53.守りたがりの木こり野郎 〇★
木こり野郎から逃げ回る生活が、気づけばひと月くらい続いていた。
ひと月、って言っても、こっちの暦なんか知らないから体感だ。
朝っぽい明るさと、夜っぽい暗さ。雨の回数。葉の色の変わり方。水に落ちる実の種類。
そういうので数えてるだけだけど、まあ、だいたいそれくらい。
逃げる。
浄化する。
逃げる。
浄化する。
その繰り返しの中で、いい加減、嫌でも見えてくるものがあった。
木こり野郎の動きだ。
あいつ、ひたすら俺を追いかけ回して水場から水場へ駆けずり回ってるんだと思ってた。
実際、そういう動きもしてる。
水面を覗き込んで、あの声で呼んでくるし、見つからないと分かると次の水場へ行く。
あの真っ直ぐさは相変わらず胃に悪い。胃って言うか水底が渦々する。
でも、よくよく見てると、どうもそれだけじゃない。
広くなった水域全体に意識を向けると、大体自分の広さと形はわかる。
地面の勾配とか土の質もあるんだろうが、割と歪な横長をしている。
まぁ、あの特大水柱を横倒しにしたんだから、丸くはならないだろうが。
で、あいつは、測量っぽいことをしてるなって連中よりも、ずっと広い範囲を歩いていた。
まだ俺の水が届いてない外側や、新しくできた水場の、そのさらに外。
俺の水域の形を俯瞰して見ると、あいつはその“外縁”のさらに外まで歩いている日があった。
まだ水場のない方角へ向かって、そのまま日が暮れるまで戻ってこないこともある。
それを何日も見ていると、ある規則性に気付いた。
木こり野郎が先に通った場所には、後から人が来る。
測量の連中みたいな少人数じゃなくて、もっと大人数で、道具や材木を持った大工連中だ。
そいつらは、俺の水場がまだない外側の方角に抜けやすそうな場所に杭を打ち、縄を張り、柵を作る。
しかも場所は決まって外周部だ。
あいつは俺を探すだけじゃなくて、俺の広さを計っていた。
それを人に知らせて、俺の外側に囲いを作らせているんだと思う。
俺の水域がだんだんと囲われていく。
それが閉じ込めて管理されてるみたいで気に入らない。
でも、その柵に少し安心している自分がいることに気付かされた。
自由になりたい、利用されたくない、しがらみが嫌だ。
だから"外"に逃げ出したいって気持ちもある。
でも、本当は同じくらい"外"が怖い。
黒いのを初めとする化け物が闊歩してるかもしれない。
例えば海に流れ着いた時、自分がどうなるのか想像もつかない。
本当は、訳の分からない世界を独りで宛てもなく彷徨う"自由"なんて欲しくないんだ。
視線の届かない"外"から来る"何か"と自分を隔てる柵がほんの少し心強い。
内と外を隔てる柵を見て、俺はそんな実感を得ていた。
※※※※※
その日、最初に異変を拾ったのは、北側の外周近くの浅い水場だった。
黒いの持ちの人間がいる。たぶん、外から来た連中。
そういう奴の気配は、水に触れた瞬間じゃなくても、近づいてくると何となく分かる。
水面を不規則に引っ掻かれるみたいな、落ち着かないざらつき。
あの反応が出ると、俺は意識をそこに集中させる。
一人じゃない。二人、三人。荷車を引いた一団の中に混ざってる。
弱ってる。病人っぽい。水場の一つを目指してる。
どっから来たのか知らないが、よく見つけ出したもんだな。
あの辺りにはまだ柵も縄も無い。
急がないと、勝手に水にドボンと飛び込まれかねない。
黒いの持ちに、自分の中に飛び込まれることを思うとゾッとする。
(しょうがねぇな……)
量産型を三つ、作って飛ばす。
ひとつは先行して牽制、ふたつは接触浄化。
浮いてる子供型の水を見ると、初対面の奴は大体固まる。
病人は、ぶつけて浄化して治してやれば勝手にありがたがってくる。
その後で水場で好き放題しようって奴らは経験上あんまりいない。
今回も、そんないつもの流れだった……途中までは。
その瞬間、別方向――西の外れの方で、水面がぞわっと逆撫でされた。
また、黒いの。でも、今度は人間じゃない。
獣だ。いや、獣“だった”何か。
速い。
でかい。鹿もどきよりも気配が強い。なんだこいつ。
しかも、よりによって近くに人がいる。
(うわ、最悪……!)
意識を裂くみたいにして、もう何体か量産型を起こす。
北側は病人対応を継続。西側は迎撃。
どっちも人前だから本体では出たくない。まずは量産型で足止め――
並行して対処しようと思ったが、自分でも分かる。
これ、意識が追っつかない。
広がった水域のあちこちで同時に細かい操作をやるの、やっぱりまだキツい。
量産型はなんかセミオート的になってきてるとはいえ、優先順位の切り替えで一瞬遅れる。
リアルタイムストラテジーはあんまり得意じゃない。
同時に多方面でアラートが鳴るとパニックになりそうになる。
リアルには一時停止ボタンなんてない。
(ああ、クソ! とりあえず化け物優先で……!)
黒い獣が人の方へ跳んだ。もう猶予が無かった。
茶色い髪で小柄――まだ子供か?
体格差がエグい、飛び掛かられたらひとたまりもないぞ。
量産型を最速で突っ込ませてぶつけて、浄化。
体表でうねうねしてた黒いのがゴッソリと溶け落ちる。
でも、完全には浄化しきれてない。
足を完全に止めきれてない。
(やば――)
急いで次の量産型を造ろうとした。
その時、横合いの茂みがザッと割れて、獣に何かが叩き込まれた。
硬質の鈍い衝撃音。
黒い塊が弾かれて、泥を撒き散らして転がる。
長柄の戦斧を振りぬいた姿勢の男がそこに居た。
遅れて、轟、と風が逆巻き、金色の髪が舞う。
木こり野郎だった。
何でここにいるんだよ、って思う暇もない。
あいつは息を切らせながら、迷いなく黒い獣と人の間に入っていた。
でかい斧が振るわれる。踏み込みが速く、深い。重たい音と共に地面がえぐれる。
盗っ人野郎が両手でも持ち上げられなかった代物を、あいつは片手で振り回していた。
どんなパワーしてんだよ。
しかも今、柄の端っこを掴んでた。遠心力がヤバそうなのに体幹がブレてない。
黒い獣が吠えて木こり野郎に飛びかかる。
地響きの音が聞こえそうな重量感のある体当たり。
体の表面にはまた黒い泥と触手みたいなもので覆われ始めていた。
触れるだけでもロクなことになりそうにないその体当たりを、あいつは受けるんじゃなく、角度をずらして流すみたいに躱す。
更に躱しながら、振り返りざまに肩口に戦斧を叩き込んでいた。
回避しながら、既に振りかぶりに入っていやがった。
パワーだけじゃない。
動きを読んで、獣を人間の方へ行かせない立ち位置まで崩さない。
人が化け物と戦うところなんて初めて見たが――あいつ、強ぇ。
その間にも、北側の病人の方では量産型が触れて黒いのを薄めていく。
案の定、祈りのざわつきが増える。
ああ、増える感覚が邪魔だ。
(後にしろ! こっちは今、それどころじゃねえってんだよ)
西側。獣がもう一度跳んだ。
今度は、俺の量産型のひとつに向かって。
(は?)
黒い獣にとっては水の塊でも何でも、動く“何か”を敵と見たのかもしれない。
量産型は小さい。あんなのに当たったら一撃で散るだろう。
だが、むしろ好都合と言えるかもしれない。
黒いのにとって、俺の水は酸か猛毒の塊みたいなものだ。
ぶつかってきたら、そのまま包んで浄化をかましてやる。
ただ、今の量産型一体の水量じゃ、あのデカさは抱え込み切れない。
俺は狙われた一体を囮としてその場に留まらせながら、追加の量産型を生み出し、迎撃の準備を整えようとした。
だが――
標的になった量産型の前に、木こり野郎が割って入った。
竦んで動けなくなったとでも思ったのか、自分を盾にするような必死の動きで。
(ちょっ、お前、何を!?)
木こり野郎は、長柄の斧を刃に近い位置と中ほどで握り直し、剣みたいに短く持ち、腰を落とした構えで、獣の突進を受け止めた。
獣の頭高より木こり野郎は背丈が勝ってる。
でも、獣は四つ足、いや、五つ足か? 重量と勢いは明らかに向こうに分がある。
ドシン、と鈍い音が響いた。
――突進が、止まった。
木こり野郎の足が、土を抉りながらじりじりと後退していく。
押されてはいるが、突進の勢いをほぼ受け止めきっていた。
次の瞬間、木こり野郎は、足を軸に身体を翻しながら、至近距離にある獣の頭部を斧頭で横殴りにして、大きく体勢を崩させた。
即座に長柄を振りかぶって石突で一撃。崩れかけていた姿勢に一押しして、地面に打ち倒した。
獣が地面に倒れ込んで唸る。
しかし、その頃には、短く握られていた長柄の斧が、いつの間にか柄の中間くらいの位置で握り直されていて。
銀色の刃が、半月の軌跡を描いて、上から下へと翻った。
そのまま、ゴルフスイングみたいな下から打ち上げる一撃が、倒れた獣の頭部に叩き込まれた。
砕ける、というより、弾けたみたいな破裂音が鳴り響いた。
黒いのが霧みたいにほどける。
残ったのは、原型の分からない獣の死体と、泥と、血と、荒い息だけだった。
(つっよ……)
凄まじい振りの速さと重さ。腕力だけでも、技術だけでも真似出来そうにない戦い方だった。
感心よりも呆れみたいな感想を抱いて、量産型を動かすのも思わず忘れてしまった。
けど、あいつの足元に赤いものが滴り落ちて、我に返った。
あの突進を受け止めた時のものだろう。木こり野郎の腕や脚には爪か何かで抉られた痕があった。
そこから血が滴っている。ただの血じゃない、黒いのの気配を感じる。
あいつは呼吸を整えながら、傷ついた腕を押さえてる。
周りの人間が何か叫んで寄ってくる。
その中で、あいつは先に自分の傷を見るんじゃなく、残った量産型の方を見た。
木こり野郎は量産型を見て深く息を吐き、笑った。
北側の病人たちの方も、どうにか量産型で処理が終わる。
一斉に祈りが跳ねて、俺の内側がぽこんぽこん湧く。
(うるさい、今それどころじゃ……!)
俺は西側に焦点を絞った。
泥だらけの地面。倒れた獣。集まり始めた人間。
その中心で、あいつだけが量産型を見ていた。
※※※※※※
木こり野郎が、ただの水フィギュアでしかない量産型をかばって怪我をした。
意味が分からなかった。
……いや、理屈は分かる。
たぶんあいつにとって、あれは単なる水フィギュアじゃない。
俺の眷属とか、使い魔とか、そういう“女神のしもべ”的な何かだと思ってるんだろう。
でも。
(だからって身を挺してまで守ろうとすんなよ……!?)
壊れたって作り直せる。汚れても浄化すればいい。
あんなのはただの道具なのに。
いや、結果的にそうなっただけかもしれない。
人を守ろうとして、そのついでかもしれない。
そう思おうとした。
けど、さっきの動きは、完全に量産型を守ろうとしての動きだった。
最初に躱した時より余裕のない――でも、一片の迷いもない行動に見えた。
あいつは俺の水――少なくとも、俺に属してるとあいつが思ってるものを、黒いのから守ろうとしてる。
(……なんだよ、それ)
理解したくないのに、理解の方が勝つ。
水面が震える。
指示を出してない量産型が、木こり野郎の周りをふよふよと浮いて、落ち着きなく揺れる。
あいつが助けた人間――茶色い髪の女の子は、近づいていいのか悪いのか分からないといった感じで立ち止まっている。
木こり野郎が腰に吊るしていた革袋から傷口に水らしきものをかけながら、量産型の方を見て何かを言っている。
「□□□、□□□□□□□……」
声の意味は分からない。けど、抑えた調子と、目線の高さと、口元の緩みで分かる。
あれは小さな子供に、心配ないと告げる大人の顔そのものだった。
馬鹿野郎、それを向ける相手は、そっちの助けた子の方だろうが。
怒りなのか、動揺なのか、自分でも分からない波が、水面にいくつも立つ。
その波が消える前に、量産型を木こり野郎の元に向かわせる。
一体、二体、三体。
かばわれた一体を、手当中の傷口に近付かせて、手を伸ばす。
あいつは何故か首を振って後退ろうとした。
その拍子に脚の方の傷口からも血が滴る。
(ああっ、もう……っ)
心配そうな顔をするな。
恐れ多いみたいな顔してんじゃねえ。
そんな顔されると、また変な勘違いをしそうになるだろうが。
俺は量産型三体に木こり野郎を取り囲ませる。
三体とも水に戻して、一つの球体にする。
周囲が一斉に息を呑んで、誰かが膝をつく気配がした。
知ったことか。有無を言わせず、量産型三体分の水球で木こり野郎を吞み込む。
水の中に溶け込んでくる、血と黒いのが混ざった感触が妙に生々しくて、無性にイラつく。
俺の浄化が、怪我にどの程度効くのか正直よく分からない。
でも、顔の傷跡だって消えたんなら――効け。
(効けよ、治れ。黒いのは出てけ、消えろ――)
あいつが水中から逃げ出そうとする前に、浄化、浄化、浄化。
ついでに飲ませてもおく。
水球の中で流れを作って、口から流し込む。
黒いのはしぶとい。また黒ゲロを吐くかもしれない。
虫下しだ、消毒だ、これは治療だ。腹いせとかそういうのじゃない。
バシャン、と水球が弾けると、ずぶ濡れのあいつがゲホゲホと咳き込んだ。
さっきの女の子がハッと我に返って、木こり野郎に駆け寄り背中を摩り出した。
ほどけた水が土に染みる前に、俺はその水を使ってもう一度量産型を造る。
一体でも良かったが三体だ。
欠員は無い、無事だってアピールするために、ぴょんぴょこ跳ね回らせて見せる。
そして、通じるか分からないけど、一体に木こり野郎に向けてお辞儀をさせた。
他の二体も遅れてお辞儀をし出した。また勝手に動いてる……。
木こり野郎はそれを見て、ぽかんとした間抜け面をした。
それから、初めて見せるはにかむみたいな笑みを浮かべた。
イケメン野郎のそんな顔……誰得なんだよ。
こいつが怪我をしたのは、半分以上、俺のせいみたいなものだ。
量産型が妙に神聖視されてるのは知ってたのに、あんな行動を取るなんて思ってもみなかった。
囮にして、浄化で怯んだら援護になるんじゃないかなんて思ってたら、却っていらない怪我をさせてしまった。
(俺のせいで怪我までしたのに、なんでそんなに満足そうな顔をしてんだよ)
あいつは傷口を確認して、感嘆の表情を浮かべていた。
少なくとも血は止まったらしい。体調も悪くなさそうだ。
それだけ見届けてから、俺は居たたまれなくなって意識の焦点を引いた。
※※※※※※
逃げるみたいに、別の水場へ潜る。
落ち葉に隠れた浅い窪地の水たまり。たぶん、まだ誰にも見つかっていない場所。
身体を創って、水の中に沈む。
さっきの光景が、何度も浮かぶ。
黒い獣。
斧。
血。
量産型を庇うあいつ。
そして、あの顔。
(……お前、本当に俺を守ろうとしてんのかよ)
言葉にした瞬間、水底がざわついた。
嫌なざわつきじゃないのが、余計に複雑だった。
信者どもが守りたいのは、ご利益だ。
聖地だ。女神ブランドだ。
……いや、まあ、善意とか敬意もあるんだろうけど、金儲けに使ってる奴らはいる。
でも、あいつは。
あいつが守ろうとしてるのは、もっと違う何かに見える。
俺が女神だから、じゃなく。
使い道があるから、というだけでもなく。
俺がいるから、みたいに。
(やめろよ……)
そういうのが、一番困る。
都合よく女神様扱いされるのが嫌だ。
俺の中の“私”はどんどん大きくなって、人助けは当たり前だと囁く。
あいつに悪態をついてる時の俺は、妙に俺らしくいられる。
……そのはずなのに、今度は女神様な“私”とも違う、“別の何か”が、浮かびかけてくる。
その“別の何か”が、どこかで静かにささやく。
――ほら、あの人はちゃんと見ているでしょう?
(うるさい)
即答したつもりなのに、水面はちょっとだけ波紋を作った。
肯定みたいな形の、腹立つ丸い波紋だ。違う、落ち葉のせいだ。
嬉しいとか、頼もしいとか、そんな風に思うのはおかしい。
遠くの方で、外周の柵を打つ音がする。
木を叩く音。人の声。祈り。風。
その中に混ざって、あの声は聞こえなかった。
聞こえないのに、勝手に意識が探しにいく。
俺はそれが嫌で、水の底に沈むみたいに意識を深く落とした。
黒いのの気配だけ拾えるようにして、あとは見ない。聞かない。考えない。
……無理だって、もう分かってるけど。




