↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

166/168

EX(119.17).水から、育まれるもの 〇★

 街道の先から、荷車が三台、連なってやってきた。


 道端へ寄って通り過ぎるのを待つ。車輪の軋む音に混じって、荷台へ腰掛けた子どもの笑い声がした。

 その向こうからは、杖をついた老人と、背負い籠の女が並んで歩いてくる。


 ゴルディウムに近づくにつれ、街道を行き交う人の数が目に見えて増えてきた。

 昔は辺境扱いだったらしいが、今や復世の中心。たぶん、地価とか爆上がりしてる。


 女神バレ対策に、お肌の触れ合い通信に切り替える。

 まぁ、ずっと繋ぎっぱなんだが。


(……なあ。昨日から考えてたんだけどさ)


(どうした)


(いつまで「こいつ」とか「お前」とか呼んでんだ、俺ら)


 アイオリスがこちらを見る。


(名前か)


 空いた手で腹を示す。


 出てきたくねえのかもしれない。

 だからって、無理に引っ張り出すわけにもいかない。

 今できることといえば、のじゃ様に言われたとおり、話しかけたり構ったりするくらいだ。


 けど、いつまでも名無しでは、呼んでるこっちが落ち着かなくなってきた。


(ああ。そうしよう)


(……いや、でも待て。気が早すぎか?)


(私はそうは思わないが)


 自分で持ち出しておいて、自分で止まる。


 顔も性別も、どんな姿で出てくるかも分からない。

 なのに名前だけ先に決めようとしてる。


 これって、マタニティハイってやつじゃねえの?


 浮かれた勢いでキラッキラのDQNネームとかつけたら、きっとヤバい。

 命名で恨まれて、グレて、鉄砲水とか毒の沼地になったらどうする。


 それにこの世界じゃ、名前とか、周りからどう信仰されるとかが、ガチで中身に刺さってくる。


 洒落にならん。


 とは言え、仮の名前でお茶を濁すのもなんか違うだろう。


 ミツバのことが頭に浮かんだ。


 あれだって、話す間だけの呼び名を決めたつもりだった。

 今や本人が元気いっぱい「ミツバ!」と名乗っていて、周りからもそう呼ばれてる。

 カッコカリなんて欺瞞だ。どう見ても本名です。本当にありがとうございました。


 しかも俺は、あわやワカメにするところだった。

 あの時、本人がノリノリだったのが一番恐ろしい。


(呼びかけるなら名前があった方がいいだろう)


(なら、お前が、候補出してくれ。俺のセンスは信用ならん)


(ミツバは、今の名を気に入っていると思うが)


(結果オーライを成功事例にすんな。ヒヤリハット寄りだからな!)


(……分かった。考えてみよう)


(ん。出た候補を稟議にかける。最終決定は合議制で)


 アイオリスは道の先へ目を戻し、しばらく黙っていた。


 すれ違った荷馬車の車輪が、ガタガタと音を立て、通り過ぎていく。

 何人もの巡礼者や行商人とすれ違い、挨拶され、会釈を返す。


 俺たちは手を繋いだまま歩き続ける。


 ガタガタ。とことこ。てくてく。ザッザッ。


 ……いや、めっちゃ長考してんな。


 マジになって考えてるのか、眉間に若干力が入ってる。


 お前、実は普通に浮かれてんな?


(……アナトリア、というのはどうだろう)


(アナトリア……)


 悪くないけど、なんか妙に大仰な気もする。


(ほかには?)


(……イオニア)


(んー……)


(リュキア)


(それも悪くねえな)


 考えてみると、本人の知らんところで勝手に決まるんだよな、名前って。

 こっちがあれこれ気を揉んだって、本人が気に入るかはわからない。


 だからって、適当に決めていいわけじゃねえし。

 気に入ってもらえそうなのを考えるしかねえか。


 うー、わかんなくなってきた。

 

 そんなことを考えていると。


(……カリア。あとは――ミュカレ)


(……ミュ?)


 アイオリスが頷いた。


(今の、ちびどもに寄せたのか?)


(あの子たちの家族になるのだから、近い響きもよいかと思った)


 ミュルナ。

 ミュリナ。

 ミュシア。

 ミュカレ。


(……なんか、収まりいいじゃん)


 ――“わたし”さんが いいね をしました。

 ――“私”さんが いいね をしました。


(どうだろうか)


(うん。俺も、それがいい)


 繋いだ手が、少しだけ強く握られた。分かりやすい奴め。

 最近、こういうところを「かわいい」とか思い始めてる。ちょっとヤバい。


 そのまま少し歩くと、ちょうど街道から人影が途切れた。

 俺は歩調を緩め、空いた手を腹へ当てる。


 こぽ。


 掌の下へ、小さな流れが寄ってきた。


「……ミュカレ」


 ちゃぷ。


 戸惑うように水が揺れた。


「お前の名前だ。お前のこと、ミュカレって呼んでもいいか?」


 もう一度撫でながら言うと。


 こぽぽぽぽと、ゆるく渦巻き始めた。


「おっ、おっ」


「どうした、イズミール。大丈――」


「だから大丈夫だっての! たぶんだけど、喜んでる気がする……?」


「……それは、本当か!?」


「食いつきえっぐ……別に直接言ってきてるわけじゃねえからな?」


「そうか……」


 アイオリスは、すっかり目元を緩めている。

 俺の腹へ顔を寄せたものの、何を言えばいいのか迷ったのか、そのまま黙って見つめていた。


 俺が腹を撫で直すと、こぽ、と掌の下が揺れた。


 へへ。


 かわいい、か~わいい。


 あー、やばい。


 親バカってこうやって発症すんの?


 治療法ある? 今から入れる保険があるんですか!?


 屈んで腹に向かって呼び掛けてる馬鹿旦那を見た。


「……ミュカレ」


 あーあ、お前はもう手遅れだな。


 知ってたけど。


※※※※※


 ゴルディウムの街並みが見えてきたところで、もう一つ決めておかなきゃならないことがあった。


(なあ。ミュカレのこと、人間どもにはどこまで話す?)


 アイオリスの表情が即座に真面目なものへ変わった。


(すぐに公にするべきではないだろう)


(だよなぁ)


 女神ミューズに続く、新たな御子が誕生する。

 そんな話が広まれば、俺たちの知らないところで勝手に神話になる。

 下手すりゃ、ありもしない御家騒動をでっち上げられかねない。


(一般には、しばらく黙っとこう)


(……そうだな)


 手の向こうが、静かになった。

 アイオリスは腹へ一度目を落とし、それから前を向く。


(まずは、私たちがこの子のことを知りたい)


(おう。そういうこと)


 けど、誰にも言わずに済むとも思えなかった。


(あー、でも、サルディスの爺さんには言っといた方がいいか。

 あいつが何も知らねえまま、変な噂が出る方が面倒そうだ)


(私もそう思う)


(あとは……リディアもだ)


 アイオリスがこちらを見た。


(いいのか?)


 信用できるかって話じゃなくて、あいつの負担になるだろうって心配だろう。

 俺だって、そこは迷ったが、もっと現実的な理由がある。


(ちびどもに、リディア相手に何日も隠し事させる方が無理だろ)


(……ああ)


 断言できる。


 絶対無理。


 ミュルナは、嬉しくなったら、ついうっかり漏らす。

 ミュシアは、ミュカレの歌とか勝手に作って踊りながら大暴露だ。

 ミュリナだけは頑張るだろうが、他二人を止めきれなくてアウト。


(つーか、あいつらにリディアだけ仲間外れみたいなことさせたくねえ)


(分かった。スタビアエの件と併せて、私から伝えよう)


(頼む。俺はちびどもに話してくる)


 見慣れた湖面の光が、道の先に見え始めていた。


 なんか、久しぶりのわが家って感じがする。


※※※※※


『マァマー!』


 湖に潜った瞬間、三方向から突っ込まれた。


「グエーっ」


 先頭のミュルナを受け止めたところへ、ミュリナが横から抱きつき、ミュシアが肩へよじ登ってくる。


 帰宅早々、全身にちびっこが実った。


「まったく、毎度毎度、いっぺんに突っ込んでくるなっての」


 ちびどもを装備したまま湖底まで降り、黄金の社のそばへ落ち着く。

 ミュルナの髪を撫で、ミュリナの背中を叩き、頭の上まで登ろうとしているミュシアの角を掴んで膝に下ろした。


「で、元気にしてたか?」


『してた! ママ、ミュルナねぇ――』


『ミュリナも』


『しぁー!』


「分かった分かった。聞く。聞くから、まずこっちの話な」


 三人の顔がこっちを向く。

 つぶらな瞳を前に、口を開きかけて、ちょっと詰まった。


 いざ言おうとすると、なんか変に照れるな、これ。


「……お前ら、姉ちゃんになるぞ」


『みゅい?』


『……?』


『んみゃー?』


 ミュルナが首を傾げた。

 ミュリナはミュシアを見て、ミュシアは俺を見上げる。


「ここ」


 腹へ手を置く。


「ここに新しい子がいるんだよ。俺と、アイオリスの子」


 三人の目が、揃って俺の手を追った。


 一拍。


『いもうと!』


「いや、まだ分かんねえ。弟かもしれねえし、どっちでもねえかもしれねえぞ」


『ミュルナ、おねえさん!』


「もうお姉さんだろうが、お前は」


『もっと、もーっと、おねえさん!』


 胸を張った。

 あまりに力いっぱい張ったので、後ろへ倒れかける。

 水中なので、そのまま縦回転を始めた。落ち着け。


『ミュリナ……ミュリナも、おねえさん』


 ミュリナも、ずいと進み出て自己主張する。


『……ミュルナだけじゃない』


『ミュルナ、いちばん!』


『ミュリナ、おしえるの、じょうず……ミュルナよりも』


「姉ポジ争奪戦にかこつけて、マウント合戦すんな」


『しぁーも、おねーさん?』


「おう。お前もだぞ、末っ子」


『みゃあっふぅぅぅ!』


 ミュルナが縦回転なら、こっちは横回転だ。

 お前らの喜びの大きさはトルクで現れんのか。


 ああ、でも。


 予想してたけど、めちゃくちゃ喜んでくれるじゃん。


「で、だ」


 三人がピタッと動きを止めた。


「名前はミュカレっていうんだ」


『ミュカレ?』


 ミュルナが繰り返す。

 ミュリナの唇も、小さく動いた。


『ミュ、いっしょ』


「そうだな」


『ミュカレ! ミュルナおねえさん!』


 ミュルナが俺の腹へ顔を寄せた。


 こぽっ。


「お」


 今、動いた。

 さっきまでは奥をゆっくり巡っていたのに、声のした方へ寄ってくる。


 ミュルナのヒレ耳がぴんと立ち、顔がぱっと明るくなった。


『みゅ! うごいた! マァマ、うごいたっ!』


『……ミュカレ』


 ミュリナがそっと手を伸ばし、俺の腹へ触れる。

 ミュシアも、姉二人の真似をして腹に思い切り近付く。


『みゅかれぇ!』


 こぽぉ、こぽぽっ。


『よぶ……こたえる……?』


『みゅいぃねぇ~!』


『おねえさんのミュルナだよ! ミュカレ!』


『ミュカレ……ミュリナも、おねえさん』


『みゅっみゅみゅ! みゅっかれ! みゅかれーっ!』


 呼ばれるたびに、あっちへこぽり、こっちへこぽり。

 ミュシアが歌って踊れば、こぽこぽこぽりっ。


「おいおい、お前、めっちゃ喜ぶじゃん。結構、ノリがいいのな」


 思わず笑ってしまった。


 ……俺が話しかけてる時よりも反応がよくね?


 いやいや。張り合ってどうすんだ、俺。

 姉妹仲良し、大変結構じゃねえか。


挿絵(By みてみん)


『ミュカレ、でてきたら、ミュルナがだっこする!』


『……ミュリナも』


『しぁーも、だっこ!』


「はいはい、一人ずつな。取り合いすんなよ。神輿じゃねえんだぞ」


『ワッチョイ! ワッショイ!』


 収拾がつかないので、ぱんぱんと両手を叩く。

 三人の動きがピタッと止まった。


「大事なことがある。まだ、みんなには言うなよ」


『みっ?』


『りぃやは?』


『マ?』


 やっぱり最初にそこを聞いてきたか。


「リディアとサルディスには、今、きこりやろうが話してる」


『りぃや、しってる?』


「そろそろ聞いてるんじゃねえかな」


 ミュルナが露骨に安心した。

 ミュリナも俺の顔を見て、こくりと頷く。

 ミュシアは二人を交互に見て、へらりと笑った。


 うん。


 やっぱ黙らせなくて正解だわ。


「でも、それ以外の連中にはまだ秘密にしておく」


 腹を軽く撫でる。


「出て来てもいないうちから、周りにあれこれ決めつけられたくねえからな」


 ミュリナがじっと俺の腹を見る。


『……ミュカレ、まもる?』


「うん。そういうことだ」


『ミュルナ、まもる! いちばんおねえさんだから!』


『ミュリナが、ちゃんとする。まかせて』


『しぁーも! みゅかれ! まもぉーっ!』


「はいはい。頼りにしてるよ、チーム“ミューズ”」


 三人は嬉しそうに頷いた。


 まったく。


 いつまでも、ちびのまんまかと思えば、もう完全に姉の顔じゃん。


※※※※※


 三人にワイワイと囲まれ、ようやく一息ついた頃、ちびどもは一つになった。


 ミューズが俺の隣へ座り、まだ少し不思議そうに腹を眺める。

 手が伸びてきて、俺の手に重なった。


『ママは、しばらく旅はお休みする?』


「そのつもりだ。産休と育休ってやつだな」


 弊社の福利厚生は俺の一存で決める。俺が社内規定だ。


『ママがしてたこと。ミューズができることは、ミューズがする』


 胸を張る。

 ミュルナ一人の時みたいにひっくり返ったりはしない。


『ママは、ミュカレと一緒にいてあげて』


「……」


 顔を上げると、随分と張り切った目をしていた。


 まだまだ全然ちっちゃいと思ってたやつに、休めと言われるのは、嬉しいような、むず痒いような。


「ずいぶん頼もしくなったな、お前」


 ミューズの口元が、ほころんだ。


「でも、俺もここにいるんだから、何かあったら呼べ。休みたくなったら休め。

 リディアにも無理させたり、心配かけたりすんなよ?」


『うん! 約束!』


 差し出された小指へ、自分の指を引っかける。

 指切りの向こうで、ミューズがまた笑った。


 アイオリスが戻ってきたのは、それから少し経ってからだった。


「二人には内密に伝えた。今は公にしないことも、理解してくれた」


「そっか。助かる」


「サルディスは、逐一経過を報せて欲しいと言っていた。

 リディアも、君とミュカレのことをとても気遣っていた」


 あの爺さんにとっては、たぶん厄ネタだ。

 仕事を増やさないように、自宅待機しといてやろう。


 そして、リディアはやっぱり、リディアだ。

 あいつの気遣い力は、たぶん五百万くらいあるに違いない。


 その時、ミューズがアイオリスの向こうへ顔を向けた。


『リディア、上のおうちにいる?』


「水神宮の執務室にいる。君を待っていると思う」


『いってくる!』


「おう。ほかの連中には内緒な」


『うん! きこりやろうも、あとでね!』


 返事の途中でもう浮き上がっていた。

 見送った俺の横へ、アイオリスが腰を下ろす。


「……あいつら、すっげえ喜んでくれた」


「そうか……良かった」


 アイオリスが目を細めた。

 俺も腹を見下ろす。


 ミュカレは、俺の中を静かに巡っていた。


 しばらくして戻ってきたミューズは、リディアとの話を一通り報告すると、また三人に分かれた。

 今度は三つの口が、それぞれ勝手に喋り始める。


『ミュカレ、きこりやろうもいるよ!』


 話の途中で、ミュルナが思い出したように隣を指した。

 アイオリスが、少し身をかがめる。


「……ミュカレ」


 大きな手が腹へ触れた。


 ……。


 さっきまで、三人の声に合わせるように動いていた流れが、ぴたりと静まる。


『しーん』


 ミュシアが言った。やめて差し上げろ。

 ミュリナは、俺の腹とアイオリスの手を見比べている。


『ミュカレ……おやすみ?』


 いいぞ、ミュリナ。うちの子の中ではお前が気遣いナンバーワンだ。


「……そうだな。そうかもしれない」


 アイオリスは少し待って、それから手を離した。


『みゅっ、みゅみゅ、みゅっかれー!』


 こぽっ。こぽぽ、こぽこぽこぽっ。


 ミュシアがまた賑やかにやり始めると、再び、涌く湧くモードに戻った。


 うわぁ。


 お前、もう少しこう、何というか、手心というか……。


 いや、無理に愛想振りまけとも言えねえけどさあ。


 隣を見ると、アイオリスは黙って腹を見ていた。

 少しだけ目元が寂しそうに見えた。


 俺は黙って肩を軽く叩いた。

 こっちを向いた顔に、何と言えばいいのか迷って、結局、その手を取る。


 指が、そっと絡んできた。


※※※※※


 それから何日か、俺たちは湖の底でのんびりと過ごした。


『ミュカレ! きょう、カンケリした!』


 こぽ。


『……ミュルナ、すぐつかまった』


『ちがう! ああいう、さくせん!』


『ミュルナ、ドジ……ふつうにつかまった』


『みゅぃぃ! ミュリナもつかまった!』


『しぁーかった! のじゃーけった!』


「おい、お前だけ別の遊びしてねえか!?」


 ミュカレは、ちびどもの声に合わせて、楽しそうに巡っていた。

 理解しているのかどうかは分からないが、姉妹喧嘩でもなんでもいいらしい。


 話が落ち着けば小さな流れもゆっくりになり、また誰かが腹に触れ、名を呼ぶと、手のある方へ寄ってくる。


 ただし。


「ミュカレ」


 目標、完全に沈黙! 信号ロスト! 駄目です、起動しません!


 そう、アイオリスだけには、相変わらずだった。


 それでも、あいつは毎日、名を呼んで話しかけた。

 返事がなくても、最後には「また明日、話そう」と言う。


 ……律儀な奴。


 俺もその間、ちびどもに旅先の話をしてやったり、ミューズが持ち帰る話を聞いたりして過ごした。

 ちびどもが遊びに行けば、夫婦二人でのんびりする時間もある。


 こぽ。


 ……ああ、いや。

 二人じゃねえんだった。


「はいはい。お前もいるよ、ミュカレ」


 名前を呼ぶのも、腹を撫でるのも、もうそれほど気恥ずかしくはなくなった。


 それでも。


 ミュカレが外へ出てくる気配だけは、なかった。


※※※※※


 その日、ミュルナは俺の腹の前へ座り込み、ずっと中を見ていた。


 見えるわけじゃないのに。


『……マァマ。ミュカレ、まだ?』


「そうだなぁ、そのうち出てくんだろ」


『ミュルナ、だっこする』


「出てきたら、だっこすんだろ? 分かってるって」


『ちがう』


 ミュルナが立ち上がって言った。


 ミュリナが、貝殻を並べていた手を止める。

 その隣でミュシアも顔を上げた。


『ミュルナ、ママのなか、むかえにいく』


「……は?」


『ミュカレ、だっこして、つれてくるの!』


「待て待て待て!」


 何を言い出すんだ、お前は!


 ミュルナは、自分の考えに自信満々だった。

 両腕を丸く広げ、もう何かを抱いているみたいな格好をしている。


 早く会いたくて、しびれを切らしたんだろう。

 出てこないなら迎えに行く、清々しいくらいの現場的発想だ。


『ミュカレ。おねえさん、いまいくから!』


 ミュルナが俺の身体の中にダイブする姿勢を取ったその時だった。


 すうっ――。


 腹の手前にいた流れが、奥へ引いた。


「……あ」


『……みゅう?』


 ミュルナも分かったらしい。


 腹を覗き込む。


『ミュカレ?』


 反応なし。


「ミュルナ。ちょっと待った、今は入って来んな」


『ミュルナ、ヤー……メー?』


「お前が駄目とか嫌って話じゃねえよ。勝手に連れてくるのは、なし」


 ミュルナがしょんぼりした。

 俯いた頭を一度撫で、それから自分の腹へ手を戻した。


「ほら。ミュカレ。別に無理やり出さねえって」


 掌を滑らせる。

 奥にいる流れへ、意識を向けた。


 少しして、こぽ、と揺れた。


 奥へ逃げていた流れが、少しずつ戻ってきた。

 俺の掌の下まで戻って、そこで小さく巡り始めた。


 ミュルナも、そっと手を重ねる。


『……ミュカレ?』


 こぽり。こぽっ、こぽ。


『!』


「ほらな」


 ミュルナの顔が明るくなる。


「迎えに行くのは、今はやめとけ。出てきたら、好きなだけ抱っこしてやれ」


『だっこ、あと?』


「うん。あとでな」


 ミュルナはまだ残念そうだったけど、頷いた。


 俺が腹から手をずらすと、小さな流れも手の動きについてくる。

 手を止めれば、その下で落ち着いて、機嫌よさげにくるくると巡る。


 うーん……なんだろうな、この。


 ミュルナが嫌なんじゃない。

 構ってもらうのは好きなくせに、俺の中から出る気だけはないらしい。


 俺が手をずらせば、追っかけてついてくる。


 ……話が終わっても、繋いだ手を離さねえ奴がいたな。


 そういえば、ミツバはミルラの記憶の断片みたいなものを受け継いでいた。

 なら、俺たちの霊子から出来たこいつにも、元になった何かが、こういう形で残ってたりすんのか?


 俺は、ゆっくり顔を上げた。


 少し離れたところで、アイオリスが即座に目を合わせてくる。


「どうした、イズミール」


「……なあ」


「何だ」


「ミュカレってさ」


 腹を撫でる。


 こぽ。


 俺の手を追うように、小さな流れがすぐ掌の下へ寄ってきた。


 それを感じながら、目の前の男を見る。


 …………。


「――お前に似てんじゃねえの?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
薄々察してはいたがこやつママ好きすぎて出てきたくないのか…w
2026/09/15 18:56 いきりねこ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。