三話目
展開が早い気が…いや、でも…
ギルドを出た時には既に空は真っ赤に染まっていて、もう1時間もしない内に夜を迎える時間帯になっていた。俺は急いで来た道を戻って再度街門の前に辿り着く。
「こりゃ帰りは真っ暗だなこれ…」
ケーベンスやリリスちゃんから聞いた話によると、魔物の種類によるが日中よりも夜中に活性化する魔物が多いらしい。俺はまだ魔物に会った事は無いが、下手な猛獣よりも凶暴で力も強い。武器すら持っていない、しかもLVがたったの1の俺だ。人間相手に喧嘩もあんまりした事が無い(殺したいやつはいたが)俺など、到底魔物には打ち勝てまい。出来るだけ明るいうちに薬草摘みを済ませなければ。
「あ、君は」
「ん?」
見た事がある門兵が話しかけてきた。よくよく見るとケーベンスに親しげに話しかけていたあの門兵だった。俺は門兵に軽く会釈する。
「やあ、ケーベンスさんの所に乗ってた少年じゃないですか」
「おっす。俺織部湊。湊が名前だ」
「ミナト…君ですか。私はクリスンと申します。見ての通り門兵です。いやぁ、それにしても変な名前をしていらっしゃる」
「うっせ」
確かに異世界の名前なのだから変なのかもしれないが。それでもこいつオブラートに包む事無く毒を吐いてきたな。
「今から街の外へお出かけですか?」
門兵、クリスンは首を傾げて俺に怪訝な顔を向ける。俺はそれに対してどや顔で力強く頷いて答えた。
「ああ。これから初依頼に行くんだぜ」
「依頼?では君は冒険者だったんですか」
「たった今なったばかりだけどな」
そういって冒険者カードをクリスンに見せびらかす。クリスンは困った風に頬を掻いてそれをスルーして、目を細くして俺の足のつま先から頭の天辺までじろじろと観察した。
「そうですか…でも、見た所武器は持っていませんね。この時間帯だと魔物から襲われる可能性が高いですよ。ナイフ一本は最低でも持っていた方が…」
「まあ、武器買う金が無かったしな。というか、今日の宿代も無いからこれから稼ぎに行かなきゃならんのだ」
「君に外はまだ危ないと思うんですけどねぇ」
「余計なお世話だっつーの」
クリスンは見た目二十歳中半あたりだ。雰囲気は柔和で、目は細く普通に話していても微笑んでいる様にしか見えないが、口から時々吐かれる毒がイメージを一気に崩してくる。絶対に腹が黒いなこいつ。
だが、クリスンの言っている事は本当の事なのだろう。俺にはまだ外は早い。武器もないし、レベルも低いからな。
だけど、だからといって街角でくるまって一晩を過ごすのは真っ平ごめんである。布団の温もりに慣れきった現代っ子舐めんなよ。
「あ、そうだ。薬草ってどこら辺で採れるの?」
「薬草ですか?そうですねぇ…それなら、街門を出て、斜め右に歩きで20分辺りにある丘がオススメですね。近いし魔物もあんまりいません。まあ、質の悪いものしかありませんが」
「分かった。んじゃちょっくら行ってくるわ」
「行ってらっしゃーい」
クリスンに見送られて俺は門から街の外へと一歩踏み出す。夕日の紅に染まった大草原が俺の視界一杯に広がる。右方向を見てみると、確かに大草原が盛り上がって丘が出来ていた。
「よっし、レッツゴーだぜ」
俺は茜色に染まる空を背景に、丘へ目指して意気揚々と歩きだした。
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それから大体20分後、丘の頂上に辿り着いた。空はいよいよ夜の青も混ざり始めて、星がちらほらと瞬き始めていた。
まだギリギリ視界が効くうちに、薬草を採取しなければ。俺は袋を握りしめて屈んだ。
「どれどれ…あ、これかな」
ぶちっと引きちぎる。よもぎに良く似た葉っぱだ。近くで見てみて、それが冒険ギルドで見せてもらった薬草の特徴と一致している事を確認して袋へ突っ込む。
「これを後29本か」
それから、刻一刻と迫ってくる夜の気配を感じつつ、急いで薬草を摘んで行く。薬草に良く似た変な草が紛らわしく近くに生えている事があって、それの選定に少しだけ手こずったが概ね順調に袋が膨らんで行く。
「よいしょ、よいしょ」
薬草に良く似た草と薬草の選定の仕方は簡単だ。葉っぱの裏面を触ってみて、髭状の白いふわふわがあるのが薬草、つるつるしているのが薬草に良く似た草だ。そうして選定していると、薬草はまばらに生えているのに対して、良く似た草は群生している傾向が高い事が次第に分かってくる。一つ偽物を見つけると、その辺りは大体偽物だらけだ。
それと、匂いにも違いがある。薬草はハーブの匂いが微かに香るが、偽物は普通に青臭い匂いがするのだ。目で見るのが駄目でも触って嗅げば大体判定は出来る。俺は夢中になって薬草を集めた。
「…これで大丈夫かな?」
途中で30本を数えるのが面倒くさくなって、めちゃくちゃ大量に採って行けばイケるだろという楽観的な判断により袋が満杯になるまで薬草摘みを続けた結果、袋からはみ出る程の量の薬草を採取した。後はこの袋を持ってギルドへ直帰し、金をもらうだけだ。
一仕事終えた俺は清々しい気持ちで空を仰いだ…って。
「…何じゃこりゃああああ!」
俺は余りの光景にそう叫んでいた。
太陽は完全にその姿を消し、空を見上げれば何の遮りも無い無垢な夜空が視界一杯に広がる。日本にいた時では考えられない程の広大な夜の風景だ。星々はそれこそ数えきれない程輝いていて、視界の右上から左下までを、天の川を数倍に広げた様な星々の群が宝石箱を散らしたかの様に漂っている。
だが、それ以上に驚いたのはその更に上を輝く月だ。
「月が…二つある…」
月が二つあった。一つは日本で見る月の数十倍もの大きさの赤い月。その後ろに隠れる様にある、日本の月の3倍の大きさの青い月が二つ目の月だ。その二つの月が目が痛くなるくらい輝いていた。
薬草を集めるために足下ばかり見ていてこのファンタジーな夜空の存在に気付かなかったのだ。確かに夜にしては何だか明るすぎるな、と思っていたが、まさか背後にこんな幻想的な景色が広がっているとは思っても見なかった。
「…すげぇ」
口をついて出た感想はその一言だけだ。ボキャブラリーが少ない俺が今だけはとても憎らしい。
「…って、そうだった。ギルドに戻らねえと」
しばらく夜空を見上げて呆けていた俺だったが、不意に頬を掠めたそよ風に我を取り戻した。ここは街の外だ。いつ魔物が現れるのかも分かったものじゃない、危険地帯だという事を忘れてはいけない。
その事を思い出した瞬間、背筋に悪寒が走った。一応後ろを警戒してみるが生き物の気配は無い。ひとまずほっとしてため息を吐き出した。
「とっとと行こう」
言う間もなく俺は街の方向へと走り出した。幸いこの月明かりの御陰で遠くに見える街の影がはっきりと映し出されていて、迷う事は無さそうだった。
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魔物に遭遇する事も無く無事に街へと辿り着いて、俺は夜になってまた一層雰囲気が変わった街の中をギルドへと向かって歩く。
すると、その道すがらだ。
「退けと言っている!」
路地の辺りから怒号が響いた。俺は好奇心から袋を持ち直しつつ路地裏の入口辺りの壁にぴたっとくっ付き顔だけ覗かせる。
「おいおい、お嬢ちゃん。そりゃねえぜ」
「大人の親切はちゃんと受け取っとけって」
そこには男女が3人いた。1人がフードを被った者だ。骨格や声、身長から言ってまだ幼いのだろう。そんなフードの少女を路地裏の壁を挟んで迫っているのが男二人だ。そこまで屈強という訳でもない。服装から言って冒険者では無いのだろう。少女に笑いかけながらそんな事を言って手を差し出すが、少女はその手を強く跳ね返した。
「要らんと言っている!とっととどこぞへと消えろ!」
「嬢ちゃん。あんまり大人を舐めてっと、痛い目みるぜ…?」
結構強く叩かれたのだろう、手をプラプラさせて目をぎらつかせる男。それに対して、少女は更にキツく睨み返した。
「これって…もしかしなくても犯罪現場ってやつか…?」
そりゃ異世界なんだからそう言うのもあるというのは覚悟していたが、目の前で実際に見かけると胆が冷える気分だ。やべっ、どうしよう。周りにはあんまり強そうな人いないし、かといって俺が行っても相手は二人。喧嘩慣れしていない俺と比べて相手は異世界の住人だ。少なからず喧嘩の腕はあるだろう。数的にも分が悪い。
「抵抗してなきゃ乱暴はしなかったんだがな…大人の言う事を素直に聞かない嬢ちゃんが悪いんだぜ…?」
そう言って、男がついにポケットから銀色に光るナイフを取り出した。
「…ここで怖じ気付くなんざ、ありえねーな」
流石に目の前で幼女誘拐事件を見過ごす訳にもいかない。決死の思いで立ち向かってみよう。流石に時間稼ぎくらいにはなるだろ…きっと。
「待ーーー」
「ふっ…」
俺が飛び出そうとした瞬間、少女が不敵に笑った。次いで間髪入れずに男達が糸が切れた糸人形の様にずしゃっと地面に崩れ落ちる。
「貴様らも、私の言う事を聞いて素直に諦めていれば良かったものを…」
そう言って、少女の顔がにたりと歪んだ。
「えっ?」
俺はあんまりの出来事に目を点にして立ち止まった。襲われている女の子を見つけて助けようと飛び出そうとした瞬間、男達が崩れ落ちていた。何を言っているのか分からねえとは思うが、俺も何を言っているのかよく分かんねえ。何この状況。
「…あれは」
少女がフードに隠す様に手に持っているとある物体に偶然目が止まった俺は、目を見張った。
それは少女の腕程の長さの木の棒で、先の方に紫色の宝石がはめ込まれている。少女はその杖の宝石に妖しい紫色の光を放ちながら、男達をゴミを見るかのような目で見下している。
そう、杖だった。
「…魔法、か」
俺の小さな呟きに気付き、少女が俺へと目を向けた。
「貴様…何者だ?こいつらの仲間か?」
「いやいや、全然違う。ていうか、逆に今かっこ良く助けに入ろうとしてたんだぜ」
「そうか。それはとても格好悪いな」
「ぐさっ」
俺は少女の辛辣な言葉に胸を抉られて膝から崩れ落ちた。それでも懸命に顔を向ける。
「俺は織部湊。湊が名前だ」
「そうかミナト。生憎だが私は貴様の様な雑魚に告げるような名など持ち合わせていなくてな」
「じゃあ適当に呼ぶわ。よろしくプリティーガールフードちゃん」
「…まあ、良いだろう」
俺は立ち上がって先ほどの現象について切り出した。
「で、プリティーガールフードちゃん。今のは一体なんだったんだ?」
「今の?」
俺の言葉に首をこてんと傾げて、そしてああ、と納得したかの様に頷いて、男達の頭を踏んづけた。
「こいつらには少し魔法で眠ってもらっただけだ。余りにもうるさかったのでな」
「やっぱり魔法だったのか!?」
「うおっ。な、何だ貴様っ!?」
俺は少女の手を握った。たおやかで少しでも力を入れたら折れそうな、ひんやりとした手だ。
「なあ、プリティーガールフードちゃん!魔法をもっと見せてくれ!」
「なっ!?何をいきなり言い出すか!嫌に決まってーー」
「良いだろプリティーガールフードちゃん!少しだけ、少しだけかっこいいのとか見せてくれるだけで良いからプリティーガールフードちゃん!」
「嫌だと言ってーー」
「プリティーガールフードちゃんの魔法に興味があるんだ!お願いだ、この通り!ちょっと魔法を見せて、ちょっと俺にコツとか教えてくれるだけで良いから!」
「今何気にちょっと要求が増やしたな!嫌だと言っているだろうが!というかそろそろそのくどい呼び方止めろ!」
「お願いだよプリティーガールフードたん!」
「たん!?」
プリティーガールフードちゃんは俺の猛攻撃に「ああ、もう!」と手を払って距離を取った。
「私はフィルドラット!プリティーガールフードちゃんでもたんでも無い!それと魔法も教えない!」
よっし名前ゲット。
「どうしてだよ可愛いフードちゃーー」
「くどいわこの馬鹿っ」
プリティーガールフードちゃん改めフィルドラットが拳を振り上げて俺の胸を叩いた。驚くくらい痛く無かった。蚊に刺された方がまだ痛いくらいだった。
フィルドラットはぽこぽこと俺の胸を叩いて、叩いて、そして数秒後には肩で息をして拳を止めた。
「はあ、はあ…くっ、防御力が高いのか…!?」
「フィルドラットちゃん力弱いのな」
「黙れぇ!私が弱いのではない!貴様が強いだけだ!」
「後ちゃん付けするなっ」涙目と上目遣いで俺を睨みつけるフィルドラットちゃん。
「くっ…魔法の教えを請うてきていて強行突破が出来ない分、先ほどの奴らよりも質が悪い…」
「俺をあんな奴らと一緒にしないでくれ。俺はただ魔法を使いたいだけだ」
俺は真っすぐフィルドラットちゃんを見据えた。フィルドラットちゃんはそんな俺の真面目な表情を受けて、目を細める。
「貴様、何故そんなに魔法に拘る?」
「そりゃ、あった方がかっこいいからだ」
俺は即答した。フィルドラットちゃんええいめんどくさいフィルちゃんはむず痒そうな顔を更に顰めた。
「な?健全な理由だろ、フィルちゃん」
「フィルちゃん…だと…?」
フィルちゃんは一旦表情に驚愕を浮かべて、すぐに頭を振って話を戻した。
「まあ、確かに害は無さそうだが…納得がいかんというか…」
呆れた顔でそんな事を言うフィルちゃんは、再度フィルちゃんの手を握っている俺を見て、最後に大きなため息を吐いた。
「どうしても魔法を習いたいというのならば、この街の魔法図書館に尋ねてこい」
「魔法…図書館?」
「私の主な研究所だ。勘違いするなよ。まだ貴様に魔法を教えるつもりは無いからな。ただ、少しだけ話を聞いてやろうと思っただけだ」
「分かった。魔法図書館だな」
俺は満足して頷いた。やっほーう。魔法をマスターする道が開けたぜ。
「ありがとうな、フィルちゃん」
「礼など言うな。まだ教えるつもりはないと言ってーー」
「ありがとうな、フィルたん」
「貴様…あまり舐めた態度をするなよ…?」
そろそろフードから見え隠れする額にぷつぷつと血管が浮き出始めたので、俺はすぐにその場を離れた。
「それじゃ、フィルちゃん。近々会いに行くわ。あ、後、あんま女の子が夜の街を歩くもんじゃねえぞ」
俺はフィルちゃんに手を振って、ギルドへの道へと戻って行った。
「…来て欲しく無いな…」
後ろでそんな声が微かに聞こえたような気がしたが、俺には聞こえなかった。
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「あ、お帰りなさいませ」
「おっすー」
ギルドへ帰ると、夕方よりも更に酒の場が賑わっていた。冒険者達が依頼から帰って来たのだろう。中には女性冒険者もちらほらと酒をあおっていた。
ギルド支部へと入り、真っすぐカウンターへと向かい、カタリナに袋を見せびらかした。
「わ、大量ですね」
「だろ?数えるの面倒くなって沢山持ってきちまったんだ」
「大雑把ですねー。鑑定しますので、少しお待ちいただけますか?」
「おう」
そう言って袋から取り出して一本ずつ確認して行くカタリナ。手持ち無沙汰になった俺は、とりあえず選定作業をするカタリナの姿を己の眼に焼き付ける。時間が経つに連れてカタリナの顔が少しずつ赤くなって行って、ちらっ、ちらっとこちらを伺う様子が見て取れた。可愛い。
「…え、えっと…その、と、とりあえず30本薬草があるのを確認致しました…その、あんまりじろじろ見ないでくださぃ…」
「ごめんごめん。あんまりにも可愛かったから」
「うー…いじめないでくださいよー…」
涙目且つジト目でぶーと頬を膨らませるカタリナ。その姿は何だか小リスみたいだ。実際カタリナは小動物っぽい雰囲気がある。可愛い。
「後、余分な薬草が36本ありました。こちらで買い取る事も出来ますが、どう致しますか?」
「お願いします」
「はい。どれも品質は余り良くありませんので、一本50コルになりますね」
「じゃあ、36×50で1800コルか。儲ったな」
「…えっ?」
「ん?」
目を丸くするカタリナに、俺は怪訝な視線を送った。するとすぐに我を取り戻し、すぐに日本のそろばんに良く似た計算機らしき物をカウンターの下から取り出してぱちぱちと計算する。何度かそれを繰り返し、何だか微妙な表情で視線を俺に戻した。
「1800コル…あ、合ってます…ね」
「そうみたいだな」
俺はカタリナの言葉に軽く頷いた。
「ミナトさんって一体何者…?」
「何だって?」
「い、いえ!何でも無いです!」
すぐに表情を改めたカタリナは、とことことカウンターの後ろへ消えて行き、そして小さくて四角いお盆に白い袋を乗せて持ってきた。
「では、依頼の報酬である2000コルに加えて1800コル、合計で3800コルです。どうぞ、お受け取りください」
「ありがとう」
よっし、金ゲット!これで一つ目の目的は済んだ。後は宿泊出来る場所を探すだけだ。
「なあ、カタリナちゃん。ここら辺で安い宿ってどこかあるか?」
「安い、ですか?そうですね、安い所なら色々とありますがー…」
「出来るだけ安全そうな場所で頼む」
「んー…では、『山菜の宿』はどうでしょう?安いですし、少しお金を払えば朝昼夜のご飯も作ってくれるし、何より安全です」
「じゃあそこにしようかな。場所はどこにあるんだ?」
「場所はーーーー」
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それから俺はギルドを出て、カタリナに教えてもらった通りの道のりを進んだ。電気も無いのに、当たり前の様に夜でも明るい。照明には一切の電気線が無く、白い石のような物が発光して街を明るくしているらしい。人は夕方程多くは無いが、それでも結構賑やかだ。何度か曲がり角を進んで、俺はやっとこさ目的の場所にたどり着いた。
そこは『山菜の宿』。大きくも無く小さくも無く、ほのぼのとした雰囲気が特徴的な宿だ。看板は読めないが、カタリナが親切に書いてくれた文字と一致するのでここでまず間違いは無いだろう。俺は木のドアに手を伸ばして、ゆっくりとドアを開いた。
「こんちわー」
中はこれまたほのぼのとしていた。『山菜の宿』は一階が食堂、2階が宿となっているらしい。何人かの冒険者の男達が酒を飲み交わしているのが見えた。その横ではお店の人が忙しそうに働いている。
「いらっしゃーい。今日は泊まりかい?それともお食事?」
そんな俺に声を掛けたのは、恰幅の良い中年の女性だった。
「両方で」
「分かった。何泊する?」
「一応1泊で」
「じゃあ、500コルだね」
「…500?たったそれだけ?」
俺は予想以上の安さに目を点にした。宿に一泊で500コル。1コル=1円なのだから、換算すると500円で一泊出来る事になる。500円なんてファミレスでも良いものを食えるか食えないか程の値段だというのに。日本ではまず有り得ない値段設定だろう。
そんな風に日本の常識に捕われている俺は、当然こう反応する事になる。
「それって安すぎない?」
そんな俺の言葉を受けて、女性はちょっと目を開いて、そしてすぐに太陽のごとき笑顔を浮かべた。
「そう感じるかい?まあ、『山菜の宿』の主な客は冒険者の卵達だからね。あんたもそうなんだろ?安いって感じてくれるだけ嬉しいねぇ」
そう言って頭を撫でられる。何で?
というか、この人どうして俺が冒険者だってことに気が付いたのだろうか。
「はっ、そうか。滲み出る天才冒険者オーラが、俺が望まずとも周りに影響を与える程大きく…」
「あたしは何人も冒険者を見てきたんだ。目を見るだけで大概は分かっちまうのさ」
「ですよねー」
女性は気分よさげに笑って、「歓迎するよ」と俺をカウンターまで誘う。
俺は袋から500コルを取り出して、カウンターに置く。女性はそれを回収して金庫みたいな所に入れ、後ろの棚から木の棒と繋がった鍵を取り出した。
「あんたの部屋は07室だよ。鍵は宿からの持ち出し禁止、宿から出る時にここに預けてくれ。食事はここで金を払えば旦那が作ってくれる。味は保証するよ」
「分かった」
鍵を受け取りながら頷く。木の棒には俺の読めない字が何文字か掘られている。多分、『07号室』って書かれてるんだろう。
部屋に置くべき荷物は一つもないので、部屋に行く前に夕食を先に食べる事にする。というか漂ってくる匂いの所為で先ほどから腹の虫が飯を求めて騒ぎ立てているのだ。もう我慢出来ねえ。
「おばちゃん。オススメのメニューって何かある?」
「今日のオススメは『ホルルク揚げ定食』だね。230コルするよ」
「じゃあそれお願い」
「毎度っ」
女性に銅貨を3枚出して、お釣りに石貨を7枚貰う。俺は適当に人がいない場所を見つけて席にどっかと座った。
そうして待つ事2、3分。
「おまちどーさまー」
「ん?」
手持ち無沙汰になって鍵付きの木の棒を縦に立たせようとしていた俺の背後から、そんな間延びした声がした。
「はいー、ホルルク揚げ定食おまちどー」
「おっ、美味そう。そして従業員が可愛い」
「えっ」
料理を持ってきたのは先ほどの女性ではなく、中学生程の少女だった。目はたれ目、顔は比較的に整っていて、そばかすが特徴的だ。素朴なミルク色の髪の毛を二つ結びにして、肩に掛けている。胸は年相応で、まだまだ発展途上なのが一目で分かった。エプロン姿と相まって家庭的な印象だ。可愛い。
俺は少女から料理を受け取って、さり気なく自然に心が感じるままを口にした。少女は不意を食ったのも一瞬で、すぐに笑顔を作って恥ずかしそうにはにかんだ。
「そんな可愛いだなんてー…そんな事無いですよー」
手をぱたぱたして恥ずかしそうに否定する少女。
「いや、実際可愛いしなぁ。というか料理も美味そうだなおい」
ホルルク揚げ定食は、見た目完全に唐揚げ定食だった。唐揚げに良く似た揚げ物をみじん切りにしたサラダに乗せて、その横にパンが二つ備え付けてあった。結構なボリュームだし匂いも相まって何とも食指を動かされる。
「ホルルクの一番柔らかい所を使ってますからー。パンにサラダとホルルクを挟んで食べるのが一番美味しい食べ方ですよー」
「バーガーにするのか。そりゃ美味しそうだ」
言われた通りにパンとパンでサラダとホルルク揚げを挟む。挟みながら気になった事を聞いてみた。
「そう言えば、君って今何歳?」
「私ですかー?私は今年で13歳ですねー」
にこやかにそう答える。
「13歳って…学校とか行ってんのか?」
「あはは、学校なんて行くお金ないですよー。小さい宿の子供が行ける訳が無いじゃないですかー」
「自分の宿を小さいって…まあ良いや。学校って、やっぱり貴族とか金持ちしか行けないのか?」
「そうですよー。低級学校までなら大概の子は行くんですけど、その上は金銭的に苦しいんですよねー。私も低級学校を卒業して、それまでですねー」
「へえ。一応基礎的な教育は出来てる訳か」
まあ、『教育』は国を動かす上で結構重要な部分…って聞いた事があるしな。でも、中学生くらいの子が普通に働いてるのか。何だか感慨深いな、ホルルクバーガーでも食うか。
俺はホルルクバーガーにがぶりついた。
「…美味い!」
「それは良かったですー」
俺はリスの様に頬を膨らませつつ、何度もホルルクバーガーにかぶりつく。見た目は唐揚げなホルルク揚げだったが、完全に予想を裏切って味は豚肉に似ていた。まぶしてあった甘辛いソースがこれまたパンに合う。サラダは肉の味を押さえつつ美味しさを完全に引き出していた。空腹も相まって俺は夢中でホルルクバーガーを味わう。
「はぐはぐはぐ!…ふう」
俺はホルルクバーガーを直ぐに平らげてしまった。満足満足。
「良い食べっぷりですねー」
心地よい満腹感で腹をさする俺の後ろから、再度間延びした声がした。振り返ると、ニコニコと微笑む少女と目があった。
「ん?あれ、まだいてくれたのか?接客とかしなくていいのか?」
「あの調子ですからー」
少女が指を指す方向を見てみると、男達が酒を飲んで遊んでいるのが見えた。
「ああいう人達、私が行くと嫌ーな絡み方してくるんですよー。だから、ここで接客してるフリしてお母さんに全部任せるという私の涙ぐましい努力、手伝ってくださいー」
「いい性格してんなおい」
だが、お母さん、というか先ほどの女性が今一人で頑張っているが、少女が行かなくても1人で完全に飲んだくれ共を制している様子だった。何か、異世界の人達って色んな意味でたくましい。
「じゃあ、折角だし雑談でもしようぜ。俺は織部奏。奏が名前な。君は?」
「私はヒューイ・カインズ。仲が良い人はヒューちゃんって呼びますー。よろしくです、カナちゃん」
「何かその呼び方女の子っぽいからやめてくんね?」
それから俺は、しばらくヒューイちゃんと雑談…というか、俺が異世界の事について聞いて、ヒューイちゃんがそれに答える形だったので雑談って言うより異世界講座みたいな感じだったが、とにかくヒューイちゃんとの会話を楽しんだ。飲んだくれ共がお開きになるのを合図に俺たちの会話もお開きになったが、最後ではかなり仲良くなれたんじゃないかと思う。
「それじゃ、ヒューイちゃん。俺もう寝るわ」
「うんー。今日は利用されてくれてありがとー。御陰でさぼれたよー」
「何かその言い方って酷い気がするんだが、それは俺の気のせいだよな?」
「気のせいだよー」
その後お互い『おやすみなさい』と挨拶をして、女性にも同じようなやり取りをして部屋へと向かった。そして、棒の文字と一致する文字が彫られた扉を開けて部屋に入る。
「おっ、中々良いじゃねえか」
部屋はかなり狭かった。あるのはベッド、簡易机に小さい椅子、壁に服を掛ける為の突起だけだ。無駄を全部削って必要な要素だけを的確に詰め込んだ感じの部屋だった。シンプルイズザベスト。
「ベッドは…流石にごわごわしてるけど、野宿よりは百倍マシだな」
ベッドに潜り込んで、俺は全身の力を抜いた。風船から空気が抜け出る感じで息も同時に抜けて行って、リラックス感を全身に感じる。
「今日は、冒険者になって、金を稼いで、ついでに魔法が出来そうな女の子に会う機会を作れた…何か、異世界に来て初日で俺結構動いてんなー…」
今日の成果を言葉にしてみる。俺、順応性高杉だな。良くここまで出来たと逆に感心する。
だが、今日だけ頑張っても駄目なのだ。明日も、明後日も、その明日も…頑張らないと。俺の夢を、幸せな家庭を作ると言う夢を叶える為に。
「だけど、今は休もう…」
俺は全身を達成感に包まれつつ、心地の良い闇へと緩やかに意識を沈めて行った。
サラダって、衛生的に出しても良かったんかねー…