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封術学園  作者: 遊馬瀬りど
第4章「可能性の魔女」
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第91話「天河聖奈」

★☆★☆★





「天河が……神格化した……?」


 重層視覚を持つ亜子の口から告げられたその事実を前に、秋弥は信じられない気持ちだった。

 神格化した存在とはこれまでに何度も出会った。そしてそのたびに秋弥は、リコリスが有する『波』を操る装具の力を用いて、神格化した者たちを在るべき異層世界へと還していったのだから。

 だけどもそれは、彼らがこの現層世界において"存在としての死"を迎えていたからこそだ。

 強い『意(おもい)』を遺して存在を失った(死した)者たちが、それでも強く願った『意』を成就させたくて、現層世界に留まり続けようとした。その結果として彼らは神格化――すなわち存在の次元(ステージ)を超えるのだ。

 そして秋弥が出会ってきた者たちは皆、そういった存在だった。

 だからこそ天河聖奈が神格化したと聞いて、秋弥の脳裏にその考えが過ぎった。


――ふぅん。


 リコリスのさして興味のなさそうな思念が届く。それと重なるようにして凜とした声が響いた。


『秋弥君』


 悠紀の声だ。彼女は秋弥が呆然としている間にも話を先へと進めていた。亜子と美空に現状の確認と指示を済ませてから、彼の名前を呼んだのだった。


「はい」


 秋弥は半ば条件反射で応じる。途中の話はほとんど右から左へと流れていた。それでも悠紀が学園に残った自治会役員に指示を飛ばしているということはしっかりと認識していた。


『あなたたちなら聖奈さんの干渉波を追えるわよね?』


 あなたたち、とはもちろん秋弥とリコリスのことで間違いないだろう。悠紀があえて二人の名前を呼ばなかったのは、強制通信モードで起動している音声通話が学生自治会役員以外の誰に聞かれているかわからないと踏んだからだ。学園の非常事態であってもそういう点に気が回るあたり、さすがは学生自治会長なのだと感心してしまう。

 ともあれ今は感心している場合ではない。


――干渉波の察知なら、もう終わってるよ。どんどん強くなってる。


「可能です」


 リコリスの言葉を秋弥が代弁する。先ほど既にリコリスは微弱な干渉波を感じ取っていた。その強さは次第に増しているようだ。


『それならあなたたちは聖奈さんを探してちょうだい』


 秋弥は小さく首肯する。干渉波を辿れば、すぐに見つけ出せるだろう。

 しかし問題は、その後のことだった。


『……聖奈さんの目的がわからない以上、事は急を要するかもしれないわ。もしも……もしも学園の重要施設や他の学生たちに危害が及ぶようなことがあれば……聖奈さんを止められるのはあなたたちしかいないわ』


 苦しむような声音で告げられた悠紀の言葉が秋弥の胸に突き刺さる。

 場合によっては――否、高い確率で神格化した聖奈と戦うことになるだろう。

 そして最悪、彼女をこの手で……。


――秋弥様……。


 リコリスが心配そうに声をかけた。秋弥の胸の内に広がった不安は彼女にも伝搬していた。感情を表情や声音に出さないようにすることならば訓練を積めばできるようになる。しかしながら胸の内に広がる『意(おもい)』だけはどうしたって隠すことはできない。


「……はい」


 秋弥は逡巡しながらも深く頷いた。たとえいかなる理由があろうとも、決断して行動しなければならないときは必ずある。

 それが先導者『彼岸の花姫(リコリス)』の力の一部を受け継いだ秋弥自身の目指すところに繋がるのならば、なおさらだ。


『……にとっては…い結果になるか……れない……ど』


 不意に通信に雑音が混ざった。悠紀が何かを言っているが、途切れ途切れになってよく聞き取れない。


――また力が強くなってる。


 神格化した聖奈の放つ干渉波の力が通信に影響を与えているのだろうか。


『……から………園長…………話を……てみ……。学………聖奈さん…………を知っ………可…性……るか…』


「会長?」


 秋弥が怪訝に思っているうちに、ジジッという雑音を遺して通信が終了した。すぐにかけ直してみたが、繋がらない。どうやら外部との通信は完全に途絶えてしまったようだ。

 それでも自分がやるべきことは理解できた。通信状態が回復すれば向こうからまた連絡を寄越してくるだろう。

 秋弥はデバイスを待機状態に戻すと、リコリスに向かって話しかけた。


――天河が神格化したというのは間違いないのか?


――うん、たぶんね。


――たぶん?


 リコリスの適当な返事に秋弥は思わず眉根を寄せた。


――リコリスが感じてる干渉波が誰のものかはわからないわ。でも、普通の人間の放つ干渉波の強さでないことは確か。だから、悠紀たちの話と繋げるとそういうことになるんじゃない?


――そうか。


 ならばおそらく間違いないと言って良いだろう。干渉波に混ざる固有振動パターンは一人ひとり異なっているとはいえ、いくら『波』の扱いに長けたリコリスであっても全てを理解して知り尽くしているというわけではない。彼女が知り尽くしているのはせいぜい自身と、秋弥の干渉波くらいだろう。


――干渉波の発信源は?


――あっちの方。


 リコリスの思念が指し示す方向は、本棟がある方角だ。

 そこに神格化した聖奈がいる。まだ保健室の近くにいるということか。


――あっ。


――どうした?


――干渉波が……増えた。


 不意に別の干渉波を感じ取ったリコリスが言う。


――別の隣神か?


 秋弥は警戒心を強めた。神格化した存在の周囲には『星の矛盾許容』による異層領域が発生する。その異層領域から隣神が顕現したのだろうかと秋弥は考えた。


――うぅん、違うよ。


 リコリスは首を横に振った。


――どっちも固有振動のパターンは現層世界(このせかい)のものと同じだから。それにこの『波』はリコリスも何度か感じたことがある。


――誰の干渉波かはわかるか?


 ダメ元で聞いてみる。すると意外な答えがリコリスから返ってきた。



――うぅん……あっ、秋弥様にいつも敵意を向けてた人間の干渉波と同じだと思う!


――……鶴木か。


 秋弥はリコリスの物言いに思わず表情を引きつらせた。治安維持会メンバーの鶴木真ならば現場に向かっていても不自然ではない。だが、いくら彼が『星鳥の系譜』に連なる鶴木家の人間であっても、神格化した存在に単独で挑むには無茶が過ぎる。


――急いだ方が良さそうだな。


 間に合うかどうかはともかくとして、こちらも早く行動に移した方が得策だ。

 秋弥は装具『紅のレーヴァテイン』を召喚する。本棟へと急行するために加速術式の演算を開始した。


――どうするつもりなの?


 と、術式の構築を開始した秋弥に向かってリコリスが声を掛けた。どうするもこうするも、やることは一つしかない。


――決まっている。天河を助けに行くんだ。


 秋弥がハッキリとそう断言すると、リコリスは小首を傾げた。


――助けるって、いつもみたいに異層(あっち)に還しちゃうってこと?


――いいや、そうじゃない。


 演算を終えて待機状態となった加速術式を無意識下領域に留めたまま、秋弥はリコリスの質問に答えた。


――『狭き門』を使って、天河聖奈と重なっている同位体だけを引き剥がす。


 神格化現象と一口に言っても、何もそれは"存在としての死"を迎えた存在にだけ生じる現象ではない。

 公式には『存在証明(エリシオン)光波長の共鳴現象』と呼ばれる神格化現象――それは有機情報体が"存在としての死"を迎える以外にも起こり得る。


――秋弥様は、あの人間が重層同位体に乗っ取られているって考えてるの?


――あぁ。


 そのひとつが、封術用語では『天童』と呼ばれる重層同位体との共鳴現象だ。

 これは調律師が調律を行う異層領域の発生と非常に良く似ている。

 異層領域というものは現層世界(このせかい)の一部の領域が変質化して発生するのではなく、現層領域に幾重にも重なって存在している異層世界の領域が、何らかの理由によって生じた固有振動パターンの歪みによって共鳴して顕現する(あらわれる)ものだ。

 これと同様の現象が"領域という世界を構築する情報体の一部"を対象としたものではなく、"人間というひとつの情報体"に対して発生した場合――固有振動パターン以外は完全に同種でありながら異なる世界の情報体が現層世界の情報体の表層に顕現する(あらわれる)のである。


――現状を鑑みれば、そう考えるほうが自然だからな。


 と言いながらも秋弥自身の希望的観測も多分に含まれてはいたが、仮に聖奈が"存在としての死"を迎えたとするならば、彼女を見舞っていた亜子が最初に気づいているはずだ。

 しかし亜子は聖奈が神格化したとだけしか言わなかった。そして悠紀は聖奈の"存在としての死"を問わなかった。

 亜子も悠紀も聖奈が"存在としての死"を迎えたとは考えていない。ならばおそらく、彼女たちも自分と同じ考えを抱いたはずだ。


――秋弥様……その判断は、正しいの?


――それをこれから確かめに行くんだ。


 かといって判断を誤るわけにはいかない。誤った判断をすれば危なくなるのは自らの命の方だ。

 それはリコリスに言われずとも十分によくわかっている。だからまずは事実確認をしなければならない。


――天河の神格化がどっちなのかは、外見を見ればわかるはずだ。


 神格化する要因が違っていれば、当然その結果も違ってくる。

 その最たる違いは外見に現れる。

 "存在としての死"を迎えていた場合、廃病院で死んだ猫が禰子となって巨大化したように、マンホールから落ちて死んだ男児が半透明の霊体(マテリアル体)となったように、基礎となる情報体の外見を変質させる。

 重層同位体が有機情報体と重なった場合、基礎となった情報体の外見は変化せずに『意(せいしん)』だけが変質する。


――それに天河が同位体と重なっているとしたら、急がないと間に合わなくなる。


 重層する他の世界の情報体と聖奈が重なっているのだとしたら、彼女の『意(せいしん)』が同位体の『意』に完全に乗っ取られて消滅してしまう前に、同位体の『意』を聖奈の身体から引き剥がさなければならない。

 秋弥は近くの窓を開けた。その場から数歩後ろに下がってからぐっと利き足に力を込めると、無意識下領域に留めておいた加速術式を展開した。足裏の神経と床の強度、力の大きさ、踏み込み角度、反発力……演算式に組み込まれた情報を原質単位に分解してから再構築する。

 瞬間、爆発的な加速力で駆け出した秋弥は窓枠を踏み越えて外へと躍り出た。

 飛び出したのは三階の窓だ。普通に着地をすれば骨折は免れないだろうし、打ち所が悪ければ死に至る危険性もある。

 だがそれは普通に着地すればの話だ。

 秋弥は空中で加速術式を分解すると、飛び出す前に演算していた別の封術式をすぐさま展開する。地面につま先がついた瞬間、身体のバネを使って衝撃を全身へと逃がしていく。地面から受ける反発力の大部分を再び地面に返すことで衝撃を和らげたのだ。


――干渉波が揺らいでる。移動しているみたい。


 そんな秋弥の突飛な行動にもリコリスはまるで動じない。秋弥がどんな行動をしようとも、リコリスはただ彼に付き従うのみだった。


――もう一つの干渉波は、消えちゃったね。


 どうでも良さそうに言うリコリスの思念に意識を傾けながら、秋弥は思う。

 聖奈にやられたのか。あるいは封術の行使を辞めたのか。

 いずれにしても、鶴木が無事であることを願うことしか秋弥にはできない。


「……ん」


 と、秋弥が部室棟から外へと出たところで、緊急の放送を知らせるチャイムの旋律が耳に響いた。


「西園寺先輩か」


 学園内の全学生に向けて美空の放送が流れる。どうやら遮断されたのは外部との通信のみで、ローカルの通信設備は健在のようだ。その放送を聴きながら、秋弥は部室棟からほど近いグラウンドの方へと眼を向ける。外で部活のトレーニングをしていたらしい部員たちがスピーカーの方に顔を向けていた。その中に堅持の姿を見つける。彼がいるということはそこの部員たちは拳術部ということか。こちらには気づいてないようだが、友人が放送の指示に従っていることに安堵しつつ、秋弥はグランドから視線を戻して本棟へと一直線に目指した。


――見つけた!


 リコリスが大声で叫ぶ。彼女の思念を受けて、秋弥も彼女が見つめている方を向いた。

 遠く離れた視界の向こう側。本棟から少し離れた特別訓練棟に向かって歩いている女子学生を見つけた。


「……天河」


 この一年間で何度も見てきた彼女の姿に、秋弥は思わず足を止めて深く安堵した。

 周囲の領域を歪ませるほどの深い異層領域を纏っている。自治会の放送をまるで意に介する様子もなく悠然と歩を進めているその姿は、秋弥の記憶にある彼女の姿とは似ても似つかなかったが、それでも外見は聖奈のままだ。

 その事実に秋弥は安堵すると同時に、紅色の装具を握っていた手に力を込めた。

 相手はまだこちらに気づいてない。ならば気づかれる前に先制攻撃をしかけるべきだ。


――まずは封術で天河の動きを止める。


 聖奈がこちらの存在に気づいていない今が絶好の機会だ。

 秋弥は捕縛系の封魔術式を構築し終えると同時に勢いよく聖奈へと迫った。駆け出しながら視線の位置で術式の発動地点と捕縛箇所を確定する。変数を代入することで開始された演算処理は瞬く間に終わり、捕縛の術式は待機状態へと移行した。

 彼我の距離が縮まる。

 秋弥は装具の切っ先を聖奈に向けるように構えながら左手の動きで術式を発動した。たちまちのうちに地面から飛び出した四本の土の鎖が、聖奈の両手足を縛るように迫った。

 『土』系統の封魔術式『拘束の鎖(チェーン・ロック)』。

 両の足首が鎖で繋がれた聖奈の足がピタリと止まる。次いで聖奈の手首が鎖で繋がれた。地面から生えた鎖によって身動きが取れなくなった聖奈がゆっくりと顔を動かした。

 そのときにはもうすでに秋弥は切迫していた。聖奈の虚ろな瞳が彼を映すよりも早く、紅の装具を聖奈の胸元目掛けて突き出す。

 装術『狭き門』は対象に『紅のレーヴァテイン』を突き刺すことで発動する。さらに術式が完全に効力を発揮するまで、装具を突き刺した状態を維持しなければならない。

 四肢の動きを封じることで聖奈の行動を制限することには成功した。そうなってしまえば後はもう装具を突き刺して、彼女に重なった異層世界の存在を元の世界へと還すだけだ。


――間に合えッ!


 装具を突き刺す瞬間、聖奈の虚ろな瞳と秋弥の視線が至近距離で交わった。

 聖奈の『意』がまだ残っているかはわからない。術式の効果によって重なった情報体を還したところで、彼女の『意』が残っていなければ彼女の身体を構成しているこの世界の情報体そのものも消滅する。

 不安はあった。だがそれが秋弥の判断を鈍らせたわけではない。


「…………ッ!?」


 だからこの結果は、秋弥が想像をしていなかった事態の結果だ。

 聖奈の胸の中心を狙って突き出した紅の装具が胸の前で留まっている――貫くでもなく弾かれるでもなく、運動エネルギーをゼロにされたかのようにピタリと静止していた。

 いつの間に、と秋弥が思ったのは、紅の装具と聖奈の身体の間に差し込まれていたものを見たからだった。

 それは全体に精巧な意匠が施された一振りの杖だった。長さや形状こそ変質しているが、それが聖奈の装具であることは一目でわかった。

 『拘束の鎖』によって四肢の動きは封じていたはずだ。たとえ異層世界の存在と重なっていたとしても、一度拘束された状態からでは容易く解除できるものではない。


「くっ!」


 秋弥は一足飛びで聖奈から距離を取った。広がった視野で聖奈を見つめると、杖型の装具を胸の前で構えている右腕以外は『拘束の鎖』で地面と繋がれたままだった。


(一本だけ外していたのか?)


 確かに発動した術式の効果を肉眼で確認したわけではなかった――二人の位置関係的に聖奈の右側面は秋弥にとって死角となっていて見えてはいなかったからだ。だがそれでも、『拘束の鎖』は術式が発動している間は常に一定以上の干渉力を保たなければならない常駐型の術式であり、装具を突き刺すその瞬間までは術式が展開状態で継続発動していたことをはっきりと覚えている。

 秋弥が思考を巡らせている間に、聖奈は杖の先で鎖を叩くことで己を縛る鎖を解除していた。今度こそ『拘束の鎖』が完全に消滅したことを確信する。


――リコリス、天河はいま何をしたんだ?


 聖奈から視線を外さないようにしながらリコリスに尋ねる。彼女ならばあの一瞬で何が起こったのかを感覚的に視ていたかもしれない。


――……わからない。


 不審そうに聖奈へと意識を向けているリコリスにもわからなかったようだ。

 しかし、リコリスの言葉はそれで終わりではなかった。


――秋弥様がどうして鎖を三本しか出さなかったのか、わからない。


「なん……だって?」


 秋弥は驚愕のあまり、声に出していた。

 リコリスは何と言ったか。

 『拘束の鎖』を三本しか出さなかったと言ったのか? 四本ではなく?


――何を言ってるんだリコリス。俺はちゃんと四本の鎖を発動していただろ?


――?


 疑問符を浮かべてきょとんとした表情を向けるリコリス。その様子に、どうにも互いの会話が噛み合っていないと感じてしまう。

 結果論を言えば、リコリスの言うことの方が正しいのだろう。秋弥が三本の鎖で聖奈を拘束していたから、聖奈は右手の装具で秋弥の装具を防ぐことが出来たのだと。

 だがそれは秋弥の認識とは違っている。


(認識がズレているのか……?)


 聖奈の術式が発動していたのだろうか。だがそんなことが出来る封術を秋弥はしらないし、もしもそれが出来るとしたら原質『自我意識』に働きかけるような特異な術式ということになる。

 秋弥の背筋に嫌な汗が流れた。

 『自我意識』を操る術式は存在しない――正確に言えば、封術協会によって体系化された封魔術、調律術の中には存在していない。『自我意識』への干渉は『意(こころ)』が具現化した形である装具に付随する特異な能力なのである。

 長杖へと変貌している聖奈の装具にちらと眼を向ける。

 もしも『自我意識』を操る力があの杖型の装具に宿っているのだとしたら、今のように認識と結果が結びつかなくなる恐れがある。

 すると、深淵を宿したような虚ろな瞳が微かに揺れて、聖奈の口が動いた。


「――まだ足りないようだ」


――えっ。


 聖奈の声を聞いた瞬間、リコリスがハッとしたような反応を見せた。彼女の動揺が秋弥にも伝搬する。


「人間という情報体は不都合の多いことだ」


 聖奈は――聖奈と重なっている存在は言う。その言葉は思念言語によるものではなく、現層世界の言葉として秋弥の耳に届いた。

 人間の言葉を話す隣神とは、つい半年ほど前に出会ったばかりだ。自らを『観察者(ウォッチャー)』と名乗っていたクラス1st級の老紳士は、人間とは比較にならないほど長い時間を生きてきた存在だった。

 聖奈の『意』を乗っ取っている重層同位体は、聖奈の身体を基盤としているからこそ人間の言葉を話すことができるのだろうか。あるいは目の前の存在もまた、『観察者』に勝るとも劣らない高位の隣神なのか。

 もしも後者なのだとしたら……聖奈を傷つけることなく重層同位体だけを引き剥がすことは非常に困難なものとなるだろう。


「それに人間はこうもしつこい」


 聖奈は柳眉をしかめて秋弥を見つめた。その視線に威圧感めいたものはなく、心底不快そうに感じているだけのようだ。

 それでも、秋弥としては身構えずにはいられない。

 隣神を相手にする場合、およそ自分たちと同じ思考で物事を考えてはいけない。それは道を歩くときに足下の石や虫を気にして歩かないことと同義だ。

 意識せずとも、踏み殺されるかもしれない。

 季節は冬だというのに、じっとりとにじんだ汗で装具が滑ってしまわないように強く握り直す。

 リコリスは何か考え事をしているように沈黙を保ったままだ。どうやら異層世界の存在が現層世界の言葉を話したことを気にしているようだ。

 心ここにあらずとも思えるが、いざとなれば最も頼りになる存在であることは間違いない。

 秋弥が攻撃に転じる機会を伺っていると、聖奈が下ろしていた長杖を身体の前にスッと掲げた。

 秋弥から視線を外して、ふと目を細める。


「――干渉座標、第一九九一七セグメンテーションから第一九九一九セグメンテーション。干渉対象、有機情報ユニット。干渉効果、『意』識の休息」


 聖奈が呪文のような言葉を口にした瞬間、いくつもの円が絡み合ったような形をした長杖の先端から幾何学的な文様が広がった。

 途端、リコリスの意識が強く動いた。見開いた瞳を聖奈へと向けて、そこで起こりつつある現象を目撃する。


――……ダメッ!


 リコリスが叫んだのとほぼ同時に、聖奈が地面に向かって長杖を垂直に下ろした。

 長杖が地面を叩く。その動きと連動して先端部の幾何学模様が長杖を伝って地面へと落ちる。

 その刹那、長杖を中心として波紋が広がるように幾何学模様が地面一帯に広がった。ある程度距離を取っていた自分の足下を通過していく幾何学模様に秋弥は一瞬目を奪われる。

 あまりにも複雑すぎる文様から、術式の性質を読み取ることができない。秋弥に理解できたのは、その術式がおよそ及びも付かないほどの高い干渉力を有しているということと、その絶望的な効果範囲だけだった。


――しゅうや……さま……。


 リコリスの声がずいぶんと遠くに聞こえる。右手に握っていた装具が音もなく消滅した。全身から力が抜けて、ついには立っていられなくなった。

 ドサリという音は、自分の身体が地面を叩いた音だ。

 それすらも遙か遠くから聞こえていた。


「リ……コ…………リ……」


 何とかそれだけを口に出したところで、秋弥の意識は完全に途切れる。

 青白い光を発した幾何学模様の円が学園一帯を包み込んだとき、聖奈の術式の効果範囲にいたすべての学生は地面に倒れ伏していた。





★☆★☆★





 長野県軽井沢。

 毎年この時期になると封術学園四校の五年生と四年生が一同に介して、卒業論文の合同発表会が行われる。

 そこは最上級生たちが一年間の研究成果を発表する場であり、封術に関わる著名な者たちも聴衆として数多く集まってくる。

 そうなると必然、『星鳥の系譜』序列第一位である星条家の次期当主候補として最有力の星条悠紀とお近づきになろうと目論む者たちが彼女の周囲には多く集まるので、人一倍――否、何倍もの心労を重ねていた。

 そんな連日を過ごした発表会も今日でようやく終わりとなった。

 最後の部の発表を終えてから、授賞式、閉幕式とプログラムは進行して、懇親会の後でレセプションホールから自分たちが宿泊する施設へと帰ってきていた星条悠紀は、突如として響いた緊急通信の音にリラックスしていた意識を無理矢理にでも切り替えざるを得なかった。


「何か問題が発生したかい?」


 隣のベッドで同じようにくつろいでいたスフィアが跳ねるように起き上がった。

 悠紀は音声が彼女にも聞こえるようにして、緊急通信に応答した。


「何があったの?」


 そうして切迫した様子の亜子から事情を聴き、学園で起こっている状況を、雲を掴むように理解する緊急通信を聴いていた美空たちにも指示を出している途中で、不意に向こう側からの音に雑音が混ざり始めた。


「おや……」


 スフィアが怪訝そうに眉をひそめた。悠紀は視線の動きだけで通信を聴いているメンバーリストに目を通した。メンバーリストには学園に残っている美空や秋弥の名前だけでなく、自分たちと同じくこちらに来ている副会長の朝倉と封術教師たち――そして学園長の名前が並んでいた。

 ざっと目を通したところだと、名前がないのは時任と聖奈くらいだろうか。

 悠紀の判断は一瞬だった。


「それから私は学園長に話を聞いてみるわ。学園長は聖奈さんが神格化した理由を知っている可能性があるか――」


 最後まで言い終える前にブツンと音を立てて通信が途切れてしまう。「ら」が虚しく空を切ったが、そもそもどこまでこちらの声が届いていたのかも、もうわからない。

 悠紀は念のためすぐにかけ直してみたが、返ってくるのは無言の応答だけだった。このタイミングで起こった通信異常に、嫌な予感が胸中を過ぎる。

 悠紀は端末をジッと見詰めていたが、やがて腰を上げて部屋の入り口へと向かった。

 学園から遠く離れた場所にいる以上、学園で起こっている大事に自分たちができることは限られている。

 だからといって、ここでただ指を咥えながら通信状態が回復するのを待っている悠紀ではない。緊急通信を利用して、あえて聴衆している全員に聞こえるように言った場所へと向かうために行動を開始した。


「待って待って、ワタシも一緒に行くよ」


 悠紀とは別口で治安維持会のメンバーに連絡を取ろうとしていたスフィアも謎の通信異常によってままならず、悠紀に付いていくことを決めたようだ。

 後ろから追いかけてきたスフィアとともに部屋から出る。学園長が泊まっているのは自分たちのいるフロアよりもさらに上の階にある。


「セイナが神格化したってアコは言っていたけど、神降ろし(・・・・)でもしたのかな?」


 並んで歩きながらスフィアは言う。

 今朝聖奈が倒れたことは二人も聞き及んでいるし、帰宅前の保険医から直前の聖奈の容体についても聞いている。スフィアには聖奈が神格化する要因がそれくらいしか思いつかなかった。


「……どうかしらね。"存在としての死"によって神格化したという線はないと思うけど、『神降ろし』よりもむしろ、乗っ取られたという方が可能性としては高いわ」


 スフィアの軽口に悠紀が真面目な答えを返した。険しい表情で歩く悠紀の横顔を見たスフィアは普段の軽口を引っ込めた。


「乗っ取られた……ということは、聖奈は『天童』なのかい?」


 異層世界の存在と重なることで神格化したのだとすれば、考えられる可能性はそう多くはない。

 かつて日本には神仏の生まれ変わりとされた存在や、死者の魂に身体を捧げて言葉を伝えるイタコと呼ばれる存在がいた。前者は固有振動パターン以外は全く同種の情報を持つ異層世界の情報体――重層同位体をその身に宿して産まれた存在を指し、封術用語では元々の意味と同じく『天童』と呼ばれている。後者は自らの意思によって固有振動パターンの変調が可能な体質を持つ存在を指し、自らを調律することで異層世界の存在を一時的に自身の身体に宿す『神降ろし』という力を扱うことができる。

 結果的にも見ればどちらも同じ現象なので現在では神格化の一種としてまとめているが、その前提には明確な違いがある。

 そして自らの身体に異層世界の存在を宿した際の親和性――共鳴する強さも大きく異なる。

 

「さぁね。少なくとも聖奈さんの学生情報には『天童』だとは書いていなかったもの」


 封術学園の入学試験で行われる封術の適性試験(オラクル)では、『神降ろし』の才能を持つ者を判別することはできても、重層同位体の存在まで調べることはできない。


「だから、それを知っている人に話を聞きにいこうと思っているのよ」


 悠紀の返事がそっけないのは、彼女もまた内心の動揺を隠しているからだろう。

 聖奈が仮に天童なのだとしたら、非常にやっかいなことになる。

 普通、一つの情報体(そんざい)には一つの『意』だけが宿っており、『意』は"存在としての死"によって消滅する。これは『星』の定めた絶対的な法則(ルール)であって、二つ以上の『意』が一つの情報体に宿ることはない――秋弥とリコリスの関係性を例外中の例外とすればの話だが。

 "存在としての死"を迎えた情報体が神格化したのであれば、それは完全な異層世界の存在に変質したと言えるのだが、"存在としての死"を迎えずに神格化したのであれば、状況は少し複雑なものとなってくる。

 神格化によって"存在としての死"を迎えていない現層世界の情報体と異層世界の情報体が共鳴した場合、一つの情報体に宿った二つの『意』の間で"星の自浄作用"が働くのである。

 そしてひとたび"星の自浄作用"が働けば、最終的に一方の『意』が消滅し、もう一方の『意』だけが情報体に残るのである。

 これが『神降ろし』――すなわち霊媒体質を持つ者の身体に異層世界の存在を宿した場合であれば、異層世界の情報体と共鳴する振域レベルを術者の意思によって調整することができる。そのため多くの場合は基盤となった情報体に元々宿っていた『意』の方が情報体に強く干渉できるようになり、"星の自浄作用"が働く前に、自身に宿した別の『意』を切り離しやすくなる。

 しかし、あらゆる構成情報が同じ重層同位体が情報体の表層に顕現した場合、共鳴する振域レベルは外部からでは干渉できないほど深いレベルになってしまい、情報体の主導権のほとんどを重層同位体の『意』に掌握されてしまうのだ。


「……シュウヤに任せてしまって良かったのかい?」


 ついそんなことを口走ってしまったのは、半ば無意識によるものだった。

 聖奈と重なっている相手の力次第だが、秋弥がリコリスの力を借りたとしても手に負える状態ではないかもしれない。少なくとも秋弥と聖奈はお互いに無傷というわけにはいかないだろう。

 そうはいってもこの場にいる自分たちが彼らの手助けをすることは叶わない。もどかしい思いが二人の気持ちを焦らせていた。歩く速度もいつもより速い。


「現状ではそれが最善で、私たちに出来ることは学園のみんなの無事を祈ることしかないわ」


 通路で雑談をしていた学生たちが剣呑な雰囲気を発しながら歩く悠紀を避けるように壁際へと寄った。その横を無言で通り去る悠紀の代わりにスフィアが適当な愛想笑いを振り巻く。


「おまたせ、アサクラ副会長」


「いや、たいして待ってはいない」


 エレベーターホール前まできた悠紀とスフィアは、そこで待っていた朝倉瞬と合流した。朝倉は悠紀の意図を察して、先んじて行動していたようだ。

 ただそれも、悠紀たちにとっては当たり前に予想できる行動であり、朝倉にとってもそれは同じことだった。

 三人は朝倉が先に来て待機させておいたエレベーターに乗り込んだ。最上階のボタンを押してから閉ボタンを押すと、静かな振動の後でエレベーターが上に向かって動き始める。

 スフィアは壁により掛かって腕を組んだ。もしも途中の階で誰かが乗り込んできたとしたら、エレベーター内の息も詰まりそうな静寂に腰を抜かすことだろう。そう感じてしまうほど、悠紀は張り詰めた雰囲気を漂わせている。彼女のそばで直立不動の姿勢を保っている朝倉の背中を冷や汗が伝っている様子が見て取れるようだった。

 幸い、エレベーターは途中の階で止まることなく一気に最上階へと到達した。

 小気味の良い音が鳴ってドアが開く。一定のペースで歩きながら学園長が宿泊する部屋へと向かう三人の間に会話はない。どんなに考えてもすべては想像にしかならないからだ。ならば事情を知っているかもしれない人物から話を聞く方が遙かに有効で生産的なのは明らかなことだ。

 最上階には学園長だけでなく封術教師たちも宿泊しているが、そのフロアは異様なほどしんと静まり返っていた。通り過ぎる部屋の中に封術教師がいないことは想像するまでもない。

 やがて目的の部屋の前まで来ると、扉の横に備え付けられたセキュリティホンの呼出ボタンを押下した。ややあってから応答が返ってくる。


「――入りなさい」


 その短い言葉の中には、悠紀の用件に対する許可と入室の許可という二重の意味が含まれていた。


「失礼します」


 三人は解錠された扉を開けて中へと入る。最上階の宿泊部屋の内部は悠紀たちが寝泊まりしていた二人部屋よりも広々としていた。

 そして、室内にいた予想外の人物たちの姿に、朝倉とスフィアだけでなく、悠紀までもがハッと眼を見張った。


「駆けつけてきた教員方には、一旦自室へ戻っていただいたよ」


 鷹津学園長は穏やかな声でそう言ったが、研究発表会に同行していた鷹津封術学園の封術教師たちが勢揃いしている場を想像していた悠紀たちが面食らったのは、彼らの姿がそこになかったからというだけではなかった。


「えっと、その……」


 悠紀は思わず言葉に詰まった。その場に自分の見知った学園の封術教師たちではなく、封術学園四校の学園長たち――『始まりの封術師』たちが勢揃いしていたからだ。


「意外な顔をしているね」


 それはそうだろう。封術学園四校合同で行われる卒業論文の発表会には各学園の学園長たちも来賓として出席していたので、鷹津宰治学園長のように発表会場近くの施設に宿泊していることは容易に想像できたことだ。だが、封術に関する最大級の重要施設である『マナスの門』が未曾有の危機に晒されているという危機的状況の渦中であるとはいえ、情報を受けてから他の学園長を招集した鷹津学園長の行動はあまりにも迅速だった。

 それに、学園長が封術教師たちをこの場から外した理由も気がかりではあった。


「……鷹津、星条の娘以外は下がらせなくて良いのか?」


 と、室内にいるにも関わらず黒の外套を羽織ったままの烏丸学園長が口を開いた。深い色のサングラスを掛けた彼の瞳は朝倉とスフィアへと向けられていた。


「あぁ、構わないよ。天河聖奈君が神格化してしまった以上、いずれは知れることになるのだからね」



「ふん。封術教師たちを下がらせておきながら良く言う」


 烏丸学園長は鼻を鳴らした。


「しかし鷹津教授。いずれは知れることなのだから、今でなくても良いのではないかな?」


 と、鶺鴒学園長が口を挟んだ。


「確かに今でなくても良いのかもしれない。だけども、天河聖奈君に近しい悠紀君たちだからこそ、今のうちに事実を認識しておいてもらった方が良いと思うのだよ」


 すると鷺宮学園長が同意を示すように首を縦に振った。


「物事を先延ばしにするのは貴方の悪い癖よ、弥彦さん」


 鷺宮学園長が言うと、鶺鴒弥彦は顔に浮かんだシワを微かに歪めた。


「そう言うフラウちゃんこそ、どう考えてるのかな」


「わたくしは鷹津教授の判断に異論ありませんわ」


「やっぱりね。フラウちゃんはいつもそうだ」


「なんですって?」


「無駄話はそれくらいにしておくのだ」


 今にも口喧嘩を始めそうな勢いだった鶺鴒弥彦と鷺宮フラウを止めたのは、烏丸学園長の低く響く声だった。


「……時期尚早だとは思うが、お前がそう判断するのならば俺も従おう。だが、天河聖奈が神格化したことを知ってしまったのはここにいる封術師見習いとお前のところの封術教師たちだけではないぞ。彼らには一体何と言って説明するつもりなのだ?」


「おそらくキミが考えているとおりだよ。天河聖奈君の神格化現象は『天童』によるものだと説明するつもりだ」


「ふん、まぁそれが妥当だろうな」


「悪いけど、ちょっと言いかな」


 そう言って学園長たちの会話に割り込んだのはスフィアだった。口を挟めずにいた悠紀と朝倉は、勢揃いした『始まりの封術師』たちを前にしてもまるで物怖じしていないスフィアに内心で呆れながらも、彼女が会話を止めた理由に期待した。


「セイナの神格化は、セイナが『天童』だからじゃないのかい?」


「あぁ、そのとおりだよ」


 鷹津学園長はごく自然に、あっさりと肯定した。


「天河聖奈君は『天童』ではない」


 封術の適正試験では、聖奈は『神降ろし』の体質ではないと判定されていた。『天童』でもないとすれば、最悪の可能性――"存在としての死"を迎えて神格化したというのだろうか。

 悠紀の顔に影が落ちる。朝倉とスフィアも言葉なく呆然とした。


「もちろん、意識が眠っていた天河聖奈君に外部から『神降ろし』をしたというわけではないはずだよ。そして、君たちが最も心配しているように"存在としての死"を迎えたわけでもないだろう」


 三人を安心させるように、学園長は努めて穏やかな口調で続けた。


「さらに厳密なことを言えば、現在天河聖奈君の身体に起こっている現象は、神格化と呼ばれるものではない」


 その言葉に、悠紀は目を見開いた。


「学園長……貴方はいったい何を知って……いえ、何を隠しているのですか?」


 そもそも悠紀が学園長の部屋を訪ねた理由は、そのことを問うためだった。

 ついに確信へと触れた悠紀に、学園長は静かに答えた。


「悠紀君たちが知りたいと思っていることのほとんど全てと、この先の未来で待ち受けている運命だよ」


 『始まりの封術師』たちの視線が悠紀たちへと向く。その眼力に込められた干渉圧に、来年ようやく成人を迎える悠紀たちは心臓を鷲掴みにされたかのように硬直した。

 ここから先に明かされようとしている真実を前にして、引き返すならば今だと無言の裡に訴えているような、そんな視線だ。


「天河聖奈君の神格化――否、『覚醒』は、収束を始めた可能性未来を破壊する運命との対峙の始まりに過ぎない。そして、この場にいる我々は、その始まりに介入することを拒絶されたのだよ」


 その言い方ではまるで、今のこの状況が何者かの意思によって意図的に作り出されたかのようではないか。

 ではそれは何者の意思によってなのか。

 思いつく答えはもう、ひとつしかない。

 天河聖奈。

 彼女の意思が、この状況を作り出しているのだとしたら――。


「……」


 ここで萎縮して引くわけにはいかない。悠紀は両隣に立つ朝倉とスフィアの顔を見た。朝倉はぎこちなく、スフィアはしっかりと頷いて見せた。


「教えてください、鷹津学園長。天河聖奈さんはいったい、何者なのでしょうか」


 気丈に振る舞おうとしても、その声は微かに震えていた。知らずにいた方が幸せにいられたかもしれない真実を、それでも問おうとしていることの表れだった。

 静寂が続いた。聞こえるのは小さな呼吸音だけで、それが誰のものであるかはわからない。ひょっとしたら自分のものかもしれないし、誰のものでもなく、窓の隙間から漏れ聞こえる風の音なのかもしれない。

 三人の学園長は発言を鷹津宰治に委ねている。悠紀の問いに答えられる者は、彼を置いて他にない。


「天河聖奈君は――」


 『始まりの封術師』鷹津宰治の穏やかで落ち着いた声が、その名を紡いだ。


「この『星』が予言した『抑止力』のひとつだよ」





★☆★☆★





 誰かに身体を揺すられている。


「秋弥様! 秋弥様ぁ!」


 微睡みの底に沈んでいた意識が、誰かの声によって徐々に呼び起こされる。


「秋弥様ぁ!」


「…………ぅ、うう」


 秋弥はゆっくりと瞼を開いた。グラウンドの土の匂いが鼻腔を撫でる。


「……リコリス?」


 秋弥の胸に両手を当てて揺すっていたリコリスと眼が合うと、秋弥の脳裏に意識を失う直前までの出来事が思い出された。


「天河は!?」


 秋弥は勢いよく上体を起こしてから周囲を見渡した。

 近くに聖奈の姿はない。どうやら意識を失っている間に何処かへ行ってしまったらしい。


「逃がしたのか……」


 視界の奥の方で拳術部員たちが地面に突っ伏している姿が微かに見えた。意識を失う直前に見た術式の影響によるものだろうか。

 聖奈が最後に行使した術式は学園全体を囲うように展開していた。おそらく部室棟の中にいる美空たちも彼らと同じような状態にあると推測できる。


「くそっ、いったい何なんだ」


 強い憤りを感じた秋弥は強く地面を叩いた。こちらから不意を打っておきながら返り討ちにあったという事実と、ただ眠らされただけで生かされたという現実に、己の不甲斐なさを感じずにはいられなかった。

 力の差は歴然だった。正真正銘、手も足もでなかった。

 嫌になるほどの静寂が辺りを支配している。彼のそばで座り込んでいるリコリスも一言も言葉を発しようとはしなかった。


「……リコリス。天河は何処へ行ったんだ?」


 顔を俯けたまま吐き捨てるように秋弥は言う。目を醒ましてからというもの、神格化した聖奈の放っていた干渉波と同種の干渉波を全身で感じ取り続けている。どうやら学園全域を対象とした不可思議な術式が影響しているようだ。これでは聖奈が現在どこにいるのか、秋弥にはわからなかった。


「リコリス?」


 無言のままのリコリスを訝しんで顔を上げる。リコリスは迷うような素振りを見せてから、秋弥から目を逸らした。


「――?」


 否、違う。

 リコリスは秋弥から目を逸らしたのではなく、視線で聖奈の居場所を示しているのだ。


「……なっ」


 リコリスの視線が何処へ向かっているのか。

 それを理解した秋弥は、戦慄した。


「天河は……『マナスの門』にいるのか……」





久しぶりの投稿でほんとごめんなさい。

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