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封術学園  作者: 遊馬瀬りど
間章「真夏の日の夢」
44/111

第43話「2053/08/21 16:24:00 九槻秋弥」

★☆★☆★



 『神隠し』。

 その元凶であった地下下水道の隣神が原質(メディオン)の粒子となって消えていく。

 俺は記憶の旅路を終えたばかりの不安定な意識を現層世界に固定すると、ゆっくりと呼吸を整えてから、魔剣をそっと、手元へと引き寄せた。


 そのときにはもう、隣神の姿は形ひとつとしてその場所にはなく、七人もの被害者を出した『神隠し』事件は一端の終わりを見せたのだった。



★☆★☆★



 魔剣『紅のレーヴァテイン』の固有装術による隣神の消滅——正しくは異層世界への帰還なのだが——を目の当たりにした同級生の二人が、言葉を失っていることが気配でわかる。


 無理もないと思う。


 隣神——すなわち一個の情報体が、たったひとつの装具によって世界を構成する最小単位である原質まで分解され、光の粒子となって装具の中に飲み込まれていく光景を見てしまったのだから。


 俺は、二人の方を振り返ることができなかった。

 きっと、同級生から忌避の目で見られることを無意識のうちに避けたからだろう。

 その代わりに俺は、地面に横たわって微動だにしない天河聖奈の元へと駆け寄った。

 傍にしゃがみ込んで、様子を確かめる。

 星条会長が放った光源の助けもあって、天河の胸元が浅く上下しているのが見て取れた。

 大丈夫だ。少なくともまだ、生きている。


「……眠っているだけみたいね」


 俺の隣に腰を下ろした星条会長が、力無く下げられた天河の手を包み込むようにして持ち上げながら言った。

 わずかに視線を隣へと向けてみると、会長の左眼が大きく見開かれていた。

 その瞳の奥では封術紋がゆらゆらと揺れている。

 何らかの術式を発動しているのだろうか。それとも単なる視診なのだろうか。

 俺は視線を天河へと戻すと、

 

「天河聖奈」


 天河の名前を呼んでみた。

 眠っている人間に対しての『とりあえず試してみる』類いの呼びかけであって、何らかの反応が返ってくることを期待した呼びかけではなかったのだが、微かにだが、俺の声に反応して天河の瞼がぴくりと動いたような気がした。


「聖奈!」

「聖奈さん!」


 と、ようやく硬直状態が解けたのだろう。玲衣と綾が天河の名前を呼びながら、彼女の傍へと駆け寄ってきた。


「待って、無理に動かしてはいけないわ」


 玲衣が気を失ったようにぐったりとしている天河の肩を揺さぶろうとしたので、星条会長が慌てて制止をかけた。

 

「おそらく聖奈さんは高所から落下したときのショックで意識を失っているのだと思う。だから、今は下手に身体を動かしてはダメよ」

「え!? 聖奈、大丈夫なんですか?」


 だが、高所からの落下と聞いて、玲衣の動揺に拍車がかかってしまったようだ。

 会長の顔にも「しまった」という表情が浮かんでいる。

 あまり見ない表情だ。

 正しい状況分析ではあったのだが、時と場合によっては、それがマイナス方向に働く場合もある。

 会長にしては珍しい、ケアレスミスだった。


「……外傷は特に見られないし、ただ眠っているだけのようだから、しばらくしたら目を覚ますと思うわ」


 会長が相手を安堵させるようなゆっくりとした口調で玲衣を諭すと、玲衣は力が抜けたようにぺたりとその場に座り込んだ。

 お世辞にも綺麗とは言えない——むしろ汚いとすら言える——地下下水道の地面に座ってしまっては、洋服が汚れてしまうだろう。後で封術を使って汚れを取り除いてあげるかと、俺は内心で思った。



★☆★☆★



 さて、星条会長の見立てによると気を失っているだけとはいえ、天河はいったいいつになったら目を覚ますのだろうか。


「王子様がキスでもすれば目を覚ますかなっ?」


 眠り姫の如く綺麗な天河の寝顔を眺めながら、彼女の傍にしゃがみ込んでいた玲衣が唐突に言った。


「王子様っていうと、秋弥さんでしょうか?」


 今現在、地下下水道にいるのは星条会長と玲衣、綾、それに眠り姫こと天河と、俺の五人だけ。

 その中で男性はといえば、まあ俺一人だけである。


 綾の必然的な絞り込みに、ゴクリという音こそ聞こえなかったものの、玲衣が息を呑み込んだことが仕草でわかった。


「や、聖奈の寝顔を見てたら、何となくそんな気がしただけだよっ! 勘違いしないでよね、ただ言ってみただけだからね!」

「何故そんなに必死になる……」


 そもそも俺にそのつもりが無いのだから、玲衣の心配は杞憂どころか墓穴を掘っているだけなのだが。


「それじゃあ私が」

「「「え」」」


 星条会長の意外な申し出に、俺たち一年生三人が異口同音で驚きの声を上げる。

 三人からの視線を浴びて、会長は冗談めかした表情でちろりと舌を出した。普段自治会室で顔を合わせている俺にとっては、会長の冗談なんて日常茶飯事だったが、玲衣と綾にとっては会長が冗談を言ったことが意外だったようで、しばらく眼をぱちくりさせた。

 しかしまあ、これがスフィア会長だったのならば、有言即実行が容易に想像できただけに、その辺りに二人の性格の違いを窺うことができた。


 それにしても——。

 天河が目を覚ますまで、この地下下水道で待ち続けるわけにもいかないだろう。

 玲衣と綾の二人には俺が防護膜の術式をかけているとはいえ、下水道内の空気はお世辞にも綺麗であるとは言えなかった。

 長時間居座り続けるには、あまり身体にも良くないだろう。

 かといって、眠っている天河を無理矢理起こすこともできない。天河が気を失っている理由が落下の衝撃による脳震盪である可能性が高い以上、できる限り自然に目を覚ますのを待った方が賢明と言える。


「それならいっそ、秋弥君が聖奈さんのことを抱きかかえて、地上に戻るというのはどうかしら?」


 会長が提示した案は至って平凡なもので、担架を用いない点を除けば失神している者に対するごく一般的な対処法であるとも言えた。


「そうですね。いつまでもこんなところにいても仕方がないですし、それが一番無難でしょうね」

「それってひょっとして、『お姫様抱っこ』をするってことですか?」


 すると、何故か綾が頬を紅潮させながら、俺と天河を交互に見詰めた。

 ……そういう仕草をされると、俺も不必要に赤面してしまいそうになる。


「えー……ずるい」


 玲衣がぶすぅとした表情で小さく呟いた声は、壁面がコンクリートで固められた下水道内に反響してしまい、正しい音で俺の耳にまで届かない。

 それは会長も同様だったようで、玲衣の言葉を聞き流して話を進めた。


「出口付近に無人自動制御車を手配しておくから、ここから出た後は車に乗って学園まで戻って、女子寮の聖奈さんのベッドに寝かせれば良いわよね」

「まあ……仕方がないですね」


 正直な話、そこまでするのは不本意だったが、状況が状況なだけに仕方がないだろう。まさかこんなことで男子禁制の女子寮に入ることになるとは思わなかった。

 ああでも、そういえば、確か天河と綾は相部屋だったか……。


 俺は事前に一言、綾にそのことを断っておこうと思って眼を向けた。しかし、頬を紅潮させていた綾は俺と眼があった途端、視線を逸らしてしまった。

 その隣では玲衣が不機嫌そうなジト目を俺に向けているばかりで、話を聞いてもらえそうな様子ではない。

 ……どうにもやりづらいな。

 俺はそんな二人を放置することに決めて、会長の方に向き直った。


「さすがに天河を抱えたまま梯子を上がるわけにはいかないので、出口を調べてもらえますか?」


 問うと、会長は端末(デバイス)を操作して下水道の地図を表示した。そして、現在地点から最も近い出口を検索すると、梯子を上がらなくても下水道から出ることができるルートを輝線で示して見せた。

 ずいぶんと遠回りとはいえ、これならば安全で確実に下水道から出られるだろう。


「なるほど、わかりました」


 俺はその場で指を組んで腕を頭上へと伸ばす。肩から腕、手首、指先のストレッチをすると、


「会長、すみませんが地図情報を俺の端末に転送してくれませんか。それから、会長たちは来た道から先に学園に戻っていてください」


 天河を抱えたままでは歩調も遅くなるだろうし、会長が調べたルートを辿って下水道から出るのでは、時間もそれなりにかかってしまうはずだ。

 俺がそう提案すると、会長も俺と同意見だったようで、すぐに頷いた。


「えぇ、わかったわ。朱鷺戸さんは私と一緒に学園まで戻りましょう。牧瀬さんはどうする? 家に帰るのであれば送っていくけれど」


 会長の問いかけに対して、玲衣は首を左右に振った。


「いえ、聖奈のことが心配だから、あたしも学園までご一緒させてください」

「そうね、秋弥君一人じゃ心配だものね」

「わわっ、そういう意味じゃありませんよっ!」


 バタバタと手を振る玲衣を見て、会長が意地悪く微笑んでいる。

 俺は化学変化を用いた術式を構築して三人に(会長もおまけだ)衣服についた汚れを分解する術式をかけると、防護膜の術式を解除した。

 そして天河の隣に膝を突いて屈み込むと、慎重な手つきで右腕を天河の両膝の裏へ、左腕を肩から首にかけての位置に差し入れた。

 頭部が揺れ動かないように重心の移動に気を配りながら、そっと身体を起こす。


 思った以上に軽い。


 リコリスに抱きつかれることや、リコリスを抱きかかえることはあっても、見た目十歳以下のリコリスと天河とでは、その重みだけでなく、手や腕から伝わる感触もまた違っている。

 天河の綺麗に整った、白磁のような顔が近くにあった。

 同世代の、それも異性をこれほどまでに間近で感じたことが今までにあっただろうか。俺はそれほど人生経験を積んでいるわけではない。たかだか十五年、生きてきただけだ。

 俺はできるだけ天河のことを意識しないように、なおかつ天河の身体に負担をかけないように意識するという高難度の要求を完遂すべく、繊細で精密な壊れモノを扱うが如き面持ちでこれに当たることにした。


「それじゃあ三人とも、気を付けて戻ってください」

「ええ。秋弥君も、聖奈さんのことをよろしくね」


 会長たちを見送ると、俺もまた、会長たちに背を向けて、下水道の出口へと目指し始めたのだった。


2013/01/05 可読性向上と誤記修正対応を実施

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