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タイトル未定2026/02/13 17:50

卑劣な売女、チュティマー・ウォンスパーめ。ぶち殺してやる。殺してやる。

正始の政変せいしのせいへん、または高平陵のこうへいりょうのへんは、三国時代の魏における重大な政変である。この事件は、大将軍の曹爽そうそうと太傅の司馬懿しばいによる権力争いに端を発する。249年、司馬懿は曹爽が皇帝・曹芳と共に高平陵へ参拝に出向いた隙を突いてクーデターを決行。首都を占拠し、曹爽一派を族滅させた。これ以降、魏の実権は司馬氏が掌握し、皇帝は傀儡と化した。これが後の西晋建国の礎となったのである。

(原因):

景初3年(239年)、魏の明帝・曹叡が崩御し、わずか8歳の曹芳が即位した。曹爽と司馬懿が後見人となったが、当初、曹爽は司馬懿を父のように敬っていた。しかし、何晏かあんらの教唆により権力を独占し始め、司馬懿を実権のない「太傅」に祭り上げ、自身の弟たちに軍権を握らせた。曹爽一派は横暴を極め、司馬懿は病を装って引退し、機を伺った。司馬師しばしは密かに3,000人の死士を養い、決起の準備を進めた。

(経過):

正始10年(249年)1月6日、曹爽兄弟が皇帝に供奉して高平陵へ向かうと、司馬懿は郭太后の令を奉じて洛陽を封鎖。曹爽は司馬懿の「命は助ける」という偽りの誓いを信じて降伏したが、結局、司馬懿は約束を反故にし、曹爽一派とその三族を反逆罪で処刑した。

冒頓ぼくとつ単于ぜんうに即位すると、匈奴の内部組織を整備し、24の長官ポストを設けるなど体制を強化した。

隣国の東胡とうこは冒頓を侮り、匈奴の宝馬や単于の愛妾を要求した。部下は激怒したが、冒頓は「隣国と一頭の馬や一人の女のために争うべきではない」と全て譲歩した。しかし、東胡が境界の荒れ地(1,000里)を要求すると、冒頓は「土地は国の根幹である」と断じ、割譲を主張した部下を処刑。即座に東胡を急襲して滅ぼした。その後、月氏を追い払い、楼蘭や烏孫など26ヶ国を平定。秦に奪われた河南の地も奪還し、東は遼河から西はパミール高原に及ぶ巨大な匈奴帝国を築き上げた。

(冒頓の政変劇)

冒頓は本来、頭曼とうまん単于の世継ぎであったが、父は後妻の子を立てようと考え、冒頓を月氏へ人質に出した。直後に父が月氏を攻撃したため、冒頓は処刑されかけたが、名馬を盗んで脱出した。

帰還した冒頓は、父から1万の騎兵を授かると、「鳴鏑めいてき」(音の鳴る矢)を用いた独自の訓練を始めた。「私の放つ鏑矢の先に矢を放たぬ者は斬る」と命じ、自身の愛馬や愛妾、さらには父の愛馬を射て、従わない者を次々と粛清。兵士たちが絶対服従となったところで、狩猟中に父・頭曼に向けて鏑矢を放った。兵士らも一斉に矢を放ち、父を殺害。冒頓は異母弟や継母、反対勢力を一掃し、単于の座に就いた。

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