第46話「夏季休暇の後で」
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新学期。
二期制の鷹津封術学園では二学期ではなく後期と呼ぶ 新学期初日の朝。
一年三組の教室は、約一か月半ぶりとなる同級生たちとの再会で賑わっていた。
もちろん、秋弥たちも例外ではない。
「おっす秋弥、久しぶり」
普段よりも少し早い時間に登校した秋弥が自席に座って端末を立ち上げ、後期の初週のカリキュラムを確認していたときのことだった。彼の前の席でドカッという音がしたかと思うと、秋弥が端末から顔を上げるよりも先に、後ろを振り返った沢村堅持の声を聞いた。
「おはよーっ」
続いて、教室の扉から一直線にやってきた牧瀬玲衣に、手振りで挨拶に応じる。
九月も後半を迎えたとはいえ、まだまだ残暑が厳しい季節なのだが、玲衣の天真爛漫な笑顔と溌剌とした声は、夏の暑ささえも吹き飛ばしてしまいそうだった。
玲衣は未だ登校していないクラスメイトの席から椅子を拝借すると、そこが彼女の定位置であるかのように、当たり前に腰を下ろす。
しかし、誰もそれを咎めることはない。
わずか一か月半とはいえ濃密な学生生活を送っている若者たちの集団だ。久しぶりの再会を喜び合っているクラスメイトたちは、帰省中の出来事や時事ネタに話の花を咲かしていて誰も気にしない。
「堅持は夏休みの間、何をしてたんだ?」
「オレか? ……ん、まぁ盆の時期に帰省したことを除けば、後はずっと拳術部に顔を出してたかな」
堅持は地方出身で、今は鷹津封術学園の男子寮で暮らしている。封術学園の夏季休暇は八月から九月半ばまでなので、夏休みの後半はずっと学園で過ごしていたことになる。
「何よ。もっとこう、華のある話とかはないわけ?」
「あぁ? 華ってなんだよ。そういうお前の方こそ、髪型まで変えて、夏休みに何かあったのかよ」
堅持に注目されて、玲衣は羽のように柔らかくカールさせた髪の毛を掌に軽く載せた。
真っ直ぐに伸ばしたら肩胛骨のあたりまでありそうだ。入学当初はショートボブスタイルだったが、女性の髪が伸びるのは本当に早いものだ。
「やーもう、そうやってすぐに詮索する男の人って……」
「ちょ、てめぇ……」
相変わらずの光景だ。新学期になっても堅持のイジられスタイルは何一つ変わっていないようだ。
日常への回帰に秋弥が安堵していると、さらに二人の女子学生が三人のそばに歩み寄ってきた。
「あ、朱鷺戸さんと天河さんも、久しぶり」
揃って登校してきたのは朱鷺戸綾と天河聖奈の二人だ。彼女たちは堅持と同様に封術学園の女子寮で暮らしている。
さらに綾と聖奈は女子寮でも相部屋なので、必然的に登校時間も同じになるのだった。
「おはようございます、みなさん」
聖奈が丁寧な仕草で頭を下げる。蕾も綻ぶような微笑を直視した堅持は「くはっ」という空気が漏れ出したような奇妙な音を立てながら、身体を後方に飛ばして見せるという過剰な演技をしてみせた。
「……何やってんのよ、あんた」
玲衣が堅い声で突っ込むものの、堅持は胸を押さえながら(これもおそらくは過剰な演技の一種だろう)、妙に満ち足りた表情で彼女の言葉を聞き流した。
「いやあ、新学期早々に天河さんの笑顔が見られて、オレはもう満足だよ」
「……あんたって、何ていうか、幸せものね」
これには同意せざるを得ないが、何ともなしに視線を周囲に移してみると、久しぶりに見る聖奈の姿に、男子学生のみならず、女子学生までもが何処か惚けたような表情を向けていた。
なお、封術学園の制服は現在、夏服である。
鷹津封術学園では、衣替えの時期を七月と十一月に定めている。
約半世紀前までは六月と十月が一般的とされていたが、現在の日本は六月でも肌寒い日が続き、七月の中旬頃から徐々に気温が上昇していく傾向にある。そのため封術学園では時節に則った計画を取っている。
とはいえ、これが一般学校であるならば、夏服はジャケット無しのワイシャツ姿やポロシャツ姿(+ベスト)なのであろうが、封術学園においてはその限りではない。
一般学生用の夏用制服は冬用制服と比べて黒の度合いがわずかではあるが薄いダークグレーに近い色合いとなっており、女子のプリーツスカートが赤チェックから青チェックに変わっているが、その程度の違いしか見られない。秋弥と聖奈が身に付けている自治会役員専用の白い制服に至ってはオールシーズンタイプなので、何一つ変わっていないのである。
ただし、そこには当然、最新の技術がふんだんに盛り込まれている。
制汗作用のある素材を生地に含んでいることはもちろん、通気性にも気を配り、熱を吸収する黒の生地全体には特殊な加工を施すことで、一定以上の余分な熱エネルギーを通さないような工夫が加えられている。
また、多少ではあるが生地も薄くなっているため、見た目以上に涼やかなのである。
「聖奈、それに綾も立ってないで座って座って」
そう言いながら、玲衣は空いている席を視線で示した。
聖奈と綾は空いている席から椅子を引き寄せると、スカートを抑えながら腰を下ろす。
秋弥の視界の端では、聖奈が座った席の本来の主 隣席の都築が小さくガッツポーズをしていたが、見ない振りをしてあげることもまた優しさなのだと秋弥は思った。
それから秋弥たちが、夏休みは何処に出かけて、何をして過ごしていたのかなどと話しているうちに、星条奈緒が自席に手荷物を置いてからやってきた。
「あれれ、もしかして私が最後かな」
秋弥たちに眼を向けながら、奈緒が言う。
秋弥、堅持、玲衣、綾、聖奈、奈緒。
ようやくいつものメンバーが集まったのは、予鈴が鳴る十分前のことだった。
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全員が集まったところで、堅持が徐に口を開いた。
「そういや部活中に妙な噂を聞いたんだけどよ」
そんな風に切り出すものだから、全員が反射的に息を潜めて、堅持の言葉の続きを待った。
「何か、オレも又聞きしただけだからイマイチ要領を得ないんだが」
堅持の話し方そのものが要領を得ていないものだったが、ここで茶化して話の腰を折るような真似は誰もしない。
「夕方頃だったかな。グラウンドでランニングをしてたヤツが、見たんだってよ」
「見たって、何をよ」
定型どおりの相槌を打つ玲衣に、堅持は言葉ではなく仕草で頷いて見せた。
そして、秋弥と聖奈に向かって意味深な目配せをすると、一拍『タメ』を作ってから、
「秋弥が天河さんを抱きかかえて、女子寮に入っていく姿を見たって」
瞬間、玲衣が思わず噴き出した。
それとは対照的に、秋弥は苦々しげに表情を曇らせ、聖奈は顔を赤らめて俯く。
綾もあの夏の日の出来事を思い出したのだろう。聖奈と同じように頬を赤く染めていた。
「え、ウソ……マジなのか!?」
言葉以上に半信半疑だった堅持は、秋弥たちの様子を見て、それが事実であるということを理解したのだろう。眼を大きく見開いて固まってしまった。
「ん? 何で秋弥くんが聖奈ちゃんを抱っこしてたの?」
当然の疑問を投げかけたのは、夏休みの出来事を何も知らない奈緒だった。彼女の実姉で学生自治会長でもある星条悠紀から、何らかの話を聞いている可能性も多少なりとも考えられたのだが、自宅ではあまりそういった会話はしないのだろうか。
ちなみに、秋弥に対する奈緒の呼称がいつの間にやら変わっているのは、夏休みに入る前になって急に、「お姉ちゃんが九槻君のことを名前で呼んでるから、今度から私もそうするね」と言い出したことがきっかけである。
なお、その際に、「またね、秋弥くん」という別れの言葉を残して夏休みに突入してしまったため、これに対して秋弥が何かしらの言及をすることはできなかったのである。
それにしても、まさかそんな噂が立っているとは……。
秋弥は頭を抱えたい衝動に駆られた。
堅持が語った噂話はほとんどが真実であったが、噂というものは伝言ゲームのようにして尾ヒレが付き、往々にして、知らず知らずのうちに真実からねじ曲がったものが出来上がってしまうものだ。
人の噂も七十五日という諺もあるが、それはあくまで一般社会に限った話であり、ここは閉塞的な学園の中だ。噂がひとたび拡散してしまえば、七十五日を過ぎて消えてなくなるよりも先に、全校学生に知れ渡ってしまうことになるだろう。
それに、そういった噂話や面白い話が大好きな上級生を秋弥は知っている。ふとその顔が脳裏に思い浮んでしまい、秋弥は顔をしかめた。
それはそれとして、このまま何も弁解せずにいて、堅持と奈緒に変な誤解を持たれてしまっては困る。
秋弥は二人にきちんと事情を説明して 聖奈が『神隠し』事件に巻き込まれたときの話になると、二人は驚いて聖奈の心配をした 何とか納得してもらえたときには、既に予鈴が鳴り終わっていた。
あと数分もすれば、担任教師の袋環樹が教室へとやってくるだろう。
秋弥は話の区切りを見計らって、玲衣たちに自席へ戻るよう促した。
まだ話し足りない玲衣たちであったが、今しか時間がないということでもない。また休み時間になれば、話をすれば良いだろう。
そうして玲衣たちが秋弥の席から離れていくと、彼女たちが居座っていたために自席に戻れずにいた学生たちが戻ってきた。
席を空けてほしければそう言えば良いのにと秋弥は彼らを見て思ったものだが、活発で人当たりの良い玲衣、大人しめの純和風少女である綾、超が付くお嬢様学校出身の聖奈が揃って席を占拠していたので(奈緒は堅持の席に座っていた。堅持はガサツそうに見えて意外と細かな気配りのできる人間なのである)、おいそれと「退いてください」とは言えなかったのだろう。いや、むしろ「どうぞ座っていてください」という気持ちだったのかもしれない どちらにしたところで秋弥には関係のない話だったが。
秋弥はスタンバイ状態で閉じていた端末を立ち上げ直した。わずかな駆動音もなくホロウィンドウが正面に展開されると、メールの受信アイコンが点滅していることに気付いた。
朝のSHRも始まろうかというこのタイミングでのメールだ、今すぐに開く必要はない。
だが秋弥は、アイコンの上部に流れる差出人と件名のテロップを見て、メールを開くことを決めた。
アイコンを指で弾くように選択する。すると、アイコンがひっくり返るようなアニメーションと連動して、一つのウィンドウが展開され、受信メールの全文が表示された。
件名は 無題。
差出人の名前は 九槻綺羅。
それは、秋弥の母親からのものだった。
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新学期のSHRは普段より長めに行われた。
SHRの延長が後続の授業時間に響かないのは、続く科目も担任教師が同じ人であるためだ。
後期から新たに追加された科目の説明を受け、授業計画を聞き、その他学園行事に関する諸連絡を終えた後、五分間の休憩を挟んで後期最初の授業が行われた。
新学期初日だからといって、全体挨拶やSHRだけで終わるほど、封術学園のカリキュラムは甘くはない。
脳が休暇状態にシフトしたままであることなどお構いなしに、最初からフルスロットルだ。五十数年前には『ゆとり教育』と呼ばれる政策の施行によって、公立の学校は週五日制を導入して学習指導要領の改訂が行われていた時期があったという。所謂、学習時間と授業内容の削減である。
しかし、高等教育機関に位置づけられている高等専門学校は、当初よりその教育方針を採用しなかった。
従来の詰め込み型 知識重視型の教育方針を採用し続けたのである。
なお、『ゆとり教育』の施行は既に満了しており、結果だけを見ればそれほど良い成果はあげられなかったということが証明された形となった むしろ、学生たちが自由にできる時間が増えたことによって、さらに多くの問題点が浮き彫りになっただけだったのだから世話のない話だと、秋弥は思ったものである。
閑話休題。
封術学園はその名からは想像し難いが、れっきとした高等専門学校である。
その教育方針、否、目標は、卒業までの五年間で後期中等教育(高等学校)と大学の専門学部レベルの教育を終えることだ。
卒業すれば準学士 すなわち短大卒と同等の資格を得ることになるわけなのだが、そこに詰め込まれた知識は大学卒業レベルに届いているということになる。
都合五年間で、高校プラス大学という、七年分の知識を詰め込むのである。
特に封術学園に限って言えば、専門教育の内容が『封術』という一点に集約されており、学ぶ知識が絞られてしまっている。
ゆえに、詰め込むべき学習内容にブレが生じることはなく、気持ちを休みモードから勉強モードに早急に切替えることができなければ授業に付いていけず、脱落するしかない 堕落していくしかない。
そして封術学園は、諦めた者には差し伸べる手を持たないのである。
2012/12/27 可読性向上と誤記修正対応を実施