるんだから大丈夫だろ?」
全然心配してなさそうなダニエラに指摘され、クラエスフィーナは余計に怒る。
「それも痛いの! だいたい全身はカバーしてないじゃない!?」
「役に立たねえ安全装備だな」
「その為についてるんじゃないからね!? ていうかダニエラ、セクハラだよ!」
「今頃かよ」
「二回の実験を踏まえて、強度は中間で取るということでいいか」
「おう、そうだな」
ホッブの発言に頷くダニエラに、ホッブが二本、二本に分けた指を見せる。
「工造学科のダニエラちゃん、いいでちゅか? 二かける二で四でちゅからね?」
顔面にジョッキを投げつけられたホッブが吹っ飛ぶ横で、ラルフが頬杖をついて机に置いた実験機のスケッチを見た。スケッチと言うより、四角い枠が描かれたただのメモだ。
「だけどさ、ちょうど中間をとるにしてもまた重すぎにならないかな?」
今回浮いた二号機は浮いたけど折れてしまい、最初の一号機はきしみもしないけど浮きもしない。あまりに両極端で、中間を作ってもどっちに転ぶかわからない。
「痛てて……確かに、それは言えてるな」
起き上がって来たホッブが椅子を直して座った。
「だけど、他の研究チームはどうしてるんだろうな? 距離が稼げていないとはいえ、乗って飛ぶ所まで出来ている連中はいるわけだしな」
課題の為に実験をしているチームは二十以上ある。方式の違いはあるけれど、同じような物を作っているチームも三、四か所はあるはずだ。
「見学に行ってわかるかな?」
「どうだろうな……なんか、見落としている気がするんだよな」
眉間に皺を寄せて考えているホッブをラルフが見やる。
「何を?」
「それがわからねえから考えているんだろうが」
二人で唸り、首をひねって……何も出てこないので、仕方なく向かいで軽快にジョッキを空けているドワーフに声をかけた。
「おまえはどう思う、ダニエラ」
五つ目のジョッキを空にしたダニエラは、やれやれと首を振った。
「そんな事もわからねえのか、おまえたち」
「おまえはわかったのか?」
「ははは、答えは簡単よ!」
新しいジョッキを受け取ったダニエラがニカッと笑った。
「下らねえことをウジウジ考えてねえで、バンバン実験してドンドン失敗すれば最後に残ったのが正解じゃねえか。簡単な話だろ?」
トンデモドワーフから目を離し、ラルフは横のホッブに顔を向けた。
「ねえ、そもそもうちのチームに工造学科がいないことが問題なんじゃないの?」
「ああ……俺もそんな気がしてきた」




