25.インドと中国の国境紛争(アルナチャル・プラディーシュ州問題、アクサイチン州問題)
インドは、パキスタン、中国、ネパール、ブータン、ミャンマー、バングラディッシュと国境を接しています。そのため、多くの国と国境紛争を抱えています。パキスタンとのカシミール紛争は有名ですが、ここでは中国との国境紛争を見てみましょう。
まず、インド北部のカシミール地方は、中国のウイグル自治区とチベット自治区に接しています。この部分をアクサイチン地方といいます。カシミール地方の中国寄りの部分がアクサイチン地方ですが、この地域はインドが独立する以前から大英帝国の支配下にありました。
1957年、ウイグル自治区とチベット自治区に侵略した中国軍は両自治区を結ぶ道路を建設しました。この部分が、インド固有の領土であるアクサイチン地方です。インド政府は、中国政府に抗議しましたが、中国政府はアクサイチンは自国領であるとインド政府の抗議を無視しました。
もう1つ、中国とインドが紛争を抱えている地域があります。それは、チベット自治区の下にあるアルナチャブル・プラデーシュ州です。この地域の国境線は1914年にインドを支配していた大英英国とチベットとの話し合いでチベットとインドの国境線が設定されました。この国境線をマクマホン国境線といいます。ところが、チベットそのものが中国に侵略され、1959年にはチベットの最高指導者ダライ・ラマ14世がインドに亡命します。当初、中国はチベット併合に伴い新たにインドと中国の国境線を設置しようとインドに持ちかけますが、インドがすでにマクマホン国境線があるため、新しい国境線を決めること自体がおかしいと拒否します。
1962年、このマクマホン国境線(チベット下部)とカシミール地方のアクサイチン地域の両地域に中国軍が軍事侵攻します。突然の中国軍の攻撃にインド軍は混乱し、インド軍は一時撤退します。中国軍は、1ヵ月後には、チベット自治区とウイグル自治区を結ぶ道路があるアクサイチン地方は不法占拠を続け、アクマホン国境線からは撤退します。
その後、インドは、アルナチャ・プラデーシュ州を設置し、道路等を整備し中国軍の侵攻に備えました。そして、1962年の中国のインドへの軍事侵攻から1988年までの間、中国とインドの国交は断絶状態にありました。この断絶状態は、インドのラジブ・ガンジー首相が訪中し、2005年には中国とインドで国境問題解決のための政治指針が調印され、現状維持のまま話し合いを続けることになりました。
このインドへの軍事侵攻でもわかるように、中国軍はいきなり軍事侵攻してきます。また、国境がある以上、かならず領土問題は起こりうることです。日本だけが例外ではなく全ての国が領海、領土問題を複合的に抱えているのです。
また、アクサイチン地方や西沙諸島のように実効支配して既成事実を作り上げるという傾向があります。中国は、長い歴史の中でアジアの盟主として多くの国を支配してきました。その中国を撃破し、逆に中国まで攻めて行った国はアジアでは日本しかありません。アジアでは中国に支配された国はあっても中国を植民地にしようとした国は歴史上、日本しかありません。そういう歴史があって、日本が中国から警戒されているのです。




