EX(119.16).水から、生まれくるもの(後編) 〇★
「……で、だ。やっぱり、人間とは色々と事情が違うんだってよ」
のじゃ様との通話を終え、歩き出した俺は隣にいるアイオリスへ告げた。
「そうか」
アイオリスが大きく息を吐いた。
それから、繋いでいた手を握り直してくる。
「ありがとう、イズミール」
どういう立場からの何に対する礼だよ、と茶化そうかと思ったけど、恥ずかしいことを真顔で言ってくるのは分かり切ってるので分が悪い。
こんな時はプランDだ。ちなみに駄目出しのD。
「おい、話はまだ終わってねえぞ。今、喜ぶ方に全部持ってかれたろ」
「私も終えたつもりはない。続きを聞かせてほしい」
「なら、その顔なんとかしろ。こっちが話しづれえ」
目元は緩んでいるのに、俺の言葉を一つも聞き落とすまいとする顔でもある。
真面目ににやけるとかいう器用な真似をするな。クソ不器用なくせに。
「嬉しいのだから仕方がない」
「……そーですか」
はいはいわかったわかった、と指を握り返す。
こっちまで変な顔になっちまうだろうが。ばーかばーか。
道が緩く曲がり、山から吹いてくる風が横顔へ当たった。
俺は空いた手で髪を押さえ、そのまま腹へ下ろす。
「あー……それと、のじゃ様がメチャクチャ驚いてた」
「何にだ?」
「出来んの、早かったって……あれ、百年単位の話だったんだとよ」
「……では、何故、早まったのだ」
「……」
しまった。
ヤベえ。これ、こいつに聞かせるべき話じゃなかったかも。
この激重ムッツリスケベのケダモノ野郎が、一人増えて「はい満足」で終わるようなタマか?
絶対、ありえねえ。
下手すると野球チームくらい産まされかねない。
九つ目の海だけにイズミール・ナインだって? ヒエッ!?
「イズミール?」
「あ、後だ、後っ! この話、おしまい!」
「分かった。後で聞かせてもらう」
なんで食い付いてくるんだよ、そこに。
「おしまいだって言ったろ!」
「君は後だと言った。夫として聞かせてもらいたい」
「う、うるせぇ! 言わせんなぁ!!」
俺はアイオリスの脇腹を殴った。困った時の実力行使だ。
硬っ。全然効いてねえ! むしろ満足そうだ。
スキンシップと勘違いされてるだろこれ。こっちも痛くねえけど腹立つ。
仕方ねえので、襟元を引っ張って口を塞いだ。
プランC。内容についての詳細は社外秘とする。
「……」
ふう……よし、黙ったな。手のかかる野郎だ。
今のうちに話を続けよう。
「俺さ。やっぱり、腹がこう、どんどんデカくなってくもんだと思ってたんだよ」
「人が子を宿した時のようにか」
「そうそう。吐くとか、腹が重くて動けねえとか。最後は死ぬほど痛い思いをするとかな」
言いながら最悪の想像が高速で頭を駆け抜ける。
保健の授業やら、ドキュメンタリーやら。
聞きかじった話の寄せ集めが、最悪のイメージ動画を勝手に再生する。
スイカみたいに腹が膨れる自分――俺は水だから、スイカというか巨大水風船だ。
悪阻。陣痛。破水――破水ってなんだよ。俺が水だ。破けたってなんともねえよ。
誰かに「頑張れ」「もう少しだ」とか励まされながらの、女神様の貴重な出産シーン。
やめろやめろ。
まだ何も起きてないうちから、脳内で尊厳破壊の上映会すんな。
「……そうはならないのだろう?」
「現物が腹ん中で動きだしたら、そりゃ考えるだろうが!」
男は出すもの出したら、後は待つだけだから気楽だよな、とか考えて、地味にダメージ。
俺も、本来なら「そっち側」の筈なのに、自然に産む側目線になってた。
「すまない。配慮が足らなかった」
こっちが理不尽だったのに、アイオリスは言い訳一つせずに謝罪してきた。
おーい、やめろよ。こっちが謝りづらくなるじゃねえか。
「……基本的に、俺が痛いとか苦しいとかはないってよ。心配すんな、ばか」
プランBを実行。腕を抱え込んで胸をぎゅっ。
かなり効く。……たまに効きすぎる。
アイオリスは腹へ目を落とし、それから俺を見た。
「今後、何に気をつければいい?」
「ひとまず、無理に引っ張り出そうとかはすんなって。
俺の水の中で落ち着いてるなら、そのまま様子を見ろってさ」
「ほかには」
「俺の不調とか、こいつの流れに変なことがあったら、また話せって。
あと、日にち数えて人間と比べても、あんま意味ねえんだと」
精霊は、霊子で出来た器に魂だの意思だのを定着させて生きるもんらしい。
人間の赤ん坊みたいに、腹の中で肉や骨が出来上がっていくのとは別物だ。
「ちゃんとした形が無くても、考えたりなんだりが出来るのもいるらしい」
「心が先に生まれ、身体が後から出来上がっていくということか」
肉体ありきの生き物じゃないのが、精霊のややこしいとこだ。
泉だった頃の俺みたいな感じで生まれるパターンだと思えばいいんだろう。
水たまりを産むって、なんか小便漏らしてるみたいな嫌な絵面になりそうなんだが。
「うん。逆に、形が先にあって、そこから少しずつ意思がはっきりしていくようなのもいるって」
「……生まれた後、徐々に物心がついていく、ということか?」
そういう言い方だと、なんだか普通の赤ん坊っぽく聞こえるな。
生々しいような、気恥ずかしいような複雑な気分だ。
「た、たぶん、似たようなもん……なのか?」
「この子は、どうなのだ」
「そこまでは、まだはっきりとは分かんねえ。
ただ、意識がまだはっきりしてなくても、呼びかけだの何だのは、それなりに効果があるってよ。
自分から動き出してるんなら、もう自分の形を取って、出てきてもおかしくねえってさ」
言ってから、腹を見る。今のところはどっちの気配もない。
正直、今すぐ出てこられても困る。心構えができてない。
でも、どんなやつになるのか、どんな姿をしてるのかは見てみたい。
相反する気持ちが、どっちもある。
まあ、俺の中身なんて、だいぶ前から取っ散らかってるから今更だ。
そう思ったところで、ふと引っかかりを覚えた。
「そういや、ちびどもも、最初はただの水フィギュアだったんだよなぁ」
あいつらは身体から先に出来上がってくタイプになるんだろうか。
でも、最初は人前に出たくなくて作ったただの身代わりだった。
小さく作って、動かして、ぶつけて、浄化するだけの自爆ドローンみたいなもん。
いつもの身体を創る時の流れを利用して、時短と省力を実現した量産型の俺。
俺にとってはただの道具でしかなかった。
「あいつら、いつからそうじゃなくなってたんだろ……?」
だんだん動かすのに慣れていって、そのうち、狙いを決めると、勝手にそれっぽく動くようになった。
セミオート動作とか勝手に呼んでたけど、よく考えたらだいぶおかしいな?
でも、勝手に動くからって、何かを考えてるとまでは思ってなかった。
「サルディスは、幼子として信じられているから、幼く振る舞うのだと言っていた。器が未熟なのではない、と」
「……じゃあ、あのちびっこっぷりも、生まれたてだからってだけじゃなかったのか」
ちびっこだから何も分かってねえ、とは限らなかったわけか。
じゃあ、あいつらはいつから、どこまで分かってたんだ?
「でも、お前さ、俺より先にミュルナが喋るのを聞いてたんだったよな?」
そう、俺はちびどもが喋り出した時、ちゃんと立ち会ってない。
なんで産んだことになってる本人が後回しにされてんだよ。
「ああ。君が残してくれた桶と瓶にリディアが触れようとした時、はじめて声をあげた」
「俺、あいつをそんな風に作った覚えねえんだけどなぁ……」
「あの子ははっきりと私とリディア、サルディスを見分けていたように思う。
私が瓶を受け取ると、次は君の居場所を指し示してくれた」
ちゃんと木こり野郎に渡せ。
前に来た金髪の男だぞ。
女の子の方に渡すんじゃないからな。
造った時にはそんなことを、何度も言い聞かせた気がする。
でも、よく考えたら、ずいぶんな無茶振りだった。
前に会った奴の顔を覚えとけ。相手を見分けろ。俺がいなくても、間違えずに渡せ。
俺がその場で動かすんじゃなくて、自己判断でやらせようとしていた。
水の塊相手に何やってんだ、とは思っていた。
ただ、あの時は、本当に切羽詰まっていて、誰かに助けてほしかった。
だから、こいつが喋れるようになりゃいいのにとまで思っていたんだった。
それが、いつの間にか本当に出来るようになっていた。
俺はあいつを子どもとして産んだつもりなんてなかった。
それでも、俺の知らないところで、あいつは「あいつ」になってた。
「で、瓶は渡せたんだよな……その後、お前らについてったのはなんでだ?」
「君のところへ行きたがっていた。置いていこうとすれば、納得しなかったと思う」
「……俺に会いに来たってことか」
「あの時、あの子が君を見つけてどうしたかは、覚えているだろう」
覚えている。
飛びついてきた、小さな身体。
俺を見上げ、ママと呼んできたあの声。
あいつを抱いた時、この世界に転生してから、はじめて、ひとりじゃなくなったと感じたんだった。
でも、その後、地面に投げ出されて溶けて消えた。
死んだ、殺されたって思った。
ただの水フィギュアなら、作り直せば済むはずだった。
なのに、あの時はそんなこと、思いもしなかった。
もう、とっくに、ただの道具だなんて思えなくなっていた。
「リディアが名前をつけたのは、その後だよな」
「ああ」
「で、そのすぐ後に、ミュリナとミュシアも湧いてきた、と……」
でも、あいつらも名前をもらう前から、ミュルナと取っ組み合いの喧嘩をしたって聞いた。
名前をもらう前には意思がなかった、なんてことはない。
ミュリナとミュシアも、俺の知らないところで、もうあいつらになってた。
いつから、どうやってと聞かれても、答えようがない。
産んだという自覚も覚悟もなかったけど、今ははっきりと親子だと思う。
「身体が先とか、心が先とか……順番なんて、そんなに大事じゃねえのかもな」
そんなことはないだろ、とも思うが、俺んちではこうだった。
普通の精霊や家族がどうかなんて知るか。うちはうち、よそはよそだ。
腹の奥が、こぽりと鳴った。
思わず手を当てる。
小さな流れは、俺の掌の下をゆっくり巡っていた。
(なあ、お前も分かるか?)
こぽぽ。
……まあ、返事かどうかなんて分かんねえけど。
※※※※※
それからも、俺たちは街道を歩いた。
斜面を下り、小さな流れを渡り、道が分かれるたびアイオリスが進む方を示す。
少し前なら地図を覗き込みながら次の町の話をしていたのに、今日は話が途切れるたび、俺もこいつもつい腹を見てしまう。
うーん、完全にデキたて若夫婦って感じだ。どうしてこうなった。
「あとさ、ミルラみたいなパターンもあるんだよな」
「イルミンスールの妻のことか」
「そうそう。あの野郎は、俺がちびどもを作ったのとは最初から違うやり方だったんだよな、たぶん」
よく考えたら、自分の娘みたいなもんを嫁にしたんじゃねえのか、あいつ。
あの語彙とノリからして、絶対、性癖盛り盛りで「俺の嫁」として造っただろ。
まったく、変態野郎がよぉ!
けど、俺だって美少女フィギュアを創り続けて、しまいにゃ自分で入っちまった口だ。
その上、その身体で御懐妊まで行っちまった。笑うに笑えねえじゃん……。
「ミルラは自分とは別の心を持つ話し相手だと、書かれていたのだったな」
「ああ。うちのちびどもと違って、はじめっから大人みたいだったのかもしんねぇ」
孤独を埋めてくれる相手として、最初から、そう創ったのなら。
身体の使い方や言葉を、普通の赤ん坊のように、一つずつ覚える必要があったのかも怪しい。
つくづく、人間の子どもに当てはめようとしてもしょうがないと思った。
そもそも、俺自身だって、最初は手も足も口もない考える泉だった。
暇を持て余して、ひたすら何とかしようともがいているうちに、ママ女神になってた。
最後のだけ圧倒的におかしい。意味不明すぎる。
「……こいつも、今、なんか考えてたりすんのかね」
腹をそっと撫でた。
こぽ、こぽ。
掌の動きに沿うように、小さな波が返ってきた。
さっきまで奥で巡っていた流れが、少し近くなった気がする。
「お?」
「どうした」
「なんか、今……撫でたら動いた気がする」
もう一度、ゆっくり手を滑らせる。
こぽり。
マジで? これ、反応してない?
……可愛いな、おい。
いや、まだ本当にそうかわかんないけど、そう思いたいから、そういうことにしよう。
たった今、俺が決めた。
口元が緩むのを誤魔化しながら顔を上げると、アイオリスがものすごく真剣に見ていた。
「お前もやってみるか? パァ~パ?♡」
揶揄うつもりで言ってみたけど、ヤバいこれ、恥っず……やめときゃよかった。
返事より先に手が伸びかけ、途中で止まり、俺の顔を見てくる。
「あ~、お前ってほんっと、そういう……いいって。ほら、やれ! 命令っ!」
道端へ寄り、その手を掴んで腹へ当てさせた。
大きな掌が、服の上からそっと触れ、撫でてくる。
夜の行事の時とは違って、おっかなびっくりなくらい手つきが優しい。
……しーん。
さっきまでの波がピタッと収まった。
別にいなくなったわけじゃない。
内側には、ちゃんといるが、急に大人しくなった。
「……動かねえな」
「ああ」
「さっきは動いたんだけど。寝たのか?」
言ってから、こいつも水なら寝る必要なくね? と考えた。
でも、しょうがねえだろ、あかちゃんなんだから。
……本当にそうか? 何も分からん。
アイオリスが、俺の腹へ顔を少し近づけた。
こ、こいつ……まさかアレをやる気か?
アイオリスはそのまま道端へ片膝をつき、俺の腹へ耳を寄せた。
「……聞こえているだろうか。私はアイオリス――君の父だ」
やった。本当にやりやがった、こいつ!
のじゃ様は、呼びかけにも効果があるって言ってたけど、俺は声に出してまではやれなかった。
さすがアイオリス! おれにできない事を平然とやってのけるッ!
そこにシビれるあこがれ――は、しねえな……愛してはいるけど。
結果――返事、ナシ!
アイオリスは真面目腐った顔で待っている。
いや、あの顔はだいぶ期待してる。ものすごく期待してる。
風で草が擦れる音だけがした。
跪き、俺の腹に向かって耳を澄ますヤベェ男の姿が哀愁を誘う。
どうすんだよこれ、笑うべきか。フォローすべきか。
「気が早えって。俺だって、水でいるときは喋れねえんだぞ」
「……そうだな」
名残惜しそうに手が離れた。
俺がその場所を撫で直すと、少しして、こぽ、と揺れた。
「……あ、動いた」
アイオリスがこちらを見た。
うわ。
何だよその顔。俺が意地悪したみたいじゃねえか。
知らねーよ、こいつに言え。俺じゃないんだってば。
「たまたまだろ。ほら、行くぞ。日が暮れちまう」
手を取って歩き出した。
今度は俺が引っ張る側だった。
本っ当、面倒臭いやつだ。
しょうがねえ、後でおっぱいでも揉ませてやるか。
けれど、同じようなことはその後もたびたびあった。
翌日、道を確かめるため立ち止まった時。
沢のそばで、腰を下ろして話していた時。
俺が腹へ意識を向けたり、手を当てたりすると、小さく波立つ。
アイオリスが触れると、途端に、スン……となる。
声をかけても、待ってみても、その間はピクリとも動かない。
こいつが手を離し、俺が撫でると、待ってましたとばかりに巡り始める。
……さすがに、偶然で片づけるには偏りが過ぎねえか。
アイオリスも薄々気づいているらしく、触れる前に少し迷うようになっていた。
そのくせ、諦めきれないのか、俺が「動いた」と言えば腹をガン見してくる。
腹ばっか見てんじゃねえよ、ばーか。
その姿は、いじらしいというか、不憫というか。
少しだけ、腹の中のやつと相談してやりたくもなる。
(なあ、おい。ちょっとくらいサービスしてやれよ。楽しみにしてんだぞ、こいつも)
聞こえているのかいないのか。
俺が取りなしても、忖度されることはなかった。
街道沿いの宿場を転々としながら、俺たちはゴルディウムに向かった。
二人旅だけれど、途中から話しかける相手が一人増えた。
腹の中のそいつは、喋らないし、姿も見せないけれど、変わらずそこにいる。
ただ、俺が話しかけたり触れると嬉しそうに波立つ。
うちのこ、かしこい。へへへ。
けど、のじゃ様は言っていた。
少なくとも、こいつはもう自分で巡れるほど満ちている。
なら、自分の形を持って、姿を現してもおかしくはない、と。
俺は道の先を見ながら、腹へ掌を重ねた。
「……なあ。お前、まだ出てこねえの?」
こぽ。
掌の下にあった流れが、奥の深い方に引っ込んだ。
俺は足を止めた。
俺が撫でれば寄ってくる。
アイオリスが触れば、大人しくなる。
で、出てこねえのかって聞いたら、奥へ引っ込むのかよ。
こいつ、まさか……。
出られねえんじゃなくて――
出てきたくねえのか?




