第三話
第3話 悪女は、聖女のドレスを引き裂く
夜会の前の王宮は、香水と緊張の匂いがする。
その日、わたくしは開演一時間前に、聖女リリアの控室の扉を、ノックもせずに開けた。
「失礼するわ」
部屋の中では、王宮お抱えの仕立て屋たちが、純白のドレスをまとったリリアを取り囲んでいた。
「セ、セラフィナ様!?」
わたくしは頭の先から裾まで、ゆっくりと眺め回して、鼻で笑ってみせる。
「まあ、何ですの、それは。聖女の夜会衣装が、そんな野暮ったい仕立て? 王宮の名折れですわね」 「お、恐れながら、お嬢様。こちらは王宮からの指定で……」 「黙りなさい」
親方の言葉を、扇でぴしゃりと遮る。
(この一週間、確かめていた。このドレスだけ、注文書の日付が三日早い。しかも、腰の内側に追加の縫製がある)
わたくしはリリアの背後に回り込み、腰の縫い目を指でなぞった。 ふくらみ。固くて、小さな粒。
——あった。
「ここ、歪んでいるわ。直して差し上げる」
言うが早いか、両手で縫い目を掴み、思いきり引き裂いた。
「きゃっ!」 「な、何をなさいます! 聖女様のドレスを!」
悲鳴が上がる。布の裂ける音が、控室に響き渡る。 その騒ぎのなかで、わたくしは手袋の内側に、小さな石を滑り込ませた。誰の目にも、ただ癇癪を起こした悪女にしか見えなかったはずだ。
「不出来な仕立ては、正して差し上げたまで。何か文句がおあり?」
*
「セラフィナ!」
騒ぎを聞きつけて駆けつけた王太子アルベルト殿下が、破れたドレスと震えるリリアを見て、顔色を変えた。
「どこまで彼女を傷つければ気が済む!」 「殿下。王宮の者が仕立てた衣装が、聖女に相応しいか確かめただけですわ」 「屁理屈だ」
殿下はリリアに上着を掛けてから、苦い顔でわたくしを睨んだ。
「宰相が心配していた。君は聖女を妬むあまり、危うい真似を重ねていると」
——宰相が、ね。
その名前が、殿下の口から自然に出てくること自体が、わたくしには収穫だった。
「妬む、ですって? ご冗談を。わたくしが妬むほど、その方に価値があるとでも?」 「セラフィナ……!」
殿下は拳を握りしめ、けれど、ふと何かを言いかけて口を閉ざした。 眉間に、迷いのような皺が寄る。
「……いや。今は、リリアの着替えが先だ。代わりの衣装など、間に合うはずもない」 「ご心配なく」
わたくしは指を鳴らした。 控室の扉が開き、マルタが大きな箱を抱えて入ってくる。
「代わりは、わたくしのものを貸して差し上げますわ。そんなみすぼらしい姿で殿下の隣に並ばれては、公爵家の恥ですもの」
箱から現れたのは、夜空のような深い青のドレスだった。 リリアの瞳と髪の色に、誰よりも映える一着。三週間前から、こっそり仕立てさせておいた。
ざわ、と控室の空気が揺れる。
「お下がりを押しつけるなんて」 「聖女様に恥をかかせるおつもりよ」
囁きが聞こえる。ええ、そう思っていただければ結構。
リリアだけが、ドレスにそっと指を触れて、小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます、セラフィナ様」 「礼を言う暇があるなら、さっさと着替えなさい。時間の無駄ですわ」
背を向けた顔が緩みそうになるのを、わたくしは必死でこらえた。
*
廊下の隅で、ようやく手袋を外す。
手のひらの上に、指先ほどの小さな魔石が転がっていた。 音を拾って、離れた場所へ伝える石。ドレスの縫い目に仕込んで、聖女の声を、誰かに聞かせていたのだ。
「お嬢様……それは」 「ええ。盗聴用の魔石ですわね」
石を裏返す。 裏面に、極小の文字が刻まれていた。
『財務局 備品 F-0417』
わたくしは思わず、笑ってしまった。
「国庫の金で、盗聴器を買っていたのね。備品番号までつけて」 「……お嬢様?」 「備品なら、購入の記録が帳簿に残っているはずですわ。誰が、いつ、誰の署名で買ったのか」
石を握りしめ、わたくしは扇を開く。
「さあ、次の悪事——いえ、次の調査に取りかかりましょうか」




