第45話「月宮の双子」
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近畿地方――琵琶湖沿岸。
そこに位置する烏丸封術学園は、西日本の中心として封術の才能を持つ若き学生たちが集う、国立の高等専門学校である。
その烏丸封術学園の本棟六階にある学園長室に、二つの人物の姿があった。
しかしどちらも、烏丸封術学園の学生ではない。
一人は膝の裏あたりまで届きそうな長い髪を持ち、烏丸封術学園の制服ではない、紺色のブレザーに身を包んでいる。
もう一人はすっきりとしたショートヘアで、髪の隙間から小さな耳が覗いている。身に付けている衣服はごく標準的な黒のジャージだった。
「ねぇ奏お姉様、僕たちはココに、何をするためにやって来たのだったかな?」
「嫌ですわ、雅お姉様。もうお忘れになられたのですか。わたくしたちは来年に通う封術学園の学園長様に、ご挨拶をしに来たのですよ」
二人は顔を見合わせて、互いに微笑み合う。
着ている衣服や髪型は異なるものの、二人の顔はまるで、鏡に映したかのようにそっくり同じであった。
「それなら奏お姉様。どうして学園長室には僕たち以外の誰もいないんだい?」
ブレザー服姿の少女がざっくばらんな口調で、不思議そうに問いかける。
「どうしても何もないでしょう、雅お姉様。それはわたくしたちが何のアポイントメントもせずに学園長室を訪問したからではなくて?」
ジャージ服姿の少女が丁寧な口調で応じた。
「そうだったかな? いいや、そうだったね」
その清楚な見た目に反して、ブレザー服姿の少女は快活に微笑む。
「そうですよ」
その活発そうな見た目に反して、ジャージ服姿の少女は口元を抑えてクスクスと微笑む。
「それにしても、僕たち月宮家の人間がわざわざこうして訪問しにきてあげたというのに席を外しているなんて、学園長も礼儀がなっていないよ」
「無理を言ってはいけないわ、雅お姉様。学園長様は『始まりの封術師』の一人であり、もうご老体なのですから。それに、この世界に『全能』は存在しないのです。万物は常に有限であって、消耗され続けていくだけのものなのですよ」
「消耗。消耗、ね……。ねぇ奏お姉様。それはつまり、僕たちも世界を構成するための小さな部品の一つに過ぎないということだよね」
ブレザー服姿の少女――月宮雅が意地悪く微笑むと、ジャージ服姿の少女――月宮奏が困ったように笑みを浮かべた。
その表情は、やはりとても良く似ている。
それも無理はない。
月宮雅と月宮奏は一卵性の双生児なのである。
「そういえば、奏お姉様。来月から四校統一大会が始まるね」
「あら雅お姉様。そういうことはきちんと覚えておられるのですね」
「もちろんだよ、奏お姉様。ひょっとして僕のことを馬鹿にしているわけじゃないよね?」
「もちろんです、雅お姉様。わたくしは感心しているのですよ」
「そう、それならいいんだけど」
クスクスと奏が声を押し殺して笑う。言葉とは裏腹に、その仕草はやはり雅のことを馬鹿にしているようにも見えたのだが、雅は奏の言葉を全面的に信用しているので、それ以上のことを気にしなかった――というよりも、雅はそんな些末事に、いちいち気を取られたりはしない。
「えぇ、雅お姉様は運動が大の得意ですものね」
「そういう奏お姉様は、いつも難しい本ばかり読んでいるから体力がないんだよ」
雅はジャージの上から奏の二の腕を軽く摘んだ。
きゃっ、と甲高い声を上げながら、奏が腕を引く。
「もう……雅お姉様ったら、お戯れは止してくださいませんか」
「減るものじゃないんだから、ちょっとくらい触ったって良いじゃないか」
雅は掴みそこなった指を開いたり閉じたりしながら、二人が姉妹でなければグレーゾーンギリギリの発言をする。
「昨年は僕が一番楽しみにしていた『神の不在証明』が封術事故で中止になってしまったけれど、今年はちゃんと開催されるのかな」
「そうですね。昨年度は結局、あの事故が原因で『神の不在証明』だけでなく、四校統一大会そのものが中止になってしまいましたからね」
「そうだったね。だけど僕はあの事故が起こったときに鷹津封術学園から出場していた学生……えぇと、名前は何と言ったかな。確か僕たちの名前に似ていた……そうだそうだ。月姫、九槻月姫だ。彼女とは一度、手合わせしてみたかったね」
「あら、雅お姉様が他人に関心を持たれるなんて、じつに珍しいこともあるものですね。……星条家の後継者様はどうですか?」
「星条悠紀かい? 昨年も『光速の射手』で優勝していたっけ。ふん、あの程度では僕たちの……月宮家の相手にはなり得ないよ」
星条家の名を口にした瞬間、雅は忌々しげに顔を歪ませた。
小馬鹿にするように鼻を鳴らし、雅は星条悠紀を取るに足らない相手だと吐き捨てた。
「そうですか。ですが、残念ですね。わたくしたちが来年、封術学園に入学して四校統一大会に出場したとしても、雅お姉様は九槻月姫様とは相対できないと思いますよ」
「んん? 何でかな?」
「九槻月姫様はあの事故以来、封術学園を休学なさっていると聞いています。おそらくは封術事故に巻き込まれた際の後遺症か何かによるものと存じ上げますが……」
「……そう、なのかい?」
「えぇ、残念ながら」
奏は両の瞼を伏せると、頭を垂れながら肯定の意を示した。
しばしの間、学園長室に静寂が訪れる。
学園長室の入口の向こう側で、音が聞こえた。
音は徐々に学園長室へと近づき、しかし足を止めることなく通り過ぎていく。
誰も、彼女たちの存在には気付かない。
誰も、彼女たちの存在を意識していない。
「ねぇ、奏お姉様。こういうときはやっぱり、お見舞いに行った方が良いのかな?」
「いいえ、雅お姉様。わたくしたちのような外様の者が突然訪ねたところで、九槻月姫様も混乱してしまいますわ。ですが、そのようにお考えになる雅お姉様の心を、わたくしはとても清く、何物にも代えがたい美しいものであると感じていますわ」
「僕のことをそんな風に全面的に肯定してくれるのは、この混沌とした世界でも奏お姉様ただ一人だけだよ」
「そんな、当たり前のことですよ、雅お姉様。だって、わたくしと雅お姉様はこの世界で唯一無二の姉妹なのですから」
奏が目を細めて微笑む。
「そういえば雅お姉様。わたくしはついこの間、このような話を耳にしましたわ」
「どんな話だい?」
「なんでも鷹津封術学園に、九槻月姫様の弟様がご入学されたそうです。そしてその弟様……九槻秋弥様は、昨年度の封術事故についていろいろとお調べになっているようですよ」
「何だって!」
奏の話を聞いた雅は、興奮した様子で突然声を荒げた。
彼女の黒真珠のような瞳が大きく見開かれ、夜の星々を散りばめたかのようにキラキラと輝いていた。
「それならちょうど良い! 九槻秋弥が封術事故のことを調べているというのなら、僕たちの知っているアレのことを教えてあげてもいいよね?」
「えぇ、もちろんです。奏お姉様が望むことでしたら、それは同時に、わたくしも望んでいることなのですから」
「雅お姉様ならきっと、そう言ってくれると思っていたよ。はぁ……今年も四校統一大会が楽しみになってきたよ。ね、雅お姉様」
「そうですわね」
月宮奏は、クスクスと笑う。
月宮雅は、あはははと笑う。
鏡映しのような双子の少女は、星条家の対となる月宮家の子供だった。
月宮家は『星鳥の系譜』から外れた存在だ。そこに系譜は存在しない。
系譜ではなく、才能でのみ連なる一族。
唯一にして唯我独尊、それが月宮家である。
第三章「四校統一大会編」の開始です。
また、平行して過去掲載文の文章校正を少しずつ実施していく予定です。
2012/12/27 可読性向上と誤記修正対応を実施
2013/07/17 文章誤り修正