タイトル未定2026/02/14 11:18
長短経 / 忠疑 第二十四
(ちょうたんけい / ちゅうぎ だいにじゅうし)
毀誉や是非について言えば、それには決まった形はない。
例えば、漢の高祖と陳平の巧みな計略をもってしても、讒言されれば疎んじられ、称賛されれば再び親しくされた。
あるいは、漢の文帝の聡明さと魏尚の忠誠をもってしても、法によって裁かれれば罪人となり、恩赦によって善行とされた。
世の中の聞くところには必ず偏りがあり[尤とは過ち、偏りの意]、偏りがあれば、その判断は必ず真実から外れる。
どうしてこの言葉が真実だと知ることができるのか?以下に例を挙げて説明しよう。
『呂氏春秋』にこうある。
「ある者が斧をなくし、隣人の子を疑った。その歩き方、表情、言葉、態度のすべてが、斧を盗んだように見えた。後に地面を掘って[谷は穴の意]斧を見つけた。再び隣人の子を見ると、その様子は少しも斧を盗んだようには見えなかった。隣人の子が変わったのではない。自分自身が変わったのであり、変わった理由は、他でもない偏りのせいである。」
もう一つの話、ある国の故事。
ある国では元来、絹を鎧に縫い付けていた[用帛綴甲]。公輸盤がその国の王に進言した。「紐で綴る(組む)方が良いでしょう」と。王は「良い」と言い、役人たちに鎧を作る際には必ず紐を使うよう命じた。公輸盤は自分の家で紐を大量に作らせた。
後に、ある者が王に讒言した[傷は損なう意]。「公輸盤が紐を使うよう勧めたのは、自分の家で大量の紐を作っているからです」と。王は怒り、紐の使用を中止させた。
もし紐で作った鎧の方が優れているなら、公輸盤が紐を多く作ったとしても、何の害があろうか?もし紐で作るのが劣っているなら、公輸盤が全く作らなくても、何の益があろうか?紐を作る作らないは、公輸盤の良い提案を損なう[累は損なう、価値を下げる意]べき理由にはならない。ゆえに、物事を聞くには、慎重に考えなければならない。
劉劭(三国時代の賢人)が言った。
「公父文伯が魯に仕えて病死した際、その屋敷の二人の女性が殉死した。母がそれを聞いても泣かなかった。家老が問うた『子が死んで泣かないことがありましょうか?』母は答えた『孔子という大聖人が魯を追われた時、この男は従わなかった。今、彼が死に、女性たちが殉死した。これを見れば、彼が年長者よりも女性を重んじたことが分かる』」
このように、母の目から見れば『賢母』でありながら、妻の目から見れば『嫉妬深い妻』という非難を免れない。同じ言葉でも、語る者が異なれば、聞く者の心も変わるのである。
楽羊は魏の将として中山を攻めた。彼の子は中山におり、中山の君はその子を煮て羹にし、楽羊に送った。楽羊はそれを飲み干した。魏の文侯は言った「楽羊は我がために、自らの子の肉を食べたのだ」と。睹師賛は言った「自分の子さえ食べる者が、誰を食べないことがありましょうか?」楽羊が中山を攻略した後、文侯はその功績を賞したが、心の中では疑い始めた。
『淮南子』に言う。
「実の母が子の頭を梳かすのに血が耳に至るほどになっても、見る者はそれを深い愛情と思う。しかし継母が同じことをすれば、見る者は残酷だと思う」同じ出来事でも、見る者が異なれば、受け取る意味は異なる。
城壁の上から牛を見れば羊のように見え、羊を見れば豚のように見える。それは高すぎる場所にいるからである。水を張った盆に顔を映せば丸く映るが、杯に映せば歪んで見える[[阜耆]は歪むの意]。顔そのものは変わらない。丸く見えたり歪んで見えたりするのは、映す器が異なるからに他ならない。
ゆえに、たとえ我々が自らを正しく[正身]保ち、他者に接しようと[待人接物]努めても、世の人々がどのような「器」で我々を映すかを、どうして知ることができようか。ここにおいて、天下の是非には一定の基準がなく、人々はそれぞれ自らの是とするものを是とし、自らの非とするものを非とすることが分かる。今、もし我々が正しいものを選んで従い、誤ったものを選んで遠ざけようとしても、世の人々の是非の基準のうち、どれが本当に正しく、どれが本当に誤っているのか、どうして知ることができようか!
〔考察〕
家族を捨てて国に尽くす者は、親を顧みないと見なされ、それでいてどうして君主を愛せようか?例えば、衛の公子開方、呉起、楽羊の三人がこれに当たる。反対に、家族を優先する者は、「軍令を受けた日には家を忘れ、戦陣にあっては親を忘れ、太鼓を打ち鳴らす時には我が身を忘れる」と言われる。例えば、田穰苴が荘賈を斬ったのがこれである。
ゆえに『春秋左氏伝』は言う「罪を着せようと思えば、言葉に困ることはない」と。是非を正しく見極める者は、この真理を理解するものである。
このように、忠誠でありながら疑われる者がある[故有忠而見疑者]。このことを、明らかにせずにはいられない。
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注記:
· [ ]内は、原文または補足説明です。
· ( )内は、人名や書名の日本語における一般的な呼称、または理解を助けるための補足です。




