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EX(117.2).第二回主神会議(リモートワーク) 〇★△

117話「水は交わり、やがて引く」の続き、龍宮出立~途中のお話。

 朝の光ってのは、どうしてこう、見たくないものまで無駄にはっきり見せるんだろうか。


 日が昇った龍宮は、昨日の夕暮れよりもずっと眩しく、黄金になった石床も、崩れかけた柱も、海底とは思えない青空の下でぎらぎら光っている。


 そして、その広すぎる石床の真ん中に――


 木こり野郎が、本当に正座したまま待っていた。

 朝日を浴びて金髪と無闇に整った顔が輝いて見える。


 夜の間に何度かチラ見しに行ったが、そのときと寸分変わらない完璧すぎる正座。

 全身が黄金化してやがるんじゃないかってくらい、微動だにせず俺を待っていた。


 回廊の影からその姿を覗いた瞬間、踵を返して別の道から出直そうか本気で迷った。


 だが――正座しろと言ったのは俺だから、ここで逃げるのも筋に合わない。

 何より、あいつのことだから、真面目な顔であのまま何日でも待っている。そういう野郎だ。


 後ろからこっそり、ふよふよ浮いて近付いたのに、即座に気付かれた。


 こわ。


「……まだやってたのかよ、その正座」


 できるだけ冷たく言ってやったつもりだったが、声の端が少しだけひっくり返った。


「君が、朝までそうしていろと言った」


「言ったけど! そこは普通、適当に切り上げるだろ!」


 思わず怒鳴ると、アイオリスは膝を揃えたまま、まっすぐ俺を見上げた。


「君と向き合うためのことを、適当になど済ませられない」


「……」


 で、この即答だった。

 知ってた。


 朝の光の下でも、こいつの青い目は変に真っ直ぐで困る。

 あの目で見られると、あれこれ一緒に思い出してしまいそうで、即座に目を逸らした。


 源流から帰って来て以来ずっと、こいつのせいで俺の情緒は、死にゲー状態を強いられている。

 リスポーン地点に、いつもこいつが待ち構えている。クソゲーかよ。


 俺は腕を組み、なるべく偉そうな角度で告げた。


「……で。何が悪かったか、ちゃんと考えたんだろうな」


「ああ」


 今の俺の身体は、いつもの、人型に見えるだけの水だ。

 昨夜みたいな、妙に重たく生々しい身体じゃない。


 ……ない、はずなのに。


 あいつの顔を見ただけで、元から存在しないはずの場所まで、思い出したみたいに熱を持つ。


 やめろ。今は仕事の時間だ。

 燃えろ、俺のブラック精神! いつも心にパワハラを!


 取りあえず、今回はこいつに、きちんと、自分がやり過ぎたと認めさせる。

 もう、今後はああいうのは無しという方向で押し切る。そういう予定だった。


「言ってみろ。何がまずかった?」


 目線だけチラッと向けたら、当たり前のように目が合った。だから、こわいって!


「急ぎすぎた」


 アイオリスが、静かに言った。

 あまりにも端的な答え、俺じゃなかったらキレてる。

 まぁ、こいつの物言いが不器用でぶつ切りなのはいつものことだ。

 ビニールプールくらいの心の広さで続きを待つ。


「君が何を恐れているのか、もっと時間をかけて分かるべきだった。

 君自身が、己の変化を受け入れられるまで待つべきだったと思う」


「……お、おう」


 想像以上にちゃんと反省してきた。


 俺の身体が、自分の意思を置き去りにして変わっていくのが怖かったこと。

 水だったはずの身体に、人間みたいな重さや感覚が生まれたこと。

 それを嫌だと思うのと同じくらい、嫌ではないと感じてしまったこと。


 結魂によるあの繋がり越しに、こいつにはたぶん伝わってしまっていた。

 分かっていながら止まらなかったことを、アイオリスは本気で悔いているらしい。


 身体の奥の水が小さく渦を巻いた。

 俺は別に、こいつに触れられたことそのものを後悔してるわけじゃなくて。


 いやいや、やっぱ駄目だろ。

 でも、だけど、やっぱり、その。

 全部が全部嫌だったわけじゃないと言えなくもないような、うん。


 まぁ、それはそれとして、俺には腹を立てる権利がある。それは間違いなく絶対ある。


 そこだけは、はっきりしとかなきゃいけない。

 でないと、そのうち、こいつに完全に主導権を明け渡しかねない気がする。


「だが」


 アイオリスが続けた。


 おい、待て。嫌な予感しかしねえんだが?

 言うな、止まれ。


「私は、君を求めることをやめるつもりはない」


「は?」


「次は君に分かってもらう。時間をかけてでも」


「待て待て待て。今、この反省の文脈で言うことかよ!?」


 身体の中の渦がぐるぐると膨れ上がった。


「“次”って何だよ! “時間をかける”って何だ!

 それ反省じゃなくて再犯予告じゃねえか、このケダモノ野郎!!」


 思わず絶叫した。朝の静かな龍宮に、俺の声がやたらと高く反響する。

 アイオリスはほんの少し目を瞬かせた。


「そう聞こえたのか」


「そうとしか聞こえねえよ!

 “分かってもらう”とか、言い方が全部こええんだよお前は!」


「君に無理をさせぬように、という意味だ」


「そもそも、なんで次がある前提なんだよ!」


「無論、今度は君の意思を確かめる」


「自分の使用許可申請なんかにハンコが押せるか!

 そんな稟議、却下だ却下!」


 一応、反省はしているらしい。

 している上で、次はもっと上手くやる気満々なのが最悪だった。

 改善案つき再犯予告とか、聞いたことがねえ。


 俺の不満を読み取ったのか、アイオリスはわずかに首を傾けた。


「私は、間違っているだろうか」


「むしろ、どこがどう合ってると思えるんだよ!

 ばか、あほ! 俺のお気持ちを察して配慮しろ!

 もっと俺のことを考えろ!」


 自分でも何を言いたいのかわからないことを、理不尽に喚きたてる。


 俺だって、別にもう二度と触るなと言いたいわけじゃない。

 それを言えば、こいつは本当に触れなくなる。

 けど、俺が望むようになるまで、すぐ傍で、いつまでも待ち続ける。


 それはそれで……すごく困る。

 何がどう困るかは、今は考えたくない。


「ずっと君のことを考えている」


 そして、こいつはこの通りデッドボールしか投げてこないのだ。


「も、もういい! もうたくさんだ!!」


 半ば悲鳴みたいに遮ると、アイオリスは口を噤んだ。

 それでも、その目だけはどこまでも真っ直ぐで、少しも引いていない。


 昨夜から、いやもっと前からそこだけは変わらない。

 欲も、執着も、愛情も、全部隠す気がない目だ。


「こ、こんなところにケダモノ野郎となんていられるか!

 俺は帰らせてもらう! 今すぐ、帰るったら帰る!」


 これ以上話すと、自分で掘った穴に自分から沈みそうだった。

 だから、居た堪れなくなって、勢いよく踵を返したその時。


 回廊の先から、聞き覚えのある静かな声が降ってきた。


『まこと賑々しいことよ』


 白い童女の姿をした龍神――ジャガラモガラが、いつの間にかそこに立っていた。


「お前、いたのかよ」


『吾は龍宮の主ぞ。

 それに、汝らの帰郷を見送らねば礼を失するというもの』


 のじゃ様は、相変わらず礼だなんだのにうるさい。

 だが、のじゃ様にとって見送るという行為が軽くないのを、俺はもう知っている。


「なんだよ、土産でもくれようってのか。

 玉手箱とかマジでいらねえからな?」


『タマテバコとはなんぞ。

 気に入ったものがあらば、好きに持って行くが良い。

 それより、汝はさておき、キコリヤロウは肉の器を持った身だ。

 ゆえに、これを返しておこうと思ってな』


 遺跡の奥から水の球に包まれた小舟が浮かんでやって来た。


 源流の中で黄金に変え、魔樹の枝に何度も叩きつけられ、最後には置き去りになったはずの舟。

 今は黄金ではなく、元の木の色へ戻っている。

 継ぎ接ぎの舟板も、舟縁についた古い傷も、そのままだった。


「これ、回収できたのか」


源流ままの許に捨て置くのも忍びなかったゆえ、拾い上げておいた』


 確かに、これがないと帰り道であいつを抱えて行かなきゃいけない。

 休み休みとはいえ、行きには七日もかかった旅路だ。


 その間、あいつとぴったり密着した状態とか……。


「助かった、マジ助かった! ありがとう、ありがとう!」


 俺は駆け寄って、のじゃ様の両手を掴んでぶんぶん上下に振った。

 のじゃ様はされるがままだ。うむ、とだけ頷いた。 


『もう一つ……いや、八つだ』


 のじゃ様の身体の中から、水に包まれた八つの珠が現れた。


 龍珠だ。


 アイオリスの残機代わりに渡された時は、誰かが死ぬ前提のクソ仕様だった。

 それが気に入らなかったから、俺はこれを水巨神の節点と操作端末として使った。


『此度は、吾ら八海と汝らを繋ぐ器として、改めて汝らへ預ける。

 各海の動き、復興の進み、乱れし精霊どもの報せ、必要とあらば助力も届けよう』


 俺は八つの珠を覗き込んだ。

 世界を戻す作業を進めるなら、八つの海と連絡を取れる手段は必要になる。

 それに、俺がいない間に、ちびたち――ミューズの助けになってくれるのは安心できる。


「業務連絡用ってことなら、まぁ」


 受け取って、とりあえず胸の谷間から身体の中に取り込んでおく。

 

「けどさぁ、あんたの話は長ったらしいんだよ。

 どうせ他の奴らも似たようなもんなんだろ」


 こいつは、何かにつけて話が大仰だ。

 源流がどうとか、海の理がどうとか、質問を一つしただけで、創世記から聞かされかねない。


 ジャガラモガラは無言でこちらを見た。

 割と失礼なことを言った気もするが、やはり怒ったりはしない。


「連絡の時は、前置き抜きで手短に話せって、言っといてくれ」


『心得た。要のみを、遅滞なく届けるよう申し伝えよう』


「おう。頼んだぞ」


 そうして、俺とアイオリスは龍宮を後にした。


 もう怪我人もいない。休む必要のない二人だ。

 真っ直ぐ帰れば、行きよりずっと早い。


 俺はそう思っていたし、たぶん、アイオリスもそう思っていただろう。


 なのに、旅路ってやつは、いつだって予定表通りには進まないらしい。


※※※※※


 俺たちは小舟に乗って、沈んだ世界の中を進んでいく。

 龍宮の周囲では海そのものが大きく退いていたが、少し離れれば、まだ世界は水の底にある。


 山も、森も、街も、人も。

 何もかもが黄金のまま止まり、その上を青暗い水が満たしている。


 行きには、そんな景色を見るたびに気分が重くなった。


 俺が発端になった洪水と黄金だ。

 止まった家や街を見るたび、本当に戻せるのか、戻せてもその後どうなるのか、そんなことばかり考えていた。


 今も、問題がなくなったわけじゃない。

 それでも黒禍はもういない。

 世界は順番に戻していける。


 だが、世界どころかグループ総崩れ級の厄いデスマーチは終わった。

 俺たちは今、本社出張からの気楽な帰り道だ。


 それに、今のアイオリスは水に溺れることもなければ、怪我もない。

 舟を泡で包む必要も、揺らさないように気を付けなくてもいい。


 だからだろう。

 沈んだ景色が、行きとは違って見えた。

 水中で舟をビュンビュン飛ばしながら、俺は景色を眺め、変なテンションで騒いでいた。


「お、見ろよ、あれ城だろ、城!」


 舟の下を流れていく、黄金の建物を指差した。

 いくつもの尖塔がくっつき、岩山みたいな形になっている。


「もう城っていうか、変な形の山だな。

 あっちの塔、絶対センス尖りすぎだろ。あんなとこに通路渡すとか正気か?」


「そうだな」


 アイオリスはまた黄金の鎧を着込んでいる。

 いらねえだろと言ったけど、何かあった時のために備えると言って聞かなかった。

 船の中央に陣取って、妙に気のない返事を返してきやがる。


「あんなロケーションがあるなら、景観だけで売ってけるな!

 インバウンド需要で入れ食いなんじゃないか? 今は沈んでるけど」


「そうかもしれないな」


「返事が薄い! もっとこう、“おお、確かに”とかあるだろ!」


「ああ、確かに」


「棒読みすぎるだろうが!」


 小舟は帆も櫂もなく、水の中を飛び続ける。

 船首の向く先に、沈んだ街並みが次々と現れては流れていく。


「もっとこうさあ、観光に付き合えよ!

 っていうかお前がガイドしろよ! 現地人だろうが!

 異世界からの旅行者である俺に、映えスポットを教えやがれ」


「バエスポットとはなんだ」


「雰囲気で分かれ!」


 俺はたぶん浮かれていた。


 半分はやっと肩の荷を下ろせたから。

 もう半分は、そうしていないと間が持たないからだ。


 あれはなんだ、これはなんだと身を乗り出したり、舟のスピードを上げたり、曲芸飛行めいたことに挑戦したり。


「イズミール」


 ちょっとした切れ目が訪れた時、低い声で名前を呼ばれた。


 はっとして振り向くと、距離が近かった。

 自分が思っていたよりもずっと近くに、アイオリスの顔があった。


「な、なんだよ。あっ、食レポならいらねえからな!

 味なんか、わかんねえもん……」


 今更のように距離を取るが、狭い舟の上だ。

 気まずい仕草ばかりが悪目立ちしてしまう。


「……無理に喋らなくてもいい」


「はァ!? う、うるせえな!? 別に、無理にじゃねえし!

 つーか、お前がムッツリ黙り込んでるのが悪いんだろうが!」


 図星を刺されて、カッとなって詰め寄り、アイオリスの腕を掴んだ。

 服越しでも分かる腕の硬さ、太さを掌で感じてハッとした。


 何よりも、その熱。

 それを意識した瞬間に、もう駄目だった。


 掌が掌として、肉と骨からなる硬さと重さ、熱を持ってしまう。

 咄嗟に手を引っ込めたが、感触と体温で身体の変化がバレたかもしれない。


「い、今のはっ、違う! 偶々だ! そういうのじゃないからな!」


「そういうの、とは……?」


「お、お前には関係ねぇ!」


 俺は無理やり顔を逸らし、次の観光資源を探そうとした。

 それなのに。


「沈黙が気まずいのは、私も同じだ」


「……」


 それを言われたら、ひとりで騒いでたこっちが馬鹿みたいだろうが。

 なら、お前も乗っかってこいや、と抗議しようとしたその時――


「――イズミール! 前だ!」


「へ? うわあぁ!?」


 舟の前方に、黄金になった大きな樹が迫っていた。

 景色を見ようとするばかり、水深を下げ過ぎていた。


 咄嗟に急制動をかけたが舟が大きく傾いた。


 気が付くと俺はアイオリスの腕に抱えられていて、ぴったりと身体を寄せていた。

 舟から投げ出されて、ふわふわと水中を漂いながら、ゆっくり沈んでいく。

 

 抱き締められた感触のほとんどは硬い鎧のもの。

 鎧のせいで鼓動と熱が感じられない。


 そう感じてしまっていることに気付いて、カーッと身体が熱くなった。

 生身の肉体特有の、ずしりとした感覚が全身に及ぶ。


 今度こそ確実にバレた。

 俺が今、再び肉の身体になってしまっていること。


「……」


「……」


 お互いに黙ったまま、水底の地面に辿り着いた。

 アイオリスは最初、地上にいるみたいに俺の身体を支えようとした。


 けれど、自分も含めて水の中では、地上よりずっと自由に動けることを察したのだろう。

 俺を抱きしめていた腕をほどき、身を引こうとした。


「……」


 でも、俺の手は、あいつの袖を掴んだままだった。

 離したら、さっきまでの空気ごと本当に途切れてしまいそうだった。


 何だよ。途切れていいだろ、そんなの。

 でも、そこでそんな素直に離れようとするなよ。


 俺が近づいたからってだけで、盛って襲うんじゃねえ、このケダモノが。

 そう思う一方で、あっさり引かれると、それはそれで何故か腹が立つ。

 我ながら理不尽で意味がわからないくらい面倒臭い。


「……ちゃんと支えろ、役目だろ」


「わかった」


 腕が回され、再び抱き締められた瞬間、俺の中で金色の“わたし”が歓喜した。

 銀色の“私”は、何やら穏やかに納得している。


 俺は、少し遅れて、自分が何をやらかしたのか理解した。


 ああ、まずい。

 今のは非常にまずかった気がする。


「イズミール、よそ見は危険だ」


「わ、分かってるよ」


「分かっていない」


「はぁ?! あんなのただの前方不注意と安全確認不足だろ!

 どうせ水なんだから、ぶつかったって怪我なんてしねえよ」


 抱き締める腕に力が込められ、木の根元に向かって身体が流れていく。


「……お、おい、放せよ」


 さっきと真逆のことを言ったけど、今度は返事がない。

 とん、と背中に樹の幹がぶつかった。

 アイオリスの両手が幹を掴んで、大きな身体と樹の幹の間に挟まれた。


 逃げようと思えば、水に戻ればいい。

 でも、俺はその腕の中から抜け出せないままだった。


「君は、分かっていない。

 私が君をどれほど大事に思っているか。

 君が傷つき、失われることをどれほど恐れているかを」


「お、大げさすぎるだろ、あっ、あんなの、ちょっ、ちょっとした、現場事故で……」


 茶化そうとして、声が上ずった。

 それは間近で覗き込んでくるあいつの目が、この上なくマジだったからだ。


「私は、君が分かるまで時間をかけると言った」


「だ、だったら、ほら、一か月でも、一年でも……

 時間なら、これから十分に……なっ?」


「後に回す理由がない」


「……待て。待て待て。

 い、今はそういう感じじゃねえだろっ」


「なら、君の身体は今、どうしてそうなっている」


「?! ばっ、こ、これはっ、そういうこと言う――」


 言葉の続きは、口づけに塞がれた。

 触れた唇から、熱が流れ込んでくる。


 あの夜から、すっかりその熱を心地好いものだと覚えてしまった。

 触れられると、身体の方が勝手に思い出して、求めてしまう。


 樹の幹に背中を押し付けられて、逃げ場がなくなる。

 水の中の木陰は暗く、あいつの腕の中は狭くて熱い。


 それが、どうしようもなく安心で、こわい。


(ま、待てって……っ)


 心に中で抗議する。だが、その声すら、弱い。


 昨夜と今朝の言葉が、変な熱を帯びて頭の中で蘇る。

 時間をかける。分からせる。逃がさない。

 全部、誠実な顔で言いやがって。


 金色の“わたし”はとっくに蕩けて先を欲している。

 銀色の“私”も、理性的なフリをして、委ねたがっている。

 俺だけが、まずい、またおかしくされると警報代わりに鼓動を鳴らす。


 でも、多数決なら二対一だ。

 弊社の意思決定制度は終わってる。

 ついでに飛んでくる警備会社もどこにもいない。


 アイオリスの腕が腰へ回されてきた。

 ぎゅっと圧を感じると、身体の奥の方で、また――


 次の瞬間――


 俺の胸の中で、八つの龍珠が一斉に震えた。


「――ッ!?」


 身体の奥へ、八方向から大津波が雪崩れ込んでくるみたいな気配を感じた。


 深く、重い潮。

 白金の光を揺らす朝の海。

 温く満ちる水。

 裂けて渦巻く水。

 暗く沈む水。

 冷たく澄む水。

 押し返す怒濤。

 水平線のように青く遠い水。


 異なる八つの波が、思考へ同時に叩き込まれる。


「は!? ちょっ、な、何だこれ!?

 待て待て待て、嘘だろ、まさか、今なのか!?」


 八つの龍珠が、呼吸を合わせたみたいに強く光る。


「イズミール、一体、どうしたんだ……?」


 流石のアイオリスも手を止めて聞き返してきた。

 でも、俺は龍珠から伝わってくる気配に何が起こるかを察していた。


「――こんな時にリモート会議かよ!?」


「……八龍か」


「おい、不参加! 不参加だ!

 今そういうモードじゃねえんだよ!」


 言ってから、また自分で自分を殴りたくなった。


 そういうモードって何だ。

 どういうモードに入りかけてたんだ、俺は。


 アイオリスは何も言わなかったが、少しだけ残念そうな顔をした。

 そんな顔をするな。なんか俺が悪いみたいになるだろうが!


 だが――珠の向こうにいるだろう八龍たちは、こちらの事情など露ほども察していなかった。


※※※※※


『――吾は此処より東南、青き島々を抱く海を預かるもの。若き水とその番に、寿ぎを――』


『――吾は此処より南、温き潮と深き淵を巡らせるもの。源流ままより、そなたの――』


『――吾は此処より東、日いづる大海を預かる三頭目の龍、龍宮の主にして――』


『――吾は此処より南西、裂ける潮と数多の島影を守るもの。この拳に賭けて――』


『――吾は此処より西北、暗き沈冥の底に眠る水を預かるもの。此度のおおいくさ、真に――』


『――吾は此処より北、無熱の海と白き氷山を統べるもの。汝の類稀なる――』


『――吾は此処より西、怒濤うねる外海を鎮めるもの。目覚めぬ古き者たちは――』


『――吾は此処より東北、蒼明の水と霧深き沿岸を預かるもの。人の子らへの慈悲深き――』


 ドワォ! と一度に来た。


 一つでも重たくて気圧される思念が、八つ重なってハチャメチャに押し寄せて来た。


「待て待て待て待て待てぇっ!」


挿絵(By みてみん)


 八つの声を、一声で無理やり押し返す。

 声といっても、耳で聞こえているわけじゃない。


 水を通じて、名乗り、言葉、景色、潮流、話している相手の感情と気配まで。

 全部がまとめて頭の中へ流し込まれてくる。


 八つの窓が同時に開き。

 八つのカメラと勝手に繋がり。

 八つの動画がバラバラに流され。

 八人の偉そうな神様が、それぞれ別のプレゼンを同時に始めた。


 まったく処理できないわけではない。

 金と銀の俺まで総動員すれば、たぶんできる。


 だが、今やれって言われても無理だ。


 “わたし”は完全にキス待ち顔で、もう他のことが見えていない。

 “私”は、理性的な顔をしながら、いそいそと“旦那様専用のお部屋”みたいなものを俺の中に構築している。


 色んな意味で終わってる社員どこが頼りない以上、社長の俺がやるしかない。

 俺は敢然と八海グループ経営陣に食ってかかった。


「全員、話、長ぇんだよ! 一度に喋るな!

 しかもなんでよりにもよって全員“吾”なんだよ! 誰が誰だ!」


 八つの珠が、それぞれ別の揺れ方をした。


『霊子の響きで判別できよう』


『前置きは無用と聞いたのだが』


『吾は、汝の望み通り要のみを遅滞なく――』


『恐るるな、為せば成るものぞ』


『先触れは早きを尊ぶ』


『各海の違いなど明らかであろう』


『此度は挨拶ゆえ、このように軽く』


『吾は出直しても構いませぬぞ』


 またもや、ズワォ! と来る。


「だから! 同時に返すなって言ってんだろうがぁ!」


 俺の怒鳴り声で、辺りの一帯の水が震えた。


 何だこいつら。

 意思疎通ってものを何だと思ってる。


 水が繋がってるからって、会議参加者全員が同時にマイクをオンにする奴があるか。

 リモート会議はラップバトル会場じゃねえんだぞ。


「おい、のじゃ様!」


『うむ』


「うむじゃねえ! お前、こいつらに何て伝えた!」


『前置きを省き、要のみを、遅滞なく伝えよと』


「お前の仕業かぁ!?」


 確かに俺は言った。

 手短にしろと。

 長い前置きをやめろと。


 ジャガラモガラは、たぶん、その要望を正確に伝えた。


 八龍は、あれでも名乗りを必要最低限に削った。

 格式や礼を尽くした前置きを省いた。

 そして、時間を取らせないように全員同時に接続した。


 いや、おかしいだろ。

 特に最後のが絶対おかしい。

 聞かされる方の身になって考えろ。


 こいつらは頭が良い。

 未知の概念を、一度教わっただけで最適な用法で即座に扱える。


 そして、頭が良すぎて、頭が悪い。

 俺を同格の“海”だと認めるあまり、まるで分かっていない。


 ――俺の頭が悪いということを。


「順に話していただけないだろうか」


 それまで黙っていたアイオリスが、低い声で言った。

 俺を通してかなんだか分からないが、あいつにも聞こえていたらしい。


 八つの龍珠の光が、一斉に僅かに沈む。


「イズミールは今、貴方がたの話を一度に受け取る余裕がない。

 貴方がたと話せることを光栄に思うが、一人ずつ、お願いした」


 何だこいつ、いきなり会議の司会役みたいな顔しやがって。


 ものすごく助かった。

 助かったんだが、素直に礼を言いたくない。

 だって、こいつ、直前まで俺の口を塞ぎながら、胸に――


 こいつじゃねえか、俺の処理落ちの原因!


 アイオリスがこちらを見る。

 目が合った。


 さっきまで何をしていたか思い出して、俺の顔から水が滴り落ちた。


(お前、絶対、余計なことすんなよ! 変なとこ触ったら殴るからな!)


(分かった)


 返事が良すぎる。


 八つの珠の向こうで、古い水どもが順番とやらを相談し始めた。

 その相談が、また同時に流れ込んでくる。

 全員が全員、相手の言葉をすべて拾ってる前提で、主語・述語・目的語を適宜省略しながら話してる。

 パーティー会場に紛れ込んだみたいだ。


「もういい! 全員黙れ! 俺が決める!」


 こいつらに自主的な交通整理を期待したのが間違いだった。

 通信規格がないなら、現場で作るしかない。

 細かい仕様なんか知ったことか、とりあえず動きゃいいんだ、動けば!


「名前は後だ後! なんか名前絡みが色々面倒臭いのは知ってる!

 けど、ドコソコの海のナントカのアレコレみたいなのも、やめろ」


 電話越しに「三丁目の田中ですけど」みたいなあれだ。

 年寄りの鉄板名乗り、「地名(番地)+名前」だ。伝わるか!

 

「とりあえず、そのクソ紛らわしい“吾”から直せ、吾禁止!」


 さっきの一斉発言だけでも、妙に偉そうな奴、艶っぽい奴、年寄り臭い奴、物騒な奴と、何となく差はあった。


 なら、その差を強制的に表へ出せばいい。


「おい、そこの一番偉そうなの! お前は“余”だ!」


『余、か。よかろう』


「なんか女王様みたいな喋り方してるのは“妾”!」


『それが妾に相応しいと申すかえ。では、そのように』


 はい、次。


「荒っぽいのは、(オレ)


『己か! 気に入ったぞ、若き水!』


「何かにつけて戦の話へ持っていきそうなのは“某”!」


『某、承知』


 次、次!


「理屈っぽくて、いちいち仕様を問い返してくるのは“拙”!」


『拙。その選定基準と語源について説明を求める』


「そういうとこだよ! 分かれ!」


「ジジくさいのは“儂”!」


『儂か、八海の中では、まだまだ若輩と……』


「うるせえ! もう喋り方がジジイなんだよ!」


『ムムム』


「何がムムムだ! 最後! 妙にへりくだってるのは、(やつがれ)!」


『僕めに、そのような呼び分けを賜るとは、その配慮に――』


「配慮なんかした覚えはねえ!」


 けど、まだいた。


『九つ目の海よ……吾はどう名乗ればよいのだ?』


 のじゃ様だ。何故か知らないが、薄っすら期待しているように聞こえる?

 何でだ?


「ああ、のじゃ様はそのまま“吾”でいいだろ。

 最初から“吾”だったし。今さら変えられても困るからな」


『であるか……』


 なんか分からんけど納得したな、ヨシ!


※※※※※


 とりあえず、七つの海の、それぞれに一人称を割り振り終わった。

 これで、とりあえず発言者の区別はつくだろう。


 初対面で死ぬほど無礼を働いた気もするが、連中は賢くて懐が深い。

 我ながら完璧な応急処置だ。


 だが、古い水どもは妙なところで律儀だった。


『では余より、改めて名乗らせて貰うとしよう』


『ならば、次いで妾が――』


『相応の機会なれば、吾も改めて――』


『己の海じゃあ――』


『某、汝には――』


『拙はまず前提条件から――』


『これは儂の海であった話――』


『僕めからも一言――』


「だから待て! 名乗り直しとかは次回!

 今、取り込み中だから全部後だ、後!」


 八つの回線をまとめて掴む。


「いいか、接続は一人ずつ! 三文でまとめろ!

 報告は結論から! 質問は一回一個!

 そんで俺は今忙しいからこれで終わり! 以上!」


 勢いのまま、八つの龍珠との繋がりを閉じた。

 珠の光が、ひとつ、またひとつと消えていく。


 最後まで残っていたジャガラモガラの気配が、何かを問いたげだった。

 でも、それも切った。


 やっと、静かになった。


 八つの海のざわめきと重さが、頭の中から引いていく。

 俺は舟の縁へ両手をつき、深く息を吐く真似をした。


「はぁ……はぁ……ほんと、なんなんだよ、あいつら……」


 呼吸する必要なんかないのに、妙に疲れた。


「神って、もっとこう、静かに神秘的にやれねえのか……」


「終わったのか」


「あ? ああ。終わった。終わったけど……」


 答えてから、気づいた。


 アイオリスが、すぐ傍にいる。

 傍というか、がっつり後ろ抱きにされている。 

 通信事故の前と同じかそれ以上の近距離。


 俺が八龍相手にキレている間に、妙に静かだと思ったら、こいつ。

 珠の向こうの八龍の気配は途絶えた。

 だが、もっと近く、もっと逃げ場のない厄介事が残っていた。


「な、なぁ、ほら、もうそういう空気じゃないだろ? な?」


「何がだ」


「だ、だからアレだよ! あ、愛とか、そういうこと言う感じの空気っ!」


「そうか……分かった」


「本当か……?」


「時間をかけてそうする」


「ふざけんな、この色ボケが! それしか考えてねえのか!」


 俺の抗議を聞きながら、アイオリスはほんの少しだけ笑った。


「そうだな、否定できない」


「なんでも正直に言えば良いってもんじゃねえぞコラ!」


 その笑い方が、前よりもずっと人間臭くなったと思う。


 人の話を聞いているようで、勘違いして。

 聞いてないようで、察してる。


 腹立たしいほど、自分に無頓着で。

 それでいて実は相当の自己中。


 真面目なようでいて、超ムッツリで鬼畜なケダモノ野郎。


 何でこんなクソ重たい面倒臭い野郎が、嫌いになれないのか。

 自分でもよく分からない。


 このままだと、また流される。

 けど、今ここで答えを出すのも癪だった。


 だから俺は、いつものように先送りにすることにした。


 ――明日の俺に丸投げだ。

〈ちっぷす〉

「八龍ざっくり見分け表」


1.余

 いかにも偉そうなやつ。たぶん本当に偉い。

 いちいち格調が高くて、普通に喋れって言いたくなるタイプ。


2.妾

 女王様みたいな喋り方のやつ。妙に艶っぽい。

 圧が強い。こっちが何も悪くなくても説き伏せられそうで嫌だ。


3.吾

 東の日いづる大海ののじゃ様。龍宮の主。

 話が長いし礼儀も重い。でも、まだ一番話が通じる。たぶん。


4.オレ

 声がデカいし、勢いもデカい。

 たぶん脳筋枠。ノリで押し切ろうとしてくるから疲れる。


5.某

 武人口調のかたい奴。

 礼儀正しいのに、なんか物騒。たまに一番話が早い気もする。


6.拙

 理屈っぽいの。説明を始めると長い。

 仕様とか条件とか前提とか言い出す。会議だと一番厄介かもしれん。


7.儂

 年寄りくさい喋りのやつ。

 たぶん別に老人ではない。でも語り口が完全に古老枠。


8.やつがれ

 妙にへりくだってるけど、逆に胡散臭い。

 低姿勢で情報量だけは多いタイプ。油断すると話が長い。


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― 新着の感想 ―
最初の方の問答の「私は、君を求めることをやめるつもりはない」というの、これを聞いた時点で金のわたしちゃん大歓喜だよね。体をくねくねさせるレベルで。 そもそも、後ろからこっそり近づいていったりとかして、…
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