第10話「学生自治会」
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鷹津封術学園に入学して、三週間が過ぎた頃。
午前の授業を消化し終えた秋弥は、いつものように彼のまわりに集まってきた玲衣たちと他愛の無い雑談をしながら、学生食堂へと向かっていた。
装具選定での事件の顛末については今のところ、三組の学生たちにしか知られていない。
学園の封術師教師全員が集まるという月例会議。そこで何らかの判断が下されるまでは不必要な混乱を招かないようにと、袋環から緘口令が敷かれているためだ。
不本意ながら三組のクラスメイトたちから一目を置かれる立場となってしまったというのに、この上月例会議の結果如何でどんな処遇が下されることになるやらと、秋弥は今から気が重かった。
とはいえ、人の噂も七十五日。
クラス内においてはある程度落ち着きを取り戻し始め、ずいぶんと遅れ気味ではあったが平穏な学園生活が始まろうとしていた、矢先の出来事だった。
『——……や君。至急、学生自治会室までお越し願います』
唐突に鳴り響いた学内放送の内容に、秋弥は眉根をひそめた。
「おい、今お前の名前が呼ばれたような気がしたんだけど」
普段から学内放送に意識を傾ける者は少数だろう。多くの場合、それは自分に関係の無いことであるか全体に関係のあるであるかのどちらかなので、部分的に聞き取れればそれで大体の内容を察することができる。
秋弥たちは足を止めて、それぞれのデバイスを展開した。放送は学園内に設置された埋め込み式のスピーカーから発せられていたが、同時に学内ローカルネットの連絡欄にも同様の情報が展開されることが常だった。
『——繰り返します。一年三組の九槻秋弥君。至急、学生自治会室までお越し願います』
再度、同じ内容の放送が響く。
「ホントだ、シュウ君のことだね」
「学生自治会からの呼び出しですか」
「大方、何か悪いことでもやったんじゃねぇの?」
「シュウ君とあんたを一緒にしないでくれないかなっ!」
「ん? 奈緒、どうした?」
堅持たちが口々に言い合う中、奈緒が何か思うところのありそうな表情でこちらを見ていた。
「……もしかしたら、お姉ちゃんからの呼び出しかも」
「お姉ちゃんって……。あ、そっか。奈緒のお姉さんって自治会長なんだよね」
「うん。この間、家でお姉ちゃんから九槻君のことを聞かれたから。あっ、でもでも変なことは何も言ってないよ」
「ううん……、だとすると何の用事なんだろうね?」
「さあな、行ってみればわかるだろう」
玲衣たちからの視線を向けられた秋弥は、軽く肩を竦めて答えた。
また何か面倒なことが起こりそうな予感をひしひしと感じてはいたが、情報が不足している状態で無駄な憶測をして、やきもきしていても詮無きことだろう。
学生自治会室があるのは本棟東一階だ。南二階の学生食堂へ向かうために秋弥たちが歩いていたのは本棟西二階。それほどの距離があるわけでもないが、話の内容によっては時間がかかってしまうかもしれない。
「とにかく、ちょっと行ってくるよ。どのくらいで戻れるかわからないから、昼食は先に食べててくれ」
「オーケイ。後で話聞かせろよな」
手を上げ、玲衣たちと別れた秋弥は、足早に学生自治会室へと向かった。
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本棟東一階、学生自治会室。
その入口の前に立った秋弥はデバイスから学内施設の学生自治会を選び、表示された各種メニューから入室者許可リストを開いて、自分の名前を探して選択した。
数秒後、自治会室の電子錠が解除される。科学技術が発展し、デバイスを用いることで日々の仕事や雑務が機械的に行われるようになったが、開錠の判断だけは部屋の管理者によってリアルタイムに行われる。それが開いたということは、秋弥の入室が内部にいるであろう役員の誰かに認められたということになる。
「失礼しま——」
扉に手をかけ、開きながらあいさつをしようとしたところで、秋弥は出かかっていた言葉を止めた。
床に敷かれた毛先の長い絨毯。ローテーブルを挟んで一度座ったら沈んだ身体を起こすことが容易ではなさそうな三人掛けのソファが二脚。壁には過度な装飾が施された調度品の数々が並んでいる。
ここが学園の一施設内であることを忘れてしまうほどに絢爛豪華な様相に、秋弥は一瞬だが言葉を失った。
「……失礼します」
咳払いこそしなかったものの、尻切れていた台詞を仕切り直して、学生自治会室へと入る。
「いらっしゃい、九槻君」
入口から見て正面奥に備えられた執務用机の向こう側から、柔らかく穏やかな声で迎えられる。
「直接会うのは入学式以来かしらね。元気にしてた?」
「ご無沙汰していました。星条会長は、元気そうですね」
そばまで近寄ると、白の制服に身を包んだ学生自治会長——星条悠紀は、左右で色の違うヘテロクロミアの瞳を弓なりに細めて、ニコリと微笑んだ。その仕草につられて揺れたウェーブの髪が、背後の窓から差し込む日の光を浴びてキラキラと輝く。
「覚えててくれたんだね。少し嬉しいかも」
「会長が俺の方を覚えていたことの方が驚きですよ」
秋弥は入学式の折に悠紀と少しだけ話をしたことがあった。新入生総代としての秋弥の答辞は、学園と在校生の代表である悠紀からの祝辞に対して行われたものなのだから、それも必然と言えるだろう。交わした内容はほんの些細なもので、今となってはほとんど覚えていなかったが、星条の名は彼の記憶に深く刻み込まれていたのだった。
「私は学生自治会長なのよ。全学生の名前と顔を覚えていても、おかしくはないでしょ?」
本気なのか冗談なのか。人の良さそうな笑みに隠れて真意を読み取ることができない。おそらく後者だろうが、否定する材料も見つからないので黙っておく。
「急に呼び出してごめんなさいね。何か飲み物を用意するから、そこのソファに座って少し待っていてね」
そう言って示されたソファには、既に先客がいた。悠紀と同様に自治会役員専用の制服を着た男子生徒が眼を伏せ、腕を組んで座っている。
秋弥は促されるままにソファに腰を下ろすと、男子生徒が徐に瞼を開いて、秋弥を見た。
「僕は副会長の朝倉瞬だ。君は?」
「……一年の九槻秋弥です」
秋弥の学年を聞いた男子学生——朝倉は、眉をわずかに動かした。
鼻歌交じりに紅茶を淹れている悠紀をよそに、初対面で会話の無い二人の間に気まずい沈黙が生まれる。
会長だけではなく、副会長まで交えていったい何の話をするつもりだろう。秋弥が思考を巡らせていると、ソーサーに乗ったティーカップがそっと彼の前に差し出された。
「お待たせしたわね」
三人分のティーカップを並べ終えた悠紀は、朝倉の隣に一人分の間を空けて腰掛けた。
「九槻君の口に合うかはわからないけれど、まずは紅茶をどうぞ」
笑顔でそう進められてしまえば断り辛い。
セットで用意された角砂糖やミルクには手を付けず、ストレートのままでソーサーからカップを取り上げる。紅茶の香りが鼻腔をくすぐり、口をつけると、仄かな甘味と苦味が口内に広がった。
「……それで、学生自治会の会長と副会長の二人が俺に、何の用なんですか?」
「それは僕からも会長に聞きたいことなんだが——」
朝倉も会長へと視線を向けた。どうやら副会長も何も知らされずに呼び出されたようだ。彼は秋弥と違って、学内放送ではなく直接呼び出されたのだろう。
「そうね。お昼の時間も限られてるし、単刀直入に言うわね」
悠紀は意味あり気な笑みを浮かべると、一呼吸置いてから言った。
「私たち学生自治会は、九槻君を自治会役員に任命したいと思います」
「なっ!?」
声を上げたのは、秋弥ではなく朝倉だった。
「会長! 彼はまだ一年生だぞ!」
眼を見開いて驚きを露にする朝倉に、悠紀は余裕の笑みを返した。
「えぇ、もちろん知っているわよ」
「だったら!?」
「ねぇ、朝倉副会長。貴方は一年生も五年生も、同じ学園の学生だとは思わないの?」
「そういう問題ではない」
「いいえ、そういう問題よ」
渦中の中心であるはずの秋弥を差し置いて、二人だけの議論が目の前で展開されている。
それを客観的に眺めながら、秋弥は何故自分が自治会役員に任命されたのかを考えていた。
これが冗談や酔狂でないのであれば、考えられる理由は限られている。
自分が今年度の新入生総代であるということ。
あるいは、装具選定の一件に関係しているということ。
前者の場合、入学式から数週間の間を置いて秋弥を呼び出した理由が見つからない。とすれば後者か。どうやって知ったかは定かではないが、しかしその場合、悠紀はどのくらい、紅の装具やリコリスのことを知っているのか。
「僕が言いたいのはそういうことじゃない。彼にはまだ早すぎると言ってるんだ」
「どうしてそうだと決め付けられるのかしら?」
「決め付けているわけではない。だけど、まずは外側から学校行事や学生自治会の職務について知るべきだと言っているんだ!」
「言ってないわよ。だけどそうね、朝倉副会長の言うことにも一理あるわね」
「なら——」
「でもそれは一理でしかないわ。一理あって一利なしよ、朝倉副会長」
「……」
「私だって、入学したての一年生が学園運営を満足に行えるとは思っていないわよ。でもそれなら、私たち上級生が手本となって教えてあげれば良いことでしょう?」
「そうかもしれないが、それならせめて二年生になってからでも遅くないのでは……」
次第に、朝倉の声からは力が失せ始めた。
「それじゃあ遅すぎるのよ」
「何が遅いと?」
「……私が、九槻君にいろいろなことを教えてあげるための時間よ」
悠紀が小悪魔的な笑みを二人に向ける。秋弥と眼が合うと、蒼い左眼で軽くウィンクをした。その仕草で彼女の言葉が半分以上冗談であることを秋弥は見抜いたのだが、完全に視線を彼女にアジャストしていた朝倉はそれに気付かなかった。
どうやら秋弥が学生自治会に入ることは、悠紀の中でほどんど確定しているらしい。
「……俺はまだ、拝命するとは言っていませんが」
それを察して口出しをした秋弥の小声を、悠紀は軽く聞き流して朝倉へと向き直った。
「貴方の負担になるようなことは何もないわ。彼の面倒は全面的に私がみます。これでもまだ何か、言いたいことはあるかしら?」
「……それでは会長に負担が掛かる——」
「良いのよ。だってこれは、私の我侭だもの」
「……であれば、僕以外の他の役員たちにも是非を問うべきだ」
「皆は二つ返事で頷いてくれたわよ。役員の中では、あとは朝倉副会長だけなの」
朝倉のその言葉を待っていたかのように、悠紀は言った。
「………」
ぐうの音もでないとはまさにこのことだろう。
悠紀は一番説得が難航しそうな朝倉をこの場に同席させることで、彼が曖昧な返事でやり過ごすための退路を絶ったのだ。
朝倉が秋弥を一瞥する。その表情は何かを言いたげに見えたのだが、彼はすぐに視線を戻してしまった。
「……スフィア会長も?」
「自治会役員の任命が自治会長と維持会長の二人の合意によって決定されることくらい、朝倉副会長にもわかっているでしょう。その上で私は、役員全員からの合意も得ておきたいのよ」
「……会長の言いたいことはわかった。だけど……、やはり僕は納得できないし、賛成もできない」
朝倉の言葉を聞いて、悠紀は深い深い溜息を吐いた。
「だったら仕方がないわね。……貴方の意見は尊重されません」
前言を一瞬で撤回して切り捨てた悠紀の台詞に、朝倉が絶句した。
と同時に、朝倉は頭に上っていた血が急激に引いたことで、別の考えにも至った。
何故悠紀はそこまでして秋弥を役員に引き込もうとしているのか。
そもそも彼を引き込みたい理由とは何なのか。
「……一つ、教えてほしい」
「何かしら?」
「どうして、この一年生なんだ?」
端から話を聞いている限り、朝倉が難色を示しているのは、秋弥が入学してまだ日の浅い一年生であるということを気にかけてのことであって、それは学園の一員としての自覚や経験を憂いてのことであるように思えた。
「そんなに怖い顔をしなくてもいいじゃない。理由ならもちろんあるわ」
そしてようやくのこと、悠紀は自分のティーカップへと手を伸ばした。ミルクを落としてマドラーでかき混ぜると、ティーカップをそっと口元に運んだ。
「装具選定の視察の後で、面白い学生がいると私が言ったのを覚えているかしら?」
——視察?
これには秋弥の方が、朝倉よりも先に反応した。しかし、それを気取られるような仕草を表面には出さなかった。
「それが彼——九槻秋弥君なのよ。私とスフィア会長は装具選定中の九槻君を視ていたわ。彼が使った装具も、彼の行動の一部始終も、ね。この任命はその上での判断です」
三度驚愕に彩られた朝倉の瞳が、秋弥と悠紀を交互に見詰めた。
「……そうか。何処かで見た名前だと思っていたけど、装具選定の報告書だったか。だけど報告書には、波長障害による隣神の顕現以外に眼の引くような内容は何も書かれていなかったはずだが」
「そうでしょうね。本当の情報を意図的に隠したんだから」
悪びれずもせずにさらりと言った悠紀の言葉に、今度は秋弥も眼を丸くした。
朝倉の反応を見る限り、隠蔽された情報は『高位隣神リコリス』と『紅の異能型装具』のことでほぼ間違いないだろう。
ということは、学生自治会の役員たちはこのことをまだ知らないということか。しかし、会長である悠紀と、スフィアという名の学生は、何処かから装具選定で起こったことを視ていて、知っている——。
「ごめんなさい、朝倉君。詳しいことは貴方だけじゃなくて、他の皆にもまだ話すべきではないと思ったの。それに、私自身が自分の眼で見たものをまだ信じきれていないんだもの」
朝倉の名を役職名を付けずに呼んだ悠紀は、眼を伏せると首を静かに横に振った。
「だけどきっと、九槻君は私たちの力になってくれるわ。だから、私を信じてくれないかしら?」
朝倉が何かを思案するように眉根を寄せながら、視線を秋弥へと向ける。
さまざまな感情の籠もった瞳が、秋弥を見詰める。
その値踏みするような視線に、悠紀は一言注意しようとして口を開きかけたが、真剣な眼差しで秋弥を見定めようとしている朝倉に、声を掛けることが憚られた。
やがて、朝倉はゆっくりと息を吐き出すと言った。
「……わかった。僕は会長の慧眼を信じることにする。だけど、彼が学生自治会に入りたいかどうかはわからない。そこは彼の意思を尊重してほしい」
「ありがとう。もちろんわかっているわ」
安堵したように穏やかな笑みを浮かべた悠紀を見て、朝倉の瞳が僅かに揺らいだ。
「それじゃあ僕は一足先に教室に戻るけど、いいか?」
「えぇ、時間を取らせてしまったわね」
「それは全然構わない。……あまり時間はないかもしれないが、君も、ゆっくりしていってくれ」
朝倉は紅茶を一気に飲み干すと、悠紀に礼を言ってから自治会室を出て行った。
必然的に悠紀と二人っきりとなってしまった秋弥だったが、会話らしい会話も見つからず、すっかりぬるくなってしまった紅茶に口をつけていた。
「……えっと、ごめんね九槻君」
しばらくして、悠紀が申し訳なさそうに言った。
「どうして謝るんですか?」
「だって、九槻君の話だったはずなのに、内輪だけで盛り上がっちゃって」
「そんなこと、全然気にしてませんよ」
「うぅん、私が気にするのよ。だから、謝らせてね」
ごめんね、と、悠紀は両の掌を合わせて顔の脇に添えて、可愛らしく謝罪した。
何処までが本気で何処までが冗談なのかわからない人だな、と秋弥は無表情のままで思っていた。
「それで、九槻君を呼んだ理由についてはさっき言っちゃったんだけど、最初から説明した方が良いかしら?」
「えぇ、是非お願いします」
結論は既に出ているのだが——それ以前に既に言っているのだが——お互いにそれをおくびにも出さず、話を続けた。
「うん、まずはそうね……。九槻君は学生自治会が普段何をしているところなのか、知ってるかしら?」
「人並には、ですけど」
学生自治会は学園に在籍する全学生の代表として、諸活動の管理や運営、行事への協力をするための組織だ。一般教育機関で言うところの生徒会のようなものだと捉えておけば良いだろう。
そう説明すると、悠紀はひとつ頷いた。
「そのとおりよ。だけど本当はもう少し広義的で、学生自治会は『自治』の名を冠しているとおり、学園のあらゆる行事や運営を取り仕切る権利が与えられているのよ」
一介の学生に与えるには過ぎた権利だけどね、と悠紀は付け足す。
「私たち学生自治会の役員は、私と朝倉副会長を含めて五人。これだけの少人数で鷹津封術学園を管理しているということになるの。これって、とてもすごいことだと思わない?」
曖昧な笑みを返すと、悠紀はつまらなそうな顔をした。
封術学園は学園組織やその成り立ち自体が特殊である。それを鑑みれば、学園を学生が運営していると言われても、驚きこそすれ、それ以上に思うところは何もなかった。
「とはいえ、教師の採用とかそういう話になってくると、さすがに私たちでは手に負えないんだけどね。学園長にはもう会ったかしら? 鷹津封術学園の封術教師は学園長が直接選んでいるのよ」
学園長——封術体系の基礎を作り、鷹津封術学園を創設した『始まりの封術師』の一人だ。
入学式では席を外していたために会うことができなかったのだが、学生自治会に入れば学園長とも顔を合わせる機会が増えるのだろうか。
「さてと、簡単にだけれど学生自治会の説明はこれで終わりよ。他に何か、聞きたいことはある?」
返事とともに首を横に振ると、悠紀は満足げに微笑んだ。
その笑顔の裏に、何かとても重要なことを隠しているような気がしたのだが、形になっていない疑問を投げかけても、納得のいく答えが返ってくるとも思えないので、その疑問は棚上げとなった。
「それじゃあ前置きはこのくらいにして……あら?」
不意に悠紀が首を傾げた。
向かい合って座る秋弥の背後——学生自治会室の入口へと眼を向けている。
秋弥も釣られるようにしてそちらを振り返ると、自治会室の扉が音もなく開いた。
「おやおや、もしかしてお邪魔だったかな?」
新たな来訪者は、ソファに座る二人を見つけるとニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「何言ってるのよ。今必死に彼を口説いているところよ」
あっけらかんとした悠紀の口調に秋弥は思わずげんなりとしてしまったが、当の本人は何処吹く風だった。
「おっと、そうなのかい。それじゃあワタシも、及ばずながらユウキに加担しようかな」
突然現れた来訪者は、ソファには掛けずに執務机の前まで進むと、その上にすとんと腰を落とした。
片足を胸の前で抱え込んだその姿勢は、秋弥の座っている位置からだとスカートの中身が完全に見えてしまっていた。残念なことに(?)スカートの下にはスパッツを履いていたが、それでもやはり、眼のやり場には困ってしまう。
「初めましてだね、クツキ。ワタシのことは知らないと思うからまずは自己紹介をするよ。治安維持会リーダーのスフィア・智美・アンダルシアだ」
セミロングの金髪に灰色の瞳を持つ英国風美少女が、独特の口調で名乗る。
一般学生と同じ黒の女子学生服を身に付けた彼女の右腕には、治安維持会役員の証である赤の刺繍が施された腕章が巻かれていた。
「初めまして、九槻秋弥です」
立ち上がり、小さく一礼する。座って座って、と手振りで示されたので、秋弥は再びソファに腰を降ろした。
スフィアは興味深げに秋弥をまじまじと眺めてから、ふと思い立ったように悠紀の方を向いた。
「ユウキ、彼に何処まで話をしたんだい?」
「ちょうど、自治会の役割について説明をし終えたところよ」
「なんだ、それじゃあ話は簡単じゃないか」
何に時間をかけていたんだい、とでも言いたげな眼差しを悠紀に向けたスフィアだったが、涼しい顔でスルーしようとしていたので、「まあいいか」とだけ言うに留めた。
「クツキ。キミに是非、学生自治会に入ってもらいたい」
それは言い方こそ違うが、先刻悠紀が言った内容と同じものだった。
やや唐突ではあったが、新しい来訪者による本日二度目の任命に対して、今度こそ彼の言葉を遮る者はいない。
二人が沈黙する中、やがて秋弥はゆっくりと口を開いた。
「光栄なことだとは思いますが、俺は、自治会に入るつもりはありません」
拒絶の答えを、秋弥は告げる。
だがしかし、まるで初めから拒絶されることを想定していたかのように二人の表情は揺るぎなかった。
むしろ——。
「あらら、見事にフラれちゃったね」
「言い忘れていたけれど、私も最初に同じことを言って、同じようにフラれちゃったのよね」
「何だって? それは聞き捨てならないな。ユウキの魅惑の笑みで迫られて、落ちない男がいるって言うのかい?」
「貴女の妖艶な容姿には負けるわよ」
うふふ、あはは、と微笑みあう学園のツートップ。
秋弥は彼女たちの掌の上で踊らされているような気持ちになって、苦々しい顔をした。
「参考までに聞かせてほしいのだけれど、入りたくない理由は何かしら?」
スフィアとの怪しげな三文芝居を終えた悠紀が小首を傾げる。切り替えの早い人だな、と思いつつ、秋弥は予め用意していた理由を伝えた。
「大小いろいろとありますが、一番の理由は、興味がないからです」
それが秋弥の本心だった。
学園の運営や管理という面倒事を進んでやりたがるような奇異な人間はどれほどいるというのだろうか。また、学生自治会に入れば多くの時間をそちらに費やすことにもなるだろう。それに悠紀から聞いた話だけでは、自治会に入ることで秋弥にとって何かメリットらしいメリットがあるとは考えられず、単に面倒事が増えるだけのように思えた。
なるほどね、と悠紀が頷き、スフィアが意味深な笑みを見せた。
「逆に言えば、興味を引くような何かが学生自治会にあれば、キミは入ってくれるんだね?」
「……必ずしもそうだとは言い切れませんが、まあ可能性はありますね」
彼女たちが他にどんな隠し玉を用意しているのか知らないが、顔を見合わせた二人の会長には、何か思い付くものがありそうだった。
「だったらクツキ、キミはそれほど遠くないうちに学生自治会に入るよ」
はっきりと、スフィアはそう断言する。
「そのときは私が、手取り足取り、教えてあげるわね」
「おやおや……、それはまた淫靡な響きだね、ユウキ」
「そこはせめて甘美と言ってほしいわね……。スフィアも一緒にどうかしら?」
すばやく秋弥の隣に移動した悠紀が、彼にそっと身を寄せた。
それを見たスフィアは跳ねるように机から飛び降りると、空になったソファとローテーブルを回り込んで、秋弥の反対側に腰掛けた。
「いいのかい? ワタシは激しいのが好きだよ?」
スフィアの性癖になんて興味はなかったが、上級生——それも少女という単語の上に美が重なるタイプの——二人に両サイドから挟まれた秋弥は、緊張に身を強張らせた——。
「……くっつきすぎですよ」
——ということもなく、動じた様子もなかった。
「このソファは元々三人掛けよ?」
しかし悠紀は悪びれた様子も無く、しれっと答える。
その間も、肩と肩が触れ合うほどの距離感に何ひとつ変化はない。
「隣に座られたら話辛いんですよ。だから、対面のソファに戻ってください。それが嫌なら俺が移動します」
「おぉ!?」
「わわ、待って!」
立ち上がりかけた秋弥を二人が強引に引きとめる。再びソファに引きずり戻された秋弥は、大きな溜息を吐いた。
「はあ……いつから自治会室は、夜の怪しい店に変わってしまったんですか」
「ごめんなさい、悪乗りしすぎました」
冷たい声で秋弥に咎められた途端、悠紀は身を縮こまらせてしおらしく謝った。三人掛けのソファとはいえ、小柄な彼女が端に寄ったことでわずかながらスペースが生まれた。
「まさか色仕掛けも通じないとはね」
反対に、面白そうなものを見る眼とニヤついた笑みを一切崩そうともしないスフィアであったが、これ以上余計なことをして秋弥の機嫌を損ねるとマズいと思ったのだろう。向かいのソファへと移動して真ん中に腰を下ろすと、長い脚を組んだ。
「そんなところもやはり、カグヤの弟ということかな。一筋縄じゃいかないね」
唐突に出た姉の名前に反応して、秋弥はスフィアを見つめた。
「近くにあんな美人がいると、基準が高くなるのかな」
「……あの、スフィア会長は姉さんを知っているんですか?」
「ん? もちろん知っているよ。ユウキとカグヤ、それとワタシは三年生まで同じクラスだったからね。それに在校生だったら知らない者はいないと思うよ。何せ去年の封術事故は——」
「スフィア!」
瞬間、悠紀が鋭い声を発した。あっと反射的に声を出して口をつぐんだスフィアは、慌てた様子で秋弥に向き直った。
「すまないクツキ。身内に対する配慮が足りなかったよ」
「……いえ、良いんです」
「良くないわよ……」
俯き、表情を隠した悠紀がポツリと言った。
「各学園の学生自治会は四校統一大会の運営も行っているのよ……。それはつまり、事故を未然に防げなかったことの責任は私たちにあるということなの。だから、全然良くないのよ。全然、良くない……。私が不甲斐なかったばっかりに——」
「星条会長」
「……っ!」
「姉さんは誰のことも責めていませんし、自分にできる限りのことを尽くしました。だから、そんな風に思わないでください。会長がそう思っていると姉さんが悲しみますし、浮かばれない……」
月姫は昨年行われた四校統一大会——封術学園四校の学生が集って封術の技術を競う大会——に、代表選手の一人として出場していた。
月姫が出場した競技は純粋に封術を扱う技を競う競技だったのだが、その際に彼女の対戦相手であった選手の封術が暴走するという、大変な事故が起きたのである。
術者の制御下を離れた封術が情報体の異常改変を起こしたのだ。それはやがて元々の情報体が内包可能な総量の臨界点を超えて、大規模な情報爆発を引き起こしてしまった。
会場内に張られていた封術結界では情報爆発に耐え切れないーーそう判断した月姫は、自身にかけていた防御用の封術を全て解くと、全神経を集中させて新たな封術結界を展開したのだ。
その封術結界は、異常改変で膨れ上がっていた情報体を丸ごと囲いこんだ。月姫は結界の体積を狭めることで密度を高めて、情報爆発を結界の内側に抑え込もうとしたのである。
その結果——被害は最小限で食い止められた。情報体のそばにいた対戦相手は情報爆発の余波で吹き飛ばされ、全身に打ち身や骨折を負ったが、その程度のものだった。
しかし月姫は——外傷こそほとんどなかったのだが、封術結界では抑え切れなかった分の情報圧力を精神に受けて、生死の境を彷徨うこととなった。
辛うじて一命は取り留めたものの、『意』に重度の負荷を受けてしまったことで、封術の行使に必要な装具を呼び出せなくなってしまったのだ。
「九槻君……」
当時の出来事を思い出していた秋弥は、幾分落ち着いた悠紀の声によって我に返った。
焦点を悠紀に合わせて、彼女の瞳を見つめる。
「ねえ九槻君。不躾なことなのは承知で、一つ聞いても良いかしら?」
悠紀も真っ直ぐに秋弥の視線を捉えて、決して瞳を逸らそうとはしなかった。
「何でしょうか」
「月姫は……今はどうしているの?」
「自宅療養中ですよ。封術を使えないのに封術学園に通うわけにも行きませんし……。それに、まだ感情のコントロールがうまくできないんです」
入学初日に月姫が見せた突然の涙と抱擁。その過剰な感情変化は、心や精神といったものを司ると言われている『意』を、月姫自身が制御しきれていないことの現われだった。
感情が不安定な状態の月姫を外に出すわけにも行かないため、学園側にも休学届けは提出済みだった。あとは彼女の心が、あるべき形に戻るまで待つしかない。歯痒かったが、それは誰かがどうにかできるものではなく、月姫自身の問題なのであった——。
「そっか、教えてくれてありがとね」
「案外カグヤのことだから、クツキと同じ学年になるまで休学し続けるかもしれないけどね」
茶化すようなスフィアの言葉に、悠紀が笑みを浮かべた。
そういえば二人は姉と同じクラスだと言っていたか。
二人の様子から、何か秋弥にとって良からぬことを姉から吹き込まれているのかもしれない。
「あっ……もうそろそろ昼休みも終わりだね」
ふと眼に映った時計を見て、スフィアが言う。
「あら、ホントね」
「楽しい時間は早く過ぎるっていうけど、あれは本当だったね」
「楽しかったのは貴女だけでしょうに……まあいいわ。ごめんなさい、九槻君。結局、何のお構いもできなくって」
膝に手を当てて屈伸をするように立ち上がったスフィアに向かって、やれやれと息を吐いた悠紀が申し訳なさそうに言った。
「本当は装具選定のときのことをもっと詳しく聞きたかったのだけれど、それはまた今度の機会にするわね」
「そのときはワタシも同席させてもらいたいね。クツキのあの力には、興味以上に惹かれるものがある」
その言葉を聞いた秋弥は眉根を寄せると、「……あの、すみませんが、会長たちにお願いがあります」と話を切り出した。
「装具選定で見たことは、口外しないでいただけないでしょうか」
『星鳥』の序列一位である星条家の人間に対して、無意味なお願いをしているという意識はあった。それに、あの日からもう何日も経っているのである。この口止め自体がもはや無意味である可能性も十分にあったが、それでも目撃者が他にもいたのならば、秋弥はそう言わずにはいられなかった。
すると、悠紀とスフィアは互いに顔を見合わせてから、二人同時に笑みを向けた。
「心配しなくても大丈夫よ。このことはまだ、私たち二人と学園の封術教師たち、そして九槻君のクラスメイトたちしか知らないわ。もちろん『星鳥』にもまだ伝えていないし、しばらくは伝えるつもりもないわ」
「……あの——」
それはどうして、と秋弥が尋ねるよりも早く、スフィアが口を開いた。
「クツキの言いたいことはわかるよ。その理由は簡単さ。全国に四校だけある封術学園の創設者たちはいずれも『星鳥の系譜』に連なる人物だということは当然知っているよね。だけど、封術学園は、たとえ『星鳥』であっても関与することができない独立機関になっているんだ。だから、学園では誰もが平等で、公平なんだよ」
「そういうことだから、しばらくの間は安心して良いわよ」
二人の言葉をどこまで真に受けて良いかはわからないが、今は信じるしかないだろう。
であれば、秋弥にはもうひとつ、尋ねたいことがあった。
「それなら、教えてください。二人はどうして、装具選定でのことを他の役員たちに隠したんですか?」
三組のクラスメイトたちと同じように、封術教師である袋環から口止めされたのだろうか。
しかしそれでは腑に落ちない部分もある。
悠紀は学生自治会によって学園の運営が行われていると言っていた。ならば、装具選定の報告書を提出したのは一年生の各クラスを担当する封術教師たちだろう。当然そこには、袋環が提出した報告書もあったはずだ。
そこに記載された内容を、悠紀は役員たちの眼に留まることがないように改竄、隠蔽した。
その理由は、いったい何なのだろうか。
「それはね。月例会議で何らかの結論がでれば、きっと九槻君とあの高位隣神のことは学園に通う学生たちだけでなく、他校の学生たちや『星鳥』、封術協会に属する封術師たちにも知られることになるわ。だから、それまでの間だけでも、貴方の力を知っている人は少ない方が良いと思ったのよ」
そう言って、悠紀は悪戯っぽく笑ったのだった。
2013/01/02 可読性向上と誤記修正対応を実施