105.第一回主神会議 〇★
『水没した領域内で、七万八千三百七十四の魔樹を確認しました。
――問題ありません。すべて、浄化、消滅させました』
「――お、おま……っ!?」
俺の中で厳かに響いた“私”の言葉に、絶句した。
そのまま叫ばなかったのは、我ながら大したものだと思う。
手から伝わってくる体温が無ければ、絶対に大声が出ていた。
自分がどれだけとんでもないことを言ったのか、“私”の奴はまるで無頓着だ。
『どうかなさいましたか?』なんて、お上品な奥様みたいに聞き返してきやがる。
俺はキレた。
(どうかじゃねぇんだよ、お前がどうなってんだよ!)
俺はブチギレだ。
だが、ここでキレ散らかしてたら、そのうち絶対に声が出る。
そうしたら、怪奇・痛い独り言女神の降臨だ。
しかも、真っ先にそれがアイオリスにバレる。
それ以前に、起こしちまうしな……。
アイオリスの額に触れたまま、俺は意識だけを沈める。
※※※※※
いつかの白い世界を思い浮かべる。
なんか俺の中だとかいう、手抜き背景っぽい謎空間。
殺風景だが、俺の部屋みたいなもんなら俺が入れない方がおかしい。
原理なんか知らんが、とにかくあそこだ。
あれを会議室代わりにする。
問題社員一号への激詰め会議の時間だ!
薄暗い泡の中の粗末なテントから、一面真っ白な世界に意識が移った。
久しぶりに来たはずなのに、たった今までここにいたような気もした。
いや、いたわ、実際。
「あいつの血になりたい」とかいう、“わたし”のキモい妄想を黙らせた時に一瞬入ってたわ。
白い世界はやっぱり白いままだ。
何にもない。全くない。落ち着かない。
どくん、どくん、と鼓動みたいな音がゆっくりと響いてくる。
でも、前と違うのは、その音の向こうにもう一つ、似たような音があることだ。
とく、とく、とく、と、元の鼓動より弱くて速い。
どこから響いてくるんだと思ったら、何も無いのに手の中にほのかな熱が残っていた。
小さな鼓動はそこから響いている。
それを聞いていると妙に気持ちが落ちつく。
安心できて、その音に自分の鼓動を重ねたくなって――
(俺はここに仕事で来てんだろうが! そういうのは後にしろ、後!)
ハッとして、俺は無理やり怒っていた自分を呼び戻す。
六秒以内に怒りを思い出せ。一、二、三……。
「……おい」
とにかく“怒ってる自分”で再起動して、俺はずっとこっちを静かに見ていた“私”に声をかけた。
「説明しろ、説明」
”私”はいつものように静かで澄ました顔をしていやがった。
白い水面の上に立つその姿は、こっちが勝手にイラついてるのが馬鹿みたいに見えるほど穏やかで、余計に腹が立つ。
お行儀のよい女神様みたいなツラをしてるが、こいつがいざとなると一番ヤバい奴なのは、嫌ってほど知ってる。
「何が“問題ありません”だ。お前、自分が何言ってんのか本当に分かってんのか!?」
「ですから、奇妙なことが起こっているとお伝えしようと――」
「はい出た、事後トラブル報告! 俺、言ったよな? 報連相が大事だって!」
「はい」
「はい、じゃねえんだわ! 西と東が繋がったとか、魔樹を八万浄化したとか、後回しにしていい話じゃねえだろ!?」
パワハラ気味に詰めているが、流石は弊社きっての問題社員だ。涼しい顔で受け止めてくる。
「お伝えしようとはしました」
「聞いてねえ」
「ですが、貴女と“わたし”は、アイオリスに専念していて、私の声は届きませんでした」
そして、恐ろしく速くて切れ味のあるカウンターを寄越してきた。
だ、誰が何に専念してたって?
そんな事実ないが? 全っ然ないが!? ちゃんと確認しようとしてたとこだし!
「は、はぁっ!? そんなの……着信履歴とか残ってねぇんだから、言ったもんがちだろっ」
「申し訳ありません、今度からは強く呼びかけるようにいたします。
お話した通り、私の水域内で確認できた魔樹は、すべて浄化済みです。
少なくとも、私の管轄する範囲に限れば、当面の脅威はありません」
「だ、だから、それがもうおかしいって言ってんだろ!」
思わず一歩踏み込む。
「お前さ、自分の担当範囲だけ見て“ヨシ!”って判子押して現場回すタイプだろ。
全体見ろよ、全体! 会社はお前の業務だけで回ってんじゃないの!
デカい案件が来たら、上の判断仰げって話だよ!」
“私”はきょとんとしたように瞬いた。
社畜ワードが通じなかったのかもしれない。通じなくても分かれ。
言われた通りにしろ。でも、言われてないこともやれ。
それが弊社の暗黙のルールだ。
自分でも言ってることがおかしいのは自覚してるが、とりあえず何か喚いてないと実感に追いつかれる。
――俺、世界沈めちゃいました?
そんな、最悪の結論に。
「全体を見ようとは、していたのですが――」
「してた結果がこれかよ! 気がついたら世界一周してました、って、現場報告として終わってるだろそれ!」
言ってるうちに、自分でも訳が分からなくなってくる。
何で俺はパワハラ会議みたいなノリで、世界水没の話なんかしてんだ。
「私たちの水と混じりながら、認識と力の及ばない領域があるのです」
“私”は困ったように、でも本気で困っているわけでもなさそうに首を傾げた。
なんだ、こいつ、前からこんなだったか……?
困っているようで、ちっとも取り乱していないのが、逆に薄気味悪い。
「それは、途中から合流してきた他の水域の水になります」
「合流って川とか海とかまで呑み込んだだけだろ」
「いえ、あちらから意図的に私たちの水に合流してきました。
拒まれる感触はありませんでしたが、私たちの一部にはなりきっていません。
どうやら、この洪水は私たち以外の水域でも起こっていたようで……」
またおかしなことを言い出した。
ご一緒に洪水でもどうですか、なんてノリで混ざってきたとでも?
世界的洪水ブームとかそんなのあるわけねぇだろ。
「はぁ!? そんなバカな話あるかよ、こんなのがあちこちで起こってたまるか!」
「あれらは同じ源流の気配を帯びていました。
それだけではなく、私たち同様に浸水と同時に黄金化を伴っていました」
「はぁ? なんで俺達が手を出してないとこまで、黄金になってんだよ!」
「それについては、気になる点が――」
叫んでから、はっとした。
白い世界の足下――床、というには存在感が薄い――が浅く波打っていた。
重なった二つの鼓動の向こうから、ごう、という重たい唸りが響いてくる。
何かが近づいてくる。
とてつもなく大きなものが押し寄せて来て、こちらの水を揺らしている。
ぞわり、と肌にさざ波が立った。
黒禍とは違う。“私”や“わたし”とも違う。
だが、これが“水”だってことだけは、本能みたいにわかった。
ただ、こいつはたぶん俺たちとは規模が違う。
そのでかい何かが――こっちを視た。
確かに今、視られた。
「――何だ、今の」
思わず身構える。
“私”は、ふっと顔を上げた。
『……やはり。繋がった水の向こうには、他の水域の御方がおられたのですね。
ようやく、お会いすることが叶いそうです』
“私”に慌てた様子はない。
静かな表情だが、興味を惹かれているようにも見える。
探し物をしている時のミュリナに少し似ている。
「……は?」
……他の水域? 誰?
――白い世界の彼方で、水が溢れ出した。
物凄く遠い。とてつもなく高い。
そんな位置から、ゴゴゴと音がしそうな勢いで水が流れ込んでくる。
それは落ちて来て砕けることもなく、途中で身をくねらせ、白い世界の中で巨大な蛇のようにとぐろを巻き始める。
太い。
長い。
巨大な水の塊が、中で渦巻く白い泡の色に染まっていく。
透明な水そのものから、白色の物体としての質感を帯びていく。
ごつごつ、ざらざらとした凹凸を持ちながら、ぬめるような照りの鱗。
その鱗の一枚一枚が、俺の身体なんかよりよほど大きい。
枝分かれした角、魚に似たヒレ、閉じた口から覗く牙は鋭い。
長大な胴体に対して、妙に小さくみえる手には鈎爪が備わっている。
――それは、どこからどう見ても、“龍”だった。
しかも、絵巻とか寺の天井に描いてあるありがたそうなやつじゃない。
怪獣映画に出てきても見劣りしない、正真正銘の化け物だ。
「…………」
声が出なかった。
待て。待て待て待て。
何だこれ。
何で弊社のしょっぱい社内会議に、超大手財閥の総裁みたいなのが乗り込んでくんだよ!?
まずアポ取れ、アポ……いや、こんなの名刺交換でどうにかなる相手か!?
俺は身体中の水をダラダラ垂らしながら、盛大にキョドった。
社畜ワードに落とし込んで何とか理解しようとしたが、こんなの無理ぃ!
“私”はそんな俺を置いて、すっと一礼した。
『日いづる海の御方。よくぞお越しくださいました』
「おい!? 何、普通に挨拶してんだ、お前?!」
俺だけがパニック映画のモブみたいじゃねえか。
いや、実際パニックなんだけど。
モブで済むなら、もうそれでいい。とにかく死なない役で!
クソデカ龍は、白い世界の奥から長い首だけを寄せるみたいにして、こちらを見た。
その眼ひとつで、テニスコートくらいありそうだ。デカ過ぎんだろ……。
『ほぉう』
声が響いた。
耳で聞いたのか、水そのものが震えたのか分からない。
氷山と氷山がぶつかり合った時の軋みみたいな重たい声だった。
『九つ目の海の主とは思えぬほど、若く、小さいな』
「私たちはイズミールと申します。どうぞお見知りおきを。
外なる海の広さには遠く及びません」
「九つ目? 海の主? なんなの!? マジ、知らないんだけど!?」
こんな文字通りの大物が直凸かましてきたのに、“私”は平然と名乗っている。
俺? 俺はもうだめだ。目の前に牙がずらっと並んでんだぞ、無理に決まってんだろ!
マジで喰われる五秒前って絵面だ。無理無理!
『ふぅむ、やはり、ヒトの姿を取るか……』
俺が固まっている間に、龍は物思いに耽るみたいな声を出した。
こっちは喰われるか、噛み砕かれるかで気が気じゃない。
『だが、此度の仕儀、まことに大義であった』
「は……?」
大義、って何が?
いや、世界水没とか。黒禍を八万近く消したとか、そういうのを擦られてんのか?
わかんねぇ、化け物の表情全然わかんねぇ……褒めてる風で実はキレてない?
チラッと“私”を見た。
取り澄ました顔のくせに、うっすらと「?」を浮かべていやがる。そんな顔だった。
駄目だこいつ、何か知ってそうな余裕仕草してるけど全然分かってねぇ!
『汝と、汝の番たる人の子のおかげで、あの怨敵を駆逐できる目途が立った。
源流もまた、大いに救われた……実に喜ばしきことだ』
「成程……ですから、他の水域も、私たちを拒まなかったのですね」
――待て。
今なんつった。
龍の顎から、ぎ、ぎ、ぎ、と大木みたいな牙が擦れ合う音が響いた。
歯軋り? まさか、笑ってんの、これで?
ただ、ひたすら怖い。
しかも、ずっと本気の目でこっちを見ていやがる。
だが、さっきのは聞き流しちゃいけない気がした。
「つ、番……?」
自分でも間抜けなくらい掠れた声が出た。
「さっき、“番”って言ったのか……?」
『何を訝しむ』
目だけこっち向いた。
あ、ヤバい、こいつやっぱ怖い。
話題変えよ。
「あの、えーとその、“まま”って何ですか……」
『源流だ』
うん、全然わかんねぇ。
“私”が横で普通の顔しているのが一番怖い。ムカつくを通り越して怖い。
誰か突っ込む奴いねぇのかよ。
俺がおかしいのか? いや、どう考えてもおかしいだろ。
なんでこんな巨大怪獣が厳めしい顔で“まま”とか言ってんだよ。
自分のキャラを考えろ、キャラを!
俺はどういうスタンスで相手すりゃいいんだ!?
……食べられたりはしないって流れでいいんだよな? 大丈夫だよな……?
『婚の作法を踏み、人の子に根を刈らせた。その働き、見事であった』
「こ、婚!? 作法って何の!?」
『そなたらのだ』
「……名を交わし、心を通わせ合った者を、故あって源流へと送りました。
あれをそのようにお呼びになるのですか?」
『旧き慣わしよ。今の世に、再び執り行う者が現れようとはな』
頭の中がごちゃごちゃする。
九つ目の海。番。まま。婚。作法。
情報量の暴力で、存在しない脳みそがオーバーフロウしてる。
頭の中で、ぐるぐると渦がいくつも出来てぶつかり合っていた。
俺が一体何をしたって言うんだ。
ところが、まだこれで終わりじゃなかった。
『此度、汝らを訪ねたのは幾つかの用向きあってのこと。
まずは一つ目を片付けるとしよう』
龍が身じろぎした。
それだけで白い世界が一回り狭くなったように感じる。
図体と比較して小さく見える手の中に、水の珠が生まれた。
その水球に青白い輝きが灯ったかと思うと、黄金の輝きを帯びる。
丸い水面の向こうに、どこか見慣れたシルエットが浮かび上がる。
――そこに現れたものを見て、俺は一瞬、言葉を失った。
眩い黄金に輝く長柄の戦斧だった。
俺があれを見間違えるはずがない。
アイオリスが持っていって、
魔樹を断って、
そのまま源流へ落としてしまった――
あの、斧だ。
黄金の斧を収めた水の珠が、俺と“私”の前にふわりと降りてきた。
龍が言った。
『――汝らが源流へ落としたのは、この金の斧であろう?』
白い世界の真ん中で、俺は思わず叫んでいた。
「なんで泉の女神が金の斧を返される方になってんだよっ!?」




