第2話:目覚める鼓動
執筆者ういいち
『現在、帝国軍は都市オルセルドにて展開中。無人魔導兵器の一個小隊を確認。都市住民は既に退避を完了させており、帝国軍により都市の制圧が進められている状態』
四方の壁、床に天井、その全てが近しい距離にある閉鎖空間。そこへ淡々とした女性の声が響く。抑揚のない無機的な音声は、狭い空間内に色艶なく浸透する。
これを聞きながら、霧川禾槻はゆっくりと目を開けた。見えたのは闇。全てを飲み込む漆黒が世界を覆い尽くしていた。それでも彼には何処に何があるのか理解出来る。慣れ親しんだ感覚として肉体が覚えている。だからこそ自身を取り巻く幾多の機器を、例え見えずとも操作し始める事が可能だった。
まずは手元のボタンを押す。次に隣のレバーを倒す。腕を伸ばし、暗黒の先に沈んだスイッチを押し込む。流れる動作で他の作業も進めていくと、次第に空間内全体を淡い蒼光が照らし出した。各種装置の起動灯が作る弱性の明かりに闇が払われ、青年を囲む世界の姿が暴かれていく。
そこは人が一人収まるだけで限界を迎える手狭な空間だった。周囲を冷たく硬い物質で固められた中に、一人用のシートが据え置かれている。禾槻はそのシートに深く腰掛け、背凭れに体を密着させる形で座っていた。着ているのは浅黄色の羽織と黒い袴。周囲を埋めるのは壁と一体化している数多の計器やボタン群。
彼の顔には黒いバイザーが下ろされ、肘掛の位置に左右の手が掴む為の操縦桿がある。其処は科学の粋が集められた個人用コックピットだ。禾槻以外の生命体は存在していない。
『敵軍の規模は小さいですが、油断は禁物です。無人機と侮り掛かる事のないように』
突然、禾槻の眼前にモニターが出現した。三次元座標検出システムによって立体化されたホログラムモニターである。その中に白を基調とした軍服に身を包む、白髪の女性が映っていた。二十代前半と思しいその女性は、感情味のない冷めた貌で禾槻を見る。
『この都市の解放を成功させれば、我々は市長に大きな貸しを作る事が出来ます。他国との交易で豊かな財源を持つオルセルドの協力は、今後の活動に於いて絶対に必要です。必ず敵勢の殲滅を行ってください』
映像内の女性が口を動かすと、コックピット内に冷淡な声が満ちた。任務の厳命を告げる紫の瞳は、優しさや温かさをまったく宿していない。
「了解」
凛々しくもきつい顔立ちの上官リリナ・レイツェンへ、禾槻は浅く頷き返す。それを確認するとモニターが消え、女性の声も聞こえなくなった。
続いて機械で合成された中性的な音声が、幾つもの状況情報を伝え始める。
『魔導機関供給菅と連結完了』
『慣性制御開始』
『機関出力43%確保』
『待機推進停止』
『魔導障壁全推力に移行』
『頭部及び各種内蔵センサー開放』
『背部バーニア展開』
『全システムオールグリーン』
刻々と伝えられる内容に耳を傾けながら、禾槻は細い指先で周辺パネルを打ち叩いていく。指動に合わせて青年の周りへ新たなホログラムモニターが三つ、四つと出現する。半透明の画面上には英数字の羅列や魔導言語式が浮かび上がり、高速で流れ随時更新されていった。
絶え間なく変容する情報がモニター内をスクロールし始めてから数秒後、禾槻の正面へ何番目かの画面が浮かび上がる。それは他と比べてやや小さく、出現自体を遠慮しているように感じられた。全体の構成は他と同じ、半透明で淡い蒼色をしたモニターだ。何もない空間上に内から外へと広がるよう出現した小振りな画面を、バイザー越しに禾槻は見詰める。その中央へ、女性の顔が描かれていた。
ウェーブのかかった長い金髪を持つ、澄んだ碧眼の女性だった。艶やかな前髪の下には、品良く並んだ眉と涼しげな眼差しが見える。均整の取れた貌は美しい造作をし、整った鼻梁と、桜色の小さな唇を具えていた。白く滑らかな肌は新雪のようで、過不足なく完成された容貌は、春風にそよぐ花のように可憐である。
二十歳前後だろうモニター内の女性は、穏やかな碧眼へ禾槻を映し、儚げな微笑を刷いた。
『こちらの準備は整いました。何時でもいけます』
モニター内で桜色の光沢を宿す唇が動き、鈴が転がるような細く軽やかな声が流れる。その音は耳に心地良く、優しい子守唄に似て聞く者の心を和らげた。
禾槻は口元を緩め、柔らかな笑みを浮かべる。だが次には憂いの表情を作り、気遣わしげに女性へ応じた。
「分かったよ。エレーナ、出来るだけ早く終わらせるから、少しだけ我慢していて」
『私のことは気にしないで下さい』
「いいや、すぐに終わらせる」
首を左右へ小さく振り気丈に返す女性――エレーナへ、禾槻は表情を引き締め、硬さの増した声で対する。
尚も何か言いたげな顔をエレーナはしていたが、二人の短い会話はそこで終わった。彼女が口を噤むと正面モニターが消え、コックピットには再び禾槻の存在のみが残される。
その中で青年の両手が動いた。すぐ下にある操縦桿を左右それぞれへ握り、確かな感触が伝わるまま定位置から奥へと押し込む。操作機の動きと同時にコックピット内に微かな駆動音が響き、四方を埋める装置群が一斉に目覚め稼動した。各々が独自に輝かしい明光を発し、操縦席全体に微弱な振動が伝わってくる。
「遺失魔導兵装、ヴィシャリス起動!」
操縦桿を強く握り、禾槻は叫ぶと同時に手前へと一気に引いた。これを契機に重々しい咆哮が轟く。此の世の全てを圧倒し、押し潰さんとする巨大な雄叫びだ。
コックピット内部が激しく揺動し、次いで凄まじい衝撃が禾槻をシートへと押し付けた。正面から叩きつけてくる逃れられない重圧に、奥歯を噛んで青年が耐える。激震と圧迫は尚も続き、直撃へ見舞われる者の有様などお構いなしに加重を増していった。
数秒後、不意に全ての感覚が失われる。今まで襲っていた衝撃が消え、無重力空間に放り出されたような錯覚を禾槻に与えた。何処か深い場所から、鼓動に似た駆動音が継続的に聞こえてくる。無数の配管を流れる循環液は脈動、犇く機器の低い唸りは筋肉の収縮、まるで人体内部に囚われたような、生々しくも熱味ある蠕動が耳朶を打った。
『アイセンサー起動』
機械の中性音がコックピットに弾む。その瞬間、眼前に下ろされたバイザーが外界の映像を灯し、禾槻の網膜へこれを転写した。




