花鶏姉妹の不満
第54話「お泊まり会(中編)」の裏話です。
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「何なのあいつ、すっごいムカつくんだけど!」
客間へと戻ってきた花鶏水凜はいきり立った態度のままにソファにどかっと腰を落とすと、不満顔で喚いた。
「少しは落ち着きなさい、水凜」
対照的に姉の火凜は冷めた態度で向かいの椅子に腰掛けると、足と腕を組んだ。
「今日は悠紀姉様が通っている封術学園の自治会役員が来客されていると渡莉は言っていたわよ。話を最後まできちんと聞いていなかった水凜が悪いでしょ」
渡莉とは星条家本邸の執事長である初老の男性のことだ。別の用事で本邸を訪ねていた花鶏姉妹には、渡莉から事前に来客がある旨を伝えられていたはずだった。
「ぐっ……それはそうかもしれないけど、それはそれ、これはこれでしょ!」
「意味がわからないんだけど……」
火凜が呆れ気味に呟いて頭を抱える。
自分が水凜と同じ年齢だった頃はもう少し理知的だったと思うのだが、しかしどうなのだろう。今では封術師として必要なことが、感情的にならないことだと理解しているが、昔の自分も案外いまの水凜と似たようなものだったのかもしれない。
あるいは、一番下の妹を溺愛している長女に原因があるのではないだろうか。
「だけど水凜。あなたは誰に装具を向けたのかわかっているの?」
「誰だっていいわよ!」
「良いわけないでしょ! いい加減にしないと怒るわよ!」
火凜が堪らず大きな声を上げた。すると水凜は驚いたように目を丸くしながら、
「お姉ちゃんもう怒ってるよ!?」
と反論した。
「うるさい! 良いから私の話を聞きなさい!」
理知云々の話はどこへやら、中学生の火凜もまだまだ大人になりきれていなかった。
「……あなたが装具を向けた相手のことだけど、さっきも言ったとおり、鷹津封術学園の学生自治会役員なのよ」
今日悠紀が本邸に招待している学生自治会役員は全部で四人だと聞いている。
鵜上亜子。
西園寺美空。
天河聖奈。
そして、
「あなたも名前を聞けばピンとくるかもしれないけど、あの人はたぶん、九槻秋弥よ」
詳しいことは火凜も知らないが、今日招待されている自治会役員の中では唯一の男性なのだから、おそらく間違いないだろう。
「九槻って……もしかして《矛盾螺旋》の?」
予想どおり、その名前を聞いただけで水凜も勘づいたらしい。火凜は首を縦に振って同意すると眉根をひそめた。
「《矛盾螺旋》九槻月姫の弟。前に悠紀姉様から話を聞いたことがあるのよ。新しく学生自治会に入った学生が《矛盾螺旋》の弟だってね」
「えー……それじゃああの男がそうなの?」
途端、水凜は嫌そうな顔をして不満を露わにした。ソファの上で上体を前後させて身体の動きでも不満を表現する。
「わたしの『領域隔離』にも簡単に捕まってたし、《矛盾螺旋》の弟にしては何だか冴えない感じがするんだけど」
「良く言うわね。捕まっていたのは水凜のほうじゃない」
火凜がため息を漏らす。
「『領域隔離』で閉じ込めたままだったらそんなことはなかったし!」
「でも『領域隔離』を解除したのは水凜でしょ?」
「だってあいつ、降参したんだもん!」
「降参するように言ったのも水凜なんでしょ?」
「そうだけど……」
「『領域隔離』したままでもわたしたちの"声"は届くのだから、隔離した状態で話をすれば良かったのに」
「…………」
返す言葉もなくムスッと膨れる水凜。詰めが甘いのは若さ故の経験不足なのだから仕方がないとして、もうそろそろ自分と一緒に実践的な封術の訓練を初めても良いかもしれないと火凜は思った。
「それはそれとして」
そういえばさっき同じ言葉を水凜も言ったなと火凜は内心で苦笑しながら、
「水凜が『領域隔離』を解除しなくても、もしかしたら九槻秋弥は自力で水凜の術式を破ったかもしれないわよ」
そう言うと水凜の怒りは一瞬にして沸点まで達した。
「そんなことがあるわけないじゃない! 確かにわたしの『領域隔離』はお姉ちゃんたちの『領域隔離』には劣るけど……それでも《神域》の術式なんだよ!」
花鶏家が研鑽を重ねてきた領域を操る封術式に絶対の自信を持っている水凜は声を上げて叫んだ。しかし、それでも火凜は澄ました顔で言う。
「わたしも水凜が手を抜いていたとは思っていないし、わたしたちの『領域隔離』は並の術師では破れないと思う」
「でしょ!」
「でもね――」
火凜がその可能性を口に出そうとしたところで、唐突に来客者を告げる鈴の音が端末から響いた。
「こんなときに誰よ!」
水凜が顔を赤くしたまま扉の方を睨み付ける。
花鶏姉妹のいる客間は現在、彼女たちの私室として一時的な設定変更が為されている。室内の機能と部屋主である火凜の端末が連動して来客者の映像をデバイスに表示した。
「あっ……悠紀姉様」
桃花から悠紀に連絡がいっていることは容易に想像できていたので近いうちに来るかもしれないとは思っていたが、ずいぶんと早い。
花鶏姉妹がわざわざ一番上の姉に付いて星条の本邸を訪ねた理由は、実の姉のように慕っている悠紀に会うためだったのだが、こんな形で顔を合わせたいと思っていたわけではない。
今となってはできるだけ顔を合わせたくないくらいの気持ちになっていたのだが、かといって居留守を使って無視するわけにもいかない。客間の設定が花鶏姉妹の私室扱いに変わっていても、この建物が星条家の本邸で自分たちがゲストであることには変わりない。
火凜が微かに震える指で恐る恐る解錠ボタンを押下する。仮想の解錠音とともに施錠が解除されると、客間の扉が静かに開いた。
「こんばんは、火凜ちゃん、水凜ちゃん」
悠紀が二人を見やり、にこりと微笑んだ。
「ちょっとお話しても良いかな?」
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「桃花から簡単な報告は受けているのだけれど」
火凜の勧めに従ってソファに腰を下ろした悠紀の隣には、怒り顔から一変して嬉し顔の水凜が寄り添っている。そんな水凜とは逆に、妹の不祥事で悠紀の顔に泥を塗ってしまったという思いで胸が張り裂けそうな火凜はただただ恐縮していた。
「そんな顔をしないで、火凜ちゃん。私は別に怒っているわけではないから」
「で、でも……」
「それよりも私は、二人に聞きたいことがあって来たのよ」
悠紀はべったりとくっついている水凜を嫌がる様子もなく、柔和な笑みを向けた。
「桃花の報告だけではどうしても不明確な部分があってね。秋弥君を『領域隔離』したのは水凜ちゃんよね? いくら秋弥君でも花鶏の『領域隔離』を打ち破るのは簡単ではなかったと思うのだけれど、秋弥君はいったいどんな方法で『領域隔離』から出てこられたの?」
学生自治会役員に装具を向けたことを怒られると思っていた火凜は一瞬拍子抜けしたが、すぐに悠紀の質問の意図を察すると今度は姉妹そろって顔を蒼白にした。
「えっと……それは……」
水凜の姉として、火凜がおずおずと口を開く。
「うん」
「悠紀姉様が期待しているようなことでは、きっとなくて……」
「うんうん」
「……水凜が自ら術式を解除したんです」
「…………うん」
悠紀の表情が固まって、火凜と水凜も表情を固くした。
「……まあそんなところだとは、薄々思っていたけど」
しょうがないわね、という風に悠紀は二人を見やる。火凜にとっては完全にとばっちりだったがここは甘んじて受け入れるしかないだろう。
しかしながら、悠紀はそんなことを聞くためだけにわざわざ自分たちに会いに来たのだろうか。その口ぶりではまるで、九槻秋弥は自力で水凜の『領域隔離』を破ることができたと言っているようなものではないか。
「もしかして悠紀姉様は、九槻秋弥が自力で『領域隔離』を破ったと思ってたの?」
頭の中で描いていた疑問がそのまま口から飛び出ると、今度は水凜が身を乗り出した。
「そうなの? 悠紀お姉ちゃん」
「……うん、その可能性もあると思って」
悠紀は少々ばつが悪そうに頷いた。思ってもみなかった反応に水凜は力なく項垂れた。
「あんなやつに破られるほど、わたしの『領域隔離』は弱くないもん……」
今にも泣き出しそうな声音で水凜が呟く。
「ごめんね、水凜ちゃん。水凜ちゃんの術式が弱いと言っているわけじゃないのよ。花鶏家の『領域隔離』は私でも破れないと思うし、他の『星鳥』にしてもそれは同じことだと思う。でもね水凜ちゃん。たとえ私たちにはできないことでも、それをできてしまう人が、世の中にはいるのよ」
悠紀が優しい声で諭すように言うと、思案げに眉根を寄せていた火凜が言った。
「やっぱり、そうなんだ」
「……お姉ちゃん?」
「火凜ちゃん?」
何処か得心がいった様子の火凜を、顔を上げた水凜と悠紀が黙って見つめた。
「最初はわたしの勘違いかもって思ったけど、悠紀姉様の言葉で納得した。あの人――九槻秋弥はわたしたちと同じなんだと思う」
「同じ?」
「水凜も思い出してみて。あなたの装具をあの人が防いだときに手に持っていた装具があったでしょ」
召還していたのは一瞬だったけど、火凜が付け足した。
「……あの紅い装具のこと?」
紅い装具と聞いてハッとしたのは悠紀だった。その装具は秋弥自身のものではなく、彼に内在している高位隣神リコリスの装具だからだ。
桃花からの報告では花鶏水凜の『領域隔離』によって秋弥が重層領域的に隔離されたことと花鶏火凜の介入によってそれ以上の問題には発展しなかったということだけだった。『領域隔離』の性質上、現層側からは術者本人以外何が起こっているかはわからないので悠紀はひとまずその説明だけで納得したのだが、《神域》花鶏家の者と装具を交えたのならひょっとしたら秋弥は紅の装具を使ったかもしれないという悠紀の予感は、どうやら少し違う形で的中していたようだった。
「あの装具からは今まで感じたこともないくらい深い振域の力を感じたの。離れていたわたしにもわかったくらいなんだから、装具を交えた水凜はもっと強く感じ取ったはずでしょ」
「……うん、わたしも気のせいだと思って言い出せなかったけど、そうじゃなかったんだ」
あの一度の攻防で感じた肌の粟立つような悪寒を思い出して、水凜は小さく身震いした。
「いっそ思い違いであってほしいくらいだけどね……。あの人はきっと私たちと同じように領域を支配する力に長けていて、あの紅い装具は『波』を操る性質を持っている――そしてそれの力を使えば『領域隔離』を内側から破ることもできた。そうなんでしょ、悠紀姉様」
火凜は半ば答えがわかっている疑問を悠紀にぶつけた。
「……その真偽を確かめたかったのだけれど、私も火凜ちゃんと同意見よ」
装具『紅のレーヴァテイン』。非公式ながら異能型に属するその装具の力の一部を悠紀は見知っている。擬似的な『門』すら作り出せるその力は、火凜の言うとおり『波』の性質に特化している。
詳細なことはまだ他言できないため曖昧にぼかすしかないが、あの装具を見てしまったのならば、悠紀は二人にも他言しないように釘を刺しておかなければならなかった。
「……だけど、たとえそうだったとしても、どうして悠紀姉様がそんなことを気にするの?」
「うん? どうしてって、どういう意味?」
口を開く前に火凜からの質問を受けた悠紀は小首をかしげた。
「えっと、だから……こう言ってしまうと悠紀姉様は気を悪くすると思うけれど、どうして『星鳥の系譜』でもない一般人のことを悠紀姉様がそこまで気にしているのかと――」
言ってから、火凜は慌てて首と手を振った。
「もちろんわたしもあの人の力のことは少し気になるし、あの《矛盾螺旋》の弟だということもわかってるつもりだけど。でも……それでもわたしには悠紀姉様がそこまであの人のことを気にしている理由がわからない」
火凜が真剣な眼差しで悠紀を見つめる。その勢いに後押しされたのか、水凜も身を乗り出した。
「お姉ちゃんの言うとおりだよ。わたしもちょっと油断しちゃったけど、あいつ結局最後まで封術をまともに使ってなかったし、今年の四校統一大会にも選ばれていないくらいなんだから悠紀お姉ちゃんが気にするほどのやつじゃないよ」
『星鳥の系譜』に名を連ねる花鶏姉妹にとって星条悠紀は憧れの対象だった。十二歳のときには最年少でクラス1st隣神『天童神楽』の討滅作戦に参加し、十四歳で封術協会から固有銘《光輝月天》を与えられて序列第一位『天壌』星条家の次代当主候補と謳われるだけの封術の技量を持っていたこと以上に、それらを鼻に掛けることなく、他家の自分たちとも同じ目線で接してくれる悠紀の人柄に憧れを抱いていた。
花鶏姉妹は既に悠紀に許嫁がいることも知っている。許嫁の相手もまた悠紀たちと同じく『星鳥の系譜』に名を連ねている人物なのだが、個人的な感情で言わせてもらえば、火凜も水凜もそれをあまり好ましく思っていなかった。
しかしながら悠紀が別の男のことを――それも二人にとってみれば何処の馬の骨とも知れない一般人の男子学生を気に掛けているとなれば話は変わってくる。二人はどうしても悠紀にその理由を尋ねなければ気が済まなかった。
「うーん……何て言えば良いのかなぁ」
そんな悠紀はというと、少々迷う素振りをして視線をやや上に向けた。元々は秋弥の装具のことを口止めするためにやってきたのだが、封術師としての血統を色濃く受け継いでいる花鶏姉妹が抱いた疑問の真意は、もっと別のところにあるようだった。
ただそれも、容易に答えられる類いのものではない。確かに、初めて出会った対等以上の力を持つ親友が溺愛している弟だから気にはなっているし、彼自身が持つ力にも惹かれるものがある。だがそれは個人的な興味であって、それ以上の感情はいまのところ抱いてはいないはずだ。
「ねぇ水凜ちゃん、火凜ちゃん。今日のこのことは私たち三人だけの秘密にしておいてくれるかな?」
だから結局悠紀は、そういうしかなかった。細かいことを言えば桃花と秋弥も含まれているので五人の秘密になるのだが、桃花には既に口止めをしてあるし、秋弥が自分のことを周囲に言いふらすこともないだろう。
「秋弥君の装具のことはとても難しい問題なの。だから……ね、お願い」
「それは――悠紀姉様がそれで良いならそうするけど」
火凜としても花鶏家の者が一般人に後塵を拝したという不名誉な出来事を伏せておけるのなら望むところだ。
ただ、悠紀の目的は本当にそれだけだったのだろうかという疑問の種は消えてはいなかった。
「ありがとね、二人とも。私からの話はそれだけなの――ちょうど良い時間だから、お風呂に行ってくるわね」
ふと部屋の時計に視線を移した悠紀が言う。しかし、その仕草は話を逸らそうとしているようにも見えた。
とはいえここで引き留めてしまっても悠紀の迷惑になってしまうと考えた火凜は自重したが、やはり不満の声を上げたのは妹の水凜だった。
「えー、もう少し悠紀お姉ちゃんとお話してたいよ」
「水凜、ダメよ。我が儘を言ったら悠紀姉様が困るでしょ」
妹を窘める火凜だったが、水凜はそれでも食い下がった。
「それならわたしも悠紀お姉ちゃんと一緒に入っていくよ!」
「ごめんね水凜ちゃん。今日は自治会のみんなと入る約束をしているの。だから、今度一緒に入ろ」
悠紀は水凜の頭を撫でてから立ち上がった。
「何のお構いもできなくて申し訳ないのだけれど、二人はゆっくりしていってね」
「うん。四校統一大会、応援しているからね!」
「また今度来たときには、もっとたくさん話をしようね」
「うん、二人ともまたね」
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悠紀が出て行った後、静かになった客間で火凜がため息を吐く音が小さく響いた。
「お姉ちゃん?」
ため息の音が耳に入った水凜がキョトンとした眼で姉を見つめた。
「悠紀姉様の様子、明らかに不自然だったよね」
「ん? そう言われれば何か変だったかも」
「たぶん悠紀姉様は九槻秋弥のことでまだ何かを隠してる。あの紅い装具のこともそうなんだろうけど、それ以外にもきっとまだ何かあると思う」
秋弥自身のことに関しても、悠紀本人が抱いている感情に関しても。
想像力が豊かな中学二年生の花鶏火凜と小学六年生の花鶏水凜はそれから暫くの間、いろいろな想像をして話を膨らませていたが、やがて一番上の姉が部屋に戻ってくると、長居をしていても仕方がないので二人は姉とともに星条の本邸を後にした。
この日の九槻秋弥との邂逅が二人の運命をどう変えていくのか。
それはまた、未来の話――。




